007 港町ミラードの攻防
港町ミラード。
グレンデルから南へ三日の距離にあり、大河デルマの下流に位置するこの町で、問題が起きていた。
暴風雨だ。
叩きつけるような雨風が町を襲っている。
普段は物流の拠点として賑わう桟橋も、今は怒り狂う濁流と悲鳴のような風の音に支配されていた。
荒れ狂う波が、係留された船々を木の葉のように揺さぶっている。
その中で一隻、積載限界ぎりぎりまで荷を積んだ大型河船が、奔流に押し流されようとしていた。
「おい、鎖が切れるぞ! 総員、死ぬ気で手繰り寄せろ! 流されたらおしまいだ!」
河川警備隊の現場責任者、サラ・クリスティが、ずぶ濡れになりながら叫ぶ。
姉御肌で知られる彼女の声でさえ、轟音にかき消されそうだ。
「無理です! 水流が強すぎます! もう支えきれません!」
数人の船員と警備隊員が必死に鎖を引いている。
しかし、自然の猛威と船の重量の前では無力に等しい。
金属は断続的に悲鳴を上げ、皆の精神は限界に達していた。
「泣き言を言うんじゃないよ! あの船には川下の村へ届ける食料が載ってんだ!」
サラが自ら鎖を掴もうとする。
だが、その瞬間――バチンッ、と乾いた音がした。
係留鎖の一本が弾け飛んだのだ。
「ああっ、船が!」
船が大きく傾き、船員たちが絶叫している。
「ミレイユ団長! 到着早々で悪いが助けてくれ! あれが流されたら、うちは信用も荷物も、全部失っちまう!」
少し離れたところで、運送ギルドのドーグが私に泣きついてきた。
今回、彼は我がギルド〈筋肉応援団〉の正式な依頼者だ。
私とお供のカイがここにいるのは、この事態を打破するためだ。
「任せなさい、ドーグさん。筋肉に不可能はありません」
私は雨よけのフードを脱ぎ捨てた。
「団長! 濡れたら風邪を引きますよ!」
カイが心配そうな顔で叫ぶ。
「カイ、よく見なさい。私は濡れてなどいません」
「……! 本当だ! 団長のローブや美しい肌が雨粒を弾いている!」
「筋肉を極めた者だけが使える筋肉コーティングです」
「すごい……! さすがです、団長……!」
「さて、雑談はこの辺にしておきましょう。カイ、行きますよ。あなたの背筋と握力が、この船の命綱です」
「はい!」
私たちは滑りやすい桟橋を駆け抜け、サラたちが必死に支えている最後の鎖へ向かった。
船は今にも川の激流へ飲み込まれそうだ。
「なんだい、あんたら! どきな! 怪我するよ!」
「どくのはあなたのほうです、サラさん」
「なっ……!」
サラに制止されるが、私たちは止まらなかった。
「カイ、鎖を掴みなさい! 〈マッスル・グリップ〉!」
私はカイの背中に手を当てて、魔力を流し込む。
「うおおおおッ! 掴みました! 団長!」
カイが濡れた鉄鎖を強く握る。
肥大化する筋肉を見て、サラは愕然としていた。
「私は〈マッスル・アーマー〉で自分の体を硬化させ、アンカーになります。カイ、遠慮なく引きなさい!」
「了解です!」
私は桟橋の係留柱を背にして踏ん張り、カイの体を後ろから支える。
カイが鎖を引き、私がカイを支える――強固な筋肉牽引システムだ。
「ぐ、ぬ……ッ! 重い……けど、負けないッ!」
カイの筋肉が悲鳴を上げ、血管が浮き出る。
「嘘……! あの二人、何者……!?」
「巷で噂の〈筋肉応援団〉ですよ」
私の代わりにドーグが答えた。
私にはため口なのに、サラには丁寧語だ。
少し引っかかったので、あとで頭の筋肉を確認しよう。
「あれが〈ブラッディ・ナイトメアーズ〉から追放されたという筋肉聖女……!」
二人が呑気に話している間も、私とカイは必死に踏ん張っていた。
「団長、すみません! 僕の筋肉では、やっぱり厳しいです!」
カイが弱音を吐く。
数トンの船体が激流に引かれているのだから無理もない。
私がアンカーになっていなければ、彼は今頃、海の藻屑になっていただろう。
だが、ここには私がいる。
「カイ、ただ腕で引くのではありません。腰を落とし、全身を使うのです! 全ての筋肉を連動させなさい!」
「筋肉を……連動させる! 連動! 連動ォ!」
カイが重心を落とした。
大腿筋が急激に肥大化していく。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
カイが獣のように吠える。
それに呼応するかのように、船がじりじりと引き寄せられ始めた。
「嘘だろ……あの激流から、人力で……?」
「信じられねぇ……! つーか、何なんだよ、アイツの筋肉……!」
「いや、すごいのは支えている聖女様のほうだ! 涼しい顔をしているが、只者じゃないぞ!」
船員たちがどよめく中、私たちは一歩、また一歩と後退し、船を岸壁へ引き戻していく。
だが、怒り狂う自然も一方的にはやられてくれない。
暴風雨は激しさを増し、船を飲み込もうとする激流も勢いを強めた。
再び船が離れていく。
「団長! やっぱり無理です!」
「そうですね。カイ、今のあなたにはこれが限界でしょう」
カイはすでに全身の筋肉を使っている。
私の筋肉魔法でさらに強化できるが、それは危険だ。
筋肉の酷使は内臓にダメージを与え、脱水症状を誘発する。
「カイ、離れていなさい。この問題は私の筋肉で解決します」
「わかりました……。すみません、団長。あとは頼みます!」
カイは鎖から手を離し、私の後ろに下がった。
「ちょっと!? 二人がかりで無理だったものを一人でやるつもり!?」
「ミレイユ団長、さすがにそれは無茶だ!」
サラとドーグが悲鳴にも似た声を出す。
「問題ありません。なぜなら――」
私は鎖を腰に巻き、右手で引っ張った。
「――これまではカイの支援に徹しており、本気を出していなかったからです」
次の瞬間、船がひょいっと引き寄せられた。
「嘘……だろ……」
「なんて怪力だ……」
「信じられないわ……」
船員、ドーグ、サラの全員が絶句している。
「やっぱり団長はすごいや!」
カイは目を輝かせていた。
「サラさん、何を呆けているのですか! 早くロープを!」
私の声でサラがハッとして、船員たちに指示を出す。
船は私の筋肉で安定しているため、残りの作業は余裕だった。
「これで船は完全に係留しましたね。私たちの任務は終了と言っていいでしょう」
私は髪をかき上げた。
軽い運動だったので、筋肉はさほど疲労していない。
「だ、団長……腕が、パンパンです……」
一方、カイは荒い息を吐き、膝に手をついていた。
まだまだ筋肉が足りないようだ。
「ありがとう、ミレイユ団長。あんた、すごいね。噂以上の筋肉だったよ」
「サラさんも立派でした。ただ、少し筋肉が不足していますね。より良い仕事をしたいと思うなら、いつでも筋肉相談に来てください。グレンデルでお待ちしています」
「はは、可愛らしい見かけに反して商魂がたくましいじゃないか! 気に入ったよ。この恩は忘れない。新聞同盟の幹部にも、あんたのことを話しておくよ。私のお墨付きというだけで、多少の宣伝にはなるはずだ」
「ありがとうございます。ドーグさんも、報酬はたっぷりよろしくお願いしますね」
私はサラと握手を交わしながら、ドーグに向かって微笑んだ。
「あ、ああ、もちろんだ!」
翌日、新聞には私の活躍が掲載されていた。
一面の見出しに、でかでかと『港を救った筋肉聖女』の字が躍っている。
そして――。
「サラさんに話を聞いてきたんだが!」
「あのサラさんが認めたっていうなら間違いない! うちの依頼も受けてくれ!」
「うちの船員たちに筋肉相談を頼む! 筋肉が必要なんだ!」
港湾関係者からの依頼が殺到するようになった。
物流の要衝たるミラードもまた、筋肉の支配下に置かれたのだ。
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