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精霊樹の守り人  作者: Anzu
第三章 交錯する思惑
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無色の邂逅②

「父さんと母さんが殺されて、俺は悲しかった。最初は、ただそれだけだったんだ! 復讐なんて、思いつく事さえ出来なかった……」


 もう二度と二人に会えない事が悲しかった。

 だから何度も泣いたし、前向きな気持ちになるのにも時間が掛かった。

 それは、まだ幼かったリンには残酷過ぎる現実で、受け止めるには悪影響が多すぎた事も原因の一つであった。


 そんな当時の状況を思い出しながら、リンは憎しみの篭った眼差しで“精霊”を睨み付けた。


 その眼差しに、“精霊”は何故か気圧されて黙り込み、その理由を考える事無くリンは言葉を続ける。


「元々周囲から疎まれていた俺は、両親の庇護を失った事で孤立した。保護者である祖父には蔑視を向けられ、俺を引き取らされた親戚は、俺に奴隷同然の扱いをしておきながら、それを感謝するべき事だとでもいうかのような態度を取った。俺の生活は、両親が居た時とまるで変わり……それでも、救いはあると信じていた」


 蔑まれ、疎まれ、けれどリンはそんな周囲に対して悪意を向ける事はしなかった。

 それは、まだ悪というものがよく分かっていなかったという事もあったが、祖父の影響を受けてリンが“精霊樹”に対して熱心な信仰心を持っていた事が大きかった。

 

 “精霊樹”は、人間に恩恵を授けて下さる云わば神のような存在。

 祈りを捧げ、心身ともに忠誠を尽くせば、必ず“精霊樹”は味方となってくださるだろう。


 “精霊樹”信仰の教えであるその一文を信じ、これは神が与えた試練なのかと、リンは周囲の悪意に耐え続けた。

 耐えて、耐えて、耐えて。

 きっと必ず救いは待ち受けているのだと、リンは“精霊樹”を信じて耐え続け――いつしか、感覚が麻痺していった。

 幼いリンに、そんな状況が耐えられる筈がなかったのだ。


「俺にとって、悪意の全てを跳ね除けてくれたエミリアと“精霊樹”は、正しく救いだった。味方で居てくれるエミリアと、心の拠り所だった“精霊樹”という存在があったからこそ、憎悪を抱きながらも、憎悪に狂わずに済んでいたんだ」

「な、なら! どうして、貴方は復讐という道を選んでしまったのですか!? 両親を殺したのが“精霊樹”だと知ったから、貴方は復讐の道を選んだ筈です。それが……どうして、“精霊樹”に仕える存在に……?」


 “精霊”の知らないリンの過去の事に疑問を浮かべて叫び、


「救いが現れたからに決まっているだろう?」

「すく、い……?」


 初めてイセリアと出会った時の事を、今でもリンは鮮明に覚えている。


『“精霊樹”様は、貴方の信仰心に感謝しているわ。ねぇ、リディナル・アイリーン?』


 まるで聖母の如き慈悲深く、虚ろな目で宙を見詰める幼い子供を抱きしめ、もう大丈夫だとイセリアは囁いた。

 その瞬間、漸く救われたのだと理解したリンは、静かに涙を流して泣いた。

 もう、苦しむ事はないのだと。

 両親の裏切りに心を痛める事も、周囲の悪意に押し潰される事も、これ以上の憎悪を抱かずに済むのだという事も。


 そう信じて、疑わなかった。


「イセリアは俺に言ったんだ。敬虔なる“精霊樹”様の信徒には、幸せに生きる権利があるのだと。その為に、この平穏を壊そうとする存在は排除しなければならないと。その言葉は、エミリアの言葉よりも俺にとって大きなものになった。だって、そうだろう? 誰も俺を必要とせず、“精霊樹”の信徒であるこの俺を排除しようとまでしていたんだ。例え一方的で偏った考えであっても、子供に本当の意味が理解出来る訳がない。俺は、イセリアに言われるがままに祖父を殺した。絶対に後戻りさせない為に、唯一で絶対的な味方に成り得た祖父を殺させたんだ」


 幾ら頑固で融通が利かない祖父だからと言って、真実を知れば今までの主張など簡単に覆せるだけの割り切りは出来た。


 だからこそ、リンを完璧な“道具”とする為にイセリアはそう命令し、救いが現れた事による安堵によって思考を放棄していたリンはその通りに実行したのだ。


 家族を殺したというリンの言葉に“精霊”は目を見張り、


「……なんて、いう事を……!」


 怒りと嫌悪を滲ませ、先程まで気圧されていたのが嘘のように自己を保つ。



「例え疎まれていたとしても、貴方にとってお爺様は残された唯一の家族……そんな存在を、貴方は疑う事なく殺したのですか!」

「……はっ、何を当然の事を言っている」


 リンもまた変わる事のない憎悪を乗せ、


「俺は、今までお爺様を殺した事に後悔した事など一度もない」


 どこか虚ろで感情の篭らない声で、淡々と呟く。


 その言葉に、再び“精霊”は目を見開くも、


「……いえ、そう、でしたね。お爺様は、己の過ちに気付くのが遅過ぎたんですね。今まで貴方にしてきた仕打ちを思えば、後悔だけはする事がないでしょう」

「後悔している事があるとすれば、俺がエミリアとの繋がりを断ち切れなかった事だ……イセリアも、エミリアに関しては何も言わなかったからな」

「縁が続いていたからこそ、彼女を巻き込む結果となってしまった……分かっています、分かっていますよ」


 貴方は、



「――もう、復讐なんてどうでもいいと思っているんです」



 だって、



「――貴方は、自分が一番憎くて許せないんですから」



 最初から全てを理解していた“精霊”の言葉に、咄嗟にリンは反論しようと口を開くも、


「……流石は、俺の深層心理が勝手に生み出した存在だな」


 結局、皮肉を交えた肯定の言葉しか見つけられなかった。


 自分の本音から顔を背け続けるのにもいい加減疲れた。

 リンは、爆発させていた怒りを静めるように息を吐き、


「……許せないという気持ちは、まだある。大好きな両親の仇を取りたいという想いも、俺の人生が滅茶苦茶にされた事への恨みも、両方ある。けれど……!」


 全てを思い出し、エミリアが普通に笑って過ごしていたあの日々を再び思い返してしまえば、


「……俺は! エミリアを大事だと思いながら、エミリアを傷付けてばかりで……最後は、俺の我儘にエミリアを巻き込んで……死なせて、しまった。いや、俺が、エミリアを殺したんだ」


 エミリアが大事な存在だった事に偽りはない。

 だが、様々な感情でごちゃ混ぜになっていたリンは、自身の死を目の前に提示されて最後に間違った選択をしてしまったのだ。


 それが、


「……怖かったんだ。こんな所で死ぬ事に、恐怖が込み上げて……だから、エミリアの為に死ぬのだと、自分を正当化したかったんだよ、俺は!」


 散々人を殺しておいて、今更何をと自分でも思った。

 死ぬ事に恐怖など、一度たりとも感じた事はなかった。


 だというのに、


「俺は、ただエミリアに幸せになって欲しかっただけだった! 俺なんかに構わないで、ただ自分の為だけに生きて欲しくて……なのに、まるで俺自身がそう望んでいたかのように、目の前で死に様を晒すような真似、出来る訳がなかった!」


 きっと、もしも炎の短剣で貫かれていたのがリンだとしたら、エミリアは自分の事が一生許せなくなっただろう。

 リンを守れなかった自分が、無力なままだった自分自身が、一生嫌いになる。


 リンは、不変の死を前にその事に怯えたのだ。


 怒りに狂うその瞬間まで、ずっとエミリアの事だけを考え、


「……もう、分からないんだよ、俺は」


 誰にも漏らした事のなかった弱音を、リンは今にも泣きそうな歪んだ顔で吐く。


「憎い……“精霊樹”も『騎士団』もも、全部、世界の全部が憎くて仕方がないんだ! けれど、俺はもうそれを成す為の力も気力も残っていなくて……なのに、復讐が忘れられない! エミリアの願いを踏みにじってでも、奴等を皆殺しにしなければ気が狂いそうで……狂ってるのに、俺にまだ狂うだけの理性が残っているのかと、頭が可笑しくなる!」


 この想いは、エミリアが蘇った今でも消し去る事の出来ない、強烈な暗示のようにリンを縛り付けていた。


 リン自身でもある“精霊”は、泣けるだけの悲しみを抱く余裕のないリンの代わりのように、その赤黒い瞳から静かに涙を流し、


「……それでも、貴方は力が欲しいんです」

「……ああ、そうだ」

「……彼女の願いに背を向けて、貴方は結局、憎悪に身を焦がす前に……その憎悪の矛先が、彼女に向かないように……復讐に、酔い痴れるんです。二度と抜け出す事を許さない、甘い快楽に……貴方は、身を委ねたんです」


 開いていた距離を詰めて、“精霊”はリンの両手を握る。


 その手は、想像していたよりもずっと冷たく、


「……安心してください。貴方は、もうずっと前から――狂っています」


 その冷たさが、とても心地良かった。


「ただ、感情を溜め込み過ぎた所為で、自分を見失っているだけです。貴方は、自分で思っているよりも、ずっと強い……それは、保証します。だって、ずっと見てきましたから」

「……」

「貴方は、血を流し過ぎたんです。もう、絶対に後戻りなど出来ません……普通の幸せなど、絶対に叶う事などありません」

「……そんなのは、最初から分かっている」

「はは、そうでしたね」


 ぎゅっと手を握り、軽く笑みを浮かべて“精霊”は視線を合わせ、


「でも、この“精霊”は、そんな貴方を純粋で綺麗な心の持ち主だと思っています。それは、全く色の存在しない、空っぽで空白の世界ですが、何も存在しないからこそ綺麗なのです」

「……俺は、人格者じゃない」

「はい、そうです。血と殺戮に嗤う、悲しく哀れな復讐者です。そして、正義に滅せられるべき“悪”です」


 それでも、と、“精霊”は握った手を引き寄せて額に当てる。


「“精霊”は、貴方の深層心理から生まれた存在であるからこそ、善悪の感情と確固たる人格を持つのです。そして、“悪”から生まれた“悪の精霊”は、同じ“精霊”にその“悪”を知られれば、必ず排除される運命にあります」

「それは、そうだろうな……善悪を持たないからこそ、“精霊”は人々から受け入れられている」

「はい。この“精霊”は、悪と知りながら悪に力を貸した……云わば、堕天使、みたいなものですね」

「堕天使、か……なら、“守り人”は天使だとでも言うのか?」

「何色にも染められないあの白い翼は、そう呼べるでしょうね」


 だが、彼等もまた悪である事に変わりはないだろう。

 存在を許されているのは、“精霊樹”が認めているからか、それとも悪と露見していないのか。


 そのどちらでもよかったが、頭の片隅に残る疑問にリンは機会があれば調べようと覚えておく事にし、


「……何故、お前は俺に力を……加護を、与えていたんだ?」


 決して善良とは呼べず、“精霊”に愛されるような行いをしてきた覚えもないリンに、何故“精霊”は加護を与えてくれたのか。


 どこか今更のような質問に、





「そんなのは決まっています。貴方が、“精霊”を必要としてくれたからです」





 満面の笑みで、“精霊”は答えた。


 その笑顔に、まるでエミリアのような明るさを感じたリンは思わず笑みを浮かべ、


「……なぁ。俺は一体……どうすれば、よかったんだ?」


 先程よりも随分と軽い調子で、そう問い掛ける。


 “精霊”は握った手はそのままに首を傾げて唸り、


「……そう、ですね」


 取り合えず、






「――“守り人”を一人でも多く殺す為に、彼等の味方の振り・・・・・・・・をしましょうか?」







 リンが一番欲しかった答えを、躊躇いなく“精霊”は無邪気に答えた。

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