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024 北境ヘルグレン氷原

 グレンデルより遥か北に位置する、北境ヘルグレン氷原。

 そこは、世界から色彩を奪う白銀の地獄だった。

 吹き荒れる猛吹雪が視界を塗りつぶし、体感温度は氷点下二十度を下回る。


 まつ毛すら凍りつく極寒の中、私、カイ、ガストンの三人は分厚い毛皮に身を包んだ大男の背中を追っていた。

 北境部族の戦士ウルガ――今回の依頼人だ。


「すまねえ……。あんたらに頼るようなことじゃねえんだが、俺たちの手だけじゃどうにもならなくてな」


 ウルガが雪に足を埋めながら、悲痛な声を漏らす。

 蓄えた髭には氷柱が垂れ、その表情は絶望に凍りついていた。


「子供が遊びに出て、そのまま吹雪に巻かれたんだ。もう半日になる。この寒さだ、普通の人間なら一時間ともたねえ……」


「寒っ……! 息をするだけで肺が痛いですよ……!」


 カイが後ろで歯をガチガチと鳴らしている。

 防寒具を重ね着してはいるが、それでも耐え難いようだ。

 顔色は青白く、眉毛は白く凍っていた。


「これじゃ探索どころか、こっちが凍えますよ! 団長、何か魔法で暖を……!」


「残念ながら、私は筋肉魔法しか使えません」


「そんなぁ……」


「ですが、筋肉魔法を使えば、自力で寒さを凌ぐことが可能です」


「え!?」


「いきますよ――筋肉魔法〈マッスル・リフレックス〉!」


 私は皆に魔法をかけた。

 この魔法は、反射神経や瞬発力を向上させるものだ。

 しかし、現在のような状況で使うと――。


「あ、あれ、寒さが和らいだ……!?」


 カイが驚いている。

 彼やガストンの体からは蒸気が漂っていた。


「ふぉぉぉ、温かいのう! 団長、どういう仕組みじゃ?」


「人は寒さを感じると、体温を維持するために体を震わせます。シバリングと呼ばれる現象です」


「団長の魔法によって、シバリングが高速化して温かくなったってことかの?」


「そのとおりです。当然、筋肉の消費量が高まってしまいますが、それは筋肉不足だと思って受け入れるしかないでしょう」


「口を挟んで悪いが、俺は何も変わっていないのだが……?」


 ウルガが困惑した様子で振り返る。


「それはウルガさんがシバリングを起こしていないからです。同様に、私の身にも変化は起きていません。それよりも、急ぎますよ」


 私はウルガの前に出た。

 彼の足は深く雪に沈み、歩行速度が落ちている。

 一刻を争う状況で、このペースは致命的だ。


「お、おい、あんた、先頭は危ないぞ!」


「大丈夫です。子供の救助が最優先です。私たちが先行しましょう」


 寒さの問題さえ克服すれば、ウルガよりもカイとガストンのほうが優秀だ。

 二人もあっという間にウルガを追い抜かした。


「先行するって、この新雪だぞ? 腰まで埋まる恐れがある!」


「問題ありません。〈マッスル・ダッシュ〉で脚部の出力を強化して、足が埋まるより先に次の一歩を踏み出せばいいのです。水面を走るトカゲのイメージです。カイ、できますね?」


「え? 僕がやるんですか!? む、無茶言わないでくださいよ! ……いや、僕は団長の一番弟子なんだ! できます!」


 カイが前傾姿勢をとる。

 筋肉の温度が上がり、反応速度も最高潮に達している。


「素晴らしい心意気です。では……〈マッスル・ダッシュ〉!」


 私が魔法をかけると、カイが走り出した。

 まさに疾走というほかない見事な走りっぷりだ。

 雪煙が舞い上がっている。


「すごい……! 本当に雪原を駆け抜けている……!」


「これが〈筋肉応援団〉の力です」


 カイの足は雪に沈むことなく、滑るように加速していく。


「ワシも負けておれんのう」


 ガストンは背中の鞘から剣を抜いた。

 冒険者時代に使っていたもので、今回の任務に備えて持ち込んでいた。


「ふんッ!」


 ガストンが真剣な表情で剣を縦に振り下ろす。

 すると、積もっていた雪が割れて道ができた。


「なんだ!? これは……!」


「さすがは元Aランク冒険者ですね」


「ふぉっふぉっふぉ」


 ガストンもカイの後を追って駆け抜けていく。


「話には聞いていたが、〈筋肉応援団〉がこれほどすごいとは……!」


 ウルガは驚愕しきりだった。


 ◇


 数十分後。

 白い闇ともいうべき猛吹雪を突破した私たちは、小さな雪洞を発見した。

 切り立った氷壁の下にあり、吹雪を凌ぐのにもってこいの場所だ。

 事前情報によれば、そこに子供たちがいるとのことだったが――。


「ウルガさんの見立ては正確だったようですね」


 雪洞の奥に、小さく丸まって震えている子供たちがいた。

 不安と恐怖で泣きじゃくり、憔悴しきっているが、幸いにも生きている。

 皆で体を寄せ合って寒さに耐えていた。


「〈筋肉応援団〉のおかげで迅速な救助ができた。感謝する!」


 追いついたウルガが声を弾ませる。

 あとは子供たちに声をかけ、皆で仲良く帰るだけ。

 ――と誰もが思った、その時だった。


 ゴゴゴゴゴォ!


 地響きが、頭上から降り注いだ。

 見上げると、氷壁の上に積もっていた大量の雪が崩れ始めていた。

 雪崩だ。


「上が崩れるぞ! 巻き込まれる!」


 ウルガが絶叫する。

 雪崩の規模は大きく、雪洞ごと全てを飲み込む勢いだ。

 子供を助け出してから走って逃げる時間は、物理的に存在しない。

 そもそも、私たちが無事でいられる保証もなかった。


「「団長!」」


 カイとガストンは縋るように私を見る。


「任せなさい!」


 私はカイを押し倒した。


「団長、何を……!?」


「あなたなら死なないと信じています」


「え?」


 私はカイの右足首を掴むと、雪洞の入口前に移動した。

 そして――。


「うりゃああああああああああああ!」


 思いっきりカイを振り回した。

 それによって巻き起こる風が、迫り来る雪崩を吹き飛ばす。


「ほげぇえええええええええええ!」


 カイの絶叫が響く。


「名付けて〈人間除雪ブロワー〉! 子供たちよ、今のうちに雪洞から逃げなさい!」


「「「う、うん!」」」


 子供たちが死に物狂いで雪洞を抜ける。


「団長ォオオオオオオ! 目が回るぅううう! 頭がぁあああああああ!」


「もう少しの辛抱です! カイ!」


 結果、救助は成功し、負傷者もいなかった。

 カイは死にかけているが、それは筋肉不足だからだろう。

 私のせいではない。


「まさに神業……! あんたらは部族の恩人だ。この礼は、命に代えても……!」


「依頼金は受け取っていますし、礼には及びません。子供を守るのは大人の筋肉の義務ですから」


「僕は死にそうなので何かお礼がほしいです……」


 カイが駄々をこねている。

 やれやれ、彼は「謙虚」や「謙遜」という言葉を知らないようだ。


「付き人の彼もこう言っているし、何か礼をさせてくれ!」


「それであれば……」


 私はある提案をすることにした。


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