日常の崩れる音③
『“守り人”の狙いは村の殲滅かもしれない』
そんな彼の言葉は――現実となった。
「皆!」
彼が時間を稼いでいるお陰で無事に“北の森”を抜ける事が出来た私は、一際大きく燃えている場所……即ち、村の最奥に位置する村長様が住んでいる場所へ向かって走り出した。
火の気配は他には全く見当たらなかったけど、それ以上に……村の皆が誰一人居ない事が、私にとって気掛かりだった。どこか安全な場所に避難しているのならいいけれど、もしも皆が、村長様が……その可能性を考えるのすら怖く、私は只管走った。
そうして、“守り人”にも村人にも遭遇せずに村長様の家へと駆けつけた私が見たものは――虹色に輝く翼、一般的には“色翼”と呼ばれる色を持った、普通の“守り人”より何十倍も格上の存在の“守り人”と村長様が戦っている姿。村長様は必死に“守り人”の攻撃を細身の刀で受け止めているが、身体が思うように動かないのか、時折受け損ねた攻撃から皆を守る為に身体を張って傷だらけになっていた。武器の方も所々欠けていて、今にも折れそうだった。けれど、何よりも私を恐怖のどん底に陥れたのは――村長様の背後で……赤い水溜りの中に沈む、皆の姿だった。
村長様の家が燃えている時点で、状況は悪い方に流れているのは予想していたけど……まさか、こんなに酷い事態になっているとは思いもしなかった。……村長様の後ろで守られているのは、村に住んでいる半分以下の人達……その中には、道場の皆……アル達の姿があって一瞬私はほっとしたけど、それ以外の人達は……もう、亡くなっていた。武器を手に持ったまま、家族を守る為に死んだ人も居れば、抵抗すら出来ず一方的に虐殺されたらしい人も居て……私は、皆をこんな風に傷付けたあの“守り人”が許せなかった。
身体に刻み込まれている鋭利な刃物の傷や“精霊術”と思われる火傷などの傷……そんな傷跡を残せる人物が誰なのか、私にも想像は出来た。
――今、村長様が戦っているこの“守り人”が皆を殺したのだ、と。それも、お供らしい“守り人”もなく、たった一人で。しかも、彼ですら勝てないと云わしめる村長様でも劣勢に追い込まれる程の実力を持っている。……そんな相手に私が勝てるとは思えないけど、それでも……。
私は遠目からでもはっきりと分かる戦いを見ながら、いつでも不意をつけるように杖を握り締めて、二人の様子を神経を集中させる。
村長様の刀を軽々と上へ飛ぶ事で避けた“守り人”に、
「くっ……忌々しい! 満ち溢れる水流、降り注ぎし紺青。『スクリューレイザー』!」
均衡を破るように“精霊術”を唱えて“守り人”の上空に滝を出現させた。その水流で地上に下ろそうと。
しかし、その程度で“守り人”は動じなかった。
「いでよ灼熱の炎、野卑なる蛮行を持って彼の者を貫け。『レイジングショット』」
“守り人”は炎の“精霊術”で上空から流れ落ちようとする滝に向かって炎弾を放ち……彼と同等の威力で水を焼き切った。
そんな普通なら在り得ない光景に村長様の動きが一瞬だけ止まり、
「飛来せし雷、踊り狂う嵐。『サンダーボルト』」
その隙を見逃さず、“守り人”は素早く“精霊術”を唱えて上空から雷を生み出し――真っ直ぐ、村長様の後ろに居た村人達を狙った。
「しまった!」
村長様が慌てて駆け寄ろうとして途中で膝から崩れ落ち、
「――塊状せし重力、溢れる地の力。『フィールドバリアー』!」
私は冷静に、簪に込められていた術式を使って魔術を発動させ、村人達に直撃しようとしていた雷と地属性の薄い壁がぶつかって激しく光を放ち、轟音と共に相殺した。
その後も油断なく“守り人”の様子を見詰めながら、私は慌てて村長様に駆け寄った。
「大丈夫ですか、村長様!」
「ああ……ローラか。助かった、ありがとう」
村長様は僅かに安堵の表情を見せ、立ち上がって刀を構える。
だが、
「っ……」
右手から刀が音を立てて落ち、村長様は再び地面に膝を付けた。よく見れば、右手首が青黒く変色しており、僅かに鬱血の跡もあった。
相当激しい戦闘を繰り広げたのだと容易に想像出来るその傷に、私はどうしてもっと早く村の襲撃に対応できなかったのかと唇を噛み、
「村長様!」
それでも私に出来る唯一で精一杯の事をする為に、村長様の右手を持ち上げて、
「……小さな癒しの力。『エイドス』」
聖なる輝きがゆっくりと村長様の傷へと吸い込まれ、肌は元の色を取り戻して鬱血を止めた。
他にも細かい傷があったのでそれを治癒しようとした私を制止して、
「……すまない、ローラ……だが、これだけで十分だ」
ゆっくりと立ち上がり、凄まじい威圧と共に“守り人”を睨み付ける。
「……村長様、一体何が起こったんですか?」
「……“精霊樹”は皆の……我々の反乱に怒り、“守り人”を村へと寄越した……奴等は好き勝手に村で暴れ、しかしただの“守り人”だけではなく……最強の力を持った“守り人”をも寄越していたのだ……虹の翼を持つ、“精霊樹”を守護する“守り人”……それが奴、“虹の翼”だ」
虹の翼を持つ“守り人”……今、目の前に居る“虹の翼”が、私達の村を襲い……村長様をここまで追い込んだ張本人で間違いないみたい……ううん、意味はそれだけじゃない。
“精霊樹”がそんな最強を寄越したという事は……この村を危険視し、滅亡させようとした事を表し――“精霊樹”がこの村を見限ったという何よりの証明。
……本当に、何て身勝手なんだろう。
存在を保てもしない“守り人”の為に私達に“貢ぎ物”を捧げさせて、そのくせ自分達で生きていく事すら許さない傲慢な“精霊樹”と“守り人”……そんな醜くて横暴な存在に、私は今まで従っていたの……?
村を焼き、人を殺し、村長様を傷つけた……なんて、最低なんだろう。
そして、そんな最低な彼等に従っていた私も……同じ位、最低だよ……。
悔しさで思わず涙を浮かべかけた私は目元を拭い、
「ローラ……レオは、一体何処に居るんだ?」
「……レオは“北の森”に居ます」
「な、んだと……!? 何故そんな場所に――」
言葉の途中、遠くで爆発音が響き、
「――精霊が、騒いでいるな」
私の前では初めて、“虹の翼”がそう口を開いた。
その声音は低く、しかし人を見下す類の存在しない……けれど重圧を自然と感じさせる物。
「……同じ精霊の恩恵を受ける者……されどただの人間が、我等“守り人”と対等以上……いや、優位に立ち振る舞い、そればかりか勝利を収めたか」
その言葉は彼が無事である何よりの証拠で私は安堵し、
「だが、我等にとっては都合が良い」
“虹の翼”は不敵な笑みを浮かべた。
「……ここで譲歩を出してやろう。偉大なる神託の村を治める若き女村長よ」
「突然……何を、言い出す……?」
村長様が怪訝な声を上げ、この場に居る誰もが“虹の翼”に注目した。
“虹の翼”は一体何を言おうとしているのか。圧倒的優位に立ち、上から目線で物言いし……私達に何をさせようというの……?
束の間の静寂の後、
「此度の謀反、貴様等が条件を飲むのなら“一度だけ”許しを与えてやろう。……そして、その条件は――」
“虹の翼”は、
「――神託の村の“巫女”。此度の謀反に於ける全ての責任を取って“貢ぎ物”となり、“精霊樹”様に自らの命を持って償い、許しを請うのであれば……“虹の翼”の名の元にこの件は無かった事にしてやろう」
え……い、今……何て、言ったの……?
“巫女”が“貢ぎ物”になって……責任を取る……? それって……私を……差し出せって事?
その言葉に誰もが衝撃を受ける中、村長様は逸早くその意図に気付いたようで、
「……“巫女”を捧げて、許しを請えだと……!? そんな事、出来る訳が――」
拒否しようとした村長様の口を塞ぐかのように、爆発が村長様の背後……皆が居る場所で起きた。
「くっ、貴様!!」
「……たかが人間如きが、我等が偉大なる“精霊樹”様に逆らえると思うか?」
呆然としていた私は固まった思考を無理矢理動かして、
「輝け、聖なる加護。『ミスティックレイション』!」
濡れる事の無い癒しのシャワーが皆に降り注いだ。彼等は呻き声を上げながらも、誰一人死んでいたりはしないようで良かった……だけど、
「……一人の犠牲を払って、より多くの人間を救う。村の長ならば、迷う事無き言葉だろう?」
「……っ……」
村長様と“虹の翼”は一方的な言い合いを続け、
「……ならば、せめて私が犠牲になろう! それなら問題は無いだろう!?」
「“精霊樹”様の怒りを静めるのは“巫女”の勤め……貴様は、ただ大人しくしていればよい」
「だが……そんな、事……そんな事、出来る訳が……」
絶対に選ばなければならない選択を前に村長様は葛藤し、強く拳を握り――その姿を見て、私は漸く現実を認識した。
皆を守る為には――私が、死ななければならないという事を。
確かに“精霊樹の巫女”は、“精霊樹”の言葉を聴き、崇め、そして必要とあらばその命を差し出さなければならない。
けれど村長様は、私の為に自分の命を賭けてくれた。最初から決まっている答えに納得せず、あくまでも私も救おうとしてくれた。
その姿が……演技だとは、私には思えなかった。本心から、村長様は私の身を案じてくれて……助けてくれようとした。
そう、私にとってはそれだけで十分。誰一人守る事が出来なかった私を……守ろうとしてくれただけで、心の底から嬉しかった。
だから……最後に、恩返しがしたかった。
家族の居ない私を育て、守ってくれたこの村に……村長様に。
そう思って、だけど一瞬……彼の言葉が脳裏を過ぎった。
彼が言った、この村の真実と……その奥に潜む悪意。信じたくなくて、信じられる、矛盾した話。
……だけど、今だけはそれを私は否定する。そんな事は在り得ない……だって、こんなに村長様は私を守ろうとしてくれたのだから。だから……私は決めたよ。村長様を信じるって。信じて、私は……選択する。
――それが、大きな過ちだとは思わず。
「……“虹の翼”様」
村長様が何か言おうとする所を遮って、私は“虹の翼”の前まで進み出て手を組んで掲げ、
「……私が、この村の……神託の村の“巫女”です。私一人の命で……“精霊樹”様のお怒りが静まるのなら――」
私は言った。
「――喜んで、この命を捧げましょう」
守りたかった。
彼の言う通り、これが狙いなんだとしてもこの村を……皆を守りたかった。
顔も知らない母親から譲り受けたこの“精霊樹の巫女”という役割。その事に対する疑問も恨みも後悔も山ほど在ったけど、それでも……どうしても、私はこの村を見捨てる事が出来なかった。私の事を良く思わない人も居た、嫌う人も居た。それでも私を好きで居てくれる人もいたし……何より、私を大切にして守ってくれた村長様や……最期まで親友で居てくれたニーニャ、実の両親のように接してくれたおじさんやおばさん……そして、私の絶対に叶わない初恋の相手……レオ。彼は、自分を殺そうとした相手にも拘らず、一人の人間として私に接してくれて……対等な存在になってくれた。彼は、とんでもないお人好しで……でもとても優しくて、穏やかで……けれど結構戦いが好きで、凄い強くて、格好良くて……そして、私を守ってくれた。彼と接する内に、私は段々彼に惹かれていって……だから、かな……? 何も出来ない自分に自信が持てたのは。
だから今度は、私が……命を賭けて守りたいの。この結末を……決して、悲劇なんかで終わらせたくなかった。
だから、私は言った。そう、言いたかった。
村長様は私の言葉に目を見開き、
「ローラ……何を言っている、ローラ!」
「……村長様。この村が、私一人の命で皆が救えるのなら、それはとっても素晴らしい事だと思うんです。こんな私でも……誰かを、守る事が出来る。だから、私は良いんです」
「何を言っている、ローラ! お前を犠牲にして、私達だけのうのうと生き延びろというのか!?」
それでも私を切り捨てず、守ろうとしてくれる村長様に、私は最上級の笑顔を浮かべた。
そんな私により一層村長様は驚きを露にし、
「……少数を切り捨て大勢を救う……それが、村長様の役目ですよ?」
「……ローラ……」
「それに……最初から、私の両手は真っ赤に汚れているんです。なら、最後くらい自分の血で汚させてください。それが……皆を犠牲にしてきた、私の……精一杯です」
私の固い決意に……もう、村長様は何も言わなかった。
諦めた表情で村長様は首を振り、
「全く……私の負けだよ、ローラ……」
静かに、優しい手付きで私の頭を撫でた。
……これで全ての片がついた。
“虹の翼”は僅かに私を見詰め、
「……そうか、それがお前の答えならば……“巫女”よ。一週間後、村の中央……大広間にて待つがよい。そこで、我“虹の翼”が直々に迎えに行く」
“虹の翼”はそう言い残して、翼を羽ばたかせて空へと高く消えて行った。
後に残された私達は、悲壮感を漂わせながらも決着が付いた事に安堵し……村長様の家が燃える音を聞きながら、天に瞬く星々を眺めていたのだった。
……そう、これで良かった。私の命一つで皆を守れるなら……それで。だから、私は後悔なんてしていないよ。これが今出来る最善の選択だったから……だから、間違ってなんか無いよね……?