彼女の涙と彼の葛藤
目の前で人が死ぬ光景は、“貢ぎ物”にした数だけ見てきた。
尊敬する村長が真っ直ぐに振り下ろした剣が胸を貫き、真っ赤な飛沫を噴出させて岩盤を染め、一瞬だけ苦悶の表情を浮かべて死んでいく。村の外から旅人がやって来る度に幾度となく騙して殺し、“貢ぎ物”として捧げる事で自らを守ってきた。
それに苦痛と罪悪感を覚えるようになったのは、一体いつからだったのか。そう思うのが当たり前だと敢えて教えられなかったローラにとって、心を蝕んで離さない感情だった。
完璧に被っていた筈の仮面が壊れそうになり、言葉を出すだけで胸が苦しくなり、一方的な殺戮を傍観して途轍もない悲しみに襲われ、その日は一日中謝罪の言葉を呟きながら泣き続ける。
彼女達にとって当たり前の光景が彼女にとって恐ろしい非現実な物と認識するようになって、それでも出来る事は忠告紛いな曖昧で意味深な言葉を囁く事だけだった。
ニーニャは、辛いなら関わらなければいいと言ってくれた。だが、それだけはしてはいけないと思っていた。
それは、ただ自分を守る為に相手から逃げる行為だと、誰に教わる事も無く知っていたから。
だからこそ、ローラは立場を弁えた行動を取っていた――筈だった。
過ごした時間は短く、互いの事など何一つ知らないような仲なのに、ローラは涙が止まらなかった。
村長から言われた通りに彼を待ち伏せた。攻撃はしなかったが、かと言って逃がした訳でもない。
ただ村長に身を委ねて無意識の内に“魔術”を発動し、それがレオの右目を貫いただけ。たった、たったそれだけだというのに、ローラの胸は罪悪感で一杯で、右目から滴り落ちる血がとても恐ろしい物のように思えて、彼の姿を直視する事が出来なかった。
「……ごめんなさい……ごめん、なさい……」
何に対して謝っているのかすら分かぬまま、ただ只管謝罪の言葉を繰り返すローラに、レオは何も言わなかった。
責められて当然、責めて当然なのに彼は口を開く事無く、ただ顔を顰めてローラを見下ろしているだけ。その表情が僅かに哀れみを伴った物だとは、浮かべている本人ですら知りえない事。
ローラにとってはレオが何かをするだけで恐ろしく、だからこそ責められているかのように肩を縮込ませ、涙を流しながら頭を下げた。
レオを騙した事、殺そうとした事、傷つけた事、それ等全ての行いに対して謝罪し、しかしそれはどんなに謝ろうが償おうが決して許されない事で、
「……ローラ」
やっと口を開いたレオは一体何を言うのか。ローラは傍目から見て分かる程に大きく肩を震わせる位怖かった。
「……ごめん、なさい……私は、私達は……」
自分を責める言葉から身を守るかのように述べた言葉は、
「いい加減、謝るのは止めてくれないかな?」
「……え……?」
レオの、思わぬ返事によって止められてしまった。
憎悪などの感情が一切込められていない、寧ろ戸惑った様子で話し掛けるレオの行動が理解出来ず、ローラは涙に濡れた瞳で恐る恐る彼の表情を窺った。
ローラの目に映ったのは、右手と右顔面を血で汚し、しかし残る瞳で困ったように笑った顔。それは今まで何度も見てきた光景――自分を蔑む表情でも、侮蔑する表情でもなく、一番の親友であるニーニャが責任感の強いローラに対して諭すかのように浮かべている表情と全く同じであった。
レオはその表情のまま、やはりニーニャと同じように困った風を装って話し始める。
「……君が何に謝っているかは、まぁ大体は想像が付くけど……僕は別に怒っていないし、恨んでもいない。これは全部、自業自得だからね」
「……自業、自得……? ど、どうして……?」
「んー……そうだね、はっきり言うとね。僕は……この村が、余所者をどういう風に扱うか最初から知っていたよ。知っていて、僕は自ら足を踏み入れた。危険を冒してでも、僕にはやらなければいけない事があったから」
嘘だ、と断言するには、彼の瞳はあまりにも曇りなく反射していて眩しかった。
それでも、俄かには信じたがたい言葉に、
「……どうして? どうして、そんな事を言うの……?」
「……別に、特に何かある訳じゃないけど……ただ、放って置けなかったから」
「……どう、して? 私は、レオを殺そうとした……傷つけてしまった……なのに、どうして……?」
分からなかった。
レオからしたら、ローラは彼を陥れようとした悪意の村の“巫女”だ。変な忠告はしたかもしれないが、それが彼の命を救った訳でも何でもない。村長達と結託して、レオを殺そうとした事に変わりは無いのだ。
自分の胸に巣食う正体の分からない感情を持て余しながら、唇だけでなく声も震えさせてどうしてと連呼するローラに、レオは穏やかで優しげな笑みを浮かべて言う。
彼にとっては至極当然で、彼女にとっては信じられない事実を。
「決まってるよ。僕は、何も気にしてないから。ただ、ローラは巻き込まれてしまっただけ……僕を本当に殺すつもりなら、あんな忠告なんてしないでしょ? それだけで、君を助ける理由は十分だよ」
「助ける……?」
「うん。だってローラは僕と話してる間、ずっと悲しそうな目をしていた。義務と人情の間で葛藤して……自分でどうすれば良いのか分からなくなっていて、答えを欲しがっていた」
レオは、
「それに、君の周りにいる“皆”は、凄く純粋なんだ。人を裏切り、陥れようとする類の渦は全然無くて、ただ真っ直ぐで明るくて……でも少しだけ責任感が強すぎて困ってるって言ってるよ」
それが微精霊の存在を示している事は何となく分かった。
そして同時に、自分の事を微精霊だけで分かってしまう彼の事が純粋に凄いと思い、
「……レオ、は……」
二、三度と躊躇うように視線を揺らし、
「……お人好し、なんだね」
「はは、弟にもよく言われるよ」
「……そうだよ。そうじゃなきゃ、私が貴方にした事を“気にしない”なんて言えないよ」
そして、ローラの心はレオによって清々しいほどに晴れた。
今までどんよりと曇っていた靄を、レオは言葉だけで綺麗に払ってくれ、許してくれたのかどうかは今一分からないが、彼の事を信じるならばローラは許された。
その事実に、ローラは鉛のように重く沈んでいた気持ちが明るくなっていくのを感じ、
「……ありがとう、レオ」
自然に笑みを浮かべて、心からの感謝を伝えた。
「うん。どういたしまして……かな?」
首を傾げて、自信なさげに言う彼にもう一回微笑んでから、ローラは立ち上がった。
鈴を鳴らして土を払い、頭に差していた簪を抜いてからレオに向かって歩を進める。
不思議そうにする彼に構わず、簪を持つ手をレオの右手に重ねて、
「……小さな癒しの力。『エイドス』」
小さく詠唱し“治癒術”を使った。
白く淡い光がレオの右目に集まり、ゆっくりと確実に出血を抑え右目の傷を塞いでいく。
引いていく痛みと傷に、
「……驚いた。まさか、治癒術が使えるなんて……」
「……治癒術を使えるのは、西方の民だけ。だから、レオが言っていた事は正しいよ。私のお母さんは……復讐を誓った一族の末裔。嘗て大陸最高の繁栄を誇り、“治癒術”を生み出した西方の民……」
滅亡した西方の民。だが、彼等は彼等にしか使えない“治癒術”を生み出した。その技術は秘匿とされ、使えるローラでさえ何故西方の民にしか使えないのか分からない。
そして、レオの話を聞いて分かった事がある。“精霊樹”は、もしかしたら“治癒術”の技術を求めて侵略したのではないかと。
「……私の技量じゃ、見た目だけ元通りにする事しか出来ないけど……」
「……構わないよ。見えなくても、見た目が普通なだけで十分使えるからね」
右手の奥に隠れていた、ローラの精一杯の証である目元に走る傷をなぞりながら、本当にどこまでも負の感情を含まない笑みを浮かべるレオを見て、ローラは思った。
(……レオは、不思議な人。陽だまりのように暖かくて、傍にいるだけで落ち着く。……そう言えば、今朝話した時もそうだった)
警戒心と恐怖を抱いていたにも拘らず、レオと話していると驚かされる事が多く、その驚愕が不快ではなかった。居心地がいい、と思ったのかもしれない。だからこそ、
(……私は、どこかで恐れていたのかも。レオを、傷付けたくない……死なせたくないと。彼が私を恨む事が……怖かったのかも)
心の迷いは晴れたが、それでも尚自身の感情がどういった類の物なのか分からないまま、
「……ローラ?」
気が付けば、ローラはレオを抱きしめていた。
華奢に見える外見とは裏腹に、意外と体格がいい身体をぎゅっと抱きしめ、
「……ごめん、暫く……こうしていても、いいかな?」
「……どうぞ、ご自由に」
レオは右手をローラの背中に回しかけてから、血が付着する事を気にしたのか左手だけで抱きしめ返す。
初めて触れた人の温度、その温かさに、
「……ごめんね、ありがとう……」
ローラは、静かに涙を流した。
初めて知った他人の思いやりを、絶対に手放したくないと思いながら。
見た目通り、ガラス細工のように繊細な身体だと思った。
それが現実逃避したものであると知りながら、それでもレオはそう思わずにはいられなかった。
こうでもしないと、自分の醜さに殺気立ちそうになるから。
(……ローラの様子だと、どうしてこんなに罪悪感に苛まれるのか、分からないみたいだね)
ただ只管謝罪の言葉を呟き続け、何かを恐れるかのように顔を強張らせ、ローラは泣いていた。
レオだからこそ分かる微精霊達は、そんな彼女の様子を見て励ますかのように傍を離れなかった。それは、彼女もまた精霊を愛していると知るには十分過ぎる現象で、同時にローラという少女がどれだけ自分とは違って純粋なのか、嫌と言うほど分かった。
そして、レオはそんなローラの純粋な心を利用した。
(……嘘を吐くのも騙すのも、僕にとっては日常茶飯事……今更罪悪感なんて、感じないと思っていたんだけどな)
初めて会った時の忠告、戸惑ったような態度、立場に固執する様子、人を傷付けた時の狼狽。それ等は、彼女が“貢ぎ物”という存在を良く思っていない事の証明であり、また人を大事にしたいと思っている表れでもある。
悪意に満ち溢れたこの村の中で、唯一と言ってもいいほど彼女は純粋だった。人を愛し、思いやりに満ち溢れている。そんな彼女がどんなに言い繕っても所詮人殺しでしかない行為に罪悪感を抱くのは当然だ。
だからこそ、レオはローラを標的にした。
上手く村長がローラを利用するように仕向け、村長が妥協するような状況に持ってこさせ、甘い言葉でローラを味方に引き摺り込む。
村長にとって“巫女”は必要な存在であり、レオにとって“ローラ”は村の弱点である。
人間に味方した『イフリート』を守る為には、この村の悪事を暴き出す必要があった。そして、この村は“精霊樹”と繋がっている筈だ。
(……少し刃を交えただけ、“精霊術”をぶつけあっただけ……たったそれだけで、僕と村長の実力の差は歴然だった。僕は、村長と同じ方法でも使わない限り……勝てない。だから、ローラを利用して年単位でこの村を瓦解させる。その為に……どんな手も、使う)
つらそうに表情を歪め、レオは右手を握り締めた。
故郷では、レオの言葉に耳を貸す者など誰一人居なかった。それ所か、異端者だと勝手に決めつけて蔑み、精霊を道具のように扱った。
そんな愚かな彼等を見て、腹の底からどす黒い感情が湧き出てくるのを押さえ切れなかった。人当たりの良さそうな笑みこそ浮かべて見せるが、自分にそんな感情がある事に戸惑ってどうすればいいのか孤軍奮闘したものだ。
いつしかレオは、醜い感情を隠すように笑みを浮かべて、唯一味方で居てくれた賢い弟を心配させない為に嘘を吐く事が日常となった。その現状に悲しみは覚えなかったから、自分はどこか狂っているんだと決め付ける事で罪悪感を感じないように心まで偽った。
だと言うのに、胸中に渦巻くこの罪悪感は一向に治まってなどくれず、ローラの純粋な心に触れる度に痛みが走る。
(……ああ、僕はまだまだだね。この村に留まる以上、近い将来――僕は殺されるだろう。その時に、せめて君だけは純粋なままで居て欲しい……そんな事を思うなんて)
ローラの周りで彼女を影から支え続けてきた微精霊達は、太陽のように眩しく決して手が届かない羨望を放っている。レオがどれだけ努力しても掴む事の出来ない、一際大きく煌く輝きを。そんな存在を偽りとはいえ今手中に収めている自分に憤り、しかし覚悟を決めて罪悪感を押し込む。
(……忘れるな、トラヴィスの直系。人を初めて殺した時に抱いた恐怖を、罪悪感を、憎悪を。全てを切り捨ててでもやり遂げると決めた――信念を)
対等な存在で居てくれた大切で愛しい者達全てを守る。
その為の犠牲にしようとしている少女の温もりを複雑な心情で感じながら、レオは血の涙を流すのだった。
――この邂逅が、二人の心に深い楔を打ち込んだ事を知るのは、まだ先の未来。
村に潜む悪意エピローグです。
ローラにとってレオは大切な存在となった瞬間であり、レオにとっては当たり前だった“騙し嘘を吐く”行為に罪悪感を抱くようになって、後に彼は本当の意味で優しい人になる切っ掛けです。
次から漸く前振りに戻ります。
村長が“貢ぎ物”になるという信託が下り、村人達がどういった決意をし、それがどんな悲劇の幕を引く事になったのか。
一応、村長は良い人です。その方向性が極端なだけで。