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王の試練「戦闘」

 長い庭園を抜けて、ついに城内に足を踏み入れたクロードを待っていたのは、人気のしない静寂に包まれた空間だった。

「…………」

 違和感を覚えながらも、クロードは足を止めることなく進んでいく。目指す場所は決まっている。大会議室。円卓の間だ。

 アルフレッドはここまで来いと、そう言った。ここまで来れば、話を聞いてやると。そして同時に、力を見せろとも言ったのだ。

 ならば、城内入口から大会議室に至るまで、その道程には何かがある、超えることで力の証明となる何かが。それをクロードは兵士か一番隊の護衛騎士だと予想していたが、そうではないようだった。この静けさ、大勢の人間が道中にいる気配はない。

 だとすると、罠か……。

 トラップ。侵入者に対して自動的に発動する魔法なら、この城の至るところに仕掛けられていてもおかしくはない。それのどれかが自分を狙っているのか。それとも魔法で気配を隠した騎士が潜んでいるのか。考えられる可能性はいくつもあったが、どちらにせよ周囲の警戒を怠る訳にはいかなかった。

 迷いなく城内を進む。会議室までの道のりは頭に入っている。前回、そこで尋問紛いのことをされた時に覚えていたのだ。

 クロードの足取りは慎重だったが、しかし普通に歩くような速さから速度を落とすことはしなかった。それどころか、早歩きにも近いスピードだ。罠の警戒のために慎重にならざるを得ないが、それで時間を取られるわけにはいかなかった。オルタナが、浮遊城がいつこちらに牙を剥くかもわからない状況だ。そしてそういう状況であるということは、円卓の面々にも少なからず焦りが生まれているはず。無事たどり着いたとして、しかし話を聞いてもらえなければ意味がない。

 だからクロードは急いだ。それでも慎重さを崩さないのには神経を使ったが、できないことではなかった。どのような罠だとしても、要は致命傷、または歩き続けることを疎外されなければたどり着くことは可能なのだ。それだけわかればおのずと警戒する部位や場所も限られてくる。

 ある程度のダメージは覚悟で前へと進む。だがクロードの予想と反して、いくら会議室に近づこうとも罠が発動することも、人影を見ることもなかった。確かに大勢の気配はないが、一人もいないというのは驚きだ。

「どういうことなんだ……?」

 思わず独り言を零しながら、会議室に繋がる道のりの最後の角を曲がる。ここを曲がれば、五十メートルほどの廊下の先に目的地があった。

 そして、最後の曲がり角を曲がった瞬間、クロードは自分の予想の甘さを思い知る。

 アルフレッドはただの軽薄な男ではない。この国の王なのだ。一国の王として、充分な度量と才能を持っている。

 そう、まさしく彼は王の器。それにふさわしき策を持って、クロードへと対抗してきた。

 廊下の先にいたのはただ一人。クロードがほんの一度だけ目にしたことのある人物。

「十番隊副隊長、ブルーノ・ロウ」

 髭面の男は、荒々しい表情でクロードを凄む。

「小僧、まずは名乗りを上げろ」

 アルフレッドが提案した策は驚く程単純だ。大会議室に入るための出入り口は一つ。壁や窓を突き破るなどという馬鹿げた真似をしない限りは、通る道はたった一つに絞られる。クロードに壁を破壊するだけの魔法が使えないことはわかっている。ならば、守るべきはそのただ一つ。乗り越えるべき障害はそこに一つ置くだけでいい。

 作戦と呼ぶには抵抗があるほどの、単純すぎる策。しかし、単純だからこそ効果がある。結果的にクロードはその障害を無視することができなくなったのだ。

「さて、どうするクロード。相手は騎士団副隊長格だぜ」

 そうアルフレッドが呟く視線の先には執事長の出したモニターがある。今それが映すのは城門の前の光景ではなく、クロードとロウのいる大会議室前。つまり、この部屋の前だ。

 モニターの中に映るロウは、普段リリィに振り回されている時のような温厚な雰囲気は消え去り、荒々しい表情でクロードを睨みつけている。その大柄な体やもじゃもじゃとした髭も相まって、騎士というよりも盗賊か傭兵のようにも見える。ただ彼の纏う空気が他の騎士とは違うのは当然のこと。彼は十番隊の副隊長なのだ。到底人は住めないと言われた外海に進出し、未開の地を己が実力だけで切り開く探検者。ブルーノ・ロウはその一人であり、二番手なのだ。

 モネとリリィはこれから浮遊城を落としに行く重要な人員のため、戦闘をさせるわけにはいかない。ジャン・ジャックも隊長格としての責務があり、要人警護を任とする執事長とメイド長も同様だ。今この場で戦闘を任せられる人員としては、ブルーノ・ロウは最たる実力者だろう。

 ロウとクロード。二人の実力差は考えるまでもない。こうして対峙している二人を見ただけでも、ロウの体格を前にしたクロードはただのひ弱な子供にしか見えない。魔法など使わなくても、ロウがその丸太のような腕を一振りしただけでクロードは軽く吹き飛ばされてしまいそうだ。

 だが、アルフレッドはこの人選を可哀そうだとか、不公平だとは思わない。クロード・ルルーという少年はこの場に至り、無理を通そうというのだ。これくらいの障害は乗り越えてもらわなくては困る。そうでなければ、話を聞く価値もない。

 それに、とアルフレッドは思うのだ。

 どう考えてもクロードの敗北しか可能性がねぇってのに、不安が消えねぇんだよな。

 もしかしたら、ありえないとわかっていても、何故かアルフレッドはその期待にも似た不穏な感情を拭いきれなかった。

 円卓の他の人物たちも同じ気持ちなのか、誰一人声をあげようとはしない。隊長として、自分の部下の実力には自信のあるはずのリリィですら、黙ったまま煙管をくゆらすだけだ。

「どう思うよ、バトラー」

 沈黙の中、アルフレッドは自らの後ろに控える老齢の執事に尋ねる。執事長バトラーはピシッとした姿勢を少しも崩すことなく答えた。

「実力差は歴然。しかしそれを覆すのではないかと、そう思わせるだけの空気をあの少年はまとっていますな。はてさて、どうなることやら。私には皆目見当もつきません」

「まあ、そうだよな。……メアリ、お前はどうだ?」

 問われた先、メイド長は眼鏡を上げ直しながら言う。

「どうなるにせよ、勝負はすぐにつくと思います。ほら、ご覧になってくださいアルフレッド様! すでに動きがありましたよ」

 まったく,あの王様は態度と行動が一致しない。と、クロードは目の前の髭面の大男、ブルーノ・ロウを見つめながら思った。考えうる中で最も単純で、最も効果的な策をぶつけてきたのだ。大会議室にはいるための入口は一つだけ。一応、先程自分が吹き飛ばされた際に壊した壁から入ることも思案したが、その壊れた壁はロウを超えた先にあった。どちらにせよ、この男を超えていかなければいけない。

 そうしなければならない。そう理解してからはクロードは余計な思考は隅に追いやった。勝てるのか、という疑問も勝てないという諦めも今は忘れた。勝つために。超えていくためだけに思考を総動員する。

 それ以外のことは、考えるな。

 思うのはオルタナのこと。考えるのは目の前の敵を倒す手段。ただそれだけだ。

「アルケミア所属一年生《世界から見放された者》。クロード・ルルー」

 ロウに続いて、名乗りを上げた。嘲笑と冷笑と共に語られる自らの忌み名。クロードの弱さを象徴するその名を敢えて口にした。それは己を奮い立たせるため。自分の弱さを否定できないクロードの精一杯の強がりだ。

 それを受けて、ロウはどこか満足そうに口元を歪めた。わずかだが、笑ったのだ。初めてあった時はまるで感じなかった荒々しい雰囲気はそのままに、ロウは微笑を見せる。

「俺も聞いていたぜ。あの城門前のお前の啖呵。正直言って、同じ男としてはお前を応援してやりてぇ。だが、うちの隊長と国王様に頼まれてしまった。ここを守れってな」

 言って、ロウは髭だらけのその顔からわずかな笑みすら消した。

「命令された以上、手は抜かねぇ。何より、お互い名乗りを上げた。こっから先は男同士の決闘だ。手加減すること、それこそお前に対する侮辱だろう」

「……ありがとうございます」

 思わず、礼を言ってしまった。こちらを見下さず、対等に相手をしてくれる。それだけでもクロードにとっては嬉しいことだった。

 クロードの言葉は届いていなかったのか、それとも聞かなかったふりをしたのか、ロウはその感謝の言葉に対しては反応せず、話を進めた。

「横を見ろ」

 言われ、見てみればそこにはいくつもの武器が壁に立てかけてあった。剣ならば、刀身や幅、鍔のあるなしなどで様々。他にも槍に鈍器、弓やクロスボウ。おかしなところで鎖鎌なども置いてある。

「好きなものを使え」

「いいんですか、敵に得物を与えてしまって」

「構わん。これは決闘だ。出来る限り、最善の状態で戦うべきだ」

 こちらを立ててくれているのだろうか。だがきっとそういう心の中に余裕も含まれているのだろうと思うと少しだけ悔しくもあったが、クロードは言われるがまま武器を手にすることにした。

 綺麗事を言っている場合ではないのだ。勝つためにできる事はすべてやろう。

「槍。それも二本も……」

 ロウの言葉の通り、クロードが選んだのは槍。通常の剣よりも少し長いくらいの短槍と身の丈ほどもある長槍。短槍を右に、長槍を左に持って、クロードは軽く構えを作る。

「その構え、冗談で選んだわけじゃないな。面白い戦い方をするんだな」

「…………」

 クロードは何も言わない。面白いかどうかはともかく、槍の二刀流――――二槍流などクロードだって得意としているスタイルではなかった。無論〝やったことがないわけじゃない〟。馬鹿げたスタイルだが、真っ当に扱える程度の鍛錬は積んでいる。

 クロードが本当に得意としているのは二本の剣による二刀流だった。だが今回に限ってはそれは使わない。

「準備はいいみたいだな。なら、俺から行かせてもらう!」

 言って、ロウは右の袖を捲り上げ、その丸太のような腕の肌を露出させる。その右腕には赤い塗料によって複雑な記号とも模様とも、数字や、文字にも取れるような何かがびっしりと描かれていた。

 魔術を知るものならば、一目見るだけで理解できる。ロウの右手に描かれていたのは術式だ。右腕を覆うほどの術式。それを見た瞬間、クロードは焦る。

 あれは、まずい……!

 術式の煩雑さから察するに、あれは言葉による詠唱を殆ど必要としない魔法だ。体に直接術式を描くことで詠唱の時間を大きく短縮する技術。発動される魔法が限定される変わりに、強力な魔法をほぼ詠唱なしで発動できる細工。

 モネにはない。一般の騎士の戦い方。

 あわよくば槍のリーチを生かして先手を取ろうと思っていたが、もう遅い。すでにロウの周りにはルーンの発光体が浮かんでいた。

 魔法が発動する。

 ロウが右手をに練りながらクロードに向かって突きだす。そしてただ一言を強く叫んだ。

「軍艦砲!」

 瞬間、ロウの右手を覆う術式が光を放つ。同時にその拳の先の空間が〝ぱかり″とのぞき窓のように開いたかと思うと、そこから妙なものが顔を出した。

 それは大砲だった。大砲の砲身、その先の三十センチほどだけが開いた空間から姿を現した。

 そこまでのことは一瞬だった。目の前で起こった現象にクロードの理解が追い付くよりも先に、砲身から砲弾が放たれた。

 放たれた砲弾はまっすぐクロードに向かって飛来する。遅れて聞こえてくるのは腹の底に響くような発射音。高速でこちらに向かってくる砲弾がクロードの意識の中だけでスローモーションになる。

 受けるのは危険だ。かといって、回避も間に合わない。それだけの速さで砲弾は迫って来ていた。だからクロードは自分から思いっきり床に倒れ込んだ。まとな回避ではなく、当たらないためにわざと転んで見せたのだ。

 全身を投げ出すようにして後ろに倒れていくクロードの上を砲弾が通り越していく。クロードがそれを知覚したのと、背後の壁に砲弾が当たり粉々に砕けたのは殆ど同時だった。

「…………!」

 無理な体勢で倒れたため思い切りぶつけてしまった頭の痛みを感じながら、クロードはすぐさま立ち上がり体勢を整える。

「ほう、避けたのか。ま、さすがにこれで終わったら呆気なさすぎるな」

 ロウが満足そうに呟く。それを聞きながら、クロードは後ろ目に背後の壁を確認する。粉々になった壁の瓦礫の中にロウが打ち出した砲弾が転がっていた。砲弾にはロウの右腕に書かれているものと同じような赤い術式が描かれていた。魔法によって強化された弾。それも、

「破壊力の強化」

 ぼそりと囁いたクロード。それを聞いていたのか、ロウが頷く。

「その通り。打ち出す弾はただの鉄球だが、術式を刻んで強化してある。当たればただじゃあ済まないぜ。それじゃあ、俺のこの魔法そのものがなんなのかはわかったか?」

 まるで学校の先生のようだと思いながらも、クロードは答えた。

「空間転移、ですかね」

 ロウが出現させた大砲。そしてそこから打ち出された弾をクロードは知っていた。それらは十番隊の所有する軍艦に乗せられた大砲と砲弾だった。港に泊まる軍艦から大砲の砲身は見ることができたし、砲弾の特性はモネから聞いて知っていた。

「惜しい。正しくは転移ではなく、接続。空間接続が、俺のこの右腕に刻んである魔法だ」

 異なる空間と空間の接続。それだけ聞くならば、とてつもない大魔法のように思えたが、すぐにロウがそれを否定した。

「ただし、接続できるのはうちに所属する軍艦、それに搭載された武具や武装のみ。俺は十番隊副隊長として、遠征部隊《赤薔薇艦隊》所属の艦船の半分の指揮を任されている。つまり、赤薔薇艦隊の半分の船は俺の所有化にあるということだ。こいつは俺の所有化にあるものの一部の空間を接続できる。そういう魔法だ」

 条件を限定してようやく扱えるようになった、とロウは言うが、それでも充分に凄いことだとクロードは思う。無論、自分に到底できないことだし、他の一般的な騎士たちでも簡単にいくことではないだろう。

 副隊長の名は伊達じゃないってことか…………。

 何より、その威力がクロードにとっては厄介極まりない。防護魔法に頼ることのできないクロードでは《軍艦砲》を防ぐすべはない。当たる訳にはいかない。かといって、この距離で放たれる大砲の砲弾をいつまで避けきれるかどうか。

 人の姿のまま、軍艦と同じ火力を得る。

 空間接続という複雑な魔法にしては単純な使用方法。だが、今のこの状況と同じく、単純なだけに厄介な戦闘スタイルだった。

 構えた槍の先端を床に擦れるかと思う程の位置まで下げ、クロードは深く息を吐く。相手の手の内が一つ見えた。それ以上の何かを持っているかどうかはわからないが、しかし悠長に確認しているだけの時間はない。

 自分にできることは少ない。武器を持ち戦うこと、絵画魔法。その程度だ。だから出し惜しみはしない。その程度の全てをぶつける。

 勝負は一度きり。

「今度は、僕の番です!」

 そう言って、クロードはロウに向かって真っすぐに飛び込んだ。

 自分に向かって真っすぐに走り込んでくるクロードを視界の中央に置きながら、ロウは考える。この戦闘についてではない、先の城門前で起こったクロードの啖呵についてだ。

 あそこまで馬鹿馬鹿しい若さは、もうロウにはないものだ。いや、若いからという理由だけじゃないだろう。

 好きになったから助けよう。

 国家を敵に回しても、助けよう。

 それがただの若さではないことはわかる。だが〝若い〟以外になんと言えばいい。

 国王様も言っていた。そういう馬鹿野郎は嫌いじゃないと。

 ロウもまた同じ気持ちだ。応援してやりたい。だが、いやだからこそ手加減はしないと決めていた。同じ男として、通すべきものは力を持って通すべきだとロウは考える。

 多少強引でも、そっちの方が喜ばれたりするもんだ。

 自分もまた若さに浸った気になりながら、ロウは右腕を引いて構えた。ここまでの思考はロウにとっては特に余計なものというわけではなかった。もとより戦術だとか、そういった複雑な思考を戦闘中にはしない質だ。

 向かってくるものを倒す。

 逃げるものを倒す。

 目に映ったものを倒す。

 この身が扱う火力は自らが指揮する軍艦と同様だ。クロードの華奢な体など簡単に壊してしまうだろう。

 あれ? だとすると防護魔法使えないこいつに当てるのはまずいんじゃないか?

 そんなことを考えながらも、体は自動的にこちらへ向かってくるクロードを迎撃しようと動く。まるで自動砲台だと、殆ど勝手に動く自分の体に感想を漏らしながら、引いた右腕に強く力が込められた。

 そして次の瞬間――――目の前でクロードが三人に増えた。

 …………は!?

 まるで理解が追い付かなかった。突然、少年が三人に増えたのだ。手に持った槍も身につけた服もそのままに。

 相手が普通の魔法師か騎士であれば驚くこともなかっただろう。そういう魔法だと納得したはずだ。だがクロードがまともな魔法を使えないことをロウはすでに聞いていた。その情報は確かなはず。だから意味がわからなかった。

 しかし意味などわかっていなくても関係ない。ロウの体は自動砲台。目に映るものが敵であるとわかっていれば、それでいい。

 引いて、力を込めていた右腕を捻りを加えながらクロード〝達〟に向かって突きだす。

 腕を突きだす。腕を捻る。

 それがこの魔法の発動条件だ。その後の操作、砲台の向きや出現する場所の選択は全てロウの意のままだ。

 そして、出現する砲台の数さえも。

「軍艦砲!」

 叫ぶ。この叫び事態に意味はないが、自らへの鼓舞として口にする。すると、突きだした腕の先からそれぞれのクロードへと狙いを定めた砲台が三つ、先程と同じように空間を開きながら姿を現した。数が増えたのなら、同じ数だけ砲台を増やせばいい。目に映る敵を全て打ち砕くために砲台は数を増やし、それぞれが同時に砲弾を放った。

 赤い術式の彫られた砲弾はそれと同じ色の軌道を描きながら、それぞれのクロードに接近する。

「……あん?」

 おかしい。ロウの本能と理性が同時に疑問を作る。砲弾が目の前にまで迫っているというのに、クロードは避けようともせず、防御の姿勢も取っていない。目に映る全てのクロードがそうだったのだ。

 そのまま、回避も防御もしないクロード〝達〟に軍艦砲が直撃した。

 瞬間、全てのクロードは大量の血をまき散らして四散する。

「おおう!?」

 飛んできた血を体に受ける。さすがにこれにはロウも驚きの声をあげた。防護魔法の使えない相手では軍艦砲はこれほどの威力を発揮するのかと。だがすぐに別の驚きがロウを襲う。

 血じゃない。まき散らされた液体から嗅ぎ慣れた戦場の臭いがしない。液体が発するのはむしろそれとはかけ離れた絵の具の香りだ。

 目の前にいた少年たちが赤い絵の具をまき散らして姿を消した。

 いや、これは消えたんじゃなくて、この絵の具にこいつらが変わったのか!?

 もっと言えば、最初からこのクロード〝達″はこの赤色の絵の具で出来ていたのだ。

 クロードが唯一使える魔法。それが絵画魔法。ロウは一瞬で理解した。今クロードがやったことを。

 こいつ、空中に立体的な絵を描きやがった!

 わからないのは何故赤の絵の具がまき散らされたかだ。肌色や服の色ならともかく、黒。考えられるとすれば、今さっきまで自分が見ていた少年の肌や服の中に黒の絵の具を詰める方法だが、それをする意味がロウにはわからなかった。

 思考の中。ロウの首は無意識のまま上を向いた。

 それはロウの経験がなせる無意識の超反応だった。視界の中にいたクロードは全て偽物だった。なら本物はどこにいったのか。視界の中にいないのなら、その外側。ロウは上を選んだのだ。

 その反応は正しかった。クロードはロウの殆ど真上、その天井から落下しているところだった。見れば天井には何かを無理矢理突き刺したかのような穴が開いていた。その形状はクロードが手にした長槍の穂先に酷似している。

 槍を選んだのはこのためか……!

 槍を天井に突き刺すことで、絵の分身がロウを襲うまで天井に潜んでいたのだ。

 小賢しい真似だとロウは思わず舌打ちをした。だが結局、不意打ちを成功させる前に見つけられては意味がない。

「こんなものか、お前の力はよぉ!」

 苛立ちをそのまま、腕に乗せ、振り切った。

「軍艦砲!」

 ――――だが、ロウお得意の魔法は発動しない。右腕の魔法が発動しないのだ。腕を突きだし、捻る。発動条件は揃っているはずだ。しかし術式は反応せず、光を見せることもない。

 驚愕。その思考に呑まれそうになるロウの視線が自分の腕へと向けられる。

 己の右腕に書かれた赤の術式は、クロードの絵の分身がまき散らした赤い絵の具で塗りつぶされていた。

 そういうことか……。

 クロードは絵の分身を使い、絵の具をまき散らすことによってロウの右腕の術式を上から塗りつぶしたのだ。無論、上から色を重ねられたくらいで効力を失くすほどロウが自らの腕に掘った術式は柔な作りをしていない。例え目には見えなくとも、そこに書かれているという事実そのものが術式として作用するのだ。しかし分身がまき散らしたのは同じ赤色。それも見れば見るほど、光沢や質感までもがロウの腕を覆う術式の赤と一致しているように思えた。

 クロードが生み出したのはまったく同じ色だった。赤色と、一口に言ってもその具合から様々に存在する〝赤色〟の中から寸分違わず同じ色を生み出したのだ。それにより、一時的に術式を〝勘違い〟させた。緻密に作りあげられた芸術作品に無用な線を一本入れるようなものだ。それもどうすればより作品が陳腐になるのかを考え抜いた上で。

 一時的ではあるが、ロウは己の魔法を無効化されたと知る。

 しかし、一歩足りなかった。クロードとしては、ほんの一瞬不意打ちを成功させるだけの時間が稼げればよかったのだろう。だがその一瞬は戦場においては死に直結する『絶対に避けなければならないもの』だ。それをロウが許すわけがなかった。

「甘いんだよぉ!」

 叫ぶと同時、ロウは魔法の使えなくなった右腕で左腕の服を破り捨てた。するとそこから現れたのは、右腕に描かれていたものとまったく同一の術式だった。

 詠唱を必要としない術式は一瞬が左右する状況にこそ真価を発揮する。落下するクロードがロウにその槍の穂先をぶつけるまでの間、それは本当に一瞬よりも短い刹那でしかなかったが、ロウにとってはそれで充分だった。

 左腕を突きだし、捻る。先程からのような大振りな動作ではない。非常時に合わせたコンパクトな動きだ。動きが小さくなっても発動する魔法は変わらない。しかし今回ロウが接続した空間は砲台ではなかった。

 現れたのは巨大な錨だった。軍艦に付けられた巨大な錨をロウは自身と落下するクロードの間に、そびえたつ壁のようにして出現させたのだ。それは防御であり、同時に攻撃にもなった。突如現れた巨大な鉄の塊とも言える錨にクロードは反応できない。例え気づくのが一瞬速かったとしても、空中では身動きが取れない。クロードは落下の勢いをそのままに錨へと衝突し――――――そして真っ赤な液体となってはじけた。

「これも分身だとぉ!?」

 ロウは赤の絵の具を頭からかぶる。突きだした左腕は肌色が見えなくなるほど赤く染まってしまった。右腕と同じで、左腕の術式も封じられた。

 こちらへ向かう三人のクロードも、それを影に不意打ちを狙った天井のクロードも分身、偽物だった。

 あの天井の穴もブラフだったってのか?

 いや、違う。と、ロウは浮かんできた考えを否定する。そうじゃない。あれは確かにクロードの槍が刺した跡だ。しかしクロードは天井に張り付いていたわけじゃなかった。そう、むしろ彼はその先へ……。

 飛び越えられた。跳躍し、天井に槍を刺し、そこを支点にしてさらに先へと飛んだ。自分の分身を置き土産にして。

 その発想を思いつくと、ロウはすぐさま後ろを振り返った。先に行かれた。自分の後ろには扉があり、先程クロードが飛んで行った際に開いた穴がある。すでにそこにたどり着かれていてもおかしくはない。

 だが、クロードの姿はどこにもなかった。

 扉を開ける音はしなかった。もうすでに壁から侵入されたのか。そうだとすれば、円卓の方から何かしら反応があるはず……。

 予想だにしない事態にロウは混乱し、頭の中では様々な考えが浮かんでは消えていく。ただじっと扉と壁の穴を見つめるだけだ。

 だから気づかなかった。気づけなかった。

 クロードはロウが思うよりもずっと、ずっとずっと近くにいたことに。

 衝撃。体の芯から揺らぶられるような衝撃をロウは鳩尾に貰った。

「…………っ!?」

 見れば、殆ど自分と肉薄するかのような超至近距離に自分が探していた黒髪の少年がいた。彼の掌底が自分の鳩尾に食い込んでいるのも見えた。

 こんな、近くにいたのか!

 ここまで接近されていて、気づくことができなかった。そのことにロウは信じられない思いを抱いた。

 てっきり、クロードは自分とは戦わずに会議室を目指してしまったとばかり思っていた。飛び越えられたと知った瞬間、そうだと思いこみ、扉や壁の穴ばかりに注視していた。いや、それだけじゃないだろう。最初にクロードが持ったのは槍だ。それも、二本。そのあまりに馬鹿馬鹿しいイメージは確実に己の中に刷り込まれたことだろう。分身を作る時、わざわざ手にした槍までも再現したのもそのためだ。だからクロードの姿を見失ったとき、自分は無意識の内に槍の間合いを警戒してしまっていたのだ。

 まさかクロードが槍を捨てて、眼と鼻の先の距離にまで接近するとは思えなかった。いや、その可能性を考えることをクロードによって意図的に除外されていたのだろう。

 正面からの突撃、その後天井からの強襲によって視線を上へ向け、直後に背後から接近した一撃。

 まんまと騙された。そう思った時は手遅れだった。例え気づいたとしても、すでにロウはクロードの術中だった。

 鳩尾に叩きこまれた掌底がぐりっ、と音を立てるようにして更に押し込まれた。肺を掴み、握りつぶすようなその動きはロウの呼吸を止めた。息を吸うことも吐くこともできなくなった。それはつまり、声を出すことができないということ。

 これだけ接近されても、副隊長クラスの騎士ならば移動魔法で無理矢理距離を取ることも、防護魔法で次の一撃に備えることもできる。そのことをクロードは予想していたのだろう。だから呼吸を止めた。ロウから言葉を奪ったのだ。

 簡単な術式は言語化していることも予想していたってことかよ!

 移動術式も防護術式もその気になれば短い単語一つで発動させられる単純な魔法だ。特に緊急用であれば尚更言語化し、目に見えない形で持ち歩くのが騎士の間では当たり前のことだった。

 それを防ぐための一撃。それは確かにロウから退避と防護を奪った。

 だがロウは諦めなかった。退避と防護の術を奪われ、自慢の両腕の空間接続も使えない。しかしそれでも諦めない。最後の一瞬まで諦めないこと。泥臭く生き残ること。自分の隊長から教わった全てだ。

 これで! 終わったと! 思うなよ!

 先に貰った一撃。さらに畳み掛けるようにクロードは突き上げるような打撃をロウの顎めがけて放った。両腕を使い、全身をバネのように駆動させて出されたその一撃は目に見えて強力そうだった。

 それをあえて受ける。歯を食いしばり、舌だけ噛まないようにして、しかし避けることも防御することもしなかった。術式を潰された腕は自らの胸元で服を掴んだ。

 クロードの両の手による掌底が頸部を貫いた。下から突き上げられるような衝撃に首が抜けるかのような感覚を覚える。刈り取られそうになる意識をなんとか引き寄せた。防御の姿勢も受ける姿勢も取らなかったため、攻撃によって与えられた勢いはそのまま後ろへと抜けて、ロウの体は後退する。

 瞬間、ロウは胸元で掴んだ服を一気に破った。服が破れることで露出された肌は、異様な赤い紋様が描かれていた。

 それは右腕とも左腕とも違う、第三の術式。

 両腕の術式を潰されたくらいで! 俺は止まらねぇ!

 ロウの周囲を漂っていたルーンの発光体がその輝きを強くする。体に刻まれたそれは今までで一番強力な魔法だ。切り札とも呼べるべき魔法。―――――――だが、それが発動されることはなかった。

「…………術式を、全部同じ色で描くのはやめた方がいいですよ」

 クロードが呟く。彼の視線の先、ロウの体に描かれた術式の中に一目見ただけでも明らかに調和を乱しているとわかるような直線が一本…………。

 体の方にも術式が描かれていることを、クロードは予期していたのだ。服に隠れていたはずのその存在を、予測していた。

 一本だけ、ロウの切り札を無効化するたった一本の線。きっと、最初の一撃の際にすでに描いていたのだろう。自らの絵画魔法を駆使して。

 最後の切り札を封じられた。もう打つ手は――――

 いや! まだだ!

 負けそうになる心を無理矢理立ちなおさせる。現状打つ手はないかもしれないが、顎に貰った衝撃で後ろへとわずかに後退している。大柄なロウにとっては数歩にも満たない距離だが、小柄なクロードからすれば無視できる距離ではない。踏み込むにしろなんにしろ、ある程度隙は生まれる。その隙に何か次の手を考える。

 まだ負けねぇ! 俺は負けてねぇ!

 しかしロウの視界は捕らえていた。クロードの手元でくるくると長槍が回転しているのを。

 クロードは槍を捨てたわけではなかった。ただ、足元へ置いていたのだ。今、彼はそれを足のつま先で引っかけるようにして蹴り上げて――――そして掴んだ。

 蹴り上げた際の回転はそのままに、さらにそこに手首のスナップと腰の捻りと踏み込みを加えた完璧なフォームで長槍の石突きがロウの頭部へと迫る。

 …………あぁ。

 ロウはその一瞬だけ、いつもの困ったような微笑を取り戻す。

 最後の最後で諦めてしまったことを、隊長にどう謝ろうか。

 その答えがでるよりも先に石突きがロウのこめかみへ風を切る音と共に直撃。

 大柄なロウがわずかに下がったその間合いは、クロードの持つ槍の間合いそのものだったのだ。


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