少女の遺言①
『――レオ君、ローラの事……お願いね?』
それが、少女と交わした最初で最後の約束だった。
「師匠!」
村の襲撃から三日。
何事も無かったかのようないつもの風景の中、道場一の剣術の才能を持つアルが木刀を手に、
「――どうしてローラ姉を助けに行かないんだよ!」
その問い掛けが自分に向けられていると気付くのに随分と時間が掛かった。
無意識の内に現実逃避をしていたレオは、義務的に振っていた木刀を下ろし、
「これは村の決定なんだよ、アル? 僕個人の感情で動いていい訳がない」
「何でだよ、師匠! ローラ姉と師匠は友達だろう。だったら――」
「アル。ローラが“巫女”として場を治めたから、アルも僕も生きていられるんだ。そんなローラの思いを……踏み躙るつもりかい?」
声を低くして言葉を放てば、アルは顔色を変えて俯き、
「……っ」
そのまま、事の推移を見守っていた他の子供達と共に道場を走り去っていった。
恐らく、また“巫女”の社――ローラが居る場所へ行くのだろう。どうか死なないでくれ、という嘆願をしに。
「……無駄な事を」
レオは小さく、どこか侮蔑の意を込めて呟いてから木刀を再び振りかぶり、勢い良く振り下ろした。
いつもより大きく響く空気を切り裂く音を聞きながら、どうしてこんな事になったのかを振り返る。
全ての始まりは三日前。“北の森”の“守り人”達をある程度倒してから村へと戻って来たレオが見たのは、憂いの中に安堵を滲ませた村人達の姿だった。
それが村の安全と家族の無事に安心している類のものであれば、レオはここまでショックを受ける事は無かっただろう。
そう、その表情はレオが良く知る――自分の身可愛さに他人を犠牲にして得た保証を誇る時の物だった。
嫌な予感がした。
レオは慌てて村長の家へと向かい、そこで事の顛末を聞いた。
曰く――“巫女”の命と引き換えに此度の謀反を無かった物にする、という取引を。
嵌められたと気付いたのは、そのすぐ後だった。全てはこの時の為に、用意された前座でしか無かったのだと。
「……本当に、僕は駄目だな」
自嘲の言葉は誰に聞かれる事無く、広い道場に響き渡り、
「……ごめん、皆……約束、守れないかもしれない」
自分の不甲斐無さに怒りより先に呆れが襲い、レオはその場に座り込んだ。
レオは、迷っていた。
ローラを助けたい気持ちに偽りは無い。だけど、やる事為す事全てが後手に回った状態でどこまで理想的に彼女を助けられるのか、その未来予想図に不安しか感じないのだ。
そして、自分の考えが読まれていたという事実が、行動に移す事に歯止めをかけている。
「……こんなんじゃ、ニーニャに合わせる顔が無いね」
傷心を抱く彼の脳裏に浮かぶのは、嘗て敵対し、そして和解した少女の言葉。
『ローラは、責任感が何処までも強いから。村の為、皆の為、自分の為……どんな甘い言葉を並べてもね、ローラは自分を許せない。赤の他人でも、自分達の勝手な都合の為に犠牲にさせてしまった自分を……こんな事しか出来ない自分を、ローラは許せない。許せないからこそ、ローラは自分を犠牲にするんだよ、レオ君』
たった二十数年しか生きられなかった少女は、いつもローラの隣に居た。
村に移住する事が出来たレオを迎えた彼女の第一印象は、底無しに明るい笑顔とは裏腹に敵対心の強い少女、だった。
ローラの隣で太陽のように輝き、ローラを害そうとする企む輩に対しては容赦しなかった。レオがローラを利用したんだと勘付いた少女は、まだ傷の癒えてなかった右目を見てこう言い放った。
『自業自得。それに懲りたら、さっさと出て行く事ね』
長い茶髪を適当に纏め、気の強そうな印象を持たせる同色の目を細めて、少女は言葉という名の武器を向けた。勿論、その程度で怯まなかったレオだが、
『ローラを利用するなら、あたしは貴方を殺す。例えそんな事が不可能だったとしても、罠に罠を重ねて絶対に貴方を始末する。それでも構わないのなら、好きにすればいい。忠告はしたから』
底に込められた想いの強さに、レオはローラを利用する事を諦めた。いや、するべきではないと思ったのだ。
少女の大事な親友を想うその姿は、自分を慕ってくれる精霊達と重なった。だがそれ以上にレオを驚かせたのが、精霊達が少女の前では警戒心を全く見せなかった事。
これ程までの敵意を向けられているにも関わらずに、だ。
だから、レオは少女を信用した。
彼女は――決して敵にはならない、大丈夫だ、と。
(……まさか、ローラが本当に自分を犠牲にするとは思ってなかった。村長なら……いや、今の僕でも“虹の翼”は倒せる。なのに村長は出来なかった……だから、ここが終着点)
アルに対しては、余計な事はするなと釘こそ差したが、当然レオはローラを助けるつもりでいる。
ただ、今は動くべきではない。現に、ローラは誰が来ても決して会おうとしない。アル達とも、人目を忍んでやってくるレオとも。
恐らく、彼女も迷っている。本当にこの選択が正しかったのかどうか。死の恐怖を心の奥底に閉じ込めて、責任感から村を救おうとしている。
そして、村長を信じているのだ。村長が――“ ”である筈が無いと。
(だけどね、ローラ……残念だけど、僕の推測は正しかったよ。僕は、あの森で見たんだ。不自然に僕の所へ集まってくる本物の“守り人”達を)
ローラを村へと逃がした後、簡単にレオは“守り人”を倒す事が出来た。けれど、その後に森に居る筈の無い数の“守り人”達が、まるでレオを足止めするかのように集まってきたのだ。レオを殺そうとする攻撃は放たず、本当にただ足止めする為だけの攻撃だけを使って。
森に入って、レオが長年疑問に抱いていた事は解決した。それは同時に、少女とも話し合った最悪の可能性が起こる事を意味していた。
『……ローラは、道具でしかない。あたしも、村の人達も……多分レオ君ですら。でも、あたし達は逆らえない。逆らうという思考すら存在しない。だって……尊敬しているんだから、村長様を』
少女は賢かった。だからこそ、“精霊樹”の存在に疑問を抱き――“貢ぎ物”にされた。
それを分かっていて、それでも少女は最後までローラの味方だった。
そんな少女と交わした、最初で最後の約束。
それを破る選択肢は、レオには存在していない。個人的にも、ローラを犠牲にさせる訳にはいかないのだ。
これ以上ローラを傷付けない為に。何故なら、自分と同じようになってほしくないから。
異端だと罵られてから他者を信用しなくなり、平気で嘘を吐き騙してきたレオとは違い、ローラは変わらず純粋だったから。
『あたしは、最後までローラの味方。それは、あたしが死んでも変わらない。この村に毒されず、本当に優しくて明るかった純粋なローラを……あたしの親友を、守りたいから』
少女は笑っていただろう。きっと最後に死ぬその瞬間まで。
(……そうだね、僕も……ローラを守りたい。これ以上……ローラが悲しむ必要は無いんだから)
レオは今は亡き少女に改めて誓い、立ち上がった。
三日間変わらず、毎日お昼時にローラの元へ向かった子供達だが、今日はもう道場へ戻ってこない。どうやってローラを救うか考え、朝になったらレオを説得する為に木刀を振るい、お昼にローラが来ない現実に悲しみを覚え、明日も社へと行くだろう。
だが、ローラの性格からして一週間後――もう四日後に迫ったその時まで、決して表に出てこない。
誰とも言葉を交わす事無く、ローラは村を守る為に自分を犠牲にする。
「……最も、そんな事はさせないけどね」
そう最初とは打って変わって迷いの晴れた顔でレオは呟き、力強く木刀を振り下ろす。
ローラが好きだった日常を取り戻す、その時に備えて。
『レオ君……ローラを守る為だからって、無茶は、しないでよ? ローラと同じで、レオ君も自分を犠牲にしそうだから……って、結局あたしもそうなんだけどさ』
困ったように笑う少女の姿を思い浮かべながら。
視点を変え、今回はレオにしてみました。
最期までローラの親友であり続けたニーニャとの思い出を振り返りながら、レオがどんな結末になったとしてもローラを助ける決意をする回です。
今まで名前しか出て来なかったニーニャですが、親友の為なら何だってしようとする、非常に友達思いの子です。もしも彼女がローラと和解しなかったら、彼女の人生はまた違う物になっていたと思います。
次からが第0章最終幕の始まりです。少女の遺言②は後日談として、こちらも同じように名前は出て来るのに出番の少ないアルの視点で投稿します。その回に、実はローラとニーニャは仲が悪かった当時の回想を入れます。
ちなみに、ニーニャとアルの関係は姉弟です。何故アルだけ無事だったかは、その時に。