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精霊樹の守り人  作者: Anzu
第0章 小さな村の大きな悲劇
18/104

“黒翼”、それは死の代名詞

 これはきっと悪夢に違いない。

 小さな小さな私の抵抗は、巨大過ぎる力の前には無意味な言葉だった。



「――見つけたぞ、反逆者共」


 ……違う、そんな訳が無い。悩んで悩んで信じる事に決めた私の決意は――簡単に崩された。

 その声は、私が毎日聞いてきた声……村の第二の信仰……若すぎる女村長、


「この私を、よくも追い詰めてくれたな」


 村長様、だった。

 呆気無く見つかってしまった事実と今までで一番感情の篭らない冷淡な眼差しとその“翼”に、私はただ呆然とするしかなかった。

 ううん、それしか出来なかった。

 圧倒的存在感を撒き散らし、上空から太陽を背にこちらを見下ろす村長様は……彼が言っていた通り“守り人”であった。

 炎で焼き焦がれた衣服を破り、背中から生やす翼の色は――漆黒。それは村長様の髪と瞳の色でありながら、綺麗な造形色と触れる事すら躊躇われる毒々しさを兼ね備え、太陽の光さえも無効化にする。

 今の村長様を表す言葉は、そう……“黒翼”。

 “虹の翼”が呟いていた“黒翼”とは……村長様の事だった。


『色を持つ“守り人”。それが彼女の正体だ』


 一週間前、彼が私に語った言葉が、今になって鮮明に蘇る。

 信じたくなかった。だって、村長様は村長様で……、


『村長が“守り人”だとすれば、全ての辻褄が合う。“巫女”が西部の民なのも、“貢ぎ物”を捧げるシステムに違和感を覚えない村人達の態度も、そして……いとも簡単に“精霊術”を使える訳も』


 だから私は否定した。

 信じていたから、信じていたかったから。けれどその努力は泡となって消えていった。

 目の前に広がる光景こそが、現実だったから。


『彼女の目的は恐らく『イフリート』。そう考えれば、あの異常な警戒も納得出来る。もしかしたら、この村そのものが彼女の目的なのかもしれないね』


 ああ……全ての疑問がはまった。

 村長様は……村長は、私達を利用していた。全ては“精霊樹”の為に。


「流石だな、レオ。人の身でありながら“大精霊”を召喚し、『黄金理想論』と呼ばれる伝説の『魔法』をいとも容易く行使する。そう、初めて会った。貴様のように歪で異質な存在はな」

「……それは御丁寧にどうも、村長――いや、“黒翼”」


 彼は思わず崩れかかった私の体を支えながら上空へと視線を上げ、


「――やっぱり貴女は“守り人”だったんだね。永遠に生贄を捧げ続ける為だけに“精霊樹”と結託してこの村を起こした。そう、全ては貴女の掌で踊らされているに過ぎなかった」

「ほう、そこまで分かっていながら何故私を“守り人”だと指摘しなかった?」

「簡単な話だよ。貴女を信じている村人達の思いを、僕は裏切る事が出来なかった。実際に、貴女が“守り人”かもしれないって話をローラにしたら、そんなのは絶対にありえないって言ったんだからね。貴女にとっては都合の良い信者かもしれないけど、僕は貴女に対する純粋な信頼だと思ったよ」


 村人達の純粋な信頼を利用し……都合のいい“貢ぎ物”として量産し続けている場所。

 それがあの村であり、“黒翼”の箱庭。

 彼の言う通り、私達は“黒翼”の掌の上で踊らされているに過ぎなかった。


「どうして……いえ、“黒翼”。貴女は……何の為に私達を利用していたんですか?」


 葛藤を押し隠して、私も同じように上空へと視線を向けて問い掛ける。

 もしも真実だとしたらと仮定した時に浮かび上がった疑問を。

 私の声に、“黒翼”は僅かに翼を揺らして、


「……いいだろう、教えてやる。私が崇拝する“精霊樹”様はこう仰られたのだ――“守り人”の大量生産は出来ないのか、と。偉大なる“精霊樹”様に逆らおうとする馬鹿な鼠どもを駆逐しようにも、奴等は中々しぶとくてな……奴等と抗争を繰り返すうちに、今のままでは堂々巡りだと“精霊樹”様は気付かれた。だからこそ、だ。もっと効率良く駆逐する手段として“精霊樹”様は私にこの案件を一任してくださった」


 淡々と、ただ事実だけを話していく。


「共食いだけではあまり効果は得られないと考察した私は、ならば人間ならどうかと思い至り、こうして私は実験をした。人間を捧げ、“守り人”を作ろうと試行錯誤を繰り返したのだ」


 そんな会話の中、


「だけど、人間を捧げても“守り人”は存在を保てなかった……だから、貴女は別の方法で“守り人”を生み出そうとした」


 彼もまた、淡々と推測を話していく。


「例えば……人間を別の存在へと、つまり人間をベースに“守り人”へと変えようとした、とか、ね」


 笑みを一切浮かべずに、彼は言い放つ。

 対して、“黒翼”は私の知っている堂々とした笑みの中に愉悦を交えて返す。


「人聞き悪いな……無能な人間をより有能な“守り人”へ転生させてあげたのだ。私に感謝こそすれ、恨まれるべきではないだろう?」

「でも、生贄とされた彼等が大人しく“精霊樹”の言う事を聞くかな? 自分を利用して殺した挙句に転生させた“精霊樹”の言葉を」

「人間の記憶など容易く書き換えられる。“守り人”へと転生した時点で、奴等の自意識は消滅する。そこに“精霊樹”様を第一に考えるように信仰心を加えるだけでいい。そうすれば、自分が主に逆らおうと考えていたなどと奴等は思いも寄らないさ」


 二人だけの世界で、二人は駆け引きする。

 いつもと変わらない駆け引きで、でも互いの感情はまるで正反対なもの。

 彼は“黒翼”を侮蔑の目で睨み付け、“黒翼”は彼を虫けら同然だと言わんばかりの目線で見据え返す。敵意も悪意も剥き出しの、冷静な駆け引き。

 見えない火花が飛び交う中、均衡を崩したのは彼だった。


「……なら、ローラはどういうつもりで“貢ぎ物”になったのか説明してもらえるかい?」

「……それを、これから実践して見せるさ。レオ・トラヴィス?」


 “黒翼”の鋼のように冷たい眼差しが、相対していた彼から私へと移り――私の頬を掠める形で、黒い風が吹いた。


「……え……っ?」


 切り裂かれた頬から一筋の赤が流れ落ち、


「この為にお前を態々“貢ぎ物”にしたのだ。精々“囮”として上手く立ち回ってくれよ、ローラ」


 “黒翼”の右手に黒の風が集まり、二振りの剣が形成されていく。

 彼女が愛用していた短剣と短刀を右手に持ち、獰猛な笑みを浮かべ、


「私は目的の為には手段を選ばない。だが、死なれては困る。さて……この匙加減が難しくて、な」


 独り言のように呟いて、村長様は黒剣を同時に投擲した。

 それは刹那の間に私の目の前へと移動し――彼の炎剣がそれを跳ね除けた。

 一体いつの間に抜刀して炎を纏わせたのかすら分からない、一瞬の攻防。


 次元の違う、二人の戦いが始まった。


 カキンッという金属音が響き、


「業火に燃える焔の煌き。『エクスプロージョン』!」

「静かに落ちる氷の剣。『アイスアウト』」


 二人は同時に“精霊術”を唱えた。

 “黒翼”の眼前で爆ぜた炎は、氷球によって封じられて芸術的な光景を見せ、心を砕くかのように割れ落ちる。

 きらきらと太陽の反射を受けて光る氷塊を背に、彼はもう一刀の刀を抜いて、


「『炎剣・爆砕斬』!」


 足裏に爆発を生む事で空中の足掛かりにして“黒翼”に切りかかる。

 右の刀で真横に薙ぎ払い、左の刀で縦に切り裂く。刀を振るった端から小さな爆発が連鎖的に起こり始め、


「降り注ぐは水樹の恩恵、魔に魔に浮かぶは鈴やかな十輪。『ブルーエクスタシー』」


 高速で水の“精霊術”を唱え、爆発どころか彼の炎属性の剣をも折り、


「来たれ疾風。『ウィンドカッター』!」


 しかし彼は残った風属性の剣を使って魔法陣を描き、風の刃を使って彼に襲い掛かろうとした十の水流を全て断ち切った。

 彼にしては珍しい力任せの断ち切り方だと私は思った。でも私がそう思ったという事は“黒翼”もそれをもっと明確な形で感じ取り、


「来たれ疾風。『ウィンドカッター』」


 彼が唱えた“魔術”を“精霊術”として唱え、先程の倍以上の威力と速さを持つ風の刃……鎌鼬と化したそれが音を立てて迫る。


「『一針泉』!」


 空中を舞いながら彼は逆さまの状態から刀を引き、鎌鼬に向かって水を纏わせた突きを放った。

 魔力によって具現した鎌鼬の中心に嫌な音を立てて刀がぶつかり――高速で放たれた二回目の突きを待たずに彼の右腕が後方へ曲がった。

 右肩から血飛沫が上がり、鎌鼬はぎりぎりの所で彼の右腕の上空を切り裂いていく。


「っ……空に放浪せし無数の流星よ、今こそ大地を礼讃する! 『メテオドライブ』!」


 重力に従って落下しながら唱えた“精霊術”で隕石と同等の炎の塊が無差別に降り注ぎ、


「いでよ灼熱の炎、野卑なる蛮行を持って彼の者を貫け。『レイジングショット』!」


 一呼吸置いて、同じ“精霊術”の弾丸が真っ直ぐに“黒翼”を狙う。

 “上級精霊術”と“中級精霊術”の二連続魔術に、流石の“黒翼”も焦りを見せるかと思い、


「全てを飲み込む無数の煌き、無限に讃える静寂の是非。『スプラッシュウォール』」


 けれど“黒翼”はどこまでも“黒翼”だった。

 余裕綽々の笑みで見下ろしながら乱す事無く詠唱し、“精霊術”を発動させる。

 “黒翼”を中心に大規模な水流が渦を巻き、触れた物を片っ端から飲み込んで消滅させていく。その様子はまるで台風の目。


「……大地躍動、岩鉄の砕き。『ロックブレイク』!」


 水流の様子を逃さず見ていた彼は、まるで悪足掻きのように地属性の“魔術”を唱え、上空に岩を出現させる。

 丁度台風の目に当たる部分で落下する岩に、


「再び蘇れ、冥界の狭間。『ゼロシャフト』」


 漆黒の塊をぶつける事で相殺する。

 そんな一連の攻防を一先ず終えて彼は地面に降り立ち、


「レオ!」


 彼の手から音を立てて刀が滑り落ちた。


「っ……やっぱり、“黒翼”の実力は凄いね……割と、本気で戦っているつもりなんだけど……」


 どこか悔しそうに“黒翼”を睨む彼。

 私は右腕の傷をざっと調べて、髪留めの代わりに付けていた簪を取ってから小さく唱えた。

 いつも身に付けていた、魔法陣の描かれた簪を補助として。


「……ささやかな妖精の癒し。『フェアリーライト』」


 彼を中心に小さな光の円が浮かび上がり、上空から癒しの光が降り注ぐ。

 みるみる彼の傷は塞がり、出血も治まった。けど……、


「所詮悪足掻きに過ぎん。無限の加護を受ける私と、有限の加護を貰う貴様では戦いにすらならん」

「……さぁ、それは最後までやってみないと……分からないものだと思うけどね」


 一見強気な様子で口にする彼だけど……状況は悪い方へ向かっている。

 以前彼から聞いた話では、“召喚術”は一度使ったらそう簡単に使えないようになっていて、彼は最強の切り札を切れない状態で戦う事になる。そう、さっき私を助ける為に『イフリート』を召喚したから、少なくともこの戦いでは絶対に使えない。

 そして、彼の二刀流も刀が一本欠けていては全力など出せない。そんな私も……攻撃面では役に立てない。


 そんなこちらの不利を嘲笑うかのように“黒翼”は不敵に笑い――左手を掲げ、詠唱も無しに上空に黒い風を生み出した。

 それは……常識所か、前提を覆す現象、だった。


「……嘘……魔法陣も、詠唱も無しに“精霊術”を発動させた……!?」

「……ちょっと、本当に不味い事態になってきたみたいだね」


 “術”を発動するには、精霊の恩恵である魔力を“魔法陣”に流しながら“詠唱”するというの二つの過程を通す必要がある。

 それを“黒翼”は魔力だけで発動させた。これは“守り人”……“精霊”の恩恵を最大限に受ける身だからこそ出来る荒業で、私や彼とは……根本から実力に差がある最もな証拠の提示だった。


 表情に出すのを堪え切れなかった私の恐怖に、


「……どうやら、私の実力は十二分に味わってもらえたようだな。では……特別に、最終通告だ」


 “黒翼”は万人を魅了する残酷な妖艶さを乗せた笑みを浮かべ、


「どちらか一人を犠牲にしろ。そうすれば……もう一方だけは助けてやる。どうだ、悪い話では無いだろう?」

「っ……!」


 それはつまり……助かりたければ、一方を切り捨てろ……私に迫った選択をもう一度“黒翼”は選ばせようとしている。

 でも……そんなの……自分が助かりたいが為だけに彼を犠牲にするなんて出来ない。考えるまでも無い結論は……私が、自分を犠牲にして“村”を救おうとした事実と……同じ結末に至る。

 村を守る為に、彼を守る為に。

 そう、結局全ては無駄な抵抗だったと……“黒翼”は暗に言っていた。


「……私、は……」


 私はここに来て――本当の意味で、覚悟を決めた。

 このままでは二人とも助からない。ならばせめて……巻き込んでしまった彼だけでも。

 もう誰の助けも借りない。誰も犠牲になんてさせない。

 “間違っててもいい”から。だから……彼だけは何としてでも救ってみせる。


 一歩、二歩、“黒翼”の方へ足を運び、


「……ローラ……?


 怪訝そうな表情をする彼に僅かな笑みを見せて、


「……“黒翼”様……私が――!!」


 私は“黒翼”に向けて声を放とうとして……、




「――駄目だ、ローラ!!」




「……え……?」


 目の前で起こった出来事に私は声を出せなくなった。

 ……“黒翼”は、左手に集めた黒い風を圧縮して瞬時に伸ばし……、


「……やっぱり、こういう事……だったんだね」





 ――巨大な槍が前に出た私を突き刺そうとし、それを庇おうとした彼が……私の目の前に飛び出して替わりに槍に貫かれていた。





 本当に、言葉が出なかった。

 今までで一番信じられない光景だったから、どうしていいのか分からなくなって、


「レオ……どう、して……」


 結局、私はそんなありきたりな言葉を口にすることしか出来なかった。

 彼は痛みに顔を顰めながらも笑みを浮かべて、


「……始めから、これが狙いだったんだ……ローラを囮に使って、僕が、それを阻止しようとしたら……僕を、殺すつもりだった……」


 途切れ途切れの言葉が私の耳に入り、その間もぽたぽたと、血が流れ落ちて下に広がっていく。

 こんなに血が出ている。だから、早く治癒しなきゃいけないのに……手が動かない。


「……余所者で、“精霊樹”信仰とは真逆の考えを持つ……僕が、邪魔だった。だから“黒翼”は……僕を、排除する為だけに……この状況を、創り上げた……っ!」


 ――それは、つまり……、


「……レオを、殺す為に……私を、囮にして……皆も、その為だけに犠牲になったっていうの……!?」


 ――私の決断、全てが最初から“間違っていた”という真実だった。

 彼が目の前で私の代わりに傷つき、それこそが“黒翼”の思惑で……全部、全部……無駄な足掻きに過ぎなかった。

 もう二度と過ちは犯さないと決めたのに……私はまた、繰り返してしまった。

 どうしようもなく愚かで重い過ちを、また……。

 そんな残酷な現実に呆然とする私に向かって、“黒翼”は告げる。


「ローラ。最初から私の狙いはレオだったんだ。余所者が抜け抜けと私の“駒”を奪っていく……“精霊樹”様を蔑み、“守り人”を排除して“大精霊”をも取り込んでいく……」


 “黒翼”は、


「――そんな“レオ”という人間が、私は心底憎くて仕方が無かった」


 ありったけの憎悪を込めて彼を睨み付けた。

 背筋が凍るほど、悪意で埋め尽くされたその視線を浴びて尚、彼はやっぱり笑みを浮かべながら、


「……だろうね。……最初に会った時……あの時感じたのは、確かに“憎悪”と呼べる物……だったから……」

「それに気付いていて尚、お前は私を“村長”として見ていた。その時点でお前の死は確定していたのだ」


 左手に握った槍を押し込み、


「そう……これで、全ての“罪”を清算してやろう」


 その言葉を聞いて、私は慌てた。

 このままでは彼が殺されてしまう……私を庇ったばかりに、何の罪も無い彼が、私の所為で……。

 “黒翼”が何をしようとしているか、はっきりと分かった。邪魔な存在である彼をこの場で殺そうとしている。それしか分からないけれど、それだけ分かれば十分。

 これが運命……必然だったなんて言わせない。“黒翼”に、彼を殺させなどしない。

 明らかに勝敗は目に見えているけど、私にだってやれる事はある。

 私は震える手を簪ごと強く握って、前を見据える。


「……地脈に住まう大地の恩恵、今こそ祝福の満ち足りを。『インパクトウォール』!」


 私の決意と覚悟を高らかに鳴らし、私は“精霊術”を唱えた。

 大地が脈動し、“黒翼”に向かって地面が隆起する。


「!?」


 今正に止めを刺そうとしていた“黒翼”の顔に驚愕が浮かび、そんな彼女へ鋭く尖った地の槍が突き刺さろうとし、


「――やはり、“巫女”も“精霊術”を使う事が出来たか」


 一転して、自信に満ち溢れた笑みを浮かべる。

 地の槍は突如として現れた漆黒の壁によって防がれ、


「小癪な真似を」


 右手に握られていた剣を瞬時に投擲する。先程の投擲以上の速さでそれは私の腕を抉り、手元を離れた簪が宙を舞った。

 袖に付けられていた鈴が激しく鳴り響き、


「どうやら、先に貴様から無力化した方が良さそうだな」


 私の足に土くれで形成された二本の蔓が巻き付き、私を宙吊りにし……そのまま蔓は私を固い地面に全力で叩きつけた。


「っ、ローラ!」


 彼の叫び声が響き、私の口から全ての空気が吐き出された。

 今まで感じた事の無い激痛が背中を中心に走り、


「っ……!!」


 もう一度、地面に叩きつけられた。

 下手な切り傷や打撲よりも酷い痛みが絶えず続き、それでも私は意地で身体を動かす。

 ここで私が倒れたら、彼が死んでしまう。それだけは嫌だから、阻止しなきゃいけないから……痛みを堪えて手足に力を入れた。

 少しずつでいいから何とか起き上がって、私は飛ばされた簪を拾おうと懸命に手を伸ばす。

 だけど伸ばした手の甲に黒い短剣が突き刺さって、殴打とは違う鋭い痛みが私を襲う。

 でも、この程度で止める訳にはいかない。

 絶対に、彼を守らなきゃいけない。彼だけは、死なせてはいけないから。

 だから私はそのまま手を伸ばし続けて、





「……ありがとう、ローラ」






 そんな私の手を、彼の優しい声が止めた。


「まさか、僕の為に……そこまで、してくれるとは……思っても、いなかったよ」

「レ、オ……何を……」

「――だからこそ、命を賭けても守りたいって……そう、思えたのかな?」


 口から血を流して、彼は笑った。

 私とは比べ物にならない激痛が全身を襲っている筈なのに、彼はいつもの穏やかで優しい笑みを浮かべて、いつもの優しい声で言葉を紡ぐ。


「……“黒翼”に敵わなかったのは悔しいけど……でも、これで、ローラが助かるなら……」

「待って、レオ……何を……何を言っているの……?」


 これで、私が助かるなら……? ねぇ、何を言っているの?

 どうして……何を言っているの? ねぇ、レオ!


「……僕が死ねば、ローラは用済みに、なる……そうだよね、“黒翼”?」

「どちらか一人を犠牲にすれば、もう一方は助けてやる。この言葉に嘘偽りは無い。それに……私が欲しいのは貴様の命のみ。私に刃向かった事は気に入らないが……いいだろう。今回は見逃してやる」

「……そう、なら……ローラには、手を出さないで、欲しい」


 ……待って。彼は……私を救おうとしているの?

 自分を犠牲にして……私を、助けようとしている……?


「……駄目……そんなの、駄目だよ……!」


 私なんかより、レオが生きていた方が良いに決まってる……『大精霊イフリート』を使役する二刀流使い……私なんかよりずっと格好良くて、私よりずっと強くて……優しくて……、


「ローラ……今までありがとう」


 どうして、そんな顔で笑うの? いつもと全く変わらない笑顔で……そんな悲しい事を言うの?

 お願いだから、待ってよ……私が代わるから、だからレオだけは……彼だけは……、


「君と出会えて、本当に良かった。だから、どうか……皆の分まで、幸せになって……」


 ……助けてよ……。


「――さようなら、ローラ……」




 ――黒い大槍は音を立てて引き抜かれ、鮮血を舞わせて……彼は静かに地面に倒れ込んだ。




「……レオ……レオ……っ!」


 痛む身体を引き摺って、私は彼の元まで行く。

 死んでなんかいない。だって彼は強くて……いつだって笑っていて……、


「レオ……?」


 今だってそう、きっとただ眠ってるだけなんだ。

 安らかな顔をして、きっと眠ってるだけなんだよ……。


「……ねぇ、レオってば……」


 痛む背中も貫かれた右手の感覚も私には感じ取れなかった。ただ血塗れの彼の身体を抱きしめて、何度も何度も彼の名前を呼んだ。

 死んでなんかいない、そんな訳が無い。嘘だ、嘘だ……彼の名前と同じ数だけ否定し続けて、私は……認めてしまった。

 さっきまで生きていたのに、どんどん身体は冷たくなっていく。いつも笑っていた顔からはどんどん血の気が失せていって……、


「……どうして、あんな事したの……? どうして、私なんか庇ったの……? どうして、勝手に一人で逝っちゃうの……!?」


 一度決めた事は筋を通す。どんなに周りが止めようとも、彼は絶対に止めない。

 今だってそうだ。私を守ると決めて……彼は死ぬ事を選んだ。最期に勝手な言葉だけを残して……彼は、私を助ける為に死んでしまった。

 それは、私がやろうとしていた事の報いな気がして……


「いやだ……いやだよ、レオ……!」


 震えが止まらなかった。

 瞳から涙が次々と溢れ出していって、真っ赤な血の上に透明な雫を落としていく。

 もう、何をしても彼は戻ってこない。生き返る事などないのに……私はただ、泣き喚く事しか出来なかった。


「いや……いやぁ……」









「――いやぁぁああああああああああああああああああああああああああああああぁぁっ!!」








 静かな森の中で、私の絶叫だけが虚しく響き渡った。

 何とか一話で纏められました!

 次回、第0章最終回です。

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