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006 筋肉トラブル

 一大事だ。

 かねてより問題視していたが、もう我慢できない。


 そんなわけで、私はカイを引き連れてヴェントラに来ていた。

 ここはグレンデルの北西に位置する風車台地で、一年を通して強い風が吹き抜けている。


 無数の風車が響かせる低い音と、乾いた空気が特徴の街だ。

 織工組合が集まる職人の街としても広く知られている。


 争いとは無縁のような場所だが、今日のヴェントラは戦場になる。

 普段は温厚な私だが、この日は頬をパンパンに膨らませて大股で歩いていた。


 皆が見てくるが関係ない。

 目当ての工房に着くと、私は迷うことなく扉を開けた。


「ミーナさん、至急の相談があります! またしても筋肉事故です! 由々しき事態ですよ、これは!」


 そう言って私は、カウンターに”あるもの”を叩きつける。


 無残に裂けたズボンの残骸だ。

 縫い目が裂け、布地が引きちぎられている。


 これは魔獣の爪によるものではない。

 内側からの圧力――すなわち、筋肉の膨張に耐えきれずに破れた名残である。


 背後に控えていたカイが、顔を真っ赤にして縮こまった。

 現在の彼は、つぎはぎだらけの予備服に身を包み、居心地悪そうに身をよじっている。


「団長、その言い方はやめてください。恥ずかしいです……」


「何も恥じることはありません、カイ。あなたの大臀筋(だいでんきん)が、既製品の規格を凌駕したという素晴らしい成果です。恥ずべきは、筋肉の成長に追いつけない脆弱な繊維のほうです。これを作った職人――そう、ミーナさんに問題があると言っても過言ではないでしょう!」


「あんたたちの筋肉がおかしいんだよ! 普通の布じゃ持たないさ!」


 作業台の奥から呆れた声を上げて現れたのは、織工のミーナ・ヴェントラだ。

 髪を布でまとめ、職人特有のエプロンには無数の針と糸が刺さっている。

 この台地と同じ姓を持つ彼女は、極めて腕のいい職人として有名だ。

 しかし、私の持ち込む「筋肉案件」には毎回頭を抱えていた。


「いいかい、団長。あんたの魔法で膨らんだ筋肉は、岩みたいに硬くてデカくなるんだ。いくら布が伸びるといっても限界がある」


「だからといって筋肉の追求を諦めるなどありえません! それともカイに、今後は尻を出して外を歩けと言いたいのですか? 場合によっては服も破れて半裸なんですよ!」


 私はカウンターに身を乗り出してミーナを睨む。

 対するミーナも負けじと私を睨み返す。


「あんたの筋肉理論はご立派だと思うよ。ここいらでも、近頃はあんたの噂で持ち切りさ。あのセルマがあんたには頭が上がらないという話だ。ギルドも連日賑わっているんだろ?」


「そうです! すべては筋肉の賜物です! なのに、なのに……!」


「団長、あんたの活動には敬意を表するよ。でも、何事にも限度ってものがあるでしょ。どれだけ私の腕が良くても、破れるときは破れる。衣類ってのはそういうものさ」


「なるほど。つまり、万物の根源が筋肉であると主張する私に対し、あなたは布こそ根源だと主張するわけですね?」


「いや、私はそういう話をしているんじゃなくて……」


「いいでしょう! そこまで言うのであれば、筋肉の肥大化に耐えうる布を開発するところから始めましょう!」


 私はカウンターを越えて、作業台に向かう。


「団長!?」


「ちょっ! あんた、何を……!」


 二人の声を無視して、私は作業台にあった糸の束に手をかざした。

 ミーナが愛用している丈夫な糸だが、私にとっては物足りない。


「ミーナさん、私はあなたの技術を信頼していますが、素材には改善の余地があると思います」


「改善……!?」


「筋肉の収縮と弛緩に合わせて呼吸し、決して動きを阻害せず、かつ破綻しない柔軟性……それを実現するための構造を、私は魔法で解析します! 筋肉魔法〈マッスル・フォーカス〉!」


 私は親指と人差し指で輪っかを作り、それを通して糸の束を見た。

 魔力を視神経と指先に集中させることで、肉眼ではわからない微細な構造まで見える。

 糸の一本一本、撚りの甘さや毛羽立ちまで鮮明に映っている。


「……見えます。この綿糸の撚りを甘くして空気を含ませ、芯に魔獣由来の素材――たとえば『走り鹿』の腱から取れる弾性繊維を巻き付けるのはいかがでしょうか?」


「魔獣の素材を糸に転用する……前代未聞の発想だが、そのアイデアはありね。あなたの説明をもとに性質を考慮すると、ゴムのような伸縮性が手に入るかもしれないわ!」


 ミーナが声を弾ませる。


「走り鹿の腱は、高価な弓の弦にも使われています。そのため、素材自体はこの街にあるはずです」


「面白そうじゃないか! よし、試してみるか!」


 ミーナの職人魂に火がついた。

 彼女はニヤリと笑うと、壁に掛かっていた特殊な素材の束を掴み取った。


「おい新人、採寸するから裸になりな!」


「えっ、あ、はいッ!」


 カイが慌てて服を脱ぐ。

 その体は、出会った頃とは比較にならないほど引き締まっていた。


 ◇


 数日後――。

 私が考案した特製の糸を使った新衣装が完成した。

 ありがたいことに、ミーナはズボンだけではなくインナーウェアも作ってくれた。


「カイ、準備はできましたか?」


 工房の奥にある試着室の前で、私とミーナは待っていた。


「はい、団長! お待たせしました!」


 カイがカーテンを開く。


「……どう、ですか?」


 現れたカイが着ていたのは、体に吸い付くような漆黒の上下セットだった。

 見た目はただのインナーウェアだが、独特の光沢を放っている。

 他の衣服では感じられない、個性的な質感だ。


「見た目は悪くありませんね。では、実負荷試験を行いましょう」


 私はカイの背に手を置いた。

 手加減はしない。

 実戦と同じ負荷をかけなければ、試験の意味がないからだ。


「いきますよ、筋肉魔法〈マッスル・ブースト〉! カイ、限界まで筋肉を膨らませなさい!」


「はい! ……ふんぬッ!」


 ドクンッ!

 カイの筋肉が一気に肥大化していく。

 胸板が倍以上の厚さになり、上腕二頭筋がボールのように隆起し、太腿が丸太のように太くなる。

 いつもなら、ここで「ビリッ」という悲しい音が響く。


 だが――。


 ギュウゥゥン。


 布は悲鳴を上げず、ゴムのように伸びた。

 縫い目は極限まで引っ張られているが、はじけ飛ぶ気配はない。

 筋肉の起伏の一つ一つまでを浮き彫りにするそのフィット感は、まるで第二の皮膚のようだ。


「カイの筋肉の形状に合わせて滑らかに伸びていますね」


 ミーナが「よっしゃ!」と拳を作る。


「団長、この服、すごいですよ! 破けないだけでなく、動きやすいです!」


 カイがシャドーボクシングを始める。

 パンチを繰り出すたびに布が伸縮し、汗を吸ってすぐに蒸発させている。


「合格ですね。これで安心して筋肉を鍛えられますね」


「はい! もう臀部の破れに怯えなくて済みます!」


「ミレイユ団長、あんたのおかげで新しい看板商品ができちまったよ! 何かお礼をしないとね!」


「それなら、今後はこの商品を使った衣服を優先的に提供してくださいね」


「お安いご用よ! あ、そうだ、商品名は何にする? せっかくだから団長、あんたが決めてよ!」


 私は「そうですね……」と考えてから言った。


「伸縮布……でいかがでしょうか? そのままですが、だからこそわかりやすい。筋肉と同じです」


「オーケー! じゃあ、伸縮布で決定ね!」


 私とミーナが握手を交わす。

 そのときだった――。


「素晴らしいわ! その伸縮布、うちで独占販売させてもらうわよ!」


 突如としてセルマが現れた。


「体型変化に強いってことは、成長期の子供や、体格のいい亜人種、それに妊娠中の女性にも需要があるわね。全冒険者、いや全市民に売れるわ!」


 セルマが即座に電卓代わりの魔道具を弾き始めた。


「セルマさん、私はまだ独占販売を承諾していないよ!」


「そんなこと言わないで独占させなさいよ。お金なら弾むから! ね?」


 セルマがスススッとミーナに忍び寄り、こそこそと耳打ちする。

 すると――。


「よし、セルマさん、独占契約よ!」


 ミーナは一瞬で掌を返した。


「セルマさん、独占は構いませんが、私には良心的な価格で販売してくださいね」


「もちろん。商売は信用が大事だからね。あなたには通常よりも安い特別価格で提供するわ!」


 私は満足げに頷いた。

 かくして、私の支援を受けた冒険者が、戦闘後に半裸になって辱めを受けるリスクは消滅した。

 〈筋肉応援団〉の支援は単なる魔法の提供にとどまらず、装備という「仕組み」へと昇華されたのだ。


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