表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/54

世界から見放された者

 世界教典第一章第三節。

 ルーンとは移ろいゆく神の御身そのもの。万物は全てルーンによって創られている。流れる水も、揺れる炎も、堅き大地も全て神そのものである。世界はルーン――神に満ちている。なればこそ、我らは世界を信仰しよう。崇め、奉り、祈りをささげよう。何故なら世界は神であり、世界もまた神そのものなのだから。

 世界は神に満ちている。

 太陽が一番高いところから少し過ぎた午後のこと。窓一つない石造りの大きな部屋の中。そこに十数人の同じ服装をした若い男女たちと、髭を生やした身長の高い中年の男が集まっていた。十数人の男女はそれぞれ二人か三人くらいのグループになっている。時折、そのグループの一人が目を瞑る、腕を前に差し出す、祈るように手を合わせるなど思い思いの姿を取る。すると、彼らの周りに薄い緑色の発光体が現れる。それは数を増やし、次第に一つ一つが大きくなっていく。

 その発光体はこの世界に置いて《ルーン》と呼ばれるものだ。移ろいゆく神の御身、万物を形成する万能のエネルギー。彼らは自らの意思でもって、周囲に無数に四散しているルーンを束ねているのだ。束ねられたルーンは人の目にも見えるほどの力を有し、自然と光を発する物質へと変化する。

 そしてルーンを束ねた男の一人が呟いた。

「五大元素が一つ。獣を払う文明の証。人を人足らしめよ。炎よ!」

 瞬間真っ直ぐに伸ばされていた男の手のひらから人の顔ほどもある炎が生み出される。それは手のひらを向けていた方向に真っ直ぐに飛んでいき、石の壁にぶつかり姿を消した。一連の動作を見ていた髭の中年は大きく頷きながら口を開いた。

「うむ。この前よりも炎が大きくなっているな。精度も上がっている。よくやったな、ロレンス」

 称賛の言葉を貰った男は嬉しそうな、そして恥ずかしそうな顔をしてありがとうございますと中年に頭を下げる。それを見届けてから髭の中年は別のグループのもとへと足を運んだ。

 彼らが行っているのは魔法。神の御身であるルーンを束ね、そのエネルギーを借りることで神の奇跡の模倣を行う、この世界の技術の一つだ。

 いくつかのグループが次々にルーンを束ね、炎を生み出す。薄暗い部屋が緑色と、炎の赤に染まっている中、部屋の隅っこの方に一人でいる少年の姿があった。彼の周りには発行体も、炎の光もない。時折他の誰かが発する光で彼の周囲がほんの少しだけ照らされるだけで、彼の周りは殆ど真っ暗のようにも見えた。

「クロード・ルルー!」

 髭の中年が少年の名を呼んだ。若干大きめに張られたその声に少年は一瞬体を震わせた。

「クロード・ルルー! いないのか? クロード・ルルー!」

 何度も叫ばれ、たまらなくなったのか、少年はおずおずと手を上げた。それを見つけた髭の中年が少年の元にやってくる。少年は委縮するように下を向いたまま動かない。中年が髭面を見るからに不機嫌そうに歪ませて告げた。

「どうした。やって見せろ」

「いや、あの……」

 小さな声で何か言いたそうにする少年の言葉を遮って、髭の中年は手にしていた紙の束をバサバサと揺さぶりながら見せつける。

「あとはお前だけだ。さっさとしろ」

 促され、少年は唇をかみしめる。俯いた顔を上げることなく、虚空に両手を伸ばした。

「……頼むよ」

 誰にも聞こえないような小さな声で呟いて、目を瞑る。イメージするのはあの薄緑の光。少年はこれからルーンを束ねようというのだ。しかし少年の周りには一向に発光体は現れない。光の強さや大きさの程度はあれど、この部屋にいる者ならば誰もがすぐに生み出して見せたはずのルーンの集合体が彼のもとにだけは現れない。

 お願いだよ、頼む。

 懇願するように全身に力を入れる。しかし光は少年のもとへは現れない。

「もういいやめろ!」

 中年の怒号がこだました。その声に驚き、集中が途切れてしまう。少年は慌てて言葉を紡いだ。

「ま、待ってください! もう少しで――」

「黙れ! いいかクロード・ルルー。今日の実習の内容を言ってみろ」

 少年はまた顔を隠すように俯いてぼそぼそと口にする。

「炎の魔法の実習です」

「その通りだ。これは入学当初から定期的に行ってきた、いわば君達の成長の度合いを測る実習だ」

 もう一年だと、中年は髭をさすりながら苛立ちを含んだ声で少年を問い詰める。

「最初は指先を灯すのが精いっぱいだったロレンスが、今では炎の魔法はクラスでトップの成績だ。それに比べてお前はどうだ。まだまともにルーンを束ねることもできないのか!」

「だ、だけど今少しだけ……」

「発光体も現れないほど極小のルーンで、何ができる。お前は蚊でも燃やすつもりなのか?」

 中年の言葉に部屋にいた男女らの中で静かに笑いが起きた。

「我々は魔法師、神の模倣者として人智を超えなければならないのだ。蚊を燃やしたいのならマッチ職人にでもなったらどうだ?」

 みんなの笑いを煽るかのような中年の物言いに、少年は誰にも悟られないようにグッと拳を握りしめた。感情を押し殺した声で告げる。

「すみません。次は必ず……」

 髭の中年はふんっと不満そうに鼻を鳴らした。

「その言葉も何回聞いたことか」

 最後にそう言い残して少年のもとから離れていく。そして部屋にいた若者たちを集めると、授業の終了を告げ、明日の予定など諸連絡を話し始める。長い話が始まると若者たちはわずかにざわめき始める。少年はその中に自分を笑っている声があることにすぐに気づいた。みんなからは少し離れた後ろの方に立つ彼に何人かがチラチラと視線を向ける。好奇と侮蔑の視線。仕方のないことだと、少年は思う。駄目なのは自分の方なのだ。ろくに魔法も使えない落ちこぼれが、この魔法学園で淘汰されていくのは当たり前のことだと。

 ルーンとは世界そのものであり、神そのもの。そんなルーンをまともに束ねることすらできない少年のことを人々は口々にこう言った。

《世界から見放された者》

 誰にも認められず、ついには神からも愛想を尽かされたはぐれ者。

 何も、努力を怠ったわけではない。ただ少年クロード・ルルーには魔法の才能が欠片もなかっただけの話だ。

 王立魔法学園。名をアルケミア。この国ただ一つの魔法師の養成学校だ。小等部、中等部は国中にその門を構えるが、その上の高等部はここ王都に一校しか存在しない。中等部までの教育によって魔法の才があると認められたものだけが高等部に進むことができ、高度な魔法教育を受けることができる。クロードはその高等部に通っている生徒の一人だった。

 授業が終わり、足早に教室をあとにして帰路を急ぐ。学園の荘厳な門をくぐったところで少しだけ立ち止まる。この門を初めてくぐった時から、もう一年が経とうとしていた。そろそろ次の学年に上がり、さらに高度な魔法の教えを受ける季節がやってくる。耳の奥で、先程の髭の中年――クラス担任の言葉が響いた。生徒たちに馬鹿にされ、担任にも煙たがられ、それでも何も言い返すことのできなかった悔しさがこみ上げる。それでも、仕方のないことなのだと自分に言い聞かせる。自分の実力が足りていないことは、他ならぬクロード自身が一番よく知っていた。

 誰もが順当に己の実力を伸ばしていく中、自分だけが取り残されている。

 魔法学園の荘厳な門。白を基調とした趣のある作り。その後ろに続く広大な敷地。貴族の屋敷でもここまで大きな建造物はそうないだろう。国中で認められた才能の集まる場所。クロードはここの門があまり好きではなかった。自分がとても小さな奴に思えてくるのだ。

 じっと、己の小ささを見つめるように門の前に立ちすくんでいると、道行く生徒たちの視線を感じた。自分の横を通り過ぎていく女生徒たちがこちらを見て笑っている。クロードは学園では名の知れた落ちこぼれだ。まともに魔法を使うことのできない魔法師の面汚し。世界から見放された者。そんな不名誉な肩書き。そしてクロードの髪の毛はこの国には非常に珍しい黒色だった。暗闇を思わせるその黒はとても目立つ。たとえクロードのことを名前や噂でしか知らない他学年の生徒だろうと、彼の髪色を見ればすぐに落ちこぼれのクロード・ルルーだとわかってしまう。向けられる嘲笑の視線に耐え切れなくなり、急いでその場を離れようとした時だった。不意に後ろから声をかけられた。

「ここにいたのですね、クロ」

 クロード・ルルーのことをクロと呼ぶ人物は一人だけ。クロードは少し緊張した面持ちで振り返る。振り返った視線の先にいたのは学園の制服に身を包んだ女生徒。まず目をひくのは腰まで伸ばされた銀の髪。整った顔はすっと大人っぽく、女性的な魅力にあふれる体は男の視線を掴んで離さない。彼女はその青い瞳でクロードを見つめている。クロードは少しだけ彼女の視線から目を逸らすようにしてから口を開いた。

「どうしたの、姉さん」

 彼女の名前はモネ・ルルー・レヴァンテイン。クロードの姉にあたる人物だ。

「教室にいないから、探していたのですわ」

 モネは薄く微笑む。上品な口調で話す様は風になびく銀の髪と相まってとても画になっていて、そんな彼女のことを見ているとクロードは学園の門を前にしている時と同じ気持ちになってしまった。

 道行く生徒たちの視線がさっきよりも更に集まった。しかし今度のそれはクロードに向けられたものではない。彼らの視線は今クロードの目の前にいるモネに向けられたものだ。それも侮蔑でも嘲笑でもない。憧れ、羨望、そして尊敬の眼差しだ。生徒たちの視線を一身に浴びながら、なお普段と変わらぬ堂々とした態度を崩さないモネ。自信に溢れるその姿は本当に綺麗だとクロードはそう思った。

「ごめん。姉さん」

 何故か、反射的に謝ってしまう。モネは困ったように笑う。

「いえそんな。クロが謝ることなんてありませんわ。わたくしが一方的に用事があっただけですもの」

 それよりもどうしたんですの、ときょとんとした顔でモネは続けた。

「今日は随分帰りが早いようですけど、何かあったんですの?」

「…………」

 今日の実習の授業でみんなに馬鹿にされて居心地が悪かったから急いで帰ろうとしたんだ。

 そんな風に言えるわけがなかった。言ってしまえば楽になるだろうに、クロードの中にあるちっぽけなプライドが邪魔をして言いだせない。それでいて上手い言い訳ができるほど器用でもないのだ。ただ「あ……その…………」とバツの悪いどもった声だけが口から漏れる。

 うじうじと何も言いだせないクロードを見つめながら、モネは仕方ないなとでも言うようにクロードの頭に手を置いた。

「今日は騎士団の仕事があるので、帰りは遅くなりますの。夕飯は用意しなくていいですわ」

 クロードが返事をするよりも前に頭から姉の手が離れた。あ、と小さく声を発しながら顔を上げるが、既にモネはクロードに背を向けて自宅とは反対方向に向かって行ってしまっていた。その姿を見つめながら、クロードは声を出さずにわかったよと呟いた。

 門を離れ、クロードは自宅へと向かう。赤橙色のレンガで舗装された通りを下を向きながら歩く。すると歩行者の男と肩がぶつかった。謝ろうとして頭を上げたが、既に男はクロードを通り越していた。こちらを気にもとめていないようだ。上げた視線の先には王都の中心の広場がある。四つの大きな通りの交わる所になっているここの広場には真ん中に王都の名物でもある巨大な噴水がある。三層構造になっている噴水からは綺麗な水色がアーチを作るように噴出されている。

 四つの通りを束ねた広場。南に行けば漁船が並び、新鮮な魚介を揃える市場のある港。西側が先程までクロードのいた魔術学園。東側は住宅街があり、北に行けばこの国の王の住まう城が見上げられる。

 クロードはしばらく陽の光に当たりキラキラと輝く噴水の水を見つめていた。不意にあることに気づいて、帰路を急ごうと足を進めた。しかしすぐにその足は止められた。噴水の上部。それぞれの通りに向けた四方向に巨大なモニターが現れたのだ。そこに映し出されたのは赤いマントを羽織り、豪奢な王冠を被った若年の青年。青年はモニターの向こうからこちら側に手を上げた。すると通りを雑多に歩いていた民衆たちがみなこぞってモニターの前に集まった。続々と集まってくる人だかりにクロードは嫌な予感がしてぐいぐいと押し込まれる流れに逆らって噴水から距離を取る。集団から離れて落ち着いたところで後ろを振り向けば噴水の周りは人で埋め尽くされていた。あの中にいれば、きっとすぐにはでてこれまい。ギリギリで危険を回避したことでクロードはホッと胸を撫で下ろす。

 改めて、モニターに映る人物に目をやる。薄茶色の長めの髪をした華奢な体つきの青年。彼こそがこのオードランと呼ばれる国の国王だった。

 オードラン国王アルフレッド・アドルフ・オードラン。

 前王が早くに亡くなり、二年前に王位を継いだばかりの若き王だ。しかしその若さゆえか国の政策には精力的な動きを見せる。このモニターによる定期的な放送も彼の発案で行われているものだ。今だ二十歳にもならない若者ながら、意欲的な活動や未熟さとは相反した落ち着いた態度などが評価され民衆からの支持は厚い。前王もまた優れた王だったが、みな口を揃えてきっとあの方は前王よりも素晴らしい王になると言う。

 凄い人だよなぁ、とクロードはモニターを見つめながら思った。あの若さで本当に凄いと。自分よりもたった三つ年上なだけだ。二十歳にさえなっていないにも関わらず、オードランという決して小さくない国をまとめ上げてしまっている。クロードは彼と自分を比較しそうになって、慌ててモニターに背を向けた。

 オードランは比較的温暖な気候の国だが、ここ最近は結構肌寒い。これから日が沈めばもっと寒くなることだろう。自分の吐いた息が白くなっていることに気づくと、クロードは寒さに耐えるように身を縮めた。

 国の現状や来月に迫ったお祭りの詳細について落ち着いた口調で述べていく王様を後ろに少年は人の流れに逆らって家路を急いだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ