村に潜む悪意①
私の喉から漏れ出す嗚咽は、中々静まってくれなかった。
必死に止めようと努力しているのに、頭の中に先程の村人達の様子が思い浮かぶ度に大粒の涙が零れ落ち、いつまで経っても収まる事は無かった。
そんな私を心配げに見つめる彼は、気休めを口にする事は無く、何十数回目の逡巡の後、
「……ローラ……」
恐る恐る私の肩に乗せられようとした彼の手に対して、
「やめて、レオ……」
「……ローラ」
「私に……レオが私を心配する必要なんか、ない……私に、そんな資格なんて……ない……」
そう……七年前、この村が彼に対してしようとした事を考えれば、彼が私を心配する理由など存在しない。所詮余所者と、この村は彼を“貢ぎ物”にしようと企んだのだ。……そして、その所為で彼は……、
「……ローラ、僕はもう気にしていないよ」
「何言っているの!? だって、私達の所為で、レオは――」
彼は――殺されかけたのだ。ううん、実際に殺されたっていっても過言じゃない。
それだけの事を彼はされ、私達はしたのだ。
そんな私に、彼が優しい言葉を掛ける権利なんてない。慰めも気休めも口にして欲しくない。だって……、
「――私が、殺そうとしたんだよ……?」
悲痛な面持ちで私を見詰める彼は、
「……僕は、気にしていない。もう、過去の出来事だよ」
「それでも……私、は……」
「ローラ」
彼は、何の躊躇いも無く私を抱きしめた。
まるで子供をあやす様に静かに背中を撫で、
「……この村の常識と僕の常識が違うのは当たり前だよ。ローラ達にとって余所者を身代わりにするのは当然の防衛手段だった。僕は、そんな村に無警戒で足を踏み入れた……それにね、ローラ」
彼は私の耳元で囁くように、
「自分に出来る範囲で、僕を守ろうとしてくれた。あれがあったから、僕はここに居られるんだよ」
「……でも、私は……」
「責任感が強いからね、ローラは。……誰が悪いとは言わないけどさ、責任を取るべきなのはこの村の長である村長だ。その村長と僕が和解した以上、昔の事を蒸し返すのは止めてくれないかな」
やんわりと、彼なりのやり方で私を宥めようとしてくれた。
「……今思い出してもね、本当に僕が愚かだったって思うんだ。だから、あまり恥を欠かせないで欲しいな。……ローラなら、分かってくれるよね?」
「……馬鹿……レオの、お人好し……」
「うん、自覚してる。僕は敵には容赦しないけど、味方には甘過ぎるって」
「……本当、そうだよね……どうして、私を庇ったのかな」
私は涙でグチャグチャの顔を袖口で拭って、彼を抱きしめ返した。
広くて大きい背中、細いのにちゃんと筋肉のついた胸板、お日様のような暖かい匂い、それ等全部……とても、居心地が良かった。私にそんな資格なんて無い、そう思っても……自然と、身を任せてしまう懐の深さが彼にはあった。
だから、かな。私は、あの時から彼と距離を取る事が出来なかった。結果として彼を巻き込み、私を庇って怪我までして、彼に許されたらどうしても傍に居たくなった。
……ああ、私は心底彼に惚れているんだ。絶対に叶わない恋だって分かっているけど、それでも可能な限り出来るだけ傍に居たい。彼を支えてあげたい……最初は罪の意識から始めた小さな事だったけれど、いつのまにかただの自己満足に変わって、でも……離れたくなかった。
彼の隣はとても居心地が良いから。薔薇色のような日常を過ごせて、毎日が楽しくて仕方が無くて、彼の笑顔が眩しくて……。
暫く彼に体を預けて心地良さに浸り、私は上目遣いに彼に問い掛けた。
「……レオ、私の事……恨んでる?」
「……全く無かったって言ったら嘘になる。でも、今はそんな気持ちは微塵も無いよ。だって、楽しいからね、毎日が」
「……本当に、レオはお人好しだね」
私は小さく息を吐いてから目元に残った最後の雫を拭い、ふと彼の顔に手を伸ばした。
彼の右目の目元に走る、小さな傷跡を指でなぞり、
「……ごめんね、レオ」
「謝らないでよ、これは僕の自業自得なんだから」
やっぱりいつもの表情で笑った。
綺麗な顔に走る醜い傷跡は、私が付けた物。村長様の命令通りに彼を追い詰め、避けられた筈の斬撃を彼が避けなかった事で付いた、とても醜くて……私の愚かさを物語る物。
そう、私が彼を、私の所為で……彼は、右目の視力を失ったんだ。
良く見てみれば分かる。彼の右目は動向が開きっぱなしで、全く動いていない。最初は気付かなかったけど、私が何となく傷口に触れた手に彼が直前まで気が付かなかった事で、初めて見えていない事を知った。傭兵を生業にしていた彼にとって、片目が見えない事は命に関わる事だった。なのに、彼は一言も語る事無く、私を責める事も無かった。
……どうしてなのか、七年経った今でも分からない。でも……あの時の出来事は今でもはっきりと思い出せる。
七年前、彼がこの村に来た時……その悲劇は起こったんだ。
その朗報は唐突に届いた。
「それは本当ですか、村長様!?」
ローラが“巫女”としての職務を全うしている最中、この村の若すぎる村長は突然社に現れ、笑顔でこう言い放った。
「ああ、本当だぞローラ。三ヶ月ぶりの生贄がこの村にやってきたのだ! 今、村の皆がそいつを持て成している。そいつが酔い潰れたら“巫女”としていつもどおりやってくれ!」
「はい、村長様!」
村長が告げた生贄という言葉に何の疑問を示す事無く、もうすぐ成人に達する少女ローラは笑顔で頷いた。
この村では村長こそが村の掟であり、精霊樹信仰は二の次であった。しかし、村長の強い要望によりこの村も“精霊樹”を崇め奉る事になり“貢ぎ物”を捧げる事に決めた。
だが、“貢ぎ物”が人間でなければ“守り人”達は納得しなかった。そこで、村長が考えたのが余所者――村の外からやってくる侵略者・破壊者を殺して“貢ぎ物”として捧げる事だった。
最初は村人達も抵抗していた。だが、世間知らずな村人達は外からやってきた旅人の自分勝手で横暴で尊大な態度に怒りを覚え、村長の提案に乗った。
そして、余所者であればあるほど“守り人”は喜んで“貢ぎ物”を受け取ってくれるようになったのだ。
村長が教えてくれた世間の常識、それが村人達にとって全てで、余所者は皆そのようなろくでなしだと信じていた。信じていたからこそ、余所者を殺す事に何の躊躇いも生まれず、余所者がこの村に来る事を心底歓迎した。
――こいつが次の生贄、捧げれば“精霊樹”様もきっとお喜びになってくださるであろう。
それが、ローラにも染み付いた考えだった。
元々、ローラに両親は居なかった。母親だった先代の“巫女”が捧げられた後唐突に現れた次代の“巫女”を名乗るのがローラだけだった。たったそれだけで彼女は“巫女”に祭り上げられ、しかし彼女もまた余所者故に村人達からの信頼はなきに等しかった。
それでも彼女が“巫女”で居られるのは、ただ単に彼女が率先して“貢ぎ物”を殺して捧げているからに過ぎなかったのだ。
それが彼女の全てで、だから彼女は喜んで頷いたのだ。
「……楽しみですね、“守り人”様が喜んでくださるのが」
ローラは年相応の笑みを浮かべて、人を殺す事を肯定した。
――これが、彼女の運命を大きく変えることになる出会いだとは、まだ彼女は知らなかった。
この村では見る事の出来ない深緑がかかった黒髪は、明らかに余所者である事を知らしめる要因であった。
(うーん……結構、危ない場所みたいだね、この村は。殺気を隠そうとして隠しきれていないし、未成年にお酒とか勧めちゃっているし……でも、閉鎖的な分仲は良さそうだね)
適度に愛想笑いを返しながらこの村の人達を観察していた傭兵レオは、酒を飲む振りをして密かに微精霊達にアルコールを抜かせながら、穏やかで人当たりの良さそうな外面とは裏腹に冷静に分析をしていた。
そもそも、前提からして“精霊信仰の盛んな”という謳い文句を語っている時点で無条件に信用する事などしていない。それ故に村人達が勧めてきた飲めば一発で酔い潰れそうなほどアルコール度数の高い酒は、微精霊達に協力してもらって密かにアルコールだけを分解し、ほぼ無害となった時点で改めて口にしている。のだが、微妙にアルコール分が残っている物をそれなりに口にすれば自然と酔ってくる訳で、
(……油断すれば、寝ちゃいそうだな……でも、そのまま永遠に目覚める事は無かったっていうオチは絶対に勘弁だし……それに、まだ目的は済んではいないしね)
飲み比べを仕掛けてきた通算十三人目の村人を酒で沈め、周囲の気がそちらに映っている隙に虎の子の『回復魔法陣』で酔いを醒ます。
これは治癒する事を目的にした『魔法陣』が書かれている紙で、それに魔力を流し込んで発動すれば普通の“治癒術”と同じように使う事が出来る。この場合は、体内のアルコールを毒と認識し、それを取り除くのだ。
仄かな光が紙に宿り、急激に酔いが冷めていくのをレオは感じた。
しかし、
(うわぁ……今思いっきり反応したよね? 服装からすると……この村限定の“精霊樹の巫女”って所かな)
誰にも気付かれないように発動した魔法に反応した少女は、緋色の袴に鈴の付いた簪を差したレオより二、三歳幼さそうな印象を受ける少女で、彼女は静かに席を立つと淡い金髪を揺らしながらこちらに近づき、
「初めまして、旅人様。この村にて“巫女”を勤めさせて頂いているローラと申します」
「御丁寧にどうも。自称傭兵のレオです」
牽制とばかりに隣に置かれている剣に手を置いて、レオはローラに笑顔を見せた。
(……淡い金髪に赤目か……この村の色彩は茶髪茶目。“巫女”に間違いは無さそうだけど、生粋の村人では無さそうだね……って、村長も黒髪黒目だったから、村長がこの村を開拓し、地元民が集まって出来た集落が村になった……あ、でも……)
そんな推測をしながら、ふと浮かんだ疑問を率直にレオはぶつけてみる。
「もしかして、“巫女”様は西部の生まれですか?」
「……いえ。私の母はこの村の出自ですが」
「なら、お父さんですか?」
「……私より多くの事を知っていらっしゃる旅人様がそう思うのなら、そうではないでしょうか」
事務的な態度で素っ気無く返事を返すローラは、とてもではないが少女とは思えなかった。
(……これが外行きの態度なら“巫女”としては合格だけど、ちょっと愛想が無さ過ぎるんじゃないかな……? ……訂正、僕にだけは誰だって言われたくないか)
ある意味予想を裏切らない態度を示し続けるレオに、弟は『兄さんはまるで、よく出来た息子さんを模倣しているみたいだな』と言ったものだ。
そんな昔の出来事に心の中で苦笑を零し、ローラが勧めてくる盃を受け取って飲みながら、
「……旅人様、ここには貴方様の望む物は何も存在しません」
「……どういう、意味ですか……?」
唐突に、どこか人目を憚りながら小さく言葉を零す彼女にレオは意味を問うも、
「……全てを失う前に、どうぞこの村をお立ち下さい。さもなければ、私達は貴方様から全てを頂きます」
言うだけ言い、ローラは小さく会釈をして席を離れそのまま出て行った。
この村に行き着く道の途中で行き倒れ、そのまま目が覚めたら何故か宴会状態で歓迎され、挙句に忠告を告げられたレオは、
「……そんな意味深に告げられたら、この村を調べるしかないよね。『イフリート』もそう言っていたし」
盃を満たす酒に自身の余裕綽々の笑みを映し、その夜は静かに更けていったのであった。
レオがこの村にやってきた時の話であり、前話でレオが言った『余所者なら“貢ぎ物”にしても構わない』の本当の意味を示す物です。
何故レオがローラに西部出身だと訊いたのか、無警戒で足を踏み入れた筈なのに“無条件で信用していない”と語っているのか……。
一応前編後編の二話を予定していますが、もしかしたら次回では全て語られないかもしれません。
というか、矛盾が生じても見逃してください。