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決着、しかし終わらない

そこに写っている女の子は素の葵。

私です、といえば祐君の浮気も晴れて話は終了する。

けれど、事態はそんなに単純ではない。川崎さんの知っている私はブスの葵だ。

つまりは正体をばらさなければいけないのだ。

ばらしたくない。ばらしたらこの平穏な生活が終わってしまう。

せっかく1年間平穏に過ごせたのに。

もしかしたら1年間騙していたということで、標的にされ、ストーカーやいじめも起きるのではないか。嫌、嫌。

千葉にまで逃げて得たはずの日常が崩れ、また中学と同じ結末を迎えてしまう。

怖い。今すぐここから逃げたい。

でも、このままじゃ祐君が浮気していることになっちゃう。

祐君は本当に誠実で優しい人。浮気なんてするはずがないのに。


「斉藤さん。祐をかばってるつもりならやめて。正直に話して」

川崎さんの声がどんどん低くなり、怒りのあまり震えを増していく。

私を見据えるその瞳も揺れる。

この状況はまさに息詰まる修羅場に相違なかった。


もう、何回目だろう。

憎悪の視線。

慣れたと思っていた。

いや、違う。

私は弱くなったんだ。

この1年、憎悪とはまったく無縁な生活を送ってきた。

その代償。

・・・いや、落ち着け私。

今は過去の感傷に浸っている場合じゃない。


祐君を守るために平穏を捨てるか。

自分の平穏を守るために「知らない」と言って祐君を陥れるか。

後者を選べるはずない。

でも・・・

選びたくない。いじめはもうたくさん。

けれど・・・祐君のためには・・・


私は震える口をこじ開ける。

「そ、それは・・・」

言え、早く言いなさい。



『どうして私の彼奪ったのっ‼』



勇気だしてよ、私。

本当のこと言うだけでしょ。



「その人・・・は・・・」



俯く私の視界に、祐君の足が入ってきた。



「俺の彼女だ」




耳を疑った。

祐君の元から響くその一言で私は硬直した。

川崎さんは双眸を震わせ、静かに声を洩らした。


―――イヤ。


うつむく彼女の目から溢れる雫が宙を切る。


「家に呼んだのはそういう関係だから。俺はそいつが好きなんだ。だから杏とはこれ以上付き合えない。別れてくれ」

祐君はなおも残酷な言葉を付け足していく。

私は祐君の言葉の意味が理解できずにいた。

何が起こっているかさえ、認識できずにいた。ただ言葉だけが耳に入り、じわじわと脳を侵食していく。


まもなく川崎さんが「最低っ・・」と呟き、祐君の頬を思いっきり打った。

音は反響していき、やがて静寂が訪れる。

震える川崎さんはその場で立ち尽くしていた。

「もういい。さよなら。とっととその彼女と仲良くしたら?」

私には目もくれずにそう言い残し、彼女は足早に階段を駆け下りた。

彼女は袖でしきりに目元をぬぐっていた。



辺りは静けさに包まれていた。


「何・・・・してるのよ・・・」


私はふらふらと祐君のもとに歩み寄る。



「あんた‼自分が何したのかわかってんのっ‼」



私の声がその場の空気を切り裂いた。

ここが学校という演技舞台であることさえ忘れるほど、私の頭に血が上りきっていた。

祐君のシャツの襟を握り締め、眼前まで引き寄せる。

しかし動じず、祐君は言う。

「やっぱり杏のことを好きになれなかった。別れるいい機会だった」

一層握る力を強める。

「そういうこと聞いてるんじゃない‼祐君、今嘘言ったんだよ⁉彼女だなんて‼なんて嘘ついてるの‼浮気よ、浮気‼絶対祐君の評判落ちた‼だってあれは私じゃん⁉私だって言えばそれでよかったのにぃ‼」

祐君の体を何度も揺さぶった。

許せなかった。祐君が嘘をついたのが許せなかった。

私を守るために、自分を犠牲にした祐君がどうしても許せなかった。

「そうしたら、葵は今までどおりにいられなくなる。葵がどれだけ辛い思いをしてきたか、俺は知っている。遠くまで逃げて、やっとの思いで手にいれた平穏なんだろ。そんなの、壊せるはずない。葵が中学のときみたいに苦しんで、傷つくのは、絶対嫌だ」

「でも!!そのせいで・・・祐君は」

「他人がどう思おうが俺は知らない。人がなんて言おうと、俺には関係ない」

でも・・・でも・・・

「祐君・・!絶対悪口言われるよ・・・浮気したやつだって‼せっかく・・人気者なのにっ‼」

私の瞳から涙が止め処なく溢れ出す。

メガネのレンズにも涙の粒がかかった。

メイクの上に一筋の線が出来る。

「そんなの、葵が今まで受けた悪口に比べたらなんでもない」


ふと、私の脳裏に中学の記憶が浮かんだ。

『最低‼私と彼の仲を引き裂いて‼他人面して‼』

『本当マジ有り得ない‼あんたのせいで何もかもおかしくなったのよ‼』

『泣けば許されると思ってんのっ⁉』

『アンタと・・・友達になるんじゃなかった』

かつての友達も、私のことを異物でも見るかのような冷たい視線でそう言い放った。

頬をうたれたことも、顔に砂をかけられたことも、突き飛ばされて机の角で血を流したこともあった。

私だけクラスの集まりに呼ばれず、上履きに画鋲をしかけられ、机の中に『死ね』と書かれた紙を何枚も入れられた。

私が何をしたっていうの。

私への悪口、いやがらせは終わらなかった。

話はどんどん広がっていき、女子の誰もが私を忌み嫌うようになった中学。

そんな日々に、戻りたくなかった。

戻りたくなかったけど・・・


「ごめんね・・・ごめんね・・・私の・・・私のせいで・・・」


一番許せなかったのは自分自身だった。

私はその場で膝をついた。

この胸中に渦巻く感情を処理仕切れない。

今から「あれは私」と言えば間に合うだろうか。

けれど足が動かない。震えたままで、一歩が踏み出せなかった。

私は選べなかったんだ。

自分の平穏が惜しかった。最低。

たった一言が出せなかったのだ。


「泣くな。謝るな。葵は悪くない。全部俺がしたことだ」

祐君は私にハンカチを差し出した。

私はそれに顔を押し当て、しばらく泣いていた。

高校生で泣くのはこれが初めてだった。




その日、祐君は部活を休み、私たちは帰宅した。

道中、会話はなかった。

祐君はとぼとぼ歩く私に歩幅を合わせ、並んで歩いた。

けれど彼が話しかけても、答えることはできなかった。

家に帰ると、私はメイクだけを落として部屋にこもった。祐君の呼びかけにも答えず、制服のまま布団の中でうずくまった。


布団の中に沈んだままの私。

眠りに落ちるわけでもなく、ただ暗闇に漂う私の意識。

時に涙を流し、後悔を繰り返し、深く沈む。

どれくらい時間が経っただろう。

布団からゆっくりと這い出る。

開けっ放しの窓の外はすでに真っ暗だった。


私は力なくポケットの携帯を握る。

電源をいれ、明るさに顔をしかめる。時刻は7時半。

アドレスには両親と叔母さん、そして祐君と友紀。

辛いとき、電話をするのは唯一無二の親友。

またしても私は助けを求めた。


説明している最中も泣き出してしまい、友紀も混乱したと思う。

事情を説明した後、友紀は語りかける。


『祐がどうして葵の名前を言わなかったか考えてごらん。

祐はすごく優しい。私だって祐のことは小学生の頃から知ってる。

昔は葵が祐を守ってる感じだったね。低学年の頃はとくに。

でもね、葵が雑誌モデル始めてから女子が色々噂してたとき。

祐が珍しくキレたの。

「葵のことを悪く言うんじゃねえ‼モデルの何が悪いんだ!かっこいいじゃねぇか‼」って。

みんな祐が怒ったところ見たことなくて、すごく戸惑ってた。

それぐらい、祐にとって、葵への悪口は許せなかったんだよ。

葵が大切だから。

葵が祐のことを大切に思うように、祐も葵のことを大切に思っているんだよ。

昔から何も変わらない。

今回も、祐が葵を守った。

葵は知らなかったかもしれないけど、祐は何回も葵のことを守ってたよ。

だから祐は、いつもしていたことをしただけ。

葵の気持ちもわかる。

けどね、たまには弟に甘えてもいいんじゃないかな。

もちろん!いつでも私を頼ってくれていいから。

何なら今からでも葵の部屋に乗り込むよ?

すっきりするまでずっと抱きしめてあげる!へへへ。

けどまあ、祐を頼ってみたら?

きっと祐も、それを望んでる。』


また泣いた。

親友の言葉が温かかった。

そしてその温かさが私を癒し、後悔の渦から解放してくれた。

親友がくれた温かさが嬉しかった。

親友がいてくれてよかった。

その親友が友紀で本当によかった。

私は友紀に「大好き」と言った。

友紀も笑って『私も葵のこと大大大好きだよ!!』と言ってくれた。

友紀とは一生親友でいる。どんなことがあっても、私は彼女を裏切らない。ずっと一緒にいる。

私は心の中で固く決意した。


『けどまあ、私はうらやましいよ』

電話の最後に友紀はそう呟いた。

「えっ?」

『そんなに大切に思われてるなんて。ちょっと妬いちゃうかな』

電話の向こうで彼女は笑った。


電話を切った時には、時刻はすでに夜の10時過ぎ。

私はシャワーを浴び、火照った体をゆっくりと冷ます。

洗面台の鏡の中の私は、ひどく目を腫らしていた。

少しおかしくて、恥ずかしくて、笑った。

髪を拭きながら部屋に戻る。

扉の横に皿が置いてあり、おにぎりが二つ。

いつからあったのだろうか。

もしかしたら扉を開けた時には死角になっていて気付かなかったのかもしれない。

タオルを頭にのせたまま、私は皿を取る。

不恰好なおにぎりがラップの中で半ば崩れている。

ラップの上には付箋が貼ってあり、弟の字が書いてあった。

『飯ぐらい食え。』

私は苦笑し、皿を持ったまま部屋に入る。


掴むと、おにぎりはあっさり真っ二つになり、その後もぼろぼろと崩れていく。

塩おにぎりだった。

けれど塩が一箇所に固まり、ある部分には塩がなく、バランスが悪い。

最終的に大きなおにぎりが、無数の塊になっていた。

私はそれらを全て平らげた。

そして手を洗った後、ルーズリーフを一枚取り出す。

お気に入りの緑ペンで書き、弟の部屋の扉の下から中に入れる。



『おにぎり下手すぎ笑 今度私が教えてあげる。  ありがとう』




次の日、私の日常は平穏に戻った。

私がもっとも懸念していた祐君の評判。

彼女と別れたことはその日のうちに学校中が知ったらしい。

多少祐君に対しての非難もあったが、大多数は祐君支持であった。彼女のアプローチの激しさは誰もが認めるほど激しいものだったらしい。皆が彼女の態度の変容に嫌気を刺すほど・・・

つまり祐君が川崎さんを振ったことは『祐君もしつこい女は嫌だったってことよ』『結構もてるんだし、他の女の子に逃げたくなるよね』『でも、付き合ってるって誰となんだろうねっ!気になる~』という評価で、私もそれらをクラスで耳にした。

心の中で、安堵の息を洩らした。

けど、それと同時に厄介なことも発生したことになる。

事実はそうではないが、私と祐君が付き合っているということになってしまった。

撮られた写真に写っているのは素顔の私。

私の素顔を知っているのは友紀だけで、ばれることはないだろう。写真が流出しても問題はない、はず。

今までのようにグロメイクをすればばれることはない。外出時は、少し気をつけよう。

もう素で落ち着ける場所は、家の中だけなのかもしれない。



今日もすぐ家に帰り、メイクを落とす。

今日はカレーにする。食べた後は祐君と話をしよう。ないとは思うけど、祐君本人に何か問題があったら話を聞いておきたい。

祐君早く帰ってこないかな、と携帯をチェックする。

新着メールが一通。

祐君からメール・・・しかも1時間前?

そのとき、扉の鍵が開く音が聞こえた。

「あ、帰ってきたのかな」

歩きながら私はメールを開く。

『俺の友達が無理やり家に来る。だからグロメイクのままか、部屋から出ないようにしてくれない?』

「えっ・・・⁉まさか、今日・・・」

玄関を前に、私は声を洩らした。

まずい。

今の私は素の葵だ。このままではばれてしまう。

なんとかどこかに隠れなければ・・・

玄関から体を反転させようとするも、時すでに遅し。

「た、ただいま・・・」

「おじゃましまーす!」

扉から現れた祐君とその横、いわゆるチャラい男子。

私は身を震わせた反動で携帯を落とし、その男子と目が合ってしまった。

祐君も無表情の中で、目を見開いた。

「えぇっ⁉おい、祐‼この美人さん誰⁉ど、どうも・・・‼俺、祐の親友の柏木智也っす‼学校で仲良くやってます‼」

テンション高めの茶髪の彼。

私は気が気ではなかった。

「すっっっげぇ美人ですねっ‼それで・・・あなたのお名前は?」

私は身を震わせた。

どうする?なんて答える私?

「わ、わ・・・私、は・・・・」

彼の問いかけに、私は冷たい汗をノーメイクの頬に流した。


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