日常の崩れる音①
本当に、私は一人じゃ何も出来ないちっぽけで弱い存在だね。二十年以上も生きてきて、それでも私は何も変わっていないし、誰かに頼ってしまう程弱い。
……でも、私だって決断しなきゃいけない時は――決断出来る。
少なくとも、皆を守れる事は……出来るよ?
彼に支えてもらいながら自分の家に帰って、その日はあっという間に眠りに落ちていった。
そんないつもと変わらない日常、いつもと同じ村中が帳に包まれたように静かな深夜……平和な日常に起きた出来事だった。
「火事だぁ! 村が燃えているぞ!」
その言葉に私は寝惚けながらも飛び起きて、窓の外から見える普通じゃない光と騒ぎに慌てて手近に置いてあった“巫女”の簡素な服に着替えてから外へと出た。
真っ先に感じたのは、何かが燃えた後の独特の匂い。それが風に流れて私の鼻腔を擽り、次に目にしたのは……紛れも無い、真っ赤な火の色。
木で作られた家は全て燃え、真っ黒な煙と共に轟音を放って次々と崩れ落ちていく光景は、まるでこの世の終わりのような感覚を私に与えた。
「なに、これ……どうして、こんな事に……?」
火の後始末が不十分で起きた物では無いと私でも分かった。だって、燃えている家は一箇所に纏まってなく、しかも耳を澄ませば僅かに喧騒……それも金属同士のぶつかる音が混じった物が聞こえる。これらが意味するのは……明らかに自然に起きた物ではなく、人為的な物。
その理由は一体何なのか分からないけれど……とにかく、火を消さなければいけない。
私は火を消す為に水を生み出そうと鈴の付いた杖を持ち上げて、
「……歪な水樹の器よ、今ここに戦乱の雨を降らせたまえ。『アクアレイン』!」
杖を振る事で魔法陣を描いて、私は“魔術”を発動した。
とある一軒家の上を中心に広範囲に雲が渦巻き、そこから小さな雨が降り始める。勢いを増していく火を嘲笑うかのように、雨は徐々に強さを増していき、少しずつ火は消火されていった。……ただ、この雨は攻撃用の威力のある魔術だったから、火と一緒に屋根まで消し飛んでしまったけれど。
でも、命に代えられる物は無い……とはいえ、少し罪悪感がする。
けど、とにかく、まずは村長様の元で原因を探らないといけない。
そう思って私は村長様の家に向かおうとして、大した警戒もせずに足を踏み出した。
一歩、二歩と進んだ所で、
「危ない!」
横から来た人物によって私は道の外れた草の茂みに突き飛ばされた。
突然の事に訳が分からず、しかしその事に文句を言うより早く、
「天杯溢れよ。『イグニッション』!」
高らかな彼の詠唱と共に炎の塊が誰かの頭上に降り落ちた。
訊き慣れない人物の悲鳴が漏れ、それと同時に響いた重い金属の音に……私は背筋を凍らせた。
重く、しかし軽く弾む独特の音は“武器”が落ちた音。その音が響いたのは……すぐそこまで私が立っていた場所のほんの後方。
それは、私に向かって敵が刃物を振り下ろそうとしたという事実を示していて――彼が私を突き飛ばさなかったら……私は、斬られていた。
その事実に少なくは無い恐怖を覚え……暫く、私は呆然と彼の後ろ姿を見詰めている事しか出来なかった。
……でも、どうして私を狙ってたの? どうして……村が、襲われているって事……? 何故、目的は――最悪な可能性、そこから来る結果は、推測は……たった一つ。
「ごめん、大丈夫?」
私が何も喋らない事から彼は心配そうにそう優しく声を掛けた。
相変わらず、緊張感なんてまるで無い……見るだけで人を安心させる笑み。
「……へい、き……ありがとう、レオ……」
予想外過ぎる出来事の連続と嫌な考えに、私はそう返すのが精一杯。
でも彼はそれ以上の気遣いは見せずに、或いはそんな余裕など無かったのかゆっくりと事実を述べていく。
「あの後、ローラはすぐに帰っていったよね。でも、夜中に“村長”と“巫女”抜きで話し合いが行なわれたんだよ……僕がその場に居たらこんなことにはならなかったかもしれないけど、どうやら村人達は僕にも内緒で“貢ぎ物”をどうするか……それを決めた」
優しく穏やかな筈なのに、彼の声は何故か震えていた。まるで、ずっと前から抱いていた懸念が当たってしまったかのように。
「……彼等は、“貢ぎ物”を二度と捧げないと決定を下して“精霊樹”に逆らう道を決めてしまった……少し考えれば、それが浅はかな決断だってすぐに分かった筈なのに……だけど、多分“守り人”の狙いはそれで、夜中に“守り人”が攻めてきたんだ」
しかしその声に込められた感情は恐怖ではなく、
「――この村丸ごと、“貢ぎ物”にするのが奴等の目的だったんだ」
怒りによって。
「それって……」
私が思っていた事とあまり違わない現状に、不安そうな表情を浮かべたのが分かったのか、彼は遠くを見詰めて警戒していた視線を私に向け、
「大丈夫。“守り人”は僕と村長で殆ど倒したし、奴等が放った火矢も消えかかっている。大丈夫、これ以上の惨事はもう起きないよ」
大丈夫と二回も言った事が、彼の心からの優しさだった。私が俯いていた顔を上げてみると、彼の顔はこれ以上に無いくらい真剣な表情で、同時にいつもの温和な感じが全て抜け落ちた――それは私が初めて見た、恐い顔だった。
だけど、そんな表情も一瞬だけ。
次の瞬間には何事も無かったように振る舞う彼を見て、どこまでも底の知れない人だなと思った。
そんな私の考えなど知らず、彼ははっきりとした口調で、
「今の“守り人”の狙いは……多分“巫女”であるローラだった。君を人質に取るか殺すかで、村中の意思力を試そうとしたんだと思う。また逆らって殺されるか、大人しく怯えながら過ごすか……まぁ、村長が人質なら話は変わるだろうけど」
「……それ、私じゃ頼りないって事……?」
「逆だよ、村長が頼もしすぎるって事。人質として捕まるようなヘマはしないし、捕まっても自力で逃げ出す筈――」
彼の語尾が掠れたのは、
「――待てよ、それ事態がブラフだとしたら……まさか、村長は……」
「……えっ? 村長様が一体どうし――」
言葉の続きは出て来なかった。
突如として彼の周囲に光り輝く精霊達が舞い踊った事と、
『久しいな、赤き紅蓮を輝かせる者よ』
重々しく威厳の感じる未知なる声と、真っ赤な光の球が現れたからだった。
今度は一体何なの? 内心でちょっと不安を感じながら私はその光の球を凝視し……どこかで感じた事のある魔力に記憶を遡る。
一方の彼は暫く呆然と光の球を見詰めると、
「えっと……久しぶりだね、『イフリート』」
「え? 『イフリート』!?」
彼の横に出現したそれが、
「炎を司る大精霊『イフリート』……!?」
『精霊の加護を受ける“巫女”か……』
それは七年前、村長様と彼が対峙した時に彼が切り札として“召喚”した大精霊『イフリート』だった。
僅かな明滅で意思を表現しているのか、『イフリート』はそれを軽く繰り返した後、唐突に用件だけを述べた。
『“精霊樹”は到頭動き出したようだ』
「その根拠は?」
『この村の女村長もしくは“精霊の住まう森”……調べてみるといい』
「……そう、か……成程、やっぱりそういう事だったんだね」
「……どういう事……?」
置いてけぼりな私の疑問には答えず、
「『イフリート』、君の力を借りてもいいかな?」
『最初からそのつもりだ』
その言葉を最後に、彼の周りから精霊が一斉に姿を無くした。
だけど、私には“精霊”の加護が彼を包んでいる事を感じられる。
最初から最後までずっと置いてけぼり状態だった私だけど、何となく今起こっている事態は人生の分岐点とでも言う位重要な事なんだって、分かった。
けれど、
「さて、僕はちょっと“北の森”に行って来るよ」
……今、何て言ったの……? “北の森”って、言ったよね……? さらりと、彼は行って来るって……!
「ちょ、ちょっと待って! 一体何がどうなっているの!?」
いきなり“守り人”が攻めてきて、この村を襲って私を殺そうとして……彼は、何故か“北の森”に行こうとしている。でも、『イフリート』は“精霊の住まう森”って言ってたよね? 聞いた事無い地名だけど……それがどうして“北の森”と繋がるの!?
パニック寸前になった私だけど、それでも必死になって私は彼に言う。
「村長様がどうしたっていうの!? どうしてレオが“北の森”に行こうとしているの!? それに“精霊の住まう森”って……!」
「え、ちょっと落ち着いてローラ。ちゃんと、全部……うん、全部話すから」
彼は私を宥めるように肩に手を置いて、
「えっと……取り合えず、“精霊の住まう森”って言うのは、“北の森”の別名。精霊……それも大精霊達の間では、畏怖と尊敬を込めてこう呼ばれている。人間と精霊達の関係を決める、忌々しくも愛すべき故郷だと」
「故郷……? 確かに、あの森は“精霊樹”が精霊を……“守り人”を生み出す場所だけど……それがどうしてレオが行く事と繋がるの……?」
「……そうだね。落ち着いて聞いてね、ローラ。多分……ううん、確実に、この村はあるべき形を越えて意図的に興された村だ。奴等の目的を果たす為だけの、都合の良い箱庭……」
彼は、
「そして、そんな村を治める……あの村長は――」
彼は、私に驚くべき“真実”を語った。
俄かには信じがたい、けれど信じるに値するだけの説得力を持つ、恐ろしい真実を。
「……嘘……村長様が……?」
その話を聞いて思ったのは、そんな事は有り得ない、だった。
だって、村長様はいつも村人達の事を思っていて……私達を守る為に、一生懸命努力していて……強くてかっこよくて、皆の憧れで……けれど、思い至る節はある。
例えば、“精霊樹の巫女”の選定。七年前までの“貢ぎ物”を決めていた方法。私が物心付いた頃から何一つ変わらない綺麗な容姿。いつだって私達が思っていて、同時に尊敬を込めて呼んでいた――嫉妬と羨望と敬愛の言葉。
――この村の、若過ぎる女村長。
どうして、その事実に気が付かなかったんだろう。ううん、きっと心の奥底で村長様を疑いたくなかったから、事実から目を背けていたんだ。
何でも出来る完璧な村長様なら年を取らなくても不思議じゃないって。
もしそうなら、私達は……私は……。
心の葛藤と戦う私を、彼は心配そうに見詰めていた。
「……信じられないのも無理は無いと思うよ。外から来た僕にとっては疑惑でも、中に居たローラ達にとっては当然でしか無かったんだから。だから……」
ちょっと悲しそうに笑う彼は、静かにこの場を立ち去ろうとして……私は彼の手を握った。
驚いたように私を見る彼に微笑んで、
「大丈夫。分かってたから、全部。もしかしたら……そうなんじゃないかって」
だから、安心して。貴方一人にそんな重荷は背負わせない。
――疑惑を調べて、それを真実として村人に話して、嫌われ者になりながらこの村を救おうとする……なんて偽善者の役目は。絶対に、背負わせない。
そう私は決心して、彼を納得させる為に無理矢理笑みを作った。少しぎこちなかったかもしれないけど。
「レオ。もしもレオの話した事が本当なら、ううん、真実だとしても――それを調べて村人に話すのは“巫女”である私の役目。だから、私も一緒に行くよ」
「な、何を言っているんだい? “北の森”がどんな場所か……」
「知っているよ。あそこがどれだけ危険で特別な場所か……村民である私の方が、貴方よりもずっと」
“北の森”。そこは“精霊樹”を祀った祠が存在する場所であり――“守り人”が“精霊樹”より生を受ける場所でもある。同時に、精霊が精霊として存在を確固にして羽ばたく。
“守り人”は精霊の集合体である存在で、生を受けた瞬間から一週間で精霊を多く取り込む。そしてその取り込んだ精霊の量で“守り人”の強さは決まる。取り込む方法は数多く存在しているが、その中で一番有効で最適且効率的な方法は――人間を標的にし、殺して血液を啜る事。
魔力とは、私達人間の身体を巡る生命力……その源である血液に精霊が一体化した物。だから、血液の中には空中を漂う微精霊なんか比べ物にならない位の精霊が存在している。
それを取り込む為に、あの森には数多くの“守り人”が人間を殺そうと徘徊しているのだ。
だけど、生を受けたばかりの“守り人”はそれ程精霊を保有している訳じゃない――そういう勘違いが多くの犠牲を生んだ。
生を受けたばかりの“守り人”は大精霊クラスの力を持っている。それだけではなく“精霊術”の最高クラスである上級精霊術を詠唱無しで使える。しかも、ほぼ無敵に近い再生力と最強の精霊術を兼ね備えている。
正に、それは最凶最悪の“守り人”。そんな彼等が山ほどあの森には居るのだ。
最も、村には下りて来れないように“巫女”が代々結界を張り、一週間経ってもそのまま存在を維持しきれるほどの精霊を保有する事が出来ないから殆ど“守り人”は生まれない。
だからこそ、一体でも多く生き残らせようと“精霊樹”は彼らを生むのだ。
そんな森に、彼は一体何をしに行くのか。
「その森に……真実が眠っているっていうの?」
「……分からない。でも、確実に手掛かりは残っているよ。『イフリート』も言っていたし、僕も独自に調査してきたしね」
彼は、
「どうしても来るのかい?」
「もちろん」
「……そっか。じゃ、仕方ないね」
腰に差してあった刀を二本とも抜く。
シャリンッと、鈴の音のような心地良い音が響き、私が立ち上がるのに手を貸してから言う。
「僕の後ろから離れないように」
「うん。背中だけは守るよ」
「頼もしい言葉だね……ありがとう、ローラ」
私と彼は最後に笑い合って、真実を確かめる為に“北の森”に向けて歩を進めた。
――それが、あの事件から一週間前の事だった。
到頭村長様の正体に気付いたローラですが、何十年も姿が変わらないなんて、幾ら魔法がある世界でも普通は疑問に思う筈ですよね……?
この場合は、そんな疑問を振り払うほど村長という存在に依存していた、が正解です。