034 アルノーの打診
夜、ギルドの営業を終えた私は、その足で、ある場所にやってきた。
グレンデルで最も立派な屋敷――アルノー子爵の邸宅だ。
私は子爵に呼び出されていた。
今回も詳細は不明だが、悪い話ではないはずだ。
その証拠に、案内されたのは豪華な迎賓室だった。
「夜分にすまないね、ミレイユ殿」
ソファに座って待っていると、アルノーが現れた。
側近のフォルクは今日も同席している。
アルノーは向かいのソファに座り、フォルクはその後ろに立っていた。
「いえ、それよりご用件は……?」
筋肉は無駄話を嫌う。
それに時間も遅いので、さっさと帰りたいのが本音だ。
「実は行政院から、貴殿を『特別顧問』に招聘できないかと打診があってね」
「行政院ですか?」
行政院は王都政府の組織で、その力は聖務庁に匹敵する。
例えばユーリスの所属する迷宮調査院などが、行政院の管轄だ。
聖務庁と権力争いをしていることでも知られている。
「招聘といっても、基本的には今までどおりに過ごしてくれてかまわない。顧問料を支払うが、特に何かを依頼したいわけではないのだ」
「なるほど、そういうことですか」
私の頭の筋肉が働いて、瞬時に事情を察した。
要するに、行政院は私の名前を利用したいのだ。
私を叩き棒にして、聖務庁を叩く……そういう思惑である。
「悪い話ではないと思うが、いかがかな? 行政院は現場を重んじる組織だから、〈筋肉応援団〉と考え方が合う。そして、筋肉を独占しようというわけではない」
アルノーはテーブルに用意されていたワインをグラスに注ぎ、慣れた手つきで飲み始めた。
「申し訳ございませんが、お断りいたします」
たしかに『悪い話ではない』が、良い話でもなかった。
「ほう? それは、どうしてかな?」
アルノーの目が険しくなる。
「筋肉は権力闘争の道具ではございません。前に申し上げたとおり、政治の道具にもなりません」
「これは手厳しい意見だ」
アルノーが笑う。
思ったよりも驚いていない。
この展開を予想していたのだろう。
「ご期待に添えず、申し訳ございません」
「ふむ」
アルノーは少し考える素振りを見せてから、攻め方を変えてきた。
「たしかに今回の打診は、貴殿の言う権力闘争を目的としたものだ。だが、承諾したほうが貴殿のためにもいいと思うよ」
「どういう意味ですか?」
「最近、王都では中央集権政策を推し進める動きがある。――簡単に言えば、各都市が持つ自治を薄め、王都の官僚が直接仕切る方向だ」
アルノーが「貴殿も知っていると思うが」と付け加えた。
「そういえば、少し前にこの都市にも王都から監査官が来ましたね」
オルドのことだ。
税法を理由に都市の自治権を奪おうとした男である。
「現在、我が国では各貴族が領地を持ち、都市運営は当該貴族のもとで行われている。この都市で言えば、私がそうだ」
私は「ですね」と相槌を打った。
「しかし中央集権が進めば、まずは税や許認可の名目で縛られ、次に裁量を削られ、最後は王都の官僚が“数字だけ”で都市を運営するようになる。現場の事情は二の次だ」
「それは困りますね。ですが、それと私に何の関係が?」
ある程度は察しているが、念のために尋ねておいた。
「主導しているのが聖務庁であり、反対しているのが行政院だ。つまり今の王都は、回復と権威の聖務庁と、現場重視の行政院が綱引きをしている」
「存じています」
聖務庁の権力は、王国で最も強い。
行政院は対立組織のトップだが、同格とは言えなかった。
「だが、風向きが変わりつつある。ミレイユ殿、貴殿のおかげでね」
「私のおかげ?」
「貴殿の意思に関係なく、王都では〈筋肉応援団〉は行政院側の象徴として見られ始めている。もっと言えば、聖女を擁していないパーティー全体が“行政院寄り”として括られている節がある」
「聖女を取り仕切っているのが聖務庁だから……ということですね」
「そうだ。これまでは聖女を擁しているパーティーが『成果を出せる側』と見られていた。だが、この数か月に限れば、聖女を擁していない者たちのほうが目立って活躍している」
「それは〈筋肉応援団〉に限った話ですか?」
「いや、全般的にだよ。〈筋肉応援団〉の活躍が呼び水になって、筋肉を再評価する空気が広がっている。今では他領の都市でも筋トレが流行り、我が領や男爵領では、図書館で貴殿の筋肉理論に関する論文が一番人気だ」
「そうでしたか」
知らない情報だった。
子爵領やその周辺で筋肉が再評価されつつあるのは知っていたが、まさかもっと遠くにまで及んでいるとは思いもしなかった。
筋肉の素晴らしさが理解されるのは、素直に喜ばしいことだ。
「だが、聖務庁からすれば面白くない。理由をつけて筋肉理論を潰そうとしている。聖務庁と関係の深い公爵領や伯爵領では、図書館で貴殿の論文を読むことすらできない」
「身体強化魔法の認可制を検討している……と、聖務庁のイグナート監察官が言っていましたね」
「そうした動きが日に日に強まっている。――そこでだ。貴殿が行政院の特別顧問になれば、聖務庁は強引な弾圧をしにくくなる」
「どうしてですか? たしかに〈筋肉応援団〉の功績は誇らしいものですし、私の筋肉は誰よりもたくましく、筋肉理論も上腕二頭筋に匹敵する美しさがあります。それでも、私は所詮、一介の聖女にすぎません」
「ポイントは貴殿が『追放された聖女である』ということだよ」
「といいますと?」
「貴殿は〈ブラッディ・ナイトメアーズ〉を追放された際、結果として聖務庁にも見限られた。だが、聖女としての規則を破ったわけではない。だから今でも“聖女”のままだろう?」
「はい」
「その貴殿が行政院の顧問になった――という建て付けで、聖務庁が筋肉弾圧や中央集権を押し通したら、世間はどう思う?」
「良くは思わないでしょうね」
「バッシングの嵐が吹くに違いない。新聞同盟も、『聖務庁が筋肉聖女を潰そうとしている』と騒ぎ立てるだろう。」
「要するに、子爵閣下はあなたを矛ではなく盾として据えたいのです。聖務庁が乱暴をすれば、世論の反動で自滅する。その構図を作るために」
フォルクが、淡々と補足する。
以前とは違い、口調が丁寧になっていた。
「なるほど。そういうことでしたか」
アルノーはワイングラスを片手にうなずいた。
「行政院や、私や男爵といった弱小貴族にとっては、現状を維持できればそれでいい。わざわざこちらから攻撃しなくても、筋肉と回復のどちらが優秀かは結果が証明してくれるからね」
「筋肉は地道に鍛えるもの。行政院の勢力としてカウントされる聖女のいない冒険者パーティーは、今後、ますます勢いづくでしょう。そうなれば、今よりも筋肉が優位に立つ……子爵閣下はそう睨んでいるわけですね」
「そういうことだ。だから、貴殿には中央集権政策を防ぐため、行政院の特別顧問になってもらいたい。権力闘争の匂いがするのは否定しない。だが、狙いは“現場”を守ることだ。貴殿にとっても得になる」
アルノーはワイングラスをテーブルに置き、力強い眼差しを私に向けた。
側近のフォルクも、何も言わずにじっと私を見ている。
「事情はわかりました」
私は一呼吸を置いてから答えた。
「ですが、私の気持ちは変わりません。特別顧問の件、お断りいたします」
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