023 グレンデルの税問題
聖務庁の圧力を、筋肉的回避でいったんやり過ごしてから数日。
またしても、グレンデルに王都の魔の手が及ぼうとしていた――。
グレンデル自治評議会、第一会議室。
都市の重要事項を決定するこの部屋は、冷たい冬の湖のような静寂と緊張に支配されていた。
重厚な円卓を囲むのは、商会連盟代表のセルマと、ギルド協会支部長のガルン。
加えて、ガルンに呼び出されてやってきた、明らかに場違いな私とリリナ。
私たちの視線の先にいるのは、王都から派遣されてきた一人の男だ。
監査官オルド・メイラン。
神経質そうな細身の男で、鼻にかかった銀縁眼鏡の奥から、獲物を狙う猛禽類のような眼光を放っている。
彼は手元の分厚い帳簿を、バサリとテーブルに投げ出した。
「……酷いものだな。この都市の税収報告は杜撰極まりない。王都への上納分が、試算額より三割も不足している。辺境都市だからと甘えているのか? それとも、私腹を肥やしているのか?」
オルドの声は低く、侮蔑に満ちていた。
「めっそうもありません!」
セルマは声を裏返して否定した。
普段は冷静な彼女の額に、脂汗がにじんでいる。
「自然災害による物流の停滞や魔物被害の影響で、遅れが生じているだけです。未納分については、来月までには必ず……」
「来月? 王都の会計は待ってくれんよ」
オルドは冷たく切り捨てた。
「なるほど、これがアルノー子爵の言う『干渉』ですか」
私は小さな声でつぶやいた。
以前アルノーと話したとき、彼は「王都からの干渉が強まっている」と言っていた。
当時は意味がわからなかったが、オルドの態度を見て事情を察した。
「ミレイユ団長、その子爵閣下はどうしてこの場にいないのでしょうか?」
「政治的な判断でしょう。この場に子爵がいた場合、監査官に圧力をかけたと因縁をつけられかねません」
私とリリナがひそひそ話している間にも、オルドたちの議論は進んでいた。
「期限は今日だ。未納分を即座に補填できなければ、グレンデルの自治能力欠如と見なす。自治権の一部剥奪と、王都からの直接統治官の派遣を勧告することになるだろう」
じわじわと追い詰める官僚のやり口だ。
ルールに則っているぶんだけ、たちが悪くて手に負えない。
「今すぐ現金を用意しろなんて無茶だ! 現場もカツカツなんだぞ!」
ガルンが拳を握りしめ、必死にこらえていた。
「無能の言い訳は聞き飽きた」
オルドが席を立とうとすると、セルマが慌ててそれを止めようとする。
そんなとき、別の女が颯爽と割って入った。
「では、有能な筋肉に答えを求めてはいかがでしょうか?」
そう、私だ。
「あ? 誰だ貴様は。そもそも、どうしてこの場にいる?」
「私は冒険者支援ギルド〈筋肉応援団〉の団長、ミレイユ・アードラー。この都市の筋肉を管理する者です。この場にいる理由は私にもわかりません」
「んがっ……!? わからないだと!? それに何だ、『筋肉を管理する者』とは! 暴力で脅すつもりか!?」
どうやらオルドは、私のことを知らないようだ。
つまり、今回の一件に聖務庁は絡んでいないということ。
「いいえ。筋肉は暴力ではなく労力です。また、経済とは血液の循環であり、それをポンプのように押し流すのも筋肉の仕事です――失礼」
私はオルドに近づき、彼が持っていた帳簿を手に取った。
セルマが事情を説明するために提出したものだ。
「うーん、これはこれは……」
残念ながら、見てもさっぱりわからない。
筋肉的とは言いがたい数字が並んでいるだけだ。
こんなときは優秀なアシスタントに頼ろう。
「リリナ、解説しなさい」
「ふぇ!? 私ですか!?」
驚きつつも、リリナは素直に従った。
「えっと、税の一部が未納になっている原因は、港湾の関税が報告されていないからです!」
「どうして関税が報告されていないのですか?」
「港湾における荷役作業の遅延によるものです。今期は自然災害が多かったため、荷物が倉庫に滞留しており、課税処理が追いついていません……って、これ、さっきセルマさんが言っていましたよ!?」
「聞いていませんでした。ですが、これで事情はわかりました。この問題、私が解決してみせましょう」
「なんだと?」
オルドの眉がぴくりと動いた。
「ミレイユ!? 正気なの!? さすがに無茶よ!」
セルマも目を見開いている。
ガルンだけは「よくやったぞ!」と言いたげな顔をしていた。
「オルド監査官、日付が変わるまで、しっかり待っていてくださいね。未納分の税額を確定し、納めますから」
「いいだろう」
「では作業を始めましょう。セルマさんは作業の段取りと臨時手当の手配をお願いします」
「わかったわ」
「ガルンさんは各ギルドに声をかけて、手の空いている者を総動員してください」
「承知した。ミレイユ、お前は何をするんだ?」
「私は筋肉魔法で作業効率を数倍にします」
私は拳を突き上げた。
「皆でこの難局を乗り切りましょう!」
◇
一時間後。
グレンデルの物流拠点、港湾地区の巨大な倉庫群は、異様な熱気に包まれていた。
木箱や麻袋が山積みになっている。
その前には、数百人にも及ぶ港湾労働者たちが整列していた。
彼らは疲労困憊で、死んだ魚のような目をしていた。
オルドの監査を乗り切るため、過度な労働を強いられていたのだ。
このままでは過労死しかねない。
「港の労働者たちに告げます! あなたたちは休んでいなさい! あとは冒険者に任せるのです!」
私は高台から宣言し、倉庫群に向かって右手を伸ばした。
「行きなさい! 冒険者たち!」
「「「うおおおおおおおおおおおおおおお!」」」
私の号令で、ガルンの集めた冒険者たちが一斉に突撃する。
彼らには〈マッスル・ワーク〉と〈マッスル・スタミナ〉をかけておいた。
これで効率的な作業を持続的に続けられる。
「お前ら、棚卸しだ!」
「滞留貨物の一覧表と突き合わせて、貨物を確認するぞ!」
「我がギルドは搬出を担当する!」
「仕分けは任せろ!」
皆が一致団結して働く。
「すごい……! まるでプロの仕事だ……!」
「これが……冒険者……!」
港の労働者たちが感嘆した。
「リリナ、事務処理班はあなたに任せますよ!」
「はい、団長! お任せください!」
各ギルドの受付嬢も総動員だ。
圧倒的な筋肉で荷物を運んでも、その後の書類仕事で詰まってしまう。
こうした事務処理は、ギルド協会に所属する受付嬢チームが担当する。
筋肉魔法〈マッスル・フォーカス〉で、目の動きを加速させておいた。
「荷下ろし完了! 次!」
「検品完了! 次!」
「計量完了! 次!」
「品目確定! 次!」
「帳簿転記完了! 関税額確定!」
怒涛の速度で課税処理が済んでいく。
「なんだこの処理速度は……! これでは本当に今日中に解決してしまうというのか……!」
私の傍で作業を眺めていたオルドが、信じられないといった顔をしている。
「オルド監査官、王都に戻ったらお偉いさん方にこうお伝えください――グレンデルに、筋肉あり」
「グレンデルに、筋肉あり……」
作業開始から四時間後。
すべての作業が終了し、さらには前倒し分まで確保されていた。
「これで文句はありませんね? オルド監査官」
「……ぐぬぬ。今回は見逃してやる。だが、次はこうはいかんぞ! 貴様のその非常識な筋肉手法が、いつまでも通用すると思うな!」
オルドは負け惜しみを叫び、逃げるように馬車へと乗り込んだ。
「ありがとう、ミレイユ! あなたのおかげで助かったわ!」
「お前を評議会に呼び出して正解だったぜ! やっぱ筋肉だよな!」
セルマとガルンが駆け寄ってくる。
「はい、筋肉は皆の期待を裏切りません」
私は笑みを浮かべた。
聖務庁の圧力も、王都の干渉も、筋肉があれば跳ね返せる。
この都市の地盤は、私の筋肉によって着実に固められつつあった。
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