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012 ヴェントラの市日

 私は、風の街こと風車台地ヴェントラに来ていた。

 普段は無骨な職人街だが、今日の大通りは色とりどりの屋台と人々で埋め尽くされている。

 月に一度の「市日」だ。


 巨大な風車の羽根がゴウゴウと回り、売り子たちの威勢のいい声が飛び交う。

 そんな熱気渦巻く広場の一等地に、私たち〈筋肉応援団〉は特設ステージを組んでいた。

 私が考案した新素材〈伸縮布〉を売り込むため、ミーナに呼ばれてきたのだ。

 筋肉の万能性を布教するためでもある。


「さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 冒険者諸君、奥様方! 服が破れて恥をかいたことはないかい!?」


 織工のミーナが、壇上で声を張り上げる。

 彼女は伸縮布で作られた黒いシャツを両手で持ち、力いっぱい引っ張って見せた。


「どんなに暴れても、どんなに筋肉が膨らんでも裂けない! これがヴェントラの新名物、〈伸縮布〉だよ!」


 観衆が足を止める。

 物珍しさと、ミーナの剣幕に惹かれたのだ。

 私はその横で腕組みをして、静かに頷いた。


「本日は販売だけでなく、実演も行います。筋肉はただの暴力ではありません。見る者に活力を与える、極上の娯楽にもなり得るのです」


 私が合図を送ると、ステージの袖から巨漢が躍り出た。


 〈鋼身道場連合〉の師範、バルド・ケインだ。

 彼は上半身裸に道着のズボンという姿で、丸太のような腕を掲げて吠えた。


「おう! 集まったな、風車の街の野郎ども! 今日は俺たち道場と、〈筋肉応援団〉の合同祭だ!」


 バルドの声量は、風車の風切り音すら掻き消す。

 彼の道場生たちが「オス! オス!」と合いの手を入れ、場の空気を温めていく。

 どうやら興行慣れしているようだ。


「俺たちの筋肉は伊達じゃねぇ! それを証明してやろう! カイ、ガストン、こっちへ来てくれ!」


 バルドの声に導かれて、カイとガストンがステージの中央に向かう。

 あどけなさの残る青年と白髭の老戦士の組み合わせは、観客の興味を引くのに最適だった。


「団長、俺……なんだか見世物みたいで恥ずかしいです。これ、本当に支援活動なんですか?」


 カイが顔を真っ赤にして、私に小声で訴える。

 ワイバーンを素手で倒した剛の者だが、根は素朴な田舎の少年だ。

 数百人の視線に晒されるのは、魔物と戦うより緊張するらしい。


「堂々としなさい、カイ――」


 私は彼の背中をバンと叩いた。


「――あなたの筋肉は、日々の努力によって磨き上げられた美しい成果物です。美術品を公開するのに、何を恥じることがありますか?」


「美術品って……」


「かっかっか! 若造、照れるでないわ! わしを見ろ、還暦を過ぎてもこの張りじゃ!」


 ガストンが豪快に笑い、身につけていた上着をバッと脱ぎ捨てた。

 老人の体とは思えない、岩のように隆起した筋肉が露わになる。

 無数の傷跡は勲章のように刻まれ、使い込まれた肉体特有の凄みがあった。


「おおっ、あの爺さんすげえ!」


「あの広背筋、亀の甲羅みたいだぞ!」


 どよめきが起こる。

 観客の称賛に、ガストンは「ふん!」とポーズで応える。


 カイもその空気に当てられたのか、覚悟を決めたように上着を脱いだ。

 若々しくしなやかな筋肉が現れ、今度は女性客から黄色い声が上がる。


 私は右手を挙げて宣言した。


「では、これより実演を行います。演目は『大岩持ち上げ』。ですが、ただ持ち上げるのではありません。安全に、美しく、そして筋肉を愛でながら行います」


 ステージに、風車の石臼に使われる巨大な円盤状の岩が用意されていた。

 重さは優に三百キロを超えており、普通なら腰を砕く重量だ。


「まずは準備です。怪我をしては娯楽になりません。二人が限界を超えないように――筋肉魔法〈マッスル・セーフティ〉!」


 私が二人の背に手をかざすと、淡い光が筋肉を包み込んだ。

 観客が息を呑む。


「これは筋肉に『安全装置』をかける魔法です。無理な体勢、あるいは限界を超えた負荷がかかった瞬間、筋肉が自動的にブレーキをかけます。これにより、事故率をゼロにします」


 私はバルドに目配せした。

 彼は頷き、合図として銅鑼(どら)を鳴らす。


「始めッ!」


 カイとガストンが同時に岩の前へ立った。

 腰を落とし、深く息を吸い込む。

 力任せに腕で引くのではない。

 全身を連動させ、体を一つのバネにする。


「ふんぬッ!」


「ぬうううッ!」


 二人の気合とともに、巨大な岩が浮いた。

 筋肉が躍動し、血管が地図のように浮き上がる。

 大腿筋や大臀筋が極限まで膨張するが、伸縮布のズボンなので問題ない。

 滑らかに伸びて体形に適応し、決して裂けることはなかった。


「ご覧ください! 強化された筋肉は岩の重心を瞬時に捉え、脊椎への負担を分散しています! 腕だけで持っていません。地面を蹴る力が背中を伝わり、岩を押し上げているのです!」


 私はすかさず解説を入れる。

 二人は岩を胸の高さまで持ち上げ、さらに頭上へと掲げた。


 圧倒的な質量を制圧する光景――。

 カイの若々しい爆発力と、ガストンの熟練した安定感。

 対照的な二つの「強さ」が並び立つ光景は、まさに芸術だった。


「これが正しい力の使い方です! 筋肉は重荷を背負うためにある!」


 ズドォォン!


 二人が同時に岩を地面へ落とすと、広場が揺れた。

 一瞬の静寂の後、割れんばかりの拍手喝采が巻き起こった。


「すげえええ!」


「俺もあんなふうになりてえ!」


「それにミーナさんのズボンもすげー!」


「なんで破れないの!?」


「あのズボン、私にも一枚!」


「筋肉相談を受けたい!」


 広場が興奮に包まれる。

 その様子にバルドがニカッと笑った。


「さあさあ、早い者勝ちだよ! 今日を逃すとセルマさんからしか買えなくなるよ! そうなったら今よりもずっと高いからね!」


 ミーナが巧みに売り込む。

 次の瞬間には、多くの聴衆が伸縮布の衣類を求めて殺到していた。


「筋肉の万能性を説くことができ、伸縮布の売り上げにも貢献した……素晴らしいですね」


 筋肉が人々に笑いと活気をもたらす。

 その光景に、私は深く満足した。


「ミレイユ様ですね?」


 そんなとき、一人の男が声を掛けてきた。

 見覚えのない顔だ。


「そうですが、あなたは?」


「私はアルノー・セルディ子爵閣下の使いです」


 男は名ではなく立場を名乗った。


「子爵閣下の使者? 私に何のご用でしょうか?」


「それは私に申し上げられることではございません。私の役目は、この書簡をあなたに届けることです」


 使者は丁寧に封じられた書簡を渡してきた。

 そして、私の返答を待たずに去っていった。


「これは……」


 子爵の書状に目を落とした瞬間、私の眉がぴくりと動いた。

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