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精霊樹の守り人  作者: Anzu
第0章 小さな村の大きな悲劇
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愚かな過ち④

「はぁ……はぁ……」


 一体どれほど走ってきたのだろうか。一生に一度有るか無いかの全力疾走を続け、そして漸く彼が足を止めた時には、私の息は上がりきっていた。何度深呼吸しても心臓は痛いほど脈を打ち……その鼓動を感じる度に、私は死なずに死んだんだって安心する。けれど同時に、村の皆に迷惑をかけた事が――村長様の恨みの声が、私を苦しめる。

 彼が私を助けてくれた事は純粋に嬉しい。でも、彼を巻き込んだ自分に凄く腹が立って……それと同じ位、“死への恐怖”から解放された安堵が涙となって流れ落ちる。


「……う、……っ……」


 情けない。あんなに覚悟を決めていたというのに、結局私は――甘えてしまった。

 自分本位な言葉を口に出して……村を、村長様を裏切って、彼に“反逆”の汚名を着させた。

 こんな事は絶対に許されてはいけないのに……なのに、私は……私は……。


「……ローラ」


 深呼吸しながらも荒い息を吐く彼は、自己嫌悪で沈み込む私に近付いて、


「……はい、これで、見えるよね?」


 目を覆っていた包帯を解いて私の顔を覗き込んだ。

 まず最初に感じたのは――眩しさ。そう、私が一週間ぶりに見た光景は何一つ変わってなどいなかった。

 陽射が降り注ぎ、木々がせせらぎ、風が匂いを運ぶ。私の大好きな日常を告げる……とても暖かい景色。二度と見る事など出来ないと思ってたのに……ああ、私は現金だな。

 こうして生きていられる事が――嬉しい。

 そして、彼が隣に居てくれる。優しくてお人好しな……けれど、私が持っていないものをいっぱい持っている、レオ。

 多分、私は今泣きながら笑っているだろう。

 だって、彼の笑顔を見て自然と笑みが零れて……罪悪感から、涙が零れる。


「……バカ……レオの、バカ……」


 どうして、私を助けてくれたのかは知らない。

 でもね、君が来てくれた時……凄く、嬉しかったんだよ?

 私が困った時、助けて欲しいと願った時、いつも手を差し伸べてくれたみたいに、君は今回も助けてくれた。守ってくれた。

 ……絶対に、言ってはいけない言葉だから。心の中で言うよ。

 来てくれてありがとう。助けてくれてありがとう。こんな私を……見捨てないでくれてありがとう、レオ。そして……巻き込んで、ごめんなさい、レオ。


「……ねぇ、レオ。……どうして、あんな事をしたの……? 私は“巫女”として“貢ぎ物”になった。私を助けたら……それは“精霊樹”に喧嘩を、戦争を吹っかけたも同じ。確かに、レオは強い。でも私は……弱い。私は、足手纏いになる。ねぇ、レオ。どうして私なの? 私だったの?」


 替わりに訊くのは、ずっと疑問に思っていた事。

 だって、彼が私を助ける理由など……ない筈なのだから。私にも……彼にも。

 自然特有の心地良い沈黙が下りる中、彼は息を整えて静かに言った。


「……皆とね、最後の夜に話をしに言ったんだ。僕なら皆を“貢ぎ物”の立場から解放できる。だから一緒に来るかい――そう、訊きに行ったんだ」


 彼は、


「そしたら、皆揃って同じ事を言ったんだよ。『自分の事は良いから、ローラを助けて欲しい……もしも、ローラが“巫女”として最後の職務を果たさなければいけないような日が来たら……ローラを、救ってあげて』って。皆、そう言ってた。誰一人例外無く……ニーニャも、同じ事を」

「……皆が、そう言ったの? 本当に……そんな事を……?」

「うん。生まれた時から“巫女”としてつらい事をさせてきた。だから、その職務を全うしようかって時に助けてあげて欲しい。ただの一人の女性として、普通の生活をさせてやって欲しい……」

「……そんな、事……私の前では、何一つ言ってなかった」

「当然だよ。皆、ローラに悲しんで欲しくなかったから。だから何も話さなかった。怯えなかった。彼等の恐怖は――ローラに“罰”となって返ってくるのだから」


 ……うん、そうだね。

 もしも、誰か一人でも私を責め立てたら、泣いたら……きっと私は、罪の意識に押し潰されていた。

 中身の無い空虚な人形になって、悪逆非道を尽くした。

 だから皆は……いつも揃って笑ったんだね。


『ローラ、幸せになってね』


 そんな願いを……私に告げたんだ。

 止まろうとしていた涙は相変わらず流れ続ける。

 私、こんなに泣き虫だったかな?


「……勿論、僕にもちゃんと理由はあるよ。元々僕は“余所者”。そんな余所者を快く受け入れてくれた人達を守りたかったからあそこに留まっていただけ。でも、皆居なくなっちゃったからね……だから、最後の一人であるローラを連れて逃げようって思った」


 それに“精霊樹”と全面抗争しようがしまいが構わないしね、と笑って付け加える。


「行き先は中央セントラルから北西の山奥……ここからだと、丁度南の方角かな? 精霊と人が共存する隠れ里――『エルフの里』があるんだ。自らを『エルフ族』と名乗る、ちょっと変わった人達が」


 どこまでも柔らかい笑顔で、


「彼等は“精霊樹”と敵対関係にある云わば“反逆者”でね、どんな事情が在っても彼等は“精霊樹”から里を守る仲間想いで有名なんだよ。そこに行けば、そこまで逃げ切れば――僕等の勝ち」


 ……か、ち……僕“等”の、勝ち。


「『エルフの里』は実力者の集まりでも有る。彼等と協力すれば例え“虹の翼”や――“黒翼”でも勝てる」

「“黒翼”……そう言えば、“虹の翼”が去り際に、“黒翼”って言ってたけど……」


 小さな声だったけど、不自然なくらいはっきりと聞こえた――道理で、“黒翼”が気に入る訳だ、って。

 あの意味は、どういう事なんだろうか。


「……大丈夫、ローラが今知る事では無いよ」


 一瞬何かを考え込んだ素振りを見せたけど、またいつもどおりに振舞う彼を見て、私はその疑問を仕舞った。よく、分からないけれど……何だか、嫌な感じがしたから。


「とにかく、目的地は南の『エルフの里』、でいいかな?」

「……その前に、もう一つ、訊いていい?」


 私の問い掛けを待っていてくれる彼に、涙を拭いてからしっかりと彼の宝石の様な翡翠に輝く瞳を見詰め――、




「――貴方は、私の為に命を捨ててくれるの?」




 とんとん拍子に話は進んでいる。彼は私を助けてくれた、しようとしてくれている。でも、でもね。

 私だって知っている。“精霊樹”を裏切った者がどんな末路を辿るのかを。

 貴方と同じ、もしくはそれ以上見てきた。圧倒的な暴力の前に為す術なく、虐殺される光景を。

 必死で命乞いをしては、四肢を千切り耳と鼻を削ぎ落とし心臓を抜き取られる光景を。

 残酷な程綺麗でどこまでも紅い泉に沈む、醜い死体が所狭しと並ぶ光景を。

 私は、そんな光景を“生み出した”。その行動の理由にどんな言い訳も弁解も酌量の余地もない。

 ただ私は“言われた”から行動した。だから私の両手は血に染まっているのだ。

 死にたくないと叫んだ人が居た。助けてくれと叫んだ人も居た。

 私は、そんな彼等を殺した。“精霊樹”様に逆らった愚かな罪人として。

 だからこそ、私は彼に訊く。訊かなければならない。

 私の両手はどんなに拭っても拭いきれないほど醜い血で汚れている。それは、どんな事をしても落とす事の出来ない私の罪の証。

 そんな愚かな大罪人の為に、貴方は心臓を捧げる事が出来るの――?




「――出来るよ。だって、僕の両手も血で染まっているからね」




 そこに一片の躊躇も無かった。

 自然に口から出て来たその言葉に絶句するのは、寧ろ私の方。

 彼は……変わらず、笑っていた。そこに、僅かな悲しみを乗せて。


「ローラ。僕が“見た目通り”じゃないのは知ってるよね? そんな僕が、綺麗なままでいると思った? それは間違いだよ。僕はね、この世界が嫌いだ。嫌いだからこそ、自分の命なんて簡単に賭けられる。だって、一方的に命を奪うのは“勝負”じゃなくて“虐殺”だから」


 どこまでも優しくて、


「道場の皆を鍛えていたのはただの自己満足。一方的に僕が殺すのは不公平だから、皆にも公平だって認められるようにお膳立てしてただけ。あ、道場の子供達は皆納得してくれたよ。ちょっと話すのが遅れちゃったけど、納得してくれた。『ローラ姉ちゃんを頼む』って、お願いしてくれた」


 どこまでも穏やかで、


「こんなどこまでも残酷な世界で穢れる事無く生き抜く事なんて、絶対に出来ない。僕がそれを知ったのは初めて人を殺した時だった。今でも思い出せるよ。感じたのが“恐怖”じゃなくて“快感”だった事を。その日はずっと高揚感に悩まされた。それが、ちっぽけな真実だった。だから僕は、ずっと自分に言い続けていた。人を殺した時、感じた筈の“恐怖”を忘れるなって」


 どこまでもお人好しで、


「でも、そんな努力は無駄だった。……ローラ、罪深いのはね、僕の方だよ。人が死ぬ事に疑問を感じない、寧ろ積極的に殺しまくる人間だ。だから僕は強くなった。僕の強さはローラと比べる事すらおぞましい、凄く醜い類の物。……僕とローラは違うって言ったよね。そう、僕とローラは違う」


 どこまでも本音を隠して笑う彼は、


「ローラは人を殺す事を躊躇い、恐れ、悔やむ。けれど僕は“真逆”。嬉々として人を殺し、楽しみ、笑う――快楽殺人者。僕はあの日から――弟に裏切られたあの瞬間から“狂った”。そんな僕の本質は醜い。それを何十にも覆い隠して笑い続ける“異常者”。それが僕――『レオ・トラヴィス』だ」


 初めて、本音を晒した。

 今まで決して目にする事の無かった、触れる事の無かった……彼の闇。

 私とは“真逆”に位置する存在。それが、彼。


「……その問い掛けは、僕の方からしなきゃいけない。ローラ、僕は簡単に自分の命を賭ける。けれど捨てた事は無い。そして……捨てるつもりも無い。それはどこまでも身勝手で我儘だ。だけど、ローラは――」


 今度は彼が私の目を見据えて、




「――そんな僕に、着いて来てくれる?」




 私は世間知らずだったのかもしれない。

 ずっと傍に居た人の事を何一つ知らなかった。それが仮面だとは見破れても、本質までは見抜けなかった。

 けれど、知っている。分かっている。だから私の答えは簡単だ。




「――喜んで」




 彼は――全てを捨てて、ここに居る。

 偽りの仮面を脱いで、本当の自分を晒して、私と対等に話してくれた。それは今までの和やかな普通の関係をぶち壊す物だった。

 そう、私が彼に怯えて離れるという可能性を含む爆弾でもあったのだ。

 助けた人物から恐怖を向けられるというのは結構心にくるもの……それは経験から痛いほど知っていた。だから分かる。彼は今、文字通り“命を賭けている”。

 選択肢の中に、彼を殺して一人で逃げるという物がある。実現など到底不可能だが、選択肢としては存在している。

 殺される可能性がある。“守り人”に、私に。

 彼の手を取ったならば、私の人生は大きく変わる。“精霊樹”に反旗を翻した罪人として命を狙われて生きていく事になる。だから、彼は正直に話した。

 血に塗れた手を、血に塗れた手で取っていいのか、と。


 ……薄々、気付いてはいた。

 たまにね、彼の身体から血の匂いがしたから。とても薄いけれど、確かな血の匂いが。……そういう日に限って、森の中へ烏が舞い込んで鳴き声が響くから。

 それだけで、充分だった。

 何の為に人を殺したのかはずっと知らなかったから、今納得した。

 私が罪悪感を抱いているのなら、彼は快感を抱いているという事を。それが意味する事実を。


 ……でも、私はこの手を取る。

 知っても知らなくても、この手を握り締める事に変わりは無い。

 だって、彼は私の大切な人だから。

 何を考えているかなんて関係無い。私にとって、彼は大切な人。

 それがこの手を握る理由。それ以外の理由なんて……いらないよ。


「……レオ、私はずっと……後悔してた。後悔して後悔して……やっと、決めたよ」


 そう、決めた。


「――私は、“精霊樹”に歯向かう。その道を選ぶよ。もう後悔なんてしない、泣いたりしない。自分の心から逃げたりなどしない。村を守る為に、なんてのはただの言い訳だって気付いた。だってレオが……正直に話してくれたから。レオのおかげで、私は偽善者のふりをしていたって、気付けたから」


 結局私は、逃げてただけなんだ。

 居場所が無かったから。あそこしか私は必要とされてなかった。あの村に居れば私は“精霊樹の巫女”として皆の傍に居られたから。

 多分、しがみ付いてたんだと思う。所詮私も“余所者”。いつ追い出されるか分からない恐怖から逃げる為に“巫女”を免罪符にした。

 自己犠牲もそう。村を守る為に命を捨てれば、皆は私を覚えていてくれるから。

 やっと分かった。やっと気付けた。

 ずっと私は――怯えていたんだ。

 逃げなかったんじゃない。逃げる勇気が無かっただけ。皆から見放されるのが嫌だったから、逃げられなかった。間違ってるって分かってたのに、ずっと過ちを犯していた。


 ああ……なんて愚かな過ちだろう。

 そんな簡単な事が、どうして分からなかったのかな。私は本当に……馬鹿。


「……ローラ……本当に、いいんだね?」

「……うん」

「村の皆はローラを恨むよ」

「……うん」

「村長様だって、ローラを本気で殺しにくる」

「……うん」

「……僕だって、いつか君を殺すかもしれない。それでも……いいのかい?」

「……うん」


 だって、誓ったから。

 もう後悔しない、泣かない、逃げたりなんかしない。


「……そっか。うん、ローラらしい選択だね」


 そう言って、彼はやっぱり笑った。

 いつも見てきた、偽りの……それでも暖かい笑顔を。

 だから私も笑い返す。

 悩んで悔やんで……漸く決意した。

 私は生きる。生きなきゃいけない。それは罪を償う為、ニーニャの願いを叶える為、そして……彼と一緒に笑う為。


「……行こうか、ローラ」

「うん……これからもよろしくね、レオ」


 言い合って、私達は手を握った。

 少し冷たいけど、確かな温もりを感じる、大きくて……優しい手。

 目指すは『エルフの里』。





 これが私と彼の選んだ道――険しくて難しくて、けれど絶対に辿り着かなければならない物。

 そして私達は本当の意味で“親友”になる……なれる、筈、だった。








「――見つけたぞ、反逆者共」








 吹雪よりも激しい憎悪に満ちた、終わりを告げる冷酷な声は、どこまでも無情に心臓を切り裂いた。

 サブタイトルである“愚かな過ち”ですが、実は“愚かなる選択”とどっちにしようか悩んでました。

 ですが、結果オーライですよね?

 第0章本編は後2~3話で終わります。出来れば次で決着を付けたい所ですが……ね。

 次回、引っ張りに引っ張ったあの人達が無双します。そこまで書きます。

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