表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/54

仲直り

 大会議室を出たクロードを待ち構えていたのは四人の騎士団員だった。シャーブルの命令で、城を出るまでの間、クロードを監視するという。周囲の目を盗んでオルタナに会いに行くのではないかと疑われているのだ。

 信用は、されていないんだな。

 もとよりオルタナと会ったところで談合のしようがない。クロードはどうして自分が複数の術式を発動させることが出来たのかもわかっていないのだ。偶然できてしまったことを、顔を合わせた程度で再現などできはしない。できれば、一目見て、彼女の無事を確認したかったのだが。

 ただ、国王が彼女の安全を保障したのだ。モネが言っていたこと、先程の発言を考えるに、あの人はオルタナの味方だ。信用していいはずだ。そう自分に言い聞かせ、クロードはなんとか平静を保った。

 オルタナのことになるとクロードはどうしてか、冷静さを欠いてしまう。会議室での、国王に向けたあの発言もそうだ。自分はどうでもいいから、彼女だけは助けてくれなんて、いつものクロードであれば絶対に口にできない言葉だ。そうしようと思っても、臆病な自分が邪魔をして、結局何も言えなくなるはずなのに。彼女のためでなければ、クロードはきっと姉と戦うこともできなかったし、今こうして国の大事に巻き込まれることも良しとはしなかっただろう。尻尾を巻いて、逃げ出したはずだ。

 どうしてオルタナのことになると、自分はこんなにも必死になるのだろうか。

 その答えはいくら考えても、わからなかった。

 クロードに続いて大会議室を出たモネが合流した。本来ならばこのあとも騎士の仕事があるはずだが、今日は特別に帰宅を許されたらしい。

「クロードも疲れているだろうから、一緒にいてあげろと、アルフレッドが言いましたので」

 彼なりの気遣いなのだろうか。あの厳格そうなシャーブルがそれを黙認したことには少し驚いたが、おそらくモネがいればクロードも迂闊な行動を取れないと踏んだのだろう。モネ・ルルー・レヴァンテインが忠実な騎士であることは何よりも信頼できる事実だ。彼女は決して、国を、王を裏切らない。

 案外、あの王様もこうなることを見越してモネを帰らせたのかもしれない。

 モネも自分の立場をわかっていたのか、クロードを囲むようにして監視する騎士たちを見て憂鬱そうな表情を見せた。

「一番隊の方々ですわね……ご苦労様ですわ」

 騎士たちは右の拳を胸に当てるようなポーズを取り、姿勢を正した。騎士の敬礼だ。モネも同じように敬礼を返す。姿勢を正した、きっちりとした敬礼。六番隊隊長であるモネは彼らよりも騎士としては格上なので、そこまで真面目に返す必要もないのだが、そこは彼女の性格が許さないのだろう。年齢的にはまだ学生の身分だというのもあるのかもしれない。

 そんな彼らのやり取りをクロードは居心地が悪そうに見つめていた。すると、廊下の向こうから小走りで妙な人物がこちらに向かってくる。踊り子のような、派手な衣装に身を包んだ女性だった。ジャラジャラとした装飾品を揺らしながら、クロードに向かって手を振っていた。

 誰だろう。見覚えはあるような気がするんだけど……。

 彼女が近づくにつれてはっきりと見えるようになってきた赤毛と、片目を隠すような特徴的な髪型でクロードは思い出す。今朝の市場でクロードとオルタナに服を売ってくれた屋台の女店主だ。オルタナに買ってあげた中でも、あの赤いフードつきのポンチョはクロードのお気に入りだったので、よく覚えている。

 だけど、どうして彼女ここに……?

 クロードが疑問に思うと同時に、さも当たり前のようにこちらに近づいてきた彼女が騎士団員たちに槍を向けられながら止められた。

「貴様! 何者だ!?」

「踊り子風情がどうやってこのオードラン城に……!?」

 血気迫る勢いで騎士たちに問い詰められても彼女は全く驚かなかった。それどころか大仰にため息までもついて見せる。すると彼女が歩いてきた方向から、今度は騎士の制服に身を包んだ髭面の男が走ってきた。

「ローラン隊長ー! またあんたはそんな恰好で城の中うろついて!」

 怒ったような、呆れたような口調でやって来た男は息を切らしながら女性の後ろに付き……状況を理解すると益々呆れたような口調になった。

「ほら、そんなだからこうして他の隊の騎士に止められるんです」

 槍を構えた騎士が「ローラン……?」と先程男が呼んだ名前を呟く。そして、四人の内一人の騎士があっ、と何かに気づいた。

「まさか、十番隊、隊長のリリアーヌ・ローラン殿でありますか!?」

 赤毛の女はふんっ、と鼻を鳴らしながら答えた。

「そうだよ。服装が変わったくらいで女の見わけもつかないなんて、駄目な男たちだね」

 上官というよりは酒場の女主人のような口調で叱咤された騎士たちはたいした反応もできず唖然としていた。ただ、彼女に向けられていた槍はすぐに収めていた。一通り騎士たちを睨んだあと、打って変わって笑顔になってクロードに近づいて手を取った。

「昨日ぶりだね、坊や。元気してたかい? それにモネ、あんたも無事でなによりだよ」

 クロードはモネに振り返る。知り合いなのかと尋ねると、モネは小さく頷いた。

「ええ、まあ。騎士団の女性陣の中では一番わたくしと年が近いですし……見ての通りの方なので、遠慮もありませんしね」

「気さくないい女だろう」

 そう言って、にやりと笑う彼女は確かに今朝市場で会った女主人だった。城の中だというのに、まるで変りはない。

「改めて初めましてだ坊や。あたしはリリアーヌ・ローラン。聞いた通り騎士団員で、十番隊の隊長だ」

「よ、よろしくお願いします……ローランさん」

「リリィでいいさ。あまり堅苦しいのは苦手なんだ。坊やのことはクロ…………って呼ぶとモネが怒るのか。じゃあ、クロ坊とでも呼ぼうかね。別に構わないだろう?」

 ぶんぶんと握った手を振りながらまくしたてるリリィ。その勢いに押され、ついついクロードは頷いてしまう。これでクロ坊という呼び名が固定されてしまった。

「別にわたくし、そんなことでは怒りませんわよ」

 不満を口にするモネにリリィは笑いながら告げる。

「独占欲丸出しなくせして何言ってんだい。素直に認めちまいなよ。クロはわたくしのものですわよ~って」

「…………ふんっ。知りませんわ」

 拗ねるように、モネはそっぽを向いてしまう。リリィはその姿を笑いを堪えながら見つめていた。

 姉さんもこんな表情をするんだなと思いながら、クロードは口を開いた。

「騎士様、だったんですね……。だけど、どうしてあんな露店を開いていたんですか?」

 騎士は高給だ。なにせ、命を懸ける場合も多い職業だ。それに見合った報酬が約束されている。あんな露店では小遣い稼ぎにもならないだろう。

「ああ、あれね。あたしら十番隊は外海組って言って。海の向こう、外海への進出研究が主な任務なのさ。その過程で他国や小さな島なんかと貿易もするから、こうして国に帰ってきたときは決まって市場に店を出すのさ。クロ坊も見たことくらいあるだろう?」

「ええ、まあそれは。珍しい品物がたくさんあるって、有名ですから」

「その有名なのが本店。クロ坊が来てくれたのはあたしが趣味で出してる店さ。本店の方には並べられないけど、こいつはいいと思った品をあたしが買って個人的に売っているんだよ」

 リリィの後ろで控えていた髭面の騎士が「悪い趣味です……」とぼやいた。

「おかげで本店の方の営業は全部部下に丸投げで……」

 そのままぶつぶつと文句を言っていたが、リリィにうるさいと怒られるとしゅんとして静かになった。強面だが、隊長には頭が上がらないようだ。

「あの服も高かったろう? でもあれあたしの方にも殆ど利益でてないのさ。原価が高すぎるんだよ。だから本店じゃ売れない。でもいい商品は売りたくなるだろう? だからああやってお忍びで個人的に売っているのさ」

 そんな風に語る彼女の表情は騎士ではなく、商人のように見えた。モネや、他の騎士とは違う方向を見ているようだと、クロードはそんな印象を受けた。

 楽しそうに話を続けるリリィの前に割り込むようにしてクロードを監視している騎士の一人が前に出てきた。リリィの後ろに控えた男がわずかに反応したのをクロードは見逃さなかった。この場に漂う緊張に気づいているのかいないのか、割り込んできた騎士は堂々とした態度で言葉を発す。

「ローラン殿。失礼ですが我々は彼の護衛と監視の任務を承っているのです。十番隊の隊長殿とはいえ、これ以上の接触は……」

「あーちょっと待って待って。急かさないでよ。焦る男は嫌われるよ。まったく」

 ひらひらと手を振りながら、監視役の騎士をあしらって、再びクロードに向き直る。

「まだ本題に触れてすらいないんだ……なあ、クロ坊。あたしはあんたらに謝らなくちゃいけないことがあるんだよ」

 リリィに謝られるようなことなど心当たりがない。首を傾げるクロードにリリィは少しだけ申し訳なさそうな顔をして告げた。

「実は、モネにあんたらの居場所をチクったの、あたしなんだよねー……。いやさ、今朝あんたらと会った時は航海から帰ってきばっかで、王都で何か起こっているなんて知らなくてさぁ。そこであんたが偶然きたわけよ。ルルーで、黒髪っつったらモネの弟以外にいないだろってことで悪戯気分でモネに連絡しちまったのさ。あんたの弟がすっごい美人と歩いてたぞーって」

 それがきっかけで、クロードたちの居場所はモネにばれたのだと言う。モネが言うには、リリィの連絡の少しあとにはクロードたちの姿は確認できていて、モネがあの空間術式を完成させるまでは監視役の騎士を配置していたらしい。そのことにクロードもオルタナも全く気付かなかったのだ。

「そしてあとになって聞いてみれば姉弟同士で戦闘になったとかなんとかで、ちょいと責任感じてたんだよ」

 手を合わせて「ごめんな」と謝るリリィにクロードは慌てて告げた。

「そんな、ローランさ……リリィさんが謝るようなことでは。結果として、騎士として当然の行為をしたじゃないですか」

「そう言ってくれると、ありがたいねぇ。それに二人ともたいした負傷もなさそうで何よりだ」

 そうだ、と何かに思い至ったリリィは顔を上げて周囲を確認するような動作を見せた。

「あの子はどこなんだい? 綺麗な金髪の子。確か、オルタナとか言うんだろう? あの子にも一目あっておきたいんだけど」

 その質問にはクロードの代わりに監視役の騎士が答えた。

「アルマ=カルマは現在面会禁止であります」

「面会禁止? なんでまたそんな……」

 諸々の事情をモネがリリィに説明する。明日、クロードが国王や大臣の前で実力を見せることが出来たなら、騎士の称号を与えられオルタナも自由になれることまで、彼女らしい丁寧な説明だった。リリィは全てを聞いて、少しだけ不機嫌そうな顔を見せる。

「まったく勝手な話だね。あの子の存在をひた隠しにしていたのは、この国だってのに。それも、十番隊隊長のあたしすら知らされていなかったってのは、やっぱ納得いかないよ」

「リリィさんも知らなかったんですか」

「あたしだけじゃないさ。この場で知っていたのはモネだけだろうね。あと、可能性があるとしたら一番隊の隊長様、あのお堅い騎士団長くらいか……。あの子の存在はそれくらいの機密事項だったってことさ」

 騎士団の部隊長にすら知らされていない存在。改めて、クロードは彼女がどれだけ深いところにいたのかを思い知る。

 だけど、とリリィが一転した笑顔を見せた。

「もう隠し通すわけにはいかないねぇ。国の方がどういう方針を打ち出すにしろ、少し彼女の存在が広まり過ぎたね。もう騎士団の中じゃあ承知の事実にすらなっている。こうなったら、情報の漏えいは避けられない。どういう形であれ、彼女はきっとその存在を国中に晒す結果になるさ」

 リリィが笑いながら、クロードの背中をバシバシと叩いた。

「明日は男の見せ所だよ、クロ坊! あんたが騎士になれば晴れて彼女は国に使える騎士の相棒として民衆の前に立てるんだ。あの子が胸を張って世間に出れるかは、あんたにかかっているんだ」

「い、痛いですよリリィさん」

 あははは、と気持ちの良さそうに笑うリリィを邪魔するように、再び監視役の騎士が彼女に釘をさす。

「ローラン殿!」

「ああ、わかってるよ。もう行くよ」

 邪魔したね、と彼女は手を振って背中を向ける。少し歩いたところで振り返って、親指を立ててクロードに向かってウィンクを飛ばした。

「とにかく、頑張りなよ!」

 そのまま、颯爽と歩き去るリリィを髭面の騎士が慌てて追いかけていった。

「変わった人だったね……」

 城を出て、監視役の騎士たちがいなくなった後、クロードはぼそりと呟いた。

 勿論、リリィの事だ。騎士とは思えない恰好もそうだったが、くだけた態度もぶっきらぼうな口調もクロードがイメージする騎士とはかけ離れていた。基本的に比較する対象が真面目なモネだからというのもあるだろうが、それでもやはり彼女は騎士団の中では異質な存在なのだろう。その証拠にクロードの呟きを聞いたモネが苦笑した。

「まあ、彼女は出自からして少し変わっていますのよ。真っ当にアルケミアを卒業したわけではないのですわ。半分くらいは独学で魔法を学んで、その実力を買われて今の地位にいるのですわ」

「へぇ、そうなんだ」

 どうりで、真っ当な騎士の雰囲気がしないはずだ。騎士団の空気はアルケミアの延長にあるようなものなので、それが原因なのだろう。

 時刻は夕刻。王都は夕日に晒され、道行く街並みはオレンジ色に輝いていた。空は沈む夕日と迫りくる紫の夜の中間にあって、綺麗なコントラストを描いている。少し肌寒いかなと思うような空気の中をクロードとモネは二人で歩いた。お互い、特に意識したわけではないが、歩く速度は殆ど同じだった。

「でも、なんだか一番隊の騎士様たちの、リリィさんに対する態度は変じゃなかった? 姉さんを前にした時とは随分違っていたような……」

 あの場に流れていた妙な緊張感は、間違いなく一番隊騎士たちの態度に起因するものだ。敵対とも違う、妙な雰囲気だったことをクロードは覚えている。

 モネは少し難しい顔をしながら答えた。

「十番隊は外海組と呼ばれて、他の騎士団とは本質的に違った仕事を多く引き受けていますの。集まる人員の特色というか、空気も違っていて……ましてや隊長が彼女ですから、海賊紛いの部隊だとか、野蛮な賊だと言われることもあって……王都の守護を任とする一番隊とは特に相性が悪いんですのよ」

「なるほど。それで一番隊の騎士様の態度が大きかったのか……髭の人が怒っているようだったのは、それをわかっていたからか」

「誰だって、下に見られているとわかったら気分も悪くしますわ。最も、リリィはそこまで気にしていないようなのですけれど」

 逆に、そんなリリィの態度が事態を悪化させている一つの要因だと、モネは語る。

「一度、きちんと言い返すべきなんですわ。自分たちの仕事は外海に散らばる島国とコンタクトを取り、外の世界への進出を可能にする交流と知識のための遠征なのだと。決して野蛮な侵略行為などではないとはっきりと明言するべきですのよ!」

「姉さんは、外海組肯定派なの?」

「勿論ですわ! 前王の時代から制定された立派な騎士の任務ですのよ? 特にアルフレッドは十番隊の任務を高く評価しているというのに! それなのに騎士団長殿は……!」

 声を大きくし、今にも手を振りかざしそうになるほど力を入れて語りだしたモネを見て、クロードは思わず吹き出してしまう。その様子を見たモネは顔を赤くして慌てる。

「な、なんですの!? わたくし、そんな面白いことは言ってませんのよ!」

「い、いやごめん……姉さんでも愚痴とか言うんだなって」

 それに、文句を言う時のモネの様子はまるで子供のようで、いつものかっこいい騎士の姿とのギャップになんだかおかしくなってしまったのだ。

 モネは顔を赤くしたまま、口を尖らせた。拗ねたのだ。

「わたくしだって、愚痴くらい言いますわ」

 思えばこうして、愚痴を言いあうようなこともしばらくしていなかったのだ。姉弟だというのに、そんな当たり前の会話もしていなかったのだ。昔はよく見ていたはずなのに、彼女の新しい顔を知った気になってクロードは少し嬉しくなる。

 にこにこと、上機嫌なクロードの顔を見てモネは更にからかわれていると感じたのか、赤くした顔を逸らして早足になった。

「ほ、ほらさっさと行きますわよ! あまり遅くなると冷えますから」

「ちょっと待ってよ姉さん。帰るのは構わないけど、確か家に食材あんまりなかったよね」

 オルタナに朝食を振る舞った時点で、家の食材の備蓄は殆ど底をついていた。あのあと、モネも家には帰っていないだろうし、買い足す暇もなかったはずだ。

「せっかくだし買い物もしていこうよ」

 クロードの提案にモネは驚いたように目を見開いて、そして何か思案するように顎に手を添えた。そしてしばらくすると、一層顔を赤くしてしまう。

「く、クロとおおおお買いいいいいもののですの!?」

「え、そう、だけど……」

 姉さんの様子がおかしい。そのことには気づいたが、どうしておかしいのかというのはわからなかったので、深くは考えないことにした。

「今日の分だけでも買って行っちゃおうよ。姉さん、何食べたい?」

「はぅう! その台詞、凄い新婚雰囲気ですわね……!」

 王国最強の騎士が顔を赤くしてもじもじしているのを見てクロードは思わず苦笑を漏らす。そんな彼女を見ていて、クロードは気づいた。こうして二人で街を歩くことすら、自分達にとっては久しぶりなのだということに。

 自宅はオルタナがクロードを人質に捕った時と同じままだった。モネがまんまと引っかかったバタートラップもそのままにされていた。クロードは勿論帰ってくることなどなかったし、モネもまた逃走するオルタナとクロードを追い詰めるために動いていたので、掃除をする暇などなかったのだ。

 だから、帰宅した二人がまず行ったのは部屋の掃除だった。それが終わると、そのまま夕飯の支度に。珍しいことに、普段家事はクロードに任せっきりのモネも厨房に立った。その結果はかなり散々なことになり…………全く何が何だかわからない謎の黒い球体を作りあげるまでに至った。本当にあれはなんだったのか。きっと理解してはいけないものだと、クロードは思うことにした。

 食事も終わり、片付けの時間。また二人で台所に立ち、食器を洗う作業だ。

「うぅ……」

「姉さん、そんな落ち込まないで」

 モネは調理における失敗がよほどショックだったのか、わかりやすく落ち込んでいた。そんな姉を見てクロードは苦笑いを浮かべながら励ますが、あまり効果はないようだった。

「確かにわたくし、料理なんて殆どしたことないですけど、それでもあそこまで失敗するとは思いませんでしたわ」

「うん。それは僕もそう思った」

 料理なんてレシピ通りに作れば失敗することは殆どないとクロードは思っていた。美味しくできなかった場合は必ずどこかでレシピとは違ったことをしてしまっているものだ。料理が苦手だという人はレシピを守らない人だというのがクロードの意見だったのだが、それはつい先程覆された。

 まさかレシピ通りにしても失敗できる逸材がいるとは思わなかったなぁ……。

 もとが真面目なモネだ。レシピを無視して「これくらいでいいだろう」というようなことはしなかった。きちんとレシピ通りに、グラム単位で正確にやったはずだ。はずなのだが、できたものは何故か食べ物という枠の境界線ギリギリを低空飛行する代物だった。モネが調理をする姿をクロードも横で見ていたのだが、彼女が何か間違いを犯したようなことはなかったはずだった。はずなのに、結果は散々だったのだ。これではどこを直せばいいのか指摘しようもない。

 仕方がないから、とりあえずクロードは微妙な笑顔を浮かべるのだった。

「はぁ……」

 食器を洗いながら、モネは大仰にため息をついた。

「王国最強の騎士も、こうなってしまえばかたなしですわね」

「そんな気にするほどのことかな。料理くらい、できなくたって姉さんは凄いじゃないか」

「でも、一応わたくしも女ですし……やはりこういうのは得意な方が殿方も喜ぶのではないかと思いますのよ」

 クロードは少しだけ首を傾げて言った。

「喜ばせたい人がいるの?」

 途端、容赦なく脛を蹴られた。単純な興味からの質問だったのだが、聞いてはいけないことだったのだろうか……。

「べ、別にそういう特定の誰かがいるとかではなくて、一般論! そう一般論ですわ! 大体、その、クロがいるのにそんな……他の誰かなんて――――」

 何か言い訳のようなことをぶつぶつと呟くモネに視線を合わせながらも、クロードの意識は別の場所を見ていた。じんじんと響くような脛の痛みが、クロードにオルタナの金色を思い出させたのだ。彼女が今、何をしているのか。どんな思いをしているのか。それを今日、確かめられなかったのは一番の心残りだ。臆病なはずのクロードの心も例え王国と敵対するようなことになっても、彼女に会いに行くべきだったのではないかとさえ思い始めている。

 オルタナのことが心配だった。

「クロ……?」

 モネが小さくクロードの名前を呼ぶが、クロードの耳には届かなかった。心ここにあらずといった表情で、じっと固まっているクロードをモネはしばらく見つめて、続けて言葉を発した。

「わたくしは、ずっとクロに支えられてきましたのね」

 軽く俯いて発せられた言葉にクロードも反応せざるを得ない。

「僕が、姉さんを支えた?」

 そんなことあり得ないと思った。自分は姉さんの足を引っ張るばかりで、王国最強の騎士の弟としてなんの責務も果たせていない。彼女の顔に泥を塗るばかりだ。

 しかし、モネは首を横に振った。

「支えてくれているじゃありませんの。わたくしのご飯を作ってくれるのはクロですわ。洗濯も、掃除も、朝に弱いわたくしを優しく起こしてくれるのも、全部全部クロじゃありませんの」

「それくらい、僕じゃなくてもできるよ……」

 自分じゃなくてもいい。替えのきく役割だ。誰にだって、できることだ。

「そんなことありませんわ」

 モネは再度首を振る。

「わたくしはクロがいいんですの。お世話されるのなら、クロがいい。いいえ、クロでなければ嫌ですわ」

 これは我が儘ですわね、とモネは顔を上げて微笑を見せる。だがすぐにその顔をまた伏せて、言うのだ。

「わたくしはクロに助けられてばかりで……それなのに、わたくしはあなたに謝らなければいけないことがありますの」

 クロは思わず固まる。姉が、自分に対して謝る必要のある事柄が思いつかなかったのだ。

「姉さんが僕に謝ることなんてあるの?」

「ありますわ。それも、たくさん。わたくしはたくさんのことを、クロに謝らなければいけませんの」

 一体、どういうことなのだろう。どうしていいのか、どう反応していいのかわからず、クロードはやはり固まる。そんな弟の瞳を一瞥してから、モネは顔を伏せたまま告げる。

「クロがオルタナと一緒に逃げてしまってから、あなたの部屋に勝手に入らせてもらいましたわ。何か、あなたたちに繋がる手がかりがないかと、そう思ったんですの」

 弟の部屋に勝手に入った。まずそれが、彼女が謝らなければいけないたくさんのことの一つだという。だが、たかがその程度で彼女がここまで思い詰めるとはクロードには思えなかった。もっと大きな、何かがあるのだろう。

 モネは続ける。

「部屋に入って、驚きましたわ。もう随分とクロの部屋を覗くことなんてなかったですけれど、壁に貼り付けられた絵、床に散らばった絵。あんまり数が多かったからビックリしてしまいましたわ。結局その数に圧倒されて、手がかりを探すこともままならなかったんですわよね」

 壁じゅうに張り付けられ、床にまで散らばった大量の絵。決して綺麗な部屋とは言えないだろう。それをモネに見られたことは気恥ずかしかったが、怒るほどのことではない。

「それを見て、わたくし勘違いしてしまいましたの」

「勘違い?」

 モネが頷く。

「クロはもしかしたら、絵描きになりたかったんじゃないかって――――そう、思ってしまいましたの」

 その言葉に、クロードの心の奥がわずかにざわついた。モネは、彼女はあの大量の絵をクロードの未練だと、そう思ったのだ。

「もしかしたら、もしかしたらわたくしの強さが、あなたを騎士道へ縛り付けているのではないかと思うと怖くて……同時に素直になってくれないクロに怒りを感じてしまって…………」

 ああ、とクロードは理解した。彼女との戦いの中、モネが叫んだことの意味がわかったのだ。

 無意識の内に自分が弟と縛り付けているのではないかという恐怖。そして、はっきりしない弟に対しての怒り。あのときのモネの叫びはそういう複雑な思いが重なったものだったのだ。

 モネはクロードのことを『分からず屋』だと言った。騎士を目指し、挫折し、それでも諦めきれず、その上別になりたかったものがあって、未練を残しているような男は、分からず屋以外のなにものでもない。だからモネは怒った。そして迫ったのだ。頑張るか、諦めるか。その二択を。

 そして僕は、そのどちらも拒絶したんだな……。

 頑張らず、諦めず、食らいつくことを選択した。そしてモネはそれを叩き潰そうとした。馬鹿な弟の目を覚まそうとしたのだ。

「だけど、それは間違いでしたわ」

 間違いで、勘違いだったとモネは語る。

「だって、クロは絵描きに未練なんてなかった。あの部屋の絵は、未練で描かれたものではないのですよね」

 勘違いをしていたのだと、モネは繰り返した。

「あの部屋の絵は全て、クロ……あなたが魔法で、絵画魔法で描いたものなのでしょう?」

「…………」

 クロードは無言のまま頷いた。その反応を見て、モネは何かに安堵したかのように表情を緩めた。

「最初、オルタナから絵画魔法のことを聞いた時はまさかと思いました。わたくしの中に疑惑はあっても、それを信じることはできなかった。だけど、空間魔法が崩れ、あなたたちが逃げ出したあと……あの路地裏でオルタナを保護したのはわたくしでした。そこで、あの壁の絵を見た時に確信しましたわ。この壁の絵も、部屋に積まれた絵も全て、クロが絵画魔法で描いたものなのだと」

 モネの声は途中から震えていた。どうしたのかと、皿を洗う手を止めて彼女の方を向くと、クロードは鈍い衝撃を受けた。泣いていたのだ。モネは泣いていた。毅然とした表情のまま、しかし溢れ出す涙は止められず頬を伝い床へと落ちる。

 知らなかったのだと、モネは頬の涙を拭うこともせず呟いた。

「わたくしは知らなかった。クロがどれだけ必死に騎士を目指していたのかを知らなかった。あの部屋に積まれた絵は未練でも執着でもない、純粋な努力の結晶だったのに。最初に見た時に気づくべきだったのに。未練では、あんな綺麗な絵は描けるはずないって、気づくべきだったのに。そんなことにも気づかずに、わたくしはクロに酷いことを言ってしまいましたわ」

 もっと頑張ればいい。

 軽々しくそんな言葉を口にしてしまったことを、モネは悔やんでいたのだ。

「クロはとっくに、誰よりも頑張っていたのに。そんなことも知らずにわたくしはクロの努力を踏みにじってしまった。あなたの言う通り、わたくしは弱者の心を知らない愚か者でした。わたくしは知った風な言葉で、自分勝手にクロを傷つけて……」

 ごめんなさい。

 モネは泣きながら、ついに耐えられなくなって表情すら崩しながら何度も何度も言った。

「ごめんなさい。クロ、ごめんなさい…………」

 謝らなければいけないことがたくさんある。それはきっと正確ではない。モネはただ、たくさん謝りたかったのだ。弟を傷つけてしまった。努力を踏みにじり、知った風な言葉で責めたてた。そのことをたくさん、たくさん謝りたかった。

 クロードは思い出した。当たり前の事実を、ようやくだ。

 そうだ、僕の姉さんは優しい人だった。優しい、姉さんなんだ。

 小さく深呼吸をしてから、クロードは静かな口調で言った。

「姉さんは、僕が傷つくと悲しい?」

 不意の質問にモネは驚きながらも、涙の溜まった瞳をあげて答えた。

「勿論ですわ! だってクロは、わたくしの弟ですもの!」

「うん。僕も、姉さんが泣いていると悲しいんだ」

 だって、姉さんは僕の姉さんだから。

 その言葉に、モネは強く反応した。

「だから、あんまり泣かないでよ」

「でも、わたくしはクロを……」

「いいんだよ。そんなこと」

 なお食い下がるモネにクロは続けた。

「知った風な口を聞いてよ。だって、僕らは家族じゃないか」

 姉と、弟だ。どれだけ二人の才能に差があっても、どれだけ弟が落ちぶれていようと。モネが姉で、クロードが弟だという事実は変わらない。

「オルタナも言ってたよ。こんなのはただの姉弟喧嘩なんだから」

 どちらともなく、いつの間にか仲直りして、忘れていくような、その程度のものなのだから。「だから気にしないで。泣かないでよ。僕は大丈夫だから」

 平気なのだ、この程度。今こうして、モネと普通に会話ができている。二人で歩くことが出来て、お互いがきちんとお互いを見ることが出来た。そのことが何よりも嬉しいのだから。

 モネはしばらくすすり泣くような声を漏らして、

「ごめん――」

 ――なさい、とそう言おうとして、その言葉を飲み込み。

「――ありがとう、クロ」

 謝罪ではなく、感謝の言葉を口にした。

 それから思いっきり鼻をすすり、瞳の涙も手の平で擦りつけるようにして拭い。モネはいつもの、堂々とした表情を取り戻した。

「い、今のは騎士として道理を通そうとしただけで……わたくしも別にそんな気にしてはいませんのよ? 本当ですわよ?」

「うん。わかってる」

 にこにことした笑顔でそう言うと、モネは拗ねたように口を尖らせた。

「今日のクロは、なんだか意地悪ですわ」

「え、そ……そうかな?」

 思わず不安になって、表情を硬くするクロード。その様子がおかしかったのか、モネは柔らかい笑みを見せた。そうしてその笑みのままクロードに向き合い、自身の両手でクロードの右手を包み込むようにして握った。

「クロ、あなたは明日、騎士になりますわ。そうすればきっと、あなたの努力をみんなが認めてくれる」

「まだ、どうなるかはわからないよ……」

 クロードが騎士になるためには力を証明しなくてはならないのだ。それも、自分でもよくわかっていない力をだ。ましてやそれはクロードの努力とは直接関係のない力だ。自信なんて、でてくるわけがない。

 不安げに視線を逸らすクロードにモネは少し強い調子で告げる。

「クロ、わたくしはいつも言っているはずですわよね? 〝獅子の心を持ちなさい〟と」

 知らないはずがない。モネは自分が騎士になる以前から、何度も何度もクロードに《獅子の心》について語ってきたのだから。

「このオードランの騎士を目指すのであれば、獅子の心を持たなくてはなりませんわよ」

 獅子は、オードランでは神様に近い扱いをされている生き物だ。もとは初代国王が森の奥深くで遭難し、死にかけてしまった時に蒼き毛並みの獅子に救われたという伝説からきているものだが、現在では力や権力の証明としての意味も持ち、王家の紋章や、魔術学園、また騎士団のシンボルにも獅子は描かれている。

 そして、騎士にとっての獅子とはすなわち《力》と《誇り》。獅子の心とは強さと誇りを持った心のことであり、その一言がそのままオードラン国の騎士道精神を表す言葉でもある。

「《力》は剣の象徴。そしてそれを振るう体こそが《誇り》なのですわ。獅子の心を持てというのはつまり……」

「《力》は《誇り》によって振るわれる……でしょ。姉さん」

 何度も聞いた言葉だ。自然と口から出すことだってできる。モネの先を越すように口を開いたクロードの行動に少し驚きながらも、モネは満足そうに頷いた。

「ええ、その通りですわ。《力》と《誇り》は別物でありながら、しかし騎士にとってはどちらも欠けてはならないもの。ですからクロ、あなたが本気で騎士を目指しているのであれば誇りを持ちなさい。そうすれば、力は自ずとついてきますわ」

 力は誇りを持つ者に与えられる。

 それもまた、彼女の口癖だった。だけど、とクロードは思うのだ。

 誇りっていうのはつまり、自信のことなんじゃないのかな……。

 だとしたら、それは自分には決して手に入れられないものだとクロードは感じるのだ。この胸につっかえる劣等感はきっと、騎士にならなければ消えてはくれない。クロードが自分で自分を認められなければ、無くなりはしないものだ。だが、騎士になるためには誇りがいる。本当にそうだとするならば、クロードはどんなに頑張っても騎士にはなれないことになる。この弱い心が邪魔をしているのだ。

「わからないよ」

 クロードは素直な心を口にした。

「僕には《誇り》っていうのがなんのか、わからない。正直、自分が本当に騎士になりたかったのかどうかも今はわからないよ」

 モネが自分を励まそうとしてくれているのはわかっていた。わかっていながら、クロードはそれに甘えてありのままの心を吐露した。

「ただ今は、オルタナを自由にしてあげたいんだ。あの子を、助けてあげたいんだ」

 クロードの頭の中はそればかりだった。彼女の金色だけが焼き付いて、消えてくれない。何をしていても頭の片隅でオルタナのことを考えてしまうのだ。今もそうだ。こうしている今この時も、クロードはオルタナのことを考えている。彼女が無事でいるかどうか、気になって、心配で仕方ないのだ。

 その感情は誇りとは程遠いものだと、クロードは考える。だが、そんなクロードの心を聞いて、モネは小さく微笑んだのだ。

「――――それなら、大丈夫ですわ」

 何が大丈夫なのかと、表情を険しくするクロードにモネは告げる。

「あなたの心はすでに《誇り》に満ちていますわ」

 そんなはずはないと、すぐさま否定しそうになる。そんなクロードの行動を予測していたのか、モネは握った腕を胸の前へと持っていき、ぎゅっと握る力を強くすることでクロードが口走りかけた言葉を制した。

「お願い、クロード。オルタナを助けてあげてください。あの子を救ってあげてください。オルタナは、わたくしのお友達でもあるのですわ」

 だから助けてあげて欲しい。

 重ねられた言葉は懇願。王国最強の騎士が落ちこぼれの手を取って、必死になって頼んだ。

「――――オルタナを救ってあげてください」

 彼女の懇願。そのあまりに真剣な頼みにクロードは圧倒され、何も言えなくなってしまう。

 それにどうしてだろうか、モネの瞳にクロードは何か、思い詰めた悲しみのようなものを感じたのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ