血の紅によって花は咲き誇れり⑥
鼓膜を叩く凄まじい爆音に、リンはゆっくりと目を開けた。
降り注ぐ雨が髪を伝って頬を濡らし、水分を含まない爆風が戦場全体を揺らす。
“精霊”の言葉通り、現実世界の時間は全く変化していない事に多少の驚きはあったものの、どちらの記憶も未だ鮮明に残っていた為、自分のやるべき事を見失う事はなかった。
ただ、漠然としていた意識が明確になった事で、薄れていた感情が溢れて爆発しそうになる。
そんな心を抑え込み、リンはアルと“黒翼”の激突の行方へと視線を向ける。
“精霊”と“精霊”の真っ向勝負は、相手を吹き飛ばすと同時に自身への衝撃にもなり、アルは地上へ、一方の“黒翼”は空中へと大きく距離を開けながらそれぞれ受け身を取り、
「『火神・珂琉羅』!」
「『サイクロン』!!」
“黒翼”が巻き起こした黒い暴風を、アルは二刀を左右に切り裂いて掻き消し、
「そこ、『レイジングショット』!」
ルルリエの手から放たれた炎の弾丸が、一直線に“黒翼”の心臓を貫いた。
身体が“精霊”で出来ている“守り人”に急所を攻撃しても効果は薄い筈だが、衝撃で思わずよろめいた“黒翼”は、何故かそのまま失速して墜落し、
「これで終わりだ……『高雅斬』!」
瞬時に肉薄したアルが振り下ろした打撃によって、“黒翼”は大した反撃も出来ずに地面に激突した。
地面にクレーターを生み出し、しかしいつまで経っても姿を現さない彼女にリンとローズは武器を下ろし、
「……驚いたな。まさか、あの“黒翼”を倒してしまうとは……」
「んー、正確には、一時的に行動不能にさせたって所だけど。ま、それは置いといて」
ルルリエは油断なく周囲を見渡すアルに視線を向け、
「一応、最大の障害は取り除いたけど……姿を消した“紅蓮の翼”と、後は、本当にどうしてだか知らないけど、村長様に協力しちゃってる騎士様をどうにかすればいいんだよね?」
「……このまま、無視して進むという選択肢も存在しているが?」
「それは出来ない相談だよ。だって、目が逃がさないって言ってるし」
そんな言葉と同時に、再びシャルリーナは吹き飛ばされて地面を転がる。
しかし、今回は受けたダメージが大きかったのか、起き上がろうとするも力が入らず膝を付き、
「……ハーノイン。君は、本当に……」
悔しさに滲む声で彼女は呟き、
「驚いたのは俺も同じだよ。まさか、ここまで『エルフ族』がやれるとは……」
ハーノインは、血に濡れた短剣を指先で回しながら笑う。
しかし、目は油断なくリンとローズの二人を捉えて離さず、
「……お前が何を考えているかは知らないし、理解したくもない。だが、それでもまだ戦いを挑むというのなら、容赦はしない」
「……ふぅーん。随分と、アイリーンらしくない言葉だね。君なら、問答無用で襲い掛かってきそうなものだけど……まぁ、俺には関係ないか」
あの地下から外へと飛び出す切っ掛けを作った彼へとリンなりの義理から発した譲歩は、ハーノインの小馬鹿にしたような笑みと態度で一蹴され、
「言っとくけど、俺は一度も後悔なんて……それこそ、大事な家族を守る事が出来なかった事以外、全く感じた事はないから。カインさんの提案に乗ったのも、今こうしてアイリーン達と敵対しているのも、俺なりに考えた結果だって事、忘れないでくれる? 俺は、弱みを握られている訳でも、ましてやアイリーンみたいに絶望している訳でもないから」
俺、そこまで心が弱い訳じゃないからさ。
続いた言葉に、明らかな侮辱と蔑み感じたリンは怒りを露わに刀を握り、
「悪いけど、俺は戦いを止めるつもりなんてこれっぽっちもないんだ。なら、障害は排除するのみ……」
ハーノインは、
「――ここを通りたいんだったら、俺を殺して行きなよ」
濁った瞳にやはり絶望を混ぜ、詠唱をせずに“精霊術”を発動させた。
その背後から出現した二対の光の剣に驚愕を隠しきれないリン達を、剣は躊躇いなく猛攻を仕掛け、
「爆砕せし飛沫! 『フィーメイデン』!」
今までの戦いを静観していたカインが、その拳に“精霊術”の恩恵を乗せて殴りかかる。
先程の爆音とまではいかないが、金属音のような硬く反響する音を立てて剣はあらぬ方向へと飛び、
「少年!」
「っ、静かに落ちる氷の剣。『アイスアウト』!」
カインの声に、リンは“精霊術”を唱えて援護する。
眼前で弾ける氷をハーノインは避ける事無く受け、
「聖杯を左右する羅針、森の嵐に吹き抜ける標。『エアリアルフォース』!」
続け様にローズの“魔術”が戦場を舞う。
空に停滞する風は鎌鼬となって走り、その攻撃すらハーノインは避ける素振りすら見せずに受け止める。
左肩から脇腹へと斜めに一直線に走る鎌鼬と飛び散る鮮血に、殺す覚悟を持っていた筈のシャルリーナは目を見開いて思わず手を伸ばし、
「この程度かい、ローズ・マリー?」
ハーノインは痛みを全く感じていないかのように飄々とした笑みを浮かべ、突如としてローズの目の前で光が弾け飛んだ。
「う、ぁぁあああああっ!」
詠唱も魔法陣の構築もなく、魔力すらも使う事なく発動した“精霊術”に目を焼かれたローズは両目を手で押さえて蹲り、
「まずは、一人」
地面から伸びる光の鎖に雁字搦めに捕らえられ――真っ赤な花が、咲き誇った。
「ローズ……っ!」
鎖によって身体を絞め付けられたローズは、口から血を吐きながら静かにその場に倒れ、
「ッ、サラマンダー、全力であいつを焼き払って!!」
目の前の殺戮に、ルルリエは怒りを交えて“精霊”へと指示を出す。
雨の中に現れた彼女の“精霊”は声なき叫びを上げて炎をハーノインへと向けて飛ばし、それは同じく光の鎖によって全て掻き消される。
その光景を尻目に、リンは倒れたローズを抱きかかえて首筋に指を当て、
(……まだ、脈はある)
リンにローズを助ける義理も感情もないが、彼女が居なくなれば恐らくエミリアは悲しむだろう。
そんな気持ちから、リンは指先に魔力を集め、密かに『治癒魔法』を使う。
魔法陣の構築も詠唱も要らない唯一の手段とも呼べる“魔法”の行使に気付かれないよう、細心の注意を払いながら必要最小限の回復を施していき、
「……驚いた、ああ、驚いた……心底、驚いた。アル君達が本気を出したと思ったら、今度は君が本気を出す……いや、本気というよりは、禁忌の力と表現した方がいいか?」
「熟練された“守り人”……それも、“黒翼”並の脅威ですね。まさか、人の身でありながら“魔法”を行使するとは、予想すらしていませんでした。今まで“精霊術”を使っていたのは、俺達を油断させる為だったみたいですね」
カインは肩を竦めて大袈裟な位に身振りを交え、一方でセラは、やはり淡々と感情の篭らない声で現状を分析しているような発言をする。
リンもまたハーノインが“魔法”を使った事実に驚くと同時、その手段に心当たりがあった事に嫌悪感を感じて表情を歪める。
(俺と同じ……その身に“精霊”を直接取り込んだのか……!)
体内に“精霊”を取り込み同化させる事で、疑似的な“守り人”を作り出す。
その実験体でもあったリンと同じ手段を取って無理矢理力を手に入れたハーノインに、何故そこまでするのかという疑問が強くなり、
「……犠牲は、出さない方針だったんですが」
セラは大して困っていなさそうにわざとらしく息を吐き、
「貴女の仕事です、エリーゼ。彼を、殺してください」
「は~い。分かりました、先輩~」
どこか詰まらなさそうに剣を振るっていたエリーゼは、呑気そうな口調とは裏腹に、瞬時にハーノインへと肉薄して剣を振り被った。
リンですら一瞬姿を見失いかけた事に何度目かの驚きで目を見張り、
「疾風なる隼。『シンフレーション』!」
咄嗟にハーノインは“魔術”を唱えてぎりぎりのタイミングでその攻撃を避け、
「逃がさないよ~、ハーノインさん」
エリーゼはまるで豹のように俊敏に、関節を無視したしなやかな動きで逃げるハーノインを追いかける。
その動きにはびた一文たりとも無駄な動きはなく、“術”によって移動速度を上げて何とかエリーゼから逃げ切れるハーノインに対して、エリーゼは一切の“術”を使わず、純粋な身体能力だけで徐々に彼を追い詰め始める。
「……流石は『エルフ族』、か」
感情が爆発して子供っぽくなっていても、『エルフ族』として生きて研鑽を重ねて来た日々が消える訳ではない。
それを証明するようなエリーゼの動きに、リンは益々実力の差を感じて思わず歯噛みしそうになるも、あの邂逅を思い出してそれを笑みに変え、
(……実力差がある方が、達成感も増す、か。本当に、俺はどうしようもない復讐者だな)
自分の考えに、自嘲めいた笑いを零す。
ローズの脈拍が安定してきた所でリンは指先を離して静かに横たえ、
「……いい加減、鬱陶しくなってきた。さっさと片付けるか」
これ以上、自分の感情が爆発する前に。
リンは刀に魔力を込めながらそう呟き、殺意の混じった眼差しで前方を見据えた。
“精霊”と会話したなどと勘繰られる事のないよう、慎重に魔力を巡らせてリンは“精霊術”を唱える。
「逆巻け水流、混沌を飲み乾す裁きの断行。『メイルストローム』!」
リンの得意な水属性の最上級“精霊術”にして、雨という天候化によって更に威力の増した水流は、小さな雨粒に紛れて見事にハーノインの死角を突き、瞬く間に巨大化して天を貫く滝となる。
中心にハーノインを取り込み、まるで意思を持つ獣のように水流は激しく渦を巻き、
「これで、終わり!」
水流の切れ目を狙って、エリーゼはハーノインへと向けて短剣を投擲する。
それは、水流の流れに巻き込まれる事なく、ただ真っ直ぐにハーノインの左胸を貫通し、
「……ああ、そうだね。これで、今度こそ終わりだよ……ハーノイン」
その瞬間をしっかりと目に刻んだシャルリーナは、痛ましげな顔をしながらも、これ以上ハーノインを傷付けずに済む事に安堵の表情を浮かべた。
空から血の雨を流しながら、濡れた地面に叩き付けられたハーノインはそのまま動く事はなく、
「……やっと、終わりましたね」
目を閉じて黙祷を捧げたセラは、
「行きましょう。これ以上、この場所に長居は無用です」
「……そう、ですね、先輩。行くよ、アル、エリーゼ」
「……ああ」
振り向く事無く彼等は街から離れる為に歩き出し、
「……」
一方で、リンは彼等とは逆方向に歩み出す。
悪魔に魂を売り渡して力を手に入れたハーノイン。
“精霊”が少しでも身体に定着しているのなら、たかが心臓を貫かれた程度で死ぬ筈がない。
それを誰よりも分かっているリンと、早くからリンの違和感に気付いて言及していたカインはシャルリーナの横を通り過ぎてハーノインへと近づき、
「……あーあ、やっぱり、こうなっちゃったか」
小さく、ハーノインは空を見上げながら呟いた。
それは、傍まで近寄っていたリンとカインでなければ聞き取れない程小さな独り言であり、
「……最初から、お前は全部分かっていたんだな」
リンの推測を裏付ける言葉でもあった。
ハーノインは空を見ながら瞳に何も映さず、
「……分かってなかったら、俺は今頃死んでたと思うよ、アイリーン。何せ、生きた見本が目の前に居たんだから」
「……君は、少年の行く末を知っていて、この道を選んだ。……それは、やはり弟妹の為なのか?」
「……悪いけど、それは教えられないよ。俺も、一応守りたい者の為にやったんだって……思っていたいから、さ」
カインの詰問に言葉を濁し、小さな笑みを浮かべてハーノインは視線を移す。
「最初から、全部決まってた事だったんだよ、アイリーン? 俺があの日、“黒翼”が差し出した手を取った瞬間から……ね」
「……理解は出来るが、共感はしたくないな」
「それは奇遇だね……俺も、共感だけはされたくなかった」
皮肉気な笑みでリンを見詰め、
「……でも、道を踏み外したって意味での“同類”のよしみで、一つだけ答えてあげるよ。何が聞きたい?」
どこか穏やかな瞳で告げる。
リンとは違い、ハーノインの力は即席のもの。
即死はしなかっただけで、死という現象を回避出来る訳ではない事も最初から分かっていたのだろう。
それ等全てを覚悟した上で、それでも誰かの為に戦ったハーノインにリンは僅かな賞賛と羨望を感じ、
「……リリーとアスベルは、人間だ。それは、俺もよく知っている」
“精霊樹”側が手にしていた“死者蘇生”は、人間を“守り人”として転生させる類のものであり、決して命を蘇らせるものではない筈だった。
だが、リリーとアスベルは自分達が死んだ事実に気付きながらも人間である事を疑った事など一度もなかった。
リンも、二人が“守り人”だと思った事は一度もなく、間違いなく二人は人間である事に変わりはない。
ならば、“黒翼”が使った“死者蘇生”は、果たしてどんな代物なのか。
他にも疑問は尽きないが、リンが知りたいのはそんな些細な事ではなかった。
カインがただ黙って静観している事に感謝しながら、
「……ハーノイン・ゴールディ。お前は、二人が蘇ればそれでいいと……何故、そこまで強い感情を抱けたんだ?」
リンが選ぶ事の出来なかった、もう一つの誤った道。
亡くした誰かを蘇らせるという、禁忌。
復讐に走ったリンと、ただ純粋な願いを抱いたハーノイン。
その差は一体何だったのか。
リンの問い掛けに、ハーノインは意外そうに眼を見開いて驚き、
「……アイリーンが復讐に走った事、その本質に違いなんてない。ただ俺は、アイリーンみたいに割り切れなかっただけだ。……二人の死を否定してしまった事が、もしかしたら、俺の最大の過ちかもね」
自身を罵るように、けれど嫌悪の混じらない声音で言う。
選んだ道に後悔はないのだと、満足そうに笑うハーノインにリンは手を強く握り、
「……理解出来ないな」
「だ、ろうね。アイリーンと違って、俺のは自己嫌悪が原因だから」
リンに向けて力無く告げる。
その事に、もうすぐそこまで死は近づいているのだと悟り、
「……青年。私は、君と出会えた事を幸運に思っているよ」
「そうですか? 俺は、結構裏切ったり何だり、してましたけど、ね?」
「互いを利用していた。たかがその程度、遺恨を残すほどではないと私は思う」
「……流石は、カインさん、とでも言っておきますよ」
カインは普段と同じ笑みでハーノインへと別れを告げる。
そのまま、背中を向けて振り返る事無く歩き出すカインを二人は眺め、
「……一つ、忠告して上げるよ、アイリーン」
力を振り絞って、ハーノインは最後に忠告を残す。
「一度でも“精霊樹”の味方をしたら、二度と逃れられない……恐ろしい信仰心の持ち主だよ、“守り人”様は」
「……言われるまでもない」
リン自身が、かつては狂信者だったのだから。
その事を思い出したのか、ハーノインは自嘲気味に笑い、
「じゃあね、アイリーン。先に、地獄で待ってるよ」
「……ああ。さよならだ、ハーノイン・ゴールディ」
リンもまた、そんな言葉を残して歩き出す。
背後で、シャルリーナが駆け寄って泣き崩れる音がしたが、決して振り返る事だけはしなかった。
――信念を貫き通した者には、どんな悪だとしても、最期は真に彼を思う者達に任せるべきである。
そんな、リンらしくない想いに忠実に従ったのだった。