009 筋肉より回復が求められる問題
鉱山の救助活動は、圧倒的な筋肉によって見事に解決した。
煤と塵にまみれたゲルトの仲間たちを連れて、私は坑道の外へ出た。
「助かった……!」
「もうだめかと思ったぜ……!」
救助された坑夫たちは地面に座り込み、生還できたことに安堵している。
ゲルトは部下を一人ずつ抱きしめて、男泣きしていた。
「ゲルトさん、これで依頼は完了ですね?」
「ああ、文句ない! あんた……いや、聖女様! 疑ってすまなかった! あんたがいなけりゃ、俺たちは仲間を見殺しにするところだった!」
ゲルトが私の前へ来て、深々と頭を下げた。
「礼には及びません。私たちは筋肉の有用性を証明しただけです。筋肉があれば、どんな問題も解決できます」
「ガストンさん、あんたにも酷い態度をとってすまなかった!」
「気にするな、若造よ。ワシも若い頃はお主と同じようなものじゃった」
ゲルトとガストンが握手を交わす。
「これで〈筋肉応援団〉の任務は終了ですが、いかがでしたか?」
私は官吏団を率いるユーリスに向かって微笑みかけた。
「見事としか言いようがありませんね」
ユーリスが手帳を閉じる。
「自らの筋肉を基礎としつつ、魔法はあくまでも補助的なものとして使う……あなたの理論が机上の空論ではないことを、この目で確認させていただきました。完璧です」
「筋肉の重要性を評価してもらえて何よりです」
「この活動は、迷宮調査院として公式に記録されるべきです。今後、同様の事故があった際は、正規の手順で協力を要請させてもらいます。聖務庁からは睨まれると思いますが、筋肉の前では関係ないでしょう」
ユーリスが笑みを浮かべる。
「ええ、いつでもどうぞ。筋肉は、公的な期待にも応えますよ」
私の筋肉理論が、ついに公的機関にまで浸透し始めた。
今後もこの調子で活動を続け、筋肉の万能性を証明したいものだ。
◇
グレンデルの夜は、悲痛な呻き声に満たされていた。
都市の一角に設けられた臨時診療所。
本来は倉庫として使われていたその場所は、いまや野戦病院のような様相を呈している。
近隣の街道で発生した大規模な魔物襲撃と季節外れの流行病が重なり、運び込まれる患者は収容能力を完全に超えていた。
充満するのは、鉄錆のような血の匂いと、腐敗を遅らせるための強い薬草の香りだ。
その片隅で、一人の青年が頭を抱えて座り込んでいた。
薬師連盟の末端に所属するエリク・サーヴェルだ。
気弱そうだが真面目な彼は、目の下に濃い隈を作り、震える手で空になった薬瓶を握りしめている。
「……もう、無理だ」
エリクの声は枯れていた。
「治療薬の在庫が底をついた……。それに、この人数じゃ回復術士の手が回らない……。重傷者から順に診ているが、順番待ちの間に容態が悪化していく……」
彼の視線の先では、簡易ベッドすら足りず、床に敷かれた毛布の上で人々が苦しんでいる。
ここには『回復魔法』が決定的に不足していた。
残念だが、筋肉ではどうにもならない。
「団長、これは……」
「思ったよりも酷いですね」
私とリリナは、衛兵隊長のヴァイスに依頼されてここに来ていた。
「診療所が限界だ。搬送と現場の補助を頼む」というのが今回の依頼だ。
具体的に何をするかはこちらの判断に委ねるとのことだった。
「どうしましょうか? 私たちは……その、回復魔法は……」
リリナが言いにくそうな顔で私を見る。
「確かに、私には傷を塞ぐことも、病を消し去ることもできません」
「では……」
「だからといって、諦めるのは早計です。できることはあります」
「と言いますと……?」
私は周りを見回しながら言った。
「リリナ、視点を変えなさい。ここで治せないなら、治せる場所へ動かせばいいのです」
「え……?」
「回復魔法が使えないなら、使えるところへ運べばいいことです。重傷者を、設備と人員に余裕がある都市中央の富裕層向け療院へ。あるいは、商会連盟が確保している備蓄薬のある倉庫へ。患者と物資の距離を、筋肉でゼロにするのです」
私が提案すると、巡回していたヴァイスが険しい顔で噛みついた。
「無茶を言うな! 重傷者を動かしてみろ、振動だけで死ぬぞ! 今の彼らに馬車の揺れは耐えられない!」
「ええ、馬車では無理ですね。車輪は路面の凹凸を拾いますから」
私は、腕を骨折して痛みに顔を歪める男のそばに跪いた。
「ですが、筋肉なら衝撃を吸収できます。死なせませんよ――筋肉魔法〈マッスル・アーマー〉!」
私は患部の周囲に手を触れ、魔力を流し込む。
この魔法は、高い筋緊張を持続させて打撃耐性を上げるものだ。
平たく言えば、「常に力を入れている状態になる」ということだ。
本来は戦闘時の防御力を高める魔法だが、今回のような場面でも応用できる。
その証拠に――。
「痛みが、引いた……?」
――男の表情から苦痛の色が和らいだ。
「患部を筋肉で固定しました。これで多少の振動は防げます。ですが、これは応急処置。本番はここからです」
私は立ち上がり、ヴァイスと彼の部下たちを見回した。
一様に疲労困憊のようだが、それでも市民を守ろうと頑張っている。
「ヴァイス隊長。あなたの部下を貸してください。即席の搬送部隊を結成します」
「……何をする気だ?」
「彼らに担架を持たせて、筋肉魔法〈マッスル・ワーク〉を付与します。これによって安全かつ効率的な搬送を実現します。そして、その状態が持続するように〈マッスル・スタミナ〉も付与します」
私は衛兵たち一人ひとりの背中を叩き、魔法をかけていった。
労働効率と持久力を底上げし、さらに腕の水平維持能力を極限まで高める。
「正気の沙汰とは思えんが……いいだろう! 〈筋肉応援団〉はいつも我々の期待以上の活躍をしてくれる! 今回だって問題ないはずだ!」
ヴァイスは決心すると、部下の一部を私に貸し与えた。
「さあ、走りなさい! ただし、患者への振動は限りなくゼロに近づけること! 足は高速で回転させても、上半身は水面のように静かに!」
「り、了解ッ!」
私の号令とともに、前代未聞の搬送作戦が始まった。
二人一組で担架を持った衛兵たちが、夜の闇へと飛び出していく。
その速度は、全速力の馬車にも劣らない。
だが、担架そのものは完璧な水平を保ち、まったく揺れていなかった。
脚部から伝わる衝撃を、膝と腰、そして腕の筋肉が吸収している。
言うなれば「筋肉のサスペンション」だ。
「なんという速さだ! しかも、まるで患者が揺りかごに乗っているように安定している……!」
ヴァイスが呆然と呟く。
「何度でも言いますが、筋肉は期待を裏切りません」
私は強くうなずいた後、視線をエリクに向けた。
彼はずっと、隅で私たちのやり取りを眺めていたのだ。
「エリクさん、あなたはここまでよく頑張りました。その努力、無駄にはしません」
「ミレイユ団長……!」
「あなたの努力、私の筋肉、そしてヴァイスさんの人員……これらを総動員して、この難局を乗り切りましょう!」
「はい!」
エリクの目に希望が宿った。
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