村に潜む悪意③
「意外と簡単に手に入ったな」
北方の“精霊信仰”の原点を築き上げた村長は、ローラ達が持ってきた報告に気分良く笑いながら、着々と儀式の準備を整えていた。
儀式とはいっても、ただ単に“貢ぎ物”の命を村長自らが絶つだけの簡単な物だったが。
「もう少し苦労するかとも思ったんだがな……くく、ここまで計算通りだと、逆に心配になってくるくらいだ」
“貢ぎ物”を殺す際に使う儀式剣を丁寧に布で磨きながら、村長は誰に聴かせる訳でもなく言葉を紡ぐ。
「……“精霊樹”を裏切った“大精霊イフリート”の契約者、レオ。……私が奴を捧げれば、“精霊樹”は私にも素質があると認めてくれるだろうか……いや、絶対に認めさせてやるさ。この私――」
鏡のように光沢を放つ表面に自身の不気味な笑顔を映し、厳かに村長は言う。
「――“ ”が、真に相応しいと、な」
実に自分らしいと思う笑みを浮かべ、村長は立ち上がった。
自衛用の短刀を隠し持ち、右手には抜き身の儀式剣を持ち、彼女は隠し通路の階段を降り始める。
靴が階段にぶつかる音が響き、古びた木製の扉を開けた先は蝋燭の灯りが頼り気無く揺れる、“精霊樹の巫女”の祭壇だ。
中には数人の村人達が居り、そこには当然ローラの姿も在った。
「村長様」
「ご苦労だったな、ローラ。お前が時間を稼いでくれたお陰で、奴に気付かれる事無くこうして儀式を進める事が出来る」
「勿体無いお言葉です、村長様」
恭しく頭を下げるローラを一瞥し、
「お前が奴に忠告紛いの発言をした事は、これで帳消しにしてやろう」
「! ……気付いて、いたんですか……?」
「当然だ。ローラ、最近のお前は揺れている。いや、葛藤していると言った方が良いか。余所者に何を抱いているかは知らないが、私はこの村を守る為なら……」
本当の思惑を隠して、村長は断言する。
「ローラ、お前を切り捨てる事も平気でやるぞ」
「……はい、申し訳ありません、村長様」
「いや、分かればいいのだ」
居心地が悪そうにローラは頭を下げ、そのまま定位置である祭壇の左手へと戻り、水を生み出すとされる樹木で出来た杖を構え、静かに振り下ろした。
シャランッと、杖と袖の両方に付けられた鈴が心地良い音色を響かせ、
「これより、“巫女”が“守り人”様と“精霊樹”様へ、最上の“貢ぎ物”を捧げる為の儀式を始めさせて頂きます」
「村長である私が承認しよう。さぁ……実に二年ぶりの“貢ぎ物”だ。これで、私達は後三年安泰に生きられるだろう」
村長は祭壇の前まで足を進める。
同じように樹で出来た祠と、特殊な材質で出来た柔らかく大きな石がそこには置かれている。そして、その上で力無く横たわるのが今回の“貢ぎ物”である、レオ。
体内に取り込んだ魔力を外に逃がさない為に、逆に言えば術技を使えないようにする為に、微精霊の力が宿った『魔力封じ』の聖水を全身に浴びているので、服や髪から水滴が垂れて黒々とした染みを生み出している。そして、胸の辺りの石には血の痕跡が自己主張していて、レオの刀は少し離れた場所に置かれ、仮に目が覚めたとしてもすぐに反撃が出来ないようにしてある徹底振りだ。
だが、どれだけ用心した所でやりすぎという事は無いのだ。特に、レオの場合は。
ローラが言う所では“精霊の寵愛者”。村長が知るには“大精霊イフリート”の保護を受けた炎の化身。そして、二刀を華麗に使いローラを圧倒するだけの実力を持っている。
上級魔術である『アースクラッシャー』を、中級程度の技であろう火属性の一撃で打ち破ったという事が、既に次元が違うという事を明確に表しているのだ。念には念をと入れているが、
(……まさか、ここまでやって仕留めきれないという事は無いだろう)
心に湧いた不安を押し殺し、村長は儀式剣を構えた。
蝋燭の灯りだけが光源の中、丁寧に磨き上げられた剣は光を反射し、
「……これで、決着だ」
村長はレオの心臓目掛けて剣を振り下ろした。
視界の端で、ローラが悲しそうに顔を逸らし――キイィンッと、儀式剣は根元から折れて破片が飛んだ。
「な、何……ッ!?」
剣が刺さるかという瞬間、レオは目を開けて剣を避け、結果脆い金属であった儀式剣は石の強度に耐え切れずに折れた。
そう、そこまでは分かる。
「何故……この状況で動ける!」
念には念を入れた。高い酒と毒料理と睡眠薬の三連続を仕掛け、術技が使えないようにする術を施したのだ。相当体に負担が掛かっている筈だし、普通なら動く事以前に目覚める事すら出来まい。しかし実際には、レオは立ち上がって必殺をかわして見せた。
彼が自分の得物に手を伸ばして掴もうとした所で村長は我を取り戻し、反射で折れた儀式剣を右手目掛けて投げた。
それを避ける為にレオは右手を動かすしかなく、その隙に村長は腰に隠していた短刀を抜いてレオに襲い掛かる。
「ローラ、詠唱だ!」
「え、はいっ!」
同じように呆然としていたローラに声を掛け、村長は持ち前の運動神経を活かして短刀を鋭く突き出した。
余裕を持ってその攻撃を避けるレオに、それでも村長は構わず攻撃を仕掛け続ける。右へ、左へ、狭い地下室の中で逃げられる場所を狭めていくように考えながら行動し、短くない遣り取りでレオを壁際まで追い詰めた。村長は牽制の一撃を入れた後に後ろへ下がり、
「打ち鳴らせ轟音、零れ落ちる必殺の剣。『シルフィーローレ』!」
瞬間、絶妙のタイミングでローラが唱えた魔術が発動し、右、左、前の三方向から風の刃がレオに襲い掛かる。
「降り注ぐ万感の陽射。『フレアライン』!」
避けられないと判断したレオはローラとは比べ物にならない速さで詠唱し、
「っ、発動しない!?」
「……チェックメイトだ」
凄まじい轟音を立てて壁ごと刃はレオを貫いた。
視界一杯に舞う砂と埃の嵐に構う事無く、村長は動き出す人物が居ないかどうか注意深く観察する。
唐突に訪れた静寂はゆっくりと舞っていた粉塵と共に収まり、そこには、
「……あの状態で、逃げたのか?」
崩れ落ちた無残な瓦礫の山と、その向こうに存在していたらしい隠し通路の存在だけだった。
「思ったよりも厄介な存在だったという訳か……ローラ!」
「はい」
「お前は地上からレオを追え。私はこの隠し通路から奴を追う。奴の武器は……いつのまに」
石の上に置いてあった筈の彼の二刀は後形も無く消えており、その事にらしくない舌打ちをして、
「お前達は、村の出口を見張ってくれ。何か在ったら、私に知らせるように」
「分かりました、村長様」
鷹揚に頷く村人達にその場を任せ、村長は苛立ちに似た感情を抱きながら、自身も知らなかった隠し通路を歩き出すのだった。
「けほ、けほ……お、思ったよりも……下手を打ったな……」
全身を襲う倦怠感と闘いながら、レオは必死に足を動かして走っていた。
ローラと話している最中に突如として襲った強烈な睡魔。それに対し、レオは咄嗟に“精霊術”を発動したのだ。
微精霊達に協力してもらって始めて発動させる事の出来る術。悪意や敵意、殺意といった負の感情が迫ったら意識が戻るような、そんな術を。最も、それはかなり特殊な術で“精霊の寵愛者”たるレオにしか出来ない物だが。
そしてそれは一か八かの賭けだったのだが、どうやらローラは気付かなかったようだ。そうでなければ、今頃レオはあの世逝きだ。
更に幸運だったのが、どうしてそこに在ったのか全く分からない隠し通路の存在だ。もしこれがなければ、レオは正面突破を挑む事になり、正直勝てるかどうか分からない二度目の賭けをする羽目になっていた。
(まさかの睡眠薬、まさかの『魔力封じ』……幾らなんでもたかが一介の傭兵如きに随分と念を入れる……って事は、僕は例外だと思われたのか、それとも予め僕の存在を知っていたのか……)
上手く動かない手で、気配を上手く隠して取った自身の愛刀を腰に収め、レオはやはり上手く回らない頭で思考する。
(……イフリートが言っていた、この村の“悪意”と“敵意”……そして“殺意”。やっぱり、村長が黒幕だと考えるのが一番筋は通るかな……それにしても)
咄嗟に発動した“精霊術”で相殺しきれなかった攻撃によって受けた脇腹の傷を押さえながら、
(情けないな、僕は……警戒していたつもりで、だけど僕は自身の力を驕って……警戒らしい警戒をしてなかった。少なくとも、ローラに近づいたのはどう考えても失策だね)
変に逆上させた挙句に自身の実力を見せるなど、他人から見てもそれはただの驕りだったとしか言いようが無い。
そして、そこから得られた情報と比べれば、
「うわぁ……ローラの母親が西方の反逆民族だとしか分かってないよ」
何と実りの無い成果か。
怒りを通り越して恥ずかしさしか無くなったレオは危機的状況も忘れて頭を抱え込み、
「“巫女”が西方の民出身……そこから考えられるのは、やっぱり村長が黒幕で……」
同じ結論に再び達した所で、ふと湧いた、一つの考えにレオは背筋が凍った。
(……西方の民は、“精霊樹”によって滅ぼされた民族が寄り添い会って大きくなった民族で、赤目や青髪などの色彩豊かな特徴を持つ。だから僕はローラにそう聞いて、僕がそう言うならそうじゃないかって答えた。……それが本当なら、この村は――)
レオの手には負えない、酷く歪んだ凶悪な巣窟。
「まずいな……だからイフリートは言ったんだ、『気を付けろ』って……その意味を、僕は大きく捉え間違えていたようだね」
漸く気付いた自身の大きな過ちに、レオは急いで脱出しようと光の差し込む場所へと飛び出した。
一際強く眩い光がレオの目を刺激し、
「――お待ちしていました、レオ」
まるで天使のような慈愛に満ちた声とは裏腹に、無表情で立ち尽くすローラがレオの行く手を阻んだ。