前日談~遥か昔の物語③~
彼が頑なに話そうとしないその方法を探る事を諦め、私は持ってきた昼食を食べながら彼に問い掛けた。
「ねぇ、レオは港町の町長の長男で……勘当されたって言ってたよね?」
「うん。僕と両親はどこまでも相容れない存在だったからね。イフリートと契約したのが切っ掛けで両親とは縁を切ってここに来たんだけど……それがどうかした?」
先程の拒絶など何処吹く風といわんばかりの彼の穏やかな表情に、私は心の中で安堵の溜息を吐いて思い切って話す。
「……私は自分の両親の顔を知らないし、家族の温かさ……て言うのかな? そういうの、よく分からないんだけど……レオは、両親が居るのに両親から理解されなかったって……それで悲しかった事とか無いの?」
自分でも上手く伝え切れなかったと思った私の途切れ途切れの質問に、
「うーん……僕が一人っ子だったら、もしかしたら人格破綻者……っていうより、他人に対して興味とか関心が無い自分になってたかも知れないけど……僕の場合は弟が居たからね。弟が僕の事を理解してくれていたから、両親と決別する事が出来た……そんな感じかな?」
彼は遠くを見詰めながら、
「……少し悲しかった時もあったけど、別に両親に認めてもらいたいとか、そういうのは無かったね。どちらかと言えば、弟に対してそういうのが在ったと思う」
「弟さんも、レオの事を尊敬していたんだよね?」
「尊敬していて、尚且つ僕とは考える所が違かった……でも、仲の良い兄弟だったよ。自分で言うのもあれだけど、僕が思う分ではね」
軽く笑ってあっという間に食べ終えてしまった彼は、手を合わせて挨拶をして、
「ところで、どうして突然そんな話を?」
……正直、理由なんて無い。ただ、
「……最近“貢ぎ物”の催促が多くなってきて、村人達も皆怖い顔してて、でも……この道場だけは、そんな騒動とは無縁で居続けて欲しい、ずっと笑っていて欲しいなってそう思っただけだよ」
皆が幸せになれるように……出来れば、彼が“貢ぎ物”になどされないように。ずっと、この道場で子供達と一緒に笑っていられるように。ずーっと、こんな日常が続いてくれますように。
そんな小さな私の願いなど知らない彼は、そっかとまた笑って、木刀を取り素振りをしようと大きく構えて、彼はふと周囲を見渡した。
僅かに思案気な表情で、
「……精霊が騒いでいる」
小さく、そこに存在していながらも誰にも見る事の出来ない微精霊の反応に静かに呟いた。
彼は木刀を下ろしながら笑って、そこに居る微精霊に問い掛ける。精霊を愛し、愛される彼に微精霊達は固まって淡い光を放つ事で存在を現し、彼の周囲にだけ幻想的な光景を見せた。
「どうしたの、皆? ……うん、広場で……騒いでる? それで……そっか、そんな事が……ううん、大丈夫。自分で確かめに行くよ。教えてくれてありがとう、皆」
彼のお礼に、微精霊はより一際強い輝きを放って、空気に溶け込むように消えて行った。
私は彼と微精霊達の会話が終わったのを待ってから、
「どうしたの?」
「皆が言うには、広場の方で村人が騒いでいるって。啓示……かな? その周りに集まって、何かを叫んでるらしい」
――啓示。その言葉に今朝の出来事が私の頭を過ぎり、
「……私、見に行って来る」
「待って、僕も一緒に行くよ」
今にも飛び出そうとする私を押さえ、彼は木刀をもう一本手に取り子供達の方へと声をかける。
「皆、僕とローラは広場の方に行って来る。絶対に道場から出て行かないでね!」
樹木の周りで昼食を食べていた子供達は何事かと顔を上げたが、彼の言葉に素直に首を縦に振る。
「行こう!」
子供達の安全を確保した彼は、私を先導するように走って広場の方へと駆け出して行った。
『一週間後、この村を治める長を“貢ぎ物”として捧げよ』
村の広間に立てられている一つだけしかない掲示板には、木の板にそう書かれた“啓示”が張って在った。
今朝、村長と話した通りの内容……ううん、“巫女”である私に“守り人”が告げた言葉、一語一句間違い無く。
その啓示を見て私は顔を青褪めさせ、思わず倒れ掛けた所を彼が支え、
「……成程、こっちがどう対処するか検討している隙に“守り人”が先に手を打ってきたんだね」
そう小さく呟き、私は慌てて村長様の姿を捜した。
村人総出でこの啓示を見ているらしく、周囲には見知った顔が大勢居たが、その中に長身の女性の姿は見当たらなかった。……どうやら、村長様はここには居ないみたい。
だけど、村長様が居た所でどうにも出来ない。皆、村長様が次の“貢ぎ物”になる事を知ってしまった。
「……どうしよう……私がもっと早くに対応していれば……」
声だけでなく、体全体を振るわせる私に、彼は自分の手を重ね、
「……ううん。多分……こうやって反応させる事が“守り人”の狙いだったんだ。ローラが動こうと、これは起こるべくして起こった」
「……レオ……」
私に見るだけで安心出来る笑みを浮かべ、彼は真っ直ぐ前方を見詰めた。
啓示に書かれている文字を逃さず読み取り、隣に居る私に聞こえないほど低い声が何かを呟いた。
彼が何を考えているかは分からなかったけど、それでも……、
「……卑怯な」
思わず漏れた低い声は、私の戸惑いを一瞬で吹き飛ばした。
彼が誰に対しても穏やかで優しいのは、敵と味方の区別がしっかりと付いているからこそ来る物だと知っている。だから、敵意を織り交ぜにしたその言葉が“守り人”と“精霊樹”に向けた物である事は分かった。……そう分かっていても、私の肩は押さえつける暇も無く飛び跳ねた。
卑怯という言葉が、私が今までしてきた行為を的確に表しているようだったから。
私のやるべき事なのだから……“巫女”の役職なのだから仕方が無い。そう言い訳しながら、何もせずにただ大切な人達を捧げてきた私に対して糾弾しているかのように、その言葉はまるで鉛のように圧し掛かった。
言い訳ばかりを繰り返して、何か出来た筈なのに、何もする事無く皆を……ニーニャを捧げた私。それが間違っていると彼が言った事は一度も無かったけれど、でも……私は、彼が心の奥底では私を軽蔑しているんじゃないかといつも思っていた。
だからこそ、彼の声に私は無意識の内に反応してしまった。
その言葉は、その敵意は……“巫女”である私に向けた物なの? ……一度、彼に聞いてみようと何度も思った。だけどその度に怖くなって結局聞けなくて……ねぇ、それは、私に対する物なの?
心の中で問い掛けた私の疑問に当然彼が気付く筈は無く、私の異変にも彼は気付かなかったようだ。
「……皆、一つ頼み事をしてもいいかな?」
さっきとは打って変わった優しい声で彼は周囲に……正確には周囲に存在しているであろう微精霊に呼びかけた。
小さく、本当に小さく不自然な場所で明かりが一瞬灯り、
「……“守り人”の様子と、村長の姿を捜して欲しいんだ。お願い出来る? ……うん、ありがとう、皆」
注意してみていないと分からないほど小さく微精霊が呼応し、消えていく。
彼はやはりどこか険しい表情をしながらも、首を振って私に話し掛けた。
「さて、これ以上ここに居ても仕方ないみたいだから、僕は道場に戻って子供達の相手をしなきゃ。ローラはどうする?」
何一つ変わる事の無い彼の態度に、
「……私は……」
どうすればいいのか、分からなかった。
“巫女”として皆に真実を伝えるべきか、それとも……私個人として村長様の“貢ぎ物”に反対するべきなのか。
分からない、どうすればいいのかもう分からない。
そんな私の弱音が漏れる事は、無かった。
「ローラちゃん! これは一体どういう事なのよ!」
私の姿に気付いた村人の一人がそう呼びかけ、啓示を見ていた他の村人もどんどん私の周りに集まりだした。
「本当なのかい? 村長様が次の“貢ぎ物”だなんて!」
「え、あの……」
「どうして村長様が“貢ぎ物”にされるんだ! 一週間前にも捧げたばかりだろう!」
「あ、あの……私は」
なんと言えばいいのかも分からなくなってしまった私の姿は、村人達にとっては煮え切らない態度に見えたのだろう。次々に村人達は私に対して糾弾の声を上げ始める。
「そもそも、村長様を捧げてしまったら俺達はどう生活していけばいいんだ!」
「そうよ! 本当は、月下の晩餐に“巫女”を代々捧げれば私達の生活が脅かされることは無かったのに!」
「どうしてこんな事になったんだ! これは、あんたが仕組んだことなのか!?」
今まで自分の家族を犠牲にしなければいけなかった村人達の、心の奥底に隠してきた不満と私に対する不信感……それ等全てが、村長様が次の“貢ぎ物”という火によって爆発した。
「本当に“巫女”の姫君なのかも分からない小娘を奉り立てたのだって、私達が平穏に暮らす為だと村長様が仰ったから信じたのに!」
「平気な顔して俺の家族を“貢ぎ物”にしやがって、この悪魔が!」
「お前が村長様の代わりに“貢ぎ物”になればいいんだ!」
誰も止める事無く、また止める事など考えもしない村人達の悪意は私に集中し、私は益々どうすればいいのか分からなくなった。
ううん……彼等の悪意は、正当な物だ。全部、私の所為……私が、私が何もしなかったから……ニーニャが“貢ぎ物”になって、次は村長様まで……。
そんな罪悪感が込み上げてきて、私の両目から透明な雫が流れ落ちた。反射的に目を瞑って、必死に耐えようとして、でも止める事は出来なくて。
私はただ、耐えるしかなかった。本当は、今すぐ耳を塞いでしゃがみ込んでしまいたい。皆の声を聞きたくなど無い、逃げてしまいたい……そう思った。でも、これは私が起こした事だから……だから、必死に耐えた。
だけど、そんな次々と浴びせられる罵倒の数々の中に放たれた声は、
「――皆、落ち着いて!」
私を庇う声でもなければ、私を責める声でもなく。
凛と広がった彼の声が、村人の悪意から結果的に私を救った。
彼は声を張り上げて、皆に聞こえるように意見を述べる。
「確かに、ここ最近“貢ぎ物”にされ続けている人が多すぎる……それは僕も思っている事だ。だけど、ローラが好きで“貢ぎ物”を捧げている訳でも、ましてや“巫女”かどうかも分からないローラにその地位を押し付け、自分を守る事だけに固執し続けてきた僕達に、ローラを責め立てる資格なんか無い筈だ」
彼は宥めるように、あるいは納得させるように、
「“精霊樹”に頼り続ける限り、誰かが犠牲になる事実は変わらない。だったら、僕達が取らなければいけない行動は限られてくる筈だよ」
「……だ、だけど! “巫女”が居る限り、俺達の生活は……」
「その考えがいけないんだと、何で分からないんだい? “精霊樹”の力は偉大だ。だけど、だからといって彼等に逆らっても全員皆殺しにされるだけだ」
いつのまにか、宥めるような声は、脅しのような迫力を伴った声へと変わっていた。
「だったら、誰かが犠牲にならなければいけない事実を受け入れて、その責務を他人に押し付けようとせず、一人一人が覚悟を持って“巫女”という立場につくしかない」
「そんなの出来る訳が無いだろう!」
「じゃあ、精霊の恩恵を受けられなくなって飢え死にしてもいいって事?」
あくまでも、彼に逆らう村人は徹底的に戦意を失わせていくようで、彼に反論した者は正論という刃によって切り伏せられていった。
だけど、
「……他人事だと思いやがって、この余所もんが!」
誰かが上げたその声が広場に響き渡った時、彼の雰囲気は一変した。
表情を消し、侮辱の眼差しを向けて彼は声を放った村人に言葉を返す。
「……その余所者なら“貢ぎ物”にしようとも構わない? ……貴方方が、昔、僕にしたように外部から人を招いて“貢ぎ物”にでもする? それこそ、愚か者のする行為だよね」
「……だが、そうでもしなければ俺達は……ッ!」
「だからといって、それが正当に認められる手段だとでも思っているのかい?」
彼に反論する声は、元から無かったかのように消えていた。
そして、一人一人に問い掛けるかのように、彼は最後にこう締め括った。
「……死にたくないのは僕も同じです。でも、犠牲によって繁栄していくこの世界の中じゃ、その犠牲が当たり前になってしまっている事を、もう一度よく考えてみて下さい」
そして彼は、未だに涙を流す私の手を引っ張って広場を後にした。