035 筋トレ指南
「どうしても断るというのか……」
アルノーは複雑な表情をしていた。
驚いているようにも、呆れているようにも見える。
また、納得しているようでもあった。
「アルノー子爵や行政院の方針には賛同しますが、権力闘争に加わるつもりはございません。今は特別顧問だけでも、いずれそれだけでは済まなくなる可能性がありますから」
権力闘争は、一度参加したら降りることはできない。
行政院の特別顧問になれば、目の前の問題は抑止できるが、未来で新たな問題の原因になる可能性もある。
それに――。
「筋肉は正義です。正義は悪に負けません」
「そういうことなら仕方ないな。諦めるとしよう」
アルノーは渋々承諾し、グラスのワインを飲み干した。
それから、「だが……」と続けた。
「こちらも諦めるつもりはない。我々の利害は一致している以上、何かしらの良い着地点を見出せるはずだ。どういう形なら貴殿に納得してもらえるかを検討し、改めて提案させていただくよ」
「それは結構ですが、権力闘争には加わりませんよ?」
「もちろん、そのことを承知した上で検討させてもらうよ」
「わかりました。では、これで失礼してもよろしいですか?」
「ああ、話は以上だ。ご足労いただき感謝する、ミレイユ殿」
「こちらこそ、子爵閣下の寛大なお心に感謝申し上げます」
私とアルノーは立ち上がると、別れの握手を交わした。
◇
翌日。
私はグレンデル各地の筋トレ施設を視察していた。
〈筋肉応援団〉が管理する施設で、最新の筋トレ器具が揃っている。
「マッスル! うぉおおお! マッスル!」
カイが必死にバーベルを上げている。
私が手塩にかけてきただけあり、日に日に筋肉が成長していた。
まだ未熟だが、成長率は誰よりも高い。
次代のエース候補だ。
本人もそれを自覚しており、人一倍熱心に取り組んでいた。
おかげで、最近では「私がカイを贔屓している」との声も聞かれなくなった。
カイが実力で周囲を黙らせたのだ。
「カイ、あなたは本当によく頑張っていますね。依頼者からの評判も高いですし、トレーニング時の姿勢にも問題が見られません。その調子で精進しなさい」
「はい!」
「あえて言うまでもありませんが、食生活には気をつけてください」
「もちろんです! 鍛錬・食事・休息……この三つの積み重ねが大事なんですよね!」
「そうです。ただ、がむしゃらに鍛えればいいというものではありません。筋肉に適した食事で栄養を摂取し、しっかり休んで筋肉を回復させる……そこに血の滲むような鍛錬が加わり、初めて筋肉は成長します」
筋肉理論の基礎だ。
わかってはいても、実践できる人間は少ない。
特に、功を焦って休息を疎かにする者が後を絶たなかった。
だから、〈筋肉応援団〉では休息を義務づけている。
年中無休で働いているのは私とリリナだけだ。
「ところで団長、以前から気になっていたことを質問してもいいですか?」
鍛錬を終えたカイが、全身に汗を浮かべて私を見る。
むせ返るような汗の臭いが素晴らしい。
「どうかしましたか?」
「団長はいつ鍛えているのですか?」
「と言いますと?」
「団長の筋肉理論では、継続的な鍛錬が大切ですよね?」
「そうです」
「しかし、団長は忙しくて鍛える余裕がないように見えます。実際、メンバーの中に団長のトレーニング姿を目撃した者はいません。レクチャーのためにバーベルを上げているところは見ますが……」
「カイ、良い着眼点です。頭の筋肉も順調に成長していますね」
私は微笑むと、カイの疑問に答えた。
「確かに私は、カイや他のメンバーのようなトレーニングは一切していません。しかし、筋トレ自体は欠かさず行っています。温泉休暇の時は別ですけどね」
「本当ですか? いつ? どこで……?」
「今この時も鍛えていますよ」
「え?」
「口頭で伝えても理解できないと思うので、視覚的に証明してみましょう」
私は纏っているローブを脱ぎ、カイに渡した。
ローブの下はノースリーブで、細い腕が露わになった。
「見ていてくださいね」
私は壁際に設置されている飲料水を手に取った。
最近、発明された〈ペットボトル〉という容器に入ったものだ。
キャップを開けて、中の水を剥き出しの腕にかける。
ジューッ!
腕にかかった水が凄まじい速度で蒸発した。
「水が……! どうなっているのですか!?」
「これは私が編み出した〈ミレイユ式超振動鍛錬〉というもので、全身を素早く振動させることで、体中の筋肉に満遍なく負荷を与えています」
「全身を振動させる……シバリングみたいだ!」
シバリングとは、体を震わせて体温を上げようとする生理現象だ。
寒くなった際に体がブルブル震えるアレである。
「やっていることは、それの究極強化版といったイメージですね」
筋トレとは、言い換えると筋肉に負荷をかける行為だ。
高い負荷によって、筋肉に「今のままではダメだ」と成長を促す。
その方法として一般的なのが、重い物を持ち上げることだ。
バーベルやダンベルが分かりやすい例だろう。
しかし、負荷をかける方法はそれだけではない。
体を素早く動かすこともまた、筋肉への負荷につながるのだ。
「じゃあ、僕も団長と同じ方法を採用すれば、さらなる高みを目指せるのでしょうか?」
「理論上は可能ですが、今のあなたには無理です」
「どうしてですか?」
「重い物を持ち上げる筋トレと違い、難易度が非常に高いからです。超高速で体を動かす筋トレには、そもそも体を超高速で動かせるだけの身体能力が必要です。あなたは私の筋肉魔法を受け、なおかつ極寒という環境下でようやく、超高速シバリングをするのが精一杯でした。私の筋トレ方法を採用するなら、その数十倍の速度で体を動かす必要があります」
「数十倍!? それは無理だ……!」
「ですから、まずは一般的なトレーニング法によって、着実な筋力アップに努めてください。私もかつてはバーベル上げをしたものです。とりあえず、筋肉魔法に頼らず片手で1トンのバーベルを上げられるようになりましょう。そこがスタート地点です」
「はい! 引き続き頑張ります!」
私は笑顔でうなずき、他のメンバーを見ようとした。
そんな時――。
「ミレイユ団長! ようやくあなたを見つけた!」
新聞記者のペンネが現れた。
その手には、インクの匂いが漂う刷りたての新聞を握っている。
彼女がこうして現れる時の用件は決まっていた。
「〈ブラッディ・ナイトメアーズ〉に大きな動きがあったよ!」
案の定、ラグナスたちに関する話だった。
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