彼女はどこに行ってしまったのか
「お、来たか、モネ。それと、クロードも」
見事な対応で、王都中の国民を迅速に避難させてみせた王様だとは思えないほど軽々しい態度でアルフレッドはクロードたちを迎えた。
場所は昨日クロードを対象とした軍法会議が執り行われた大会議室。円形の巨大な机には昨日モネとここに来たときと殆ど同じ顔ぶれが座っていた。増えたのは十番隊隊長のリリアーヌ・ローランだけだ。ただ、いなくなった人物もいるようだった。昨日は王の右側に座り硬い表情を作っていた右大臣シャーブルの姿が見えない。そのことに疑問を持ちながらも、それを言葉にしようとはせず、クロードは昨日と同じようにアルフレッドの正面に来るような位置に立った。すると、アルフレッドは苦笑いと共に言った。
「あー、いや。今日は立ってなくていいぜ、クロード。昨日のはお前を対象にした会議だったが、今日はお前もれっきとした会議の参加者だ。遠慮せず腰かけてくれ。場所は、そうだな……モネの隣でいいか」
国の王にそう言われて、クロードは軽く頭を下げながらモネと共に椅子に腰かけた。普段なら騎士団の隊長格が座るはずのモネの隣の椅子は、不在のために空いている。巨大な円卓には多数の空きがある。全て騎士団隊長たちの不在によるものだ。未だ大会議室は頼りなげな光景だが、全ての要人は揃ったようだ。アルフレッドが咳払いを一つしてから口を開いた。
「さて、それじゃあ王国議会を執り行うぜ。議題は言わずもがな、今朝日の出と共にこの王都の上空に現れやがった黄金の城……便宜上、こっから浮遊城と呼ぶが、とにかく俺様たちはそいつをどうにかしなくちゃならない」
口調や態度こそくだけたままだが、しかしアルフレッドの瞳には冗談では済まない真剣な光が見えた。彼は不意にそれをクロードに向けた。
「なあ、クロード。どうにかしなくちゃならないとは言うが、どうして俺様たちはあの城をどうにかしなくちゃならないんだ? いや、意地悪をするつもりはないぜ。ただ確認しておきたいのさ。お前はまだ学生だからな。俺様や、他の奴らとしている理解と、クロードのしている理解が食い違っていたら困る。だから全体の確認という意味も込めてお前に質問させてくれ――――俺様たちはどうして、あの城をどうにかしなくちゃならないんだ?」
自分は試されているのだろうと、クロードは瞬間的にそう判断した。今この場で、現状の理解が足りていない可能性が一番高いのは、学生の身であり騎士ですらないクロード・ルルーに他ならない。だからアルフレッドはクロードに質問することでその答えを聞き、それに応じてこの先の会議の進行をどうするか考えているのだ。
しかしそれにしても『どうしてどうにかしなくちゃならないのか』って随分と漠然とした質問だな……。
どうこたえるべきかとクロードが頭を捻ると、アルフレッドは少しにやりとしてから続けた。
「浮遊城は、今のところ近づかなければこちらに危害は加えてこない。だったら、極端な話、このまま放置しておいてもいいじゃないかと、そういう風にも言えるよな?」
アルフレッドが口にした言葉はクロードへの助け舟だった。さらに質問を重ねることで、クロードが意見を述べやすくしたのだ。
「……必ずしもそういう風には、言えないと思います」
王の出した助け舟に完全に乗っかる形で、クロードは言った。
「国王様が仰られたことで重要なのは『近づかなければ危害は加えてこない』ということではなく『近づけば危害を加えられる』という点だと思います」
それは言葉のあやのような、微妙なニュアンスの違い程度に思われるような差異だったが、しかしこの場合に置いては重要な〝違い〟だった。アルフレッドはクロードが言わんとしていることがわかったのか、感心したような頷きを見せた。その反応に安心したクロードは更に言った。
「どんな理由があろうと、こちらの動き次第で攻撃をしてくるということは、充分な脅威になり得るかと思います」
例え条件付きであっても、敵は敵なのだ。それにそもそも、近づかなければ攻撃してこない敵が、これからもそうだとは限らない。何かの拍子に、あの竜の軍勢が王都に向かって攻撃を開始してもおかしくはないのだ。そうなった時のことを想像するだけでも、クロードは背筋が寒くなった。きっと何もかも、無事では済まないはずだ。
「その通りだ、クロード」
アルフレッドがそう肯定した。
「近づかなければいいって問題じゃない。近づいた時点で戦闘が始まってしまうのなら、あれはまごうことなき敵だ。なにせ、交渉の余地がない。だけどな、クロード。浮遊城をどうにかしなきゃいけない理由は、それだけか? ただただあの城が、あの竜たちがこの国に仇なす敵だからという理由だけか?」
言われ、クロードは少しだけ顔を伏せて考える。浮遊城の抱える竜の軍勢。そしてあの光の矢の雨。それらの武力が理由の一つであるとすれば、他の理由は別のところにあるはずだ。きっとそれは浮遊城が直接もたらすものではなく、間接的なもの。しかし確実な脅威となり得るもの。
そう、例えばあの城が王都の上空に存在しているという現実自体が、間接的な脅威を呼ぶとすれば……。
思考は数秒。クロードは再び顔を上げ、今思い描いた言葉を口にする。浮遊城をどうにかしなくてはならないもう一つの理由。
「他国への影響。それも、オードランにとってよくない影響……ですか?」
どうしても、最後は不安げになってしまったが、クロードの提示したもう一つの理由自体は間違っていなかったらしい。アルフレッドは満足そうな表情をしていたが、しかしどこか驚いてもいるようだった。クロードがここまではっきりと正解を言い当てるとは思っていなかったのだろう。
「頭の回転が速いのか。ボーッとしているようで、お前はちゃんと周りを見ているんだな。俺様超感心だ」
言われ、視線を逸らした先には十番隊隊長のリリィの姿が。彼女は机に肘を突きながら、感心したように顎を撫でていた。他の人物も程度の差はあれど、皆似たような視線をクロードに送っている。それがどうにも値踏みをされているように思えて嫌だったが、ふと見た横では何故かモネが大きく胸を張って得意顔になっていた。弟を褒められて気分がいいのだろうか。リリィが呆れた視線をモネに送っていたが、気づいていないようだった。その様子を見て、嫌な気分も少しだけ晴れた。正面を向き直り、クロードは続ける。
「単純に考えて、浮遊城は少し大きすぎます……。王都の半分の面積を持つ城が飛んでいるんです。他国が異常を感じ取るのは、そう難しくないと思います」
浮遊城の存在だけじゃない。王都から全住民を避難させるという異例の事態が起こっているのだ。すでにオードラン各地に情報は伝わっているはず。それが他国の耳に入っていたとしてもおかしな話ではない。
「今、この状況をオードランの危機だとされてしまえば、エルマースかグーリエフ……どちらかの国がこれを好機と判断し攻め込んでこないとも限りません」
大陸を支配する三国は今は戦争行為こそ行っていないが、基本的には中立関係だ。それぞれが貿易や経済面では干渉しながらも、決して硬い同盟を結んでいるわけではない。隙を見せれば、攻め込まれる可能性は充分にあり得る。
「それが、浮遊城をどうにかしなくてはならない二つ目の理由です。あの城はこの国にとって、敵を呼ぶ要因になってしまう」
アルフレッドが軽く手を叩いた。その小さな拍手に続く者はいなかったが、誰もがクロードを感心したように見つめていた。
「上出来だ。それだけわかっていれば充分。お前がこの会議で話について行けないということはないだろうぜ」
言って、アルフレッドはクロードではなく、円卓の中心に向き直る。そうしてから、全員の顔を一瞥する。
「みんな、聞いていた通りだ。俺様たちが浮遊城をどうにかしなくてはならない理由は二つ。一つは、あの城が敵であるという事実。もう一つは、俺様たちの敵は浮遊城だけじゃないという事実。この二つの事実が理由のそれぞれだ。それに対して異論はねぇな?」
王の言葉に対し、頷きを作る者、目を伏せたまま黙っている者、それぞれ反応は様々だったが反対意見はないようだった。
「それなら、こっからはどうにかしなきゃいけないことを、どうにかするためにはどうしたらいいか、っていう話し合いだ。待たせたな、発言があるやつは好きに喋ってくれ」
まず動きを見せたのは兵士団長だった。彼は傷のついた頬を撫でるようにしながら、口を開く。
「よいでしょうか、国王殿」
「ああ、構わねぇよ」
「でしたらば、まずは現時点での騎士団の損害について詳しくお聞かせ願いたい。先程の接近部隊の戦闘に置いてどれだけの被害が出たのか。まだ詳しい話を聞いておりませぬ故」
「そう言えばそうだったな。モネ、頼めるか」
モネは軽く返事をしてから立ち上がる。わざわざ起立する必要もないはずだが、彼女の生真面目さがそうさせたのだろう。
「接近部隊はわたくしの六番隊、そしてリリィ……リリアーヌ・ローランの十番隊員、他ごく少数の一番隊員によって編成しましたわ。これはわたくしとローラン。そして一番隊副隊長のジャン・ジャック殿の三人で話し合って決めた編成ですわ」
そこまで言ったあと、モネの顔にはわかりやすい悲痛が見て取れるようになった。
「……結論から言って、接近部隊はほぼ壊滅。六番隊員三十五名、十番隊員十八名、一番隊員三名。以上の五十六名はそれぞれ何らかの負傷を得ています。それも半数以上が重傷です。そして」
と、言葉を切ってモネは一度ジャン・ジャックの方に視線を向けた。彼女の視線の先、一番隊副隊長の左腕には包帯が巻かれていた。それは明らかな負傷の痕だった。
「全体の指揮をとっておられたジャン・ジャック殿も、他の隊員ほどではないにせよ、負傷されましたわ。ただ一つ幸いなことは、一人として死者が出なかったことですの」
「ええ、それは私も見ていました」
兵士団長が言う。
「あれは間違いなく、青騎士殿がいなければ人が死んでいた。さすがは王国最強の騎士殿だ」
兵士団長の賛美にモネは首を横に振るった。
「いえ、ただ人が死ななかったというだけですわ。大勢の部下が傷ついた。最初からわたくしが前線に立っていればこんなことにはならなかったかもしれませんもの……」
最強の騎士が語る後悔に場の空気が重くなる。クロードはこの時初めて、次に繋げるための会議が始まったような気がした。
「ふむ」
癖なのか、再び頬の傷を撫でるようにしながら、兵士団長は更に言う。
「とにかく、オードランの兵士の長として言えることは……今回、我々はきっとまともに役に立つことはできないでしょうなぁ。武器は扱えても、魔法を扱えぬ我らでは山賊盗賊、殺人犯を相手取ることはできても魔物や、ましてや竜を相手にするなど不可能でしょう」
申し訳ない、と頭を下げる兵士団長にネルバが落ち着いた口調で告げた。
「気負うことはないでしょう。既に兵士たちは避難誘導や傷ついた騎士たちの搬送など、充分役にたっておる。戦果だけが兵士の誉れではなかろう」
「はっはっは。あなたにそう言ってもらえるなら、兵士たちも喜ぶでしょう。ありがたいことだ。感謝しますよ、ネルバ殿」
そうして再び頭を下げる兵士団長を見やりながら、ネルバは立ったままのモネに尋ねる。
「今のところ、青騎士殿が唯一あの竜の軍勢と渡り合っておる。この老いぼれは戦いに関してはてんで素人です。だから、教えてくれんかのう。あの竜を倒す術はあるのかのう?」
モネは少し躊躇うように口ごもる。
「それは……簡単にはいかない――――いえ、無理ですわ」
それははっきりとした否定だ。王国最強の発した『勝てない』という意味の言葉に円卓はわずかにざわめく。
「例え、この場にいる戦力を総動員したとしても、あの竜の軍勢を打倒するには至らないかと」
「しかし、青騎士殿は確かにあの竜たちに一撃を与えたでしょう」
「一撃で充分です」
モネの言葉に遠慮はなかった。
「一撃で、理解できました。あの竜たちは死を恐れていない。わたくしの放った炎に対して、生物的な反射を一瞬とったものの、すぐに防御を捨てわたくしを殺そうという動きを取りましたわ」
竜たちが見せた明確な防衛は痛みに対する一瞬の反射のみ。それすらすぐにかなぐり捨てて、あの軍勢は騎士を食い殺さんと特攻を続けたのだ。
「本来なら、わたくしはあの場に残り、竜の軍勢にできる限りの打撃を与えるつもりでしたの。わたくしが敵を引きつければ、撤退は各々に任せられると思っていましたわ。ですけれど、あれらが死をも顧みない軍勢だと知って、わたくしも前線からの撤退を決めました」
隊長格でない騎士たちの魔法をことごとく弾くだけの防御と、こちらの防護術式をものともしない攻撃。それらを併せ持ち、また空中を自在に飛び回る生物が、死の恐怖を持たずに襲いくる。
そのことの異常性、また危険性をモネを強く訴えた。
「あの竜は生物ではなく、むしろ兵器に近い物だと考えてもらって結構だと思います。あの全てを相手に勝利するなど、到底不可能ですわ」
王国最強の騎士がここまで語ったのだ。誰も反論しようとはしなかった。クロードも同じだ。憮然とした表情の下に焦燥を見え隠れさせるモネの横顔に、何も言えなくなってしまう。
モネが言う『不可能』の言葉が重くのしかかる。ネルバは細い目を伏せて、黙り込んでしまう。兵士団長が小さく手をあげて発言した。
「応援を頼むと言うのはどうでしょうか。各地に散らばった騎士団隊長格の精鋭たちを集めれば、なんとか……」
彼の言葉にアルフレッドが首を振る。
「そいつは無理だ。さっきも言ったが、この国にとって脅威は浮遊城だけじゃない。騎士団の隊長たちは他の国に対しての抑止力であると同時に、魔物に対する切り札だ。山林地帯のゴブリンたちとの決着もついていないんだ。今、隊長格を動かせば面倒事が増えちまう」
アルフレッドの言う通りだった。騎士団の多くは、エルマースとグーリエフの国境線、またそこに近い街や重要な拠点に配置されている。一騎当千の騎士がそこにいる。ただそれだけで、他国への抑止力になる。三百年前の大戦で敗北し、領土を大きく失ったオードランは大国と言えど、他の二国に比べれば小さな国だ。兵士の数や資源、物量で負けるオードランはたった一人で他国の兵士何百人と並ぶ隊長格なくして、国を守ることはできない。彼らが浮遊城にかかりきりになってしまえば、他国に対して攻め込んでくださいと言っているようなものだ。
「他の騎士は動かせない。今戦争が始まっちまえば、犠牲となるのは民草だ」
アルフレッドの声には見慣れない真剣さを含んでいた。民の前に出る時の、あの王としての姿とも違う、もっと別の響きだった。守るべきは民である。その一点だけは譲らないと、若年の王ははっきりと宣言した。
モネもまた、国民を第一に考えるアルフレッドの意見に異論はなかったようで、静かに首を縦に振った。
「騎士団の総戦力であれば、浮遊城を落とすことも不可能ではありませんわ。しかし、王の言う通り、それをするわけにはいきませんの」
「ならば現状、打つ手はないというのかい?」
不安げに尋ねるネルバ。それに対して、モネは首を縦ではなく、横に振った。
「いえ。確かに竜の軍勢に対し勝利する手はありませんわ。ただ、竜に対して勝利せずに事態を収拾する手ならないこともない、ですわ」
モネはどこか歯切れが悪く、躊躇うような言い方をした。だが、事態を収拾できるというその言葉は間違いなく現時点で一番の希望だった。
それは一体、とネルバや兵士団長が身を乗り出すようにして詳細を求めた。それに答えるため、モネが口を開こうとした――――その瞬間、予期せぬ人物が彼女の発しようとした言葉を遮るようにして声をあげた。
「少し、よろしいでしょうか、国王様」
声をあげたのはジャン・ジャックだ。彼は嫌に鋭い視線で周囲を睨むようにしながら、その場に起立する。そうすることで、円卓の反対側で同じように立っていたモネとジャン・ジャックは対峙するような恰好となってしまったが、しかし彼の鋭い視線は例外的にモネには向けられていないようだった。むしろその視線は自分に向けられているように、クロードには感じられた。
「どうした、ジャック。何か気になることでもあるのか?」
「気になること? ええ、確かに。むしろ私にはどうして誰も〝そこ〟を指摘しないのか、不思議でならない」
怒っている……?
理由はわからない。だが、ジャン・ジャックの怒気は充分クロードにまで伝わってくるほどのものだった。そのことに王は驚く様子を見せない。何か覚悟を決めたように、アルフレッドは言った。
「どうした、何を怒っている?」
「力の至らなかった不甲斐なき己に。そしてこの国の不義です。王よ、無礼を承知で申し上げる。私はあなたに少なからぬ怒りを感じている」
会議室が、わずかにどよめく。先程感じた希望は、どこかに飛んで行ってしまった。クロードはここで初めて居心地の悪さに似た不安を感じた。その正体が掴めぬまま、ジャン・ジャックの話は続く。
「どうして誰も、何も言わないのです。何故、我々は浮遊城に対する対策などを話し合っているのです。そんなことよりもまず、先に明らかにするべきことがあるはずでしょう。シャーブル氏の不在。〝アルマ・カルマの脱走″。そして突如として現れた浮遊城。違和感は明確だ。国王様、我々騎士団には知る権利があるはずだ!」
何故黙ったままなのかと、ジャン・ジャックが糾弾する。アルフレッドはただ表情の読めない瞳で彼を見つめていた。
駄目だ、それ以上はいけない。
そう思った。これ以上、彼に言葉を紡がせてはいけない。これ以上、この話の先を聞いてはいけない。理由は定かではない。それでもクロードは確かにそう思ったのだ。
「私が接近部隊の指揮をとっている間、一番隊の部下の数人に三百年前の大戦の資料を調べ上げさせました。ええ、勿論、民たちが悪夢と呼び、未だに語り継がれる王都陥落の歴史。我がオードラン国が三つ巴の大戦で敗北する大きな要因となった《災厄の日》について詳しく知るためです」
三百年前の大戦。そこでオードランの敗北を決定づけた出来事がある。現在に至るまで語り継がれるその物語はまさしく悪夢そのものの歴史だった。
空を飛ぶ黄金の城。そして空の支配者たる竜の軍勢。
今朝、王都の頭上に現れた浮遊城は三百年前にも一度、この国を滅ぼしているのだ。
クロードも良く知っている。幼い頃は物語として、それ以降は確かな歴史として、絵本から大人から、様々な形でその話を聞いてきた。
《災厄の日》
その名は確かにクロードの心に刻まれている。
「何分、三百年前の資料です。不確かな部分はありますが、しかし今朝王都の頭上に現れた浮遊城と、災厄の日に王都を半壊した伝承の黄金の城とは完全に一致する。あれは確かに同じ術式で作られた兵器だ!」
ジャン・ジャックの言葉に大きな反応を見せるものはいなかった。現在の浮遊城と三百年前の黄金の城が同一のものであるというのは、この場にいる者ならば誰もが気づいていて当然のことだったのだ。オードランの国民ならば一目見ればわかるのだ。わざわざそれを言及しなかったのは、その必要はないと判断したから。例えあれが三百年前の災厄であろうと、排除することに変わりはないからだ。
だが、ジャン・ジャックはそれを言葉にした。誰もが言わなかったことを口にした。その真意を今理解する者はいない。
クロードの直感は変わらず、彼の放つ言葉に対して危険を訴えていた。
「それで、それがどうしたってんだ」
アルフレッドが無表情のまま言った。
「まさか、そんな当たり前のことを言うためにお前は会議の流れを断ったわけじゃないだろ?」
ジャン・ジャックが笑った。それは彼の言う、少なからぬ怒りを含んだ笑みだった。
「国王様、あなたは昨日の後、アルマ=カルマの存在を知った我々に説明をしてくださった。その時、仰られたはずです。ええ、私は覚えている。〝アルマ=カルマ・代替型は大戦の終了と同時にこの国の手に渡った〟と、国王様は確かにそう仰られた」
オルタナは三百年もの間、この城の中に閉じ込められていた。
三百年。それは奇しくも、災厄の日と同じ年号だった。
「この共通項が、ただの偶然だと私は思えない。災厄の日はこの国の敗北を――――即ち戦争の終わりを告げる事件だった。そして、アルマ=カルマは戦争の終わりと共にこの国の手に入った。…………国王様、災厄の日にたった一人でこの国を半壊させた、あの黄金の城の主。名も知らぬ城主が最後にどうなったのか、知らないはずはないでしょう」
「…………城主は当時の国王、リチャード・リオン・オードランの手によって倒された。遺体は男が着ていた黄金の甲冑と共に粉々に砕け、消滅した。それと同時に城は原型を保てなくなり空中で崩れルーンとなって霧散した」
――――黄金城が振りまいた大量のルーンは夜が明けるまで振り続け、王都をいつまでも照らし続けたという――――
知っている。特に話にしか聞けないその情景はクロードの心に深く刻まれている。
だが、それがこの場で語るべきことなのだろうか。クロードはその答えを知っているような気がしたが、同時にその思考こそが危険だと、心が告げる。
それ以上、考えてはいけない。
「英雄リチャード・リオン・オードランの手によって城主は殺され、黄金の城は消え去った。確かに私の部下が調べた資料にもそう記述されていた。正確に、不自然に思えるほどあまりに正確にその部分だけは事細かに記述されていた」
不自然。
その言葉にクロードの心はざわついた。一層強い危険を知らせる。
不自然……いや違う、それはもっと違う言い方をすべきだ。
「……違和感」
クロードの呟きは小さかった。事実、隣のモネにだって聞こえていなかった。だからその言葉が聞こえたわけではないのだろう。ジャン・ジャックは一度クロードを一瞥してから語調を強くして続けた。
「もしも、その部分の記述が嘘だとするならば……当時のオードラン国が隠しておきたい事実がそこにあったはずだ。黄金の城にいたのは城主だけではなかったとしたら? 災厄の日は一人ではなく、二人――――一人と一つの犯行だったとしたら? リチャード・リオン・オードランは黄金の城から一つの戦果を持ち帰っていた! そうではないのですか、国王様!?」
アルフレッドは黙っている。黙ったまま、相槌を打つこともジャン・ジャックを止めることもしない。彼は無言のまま、続けろと、そう言っているのだ。
不自然。違和感。頭に浮かぶその言葉の意味にクロードは気づき始めていた。
自分の内から溢れるこの違和感は、間違いなくクロード自身に向けられたものだった。
どうして僕は不思議に思わなかったんだ。
彼女がいなくなったと知ってあれほど心配し、取り乱した。彼女は一体、どこに行ってしまったのだと、ずっと考えていた。だがその考えは浮遊城の出現ともに消え去った。
どうして、どうして消え去ってしまったんだ。
騎士たちですら歯の立たない竜の軍勢に恐れをなしたのか。浮遊城のその圧倒的な存在に、そんな考えなど吹き飛ばされてしまったのか。
違う。そうじゃない。クロードは確かにそう言いきることができた。例え世界が滅ぼうと、自分の頭の片隅には彼女がずっといるはずだと、確信していた。言葉にすることだってできるだろう。
なら、どうして消え去ってしまったんだ。どうして僕は彼女の心配をしていない。
自問の答えはすぐに出た。まるで最初からその問いを待っていたかのように、クロードの思考が答えを示す。
――――簡単だ。心配をする必要がなかったからだ。
でも、どうしてその必要がなくなったんだ――――
――――それも簡単だ。おまけに単純。僕は知っていた。
何を? 僕は何を知っていた――――
――――彼女の居場所を、僕は知っていた。
「確たる証拠もあるのです!」
そんなクロードの思考を邪魔するかのように、ジャン・ジャックが更に大きな声で宣言した。彼の目線ははっきりとクロードを捕らえている。驚くクロードの目に映ったのは彼の指先。その指の先までもが自分に向けられている事実だ。
「そこにいるクロード・ルルー。現時点でのアルマ=カルマの契約者。彼が青騎士殿の前で発動させた魔法は三つ。その内の二つ、光の矢と竜の咢…………まさしくそれはあの浮遊城の力の一部ではありませんか!」
危険を知らせていた直感はもう何も言わない。観念したのだろうか。しかしそれにしてはクロードの心を満たすのは真実に気づいた安堵だった。
そうか、オルタナ……君は〝そこ〟にいたのか。
「私は不思議でならない。何故誰も、この答えを示さないのです。誰だって気づくはずだ。ここにおられる実力者ならば、気づかないはずがない! この答えなら行方不明となったアルマ=カルマの所在の説明もつくではありませんか!」
ジャン・ジャックは手を振って叫ぶ。彼の視線は今度こそ、王を真っ直ぐに見つめていた。
「三百年前の黄金の城も、あの浮遊城も、どちらもアルマ=カルマ・代替型の術式だ! アルマ=カルマは今も、浮遊城の中から我らを見下している! これはあの人型術式が起こした反逆なのです!」