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現実逃避は異世界で

 金曜の夜。

 オフィスの蛍光灯がひとつ、またひとつと消えていく。

 時計の針が定時を指した時、佐藤透はそっと席を立った。誰も気づかない。いや、気づかれてもたぶん、気にされない。


 営業部の片隅で「いるけどいない」存在。それが、佐藤透という人間だった。

 コピー用紙の束を抱えて廊下を歩く同期たちの笑い声が背中を通り過ぎていく。


 ――お先に失礼します。


 そう口の中でだけ呟き、声には出さない。出しても誰も返さないことを、もう何度も経験していたからだ。

 電車に揺られ、アパートに戻る。

 1LDKの部屋に灯を点けた瞬間、彼はようやく「呼吸ができる」と感じる。

 スーツを脱ぎ、クローゼットを開ける。そこにはスーツの何倍ものスペースを占める衣装たち。


 軍服、魔法少女、アイドル――。


 社会人としての彼より、そこに吊るされた「誰かたち」のほうが、よほど色鮮やかに生きている気がした。

 明日は東京で開催される「コミックコレクション」。

 年に一度の大イベント。SNSで「バズる」チャンスだ。

 彼は衣装ケースを開け、メイク道具を並べ始めた。

 鏡に映る自分の顔に、うっすらと笑みが浮かぶ。


 「……明日こそ、見つけてもらえる気がする」


 誰に、とは言わない。

 だが、その言葉にこもった渇望は、自分でもわかるほど強かった。

 選んだのは、ゲームキャラの「駆逐艦・葉月」コス。

 ショートカットのウィッグ、セーラー服風の軍装、肩には小さな模型砲塔。

 「弱そうに見えても強大な敵の中に切り込んでいく」という設定が、どこか自分に重なった。

 鏡に映る姿は、会社での自分とは似ても似つかない。

 ――ああ、これが「本当の俺」だ。

 そう錯覚してしまうほど、完成度は高かった。


 夜更け。


 最後のアイライナーを置き、透はスーツケースを閉める。

 衣装三着を詰め込んだスーツケースはずしりと重い。

 けれど、その重みこそが、彼にとって「存在証明」だった。

 ベッドに横たわる直前、彼はスマホを手に取り、SNSのタイムラインを眺めた。

 同じ趣味の人々が、明日のイベントに向けて楽しげに投稿している。


 「明日、現地で会おうね!」

 「みんなの新作コス楽しみ!」


 透の指は、いいねを押すことしかできない。


 ――俺も……誰かにそう言ってほしいな。


 呟きそうになって、やめた。投稿しても反応がないのはわかっている。

 彼はスマホを伏せ、眠りについた。


 ――次に目を開けたとき、天井がなかった。


 「……え?」





 眩しい光。ざわめく風。木々の匂い。

 草の感触。鳥のさえずり。

 周囲を見渡すと、そこは一面の森だった。

 アパートの白い天井も、都会の雑踏も消え失せ、代わりに広がっているのは緑と陽光の世界。


 「夢、か……?」


 呟いたが、頬に当たる風の感触があまりにリアルだった。

 足元を見ると、あのスーツケースが転がっている。

 開けた覚えのない蓋が半開きになっており、衣装の布がはみ出している。


 「は? なんだこれ……え、マジで?」


 その時だった。

 茂みの奥から、低い唸り声が聞こえた。

 見ると、狼のような――いや、もっと禍々しい、黒い毛皮の獣がこちらを睨んでいた。

 口から滴る涎。血走った瞳。


 完全に「狩りの対象」としてロックオンされている。


 「ちょ、ちょっと待て、えっ、なんで!? 俺、ただの――」


 叫ぶ間もなく、獣が飛びかかってきた。

 反射的にスーツケースを引き寄せ、乱暴に衣装を引きずり出す。

 白と紺の軍装。

 ショートウィッグ。

 布地の擦れる音。

 手が震える。だが、身体が勝手に動いていた。


 ――コスプレ、しなきゃ。


 なぜかその思考だけが、鮮明だった。

 シャツを脱ぎ捨て、軍装を羽織り、ウィッグを装着。

 顔にファンデーションを塗り、アイラインを引く。

 ポケットの小さな鏡に映るのは――。


 「……駆逐艦、葉月。敵を撃滅する!」


 口から、キャラの台詞が自然にこぼれた瞬間。

 空気が震えた。


 彼の腕に、冷たい金属の感触。


 見ると、玩具のはずの模型砲塔が実体化していた。

 機械的な音とともに砲口が開き、光が収束する。


 ――ドンッ!


 轟音。衝撃波。

 黒い獣が吹き飛び、木々をなぎ倒した。

 煙の中に立つ透の姿は、まさしく“戦う少女”そのものだった。


 「……なんだ、これ……俺、今……撃った?」


 胸の鼓動がうるさいほど響く。

 恐怖と、興奮と、そして――快感。


 「すごい……ほんとに……キャラになったみたいだ……!」


 その時、彼の視界の端に小さな文字が浮かんだ。

 《スキル〈コスプレ〉発動確認》

 《完成度:83% 効果レベル:2》


 「……スキル?」


 その言葉を呟いた瞬間、遠くで誰かの悲鳴が響いた。

 森の奥、煙の向こうに小さな村が見える。

 獣の群れが向かっていくのが見えた。

 透は一度スーツケースを見下ろし、そして笑った。


 「……行くか。どうせ、夢なら」


 ウィッグを直し、砲塔を肩に構える。

 海軍式のセーラー服の裾が風に揺れる。


 ――駆逐艦、葉月、出撃!


 初めて、彼は“誰か”として声を上げた。

 それが異世界での「佐藤透」最後の言葉になることなど、まだ知る由もなかった。

異世界コスプレ奇譚~ただし現実逃避は用法用量をお守りください~

本日より連載開始です!本日は2話、

明日以降は毎日18時に1話ずつ投稿をしていきますので是非お気に入り登録お願いします!

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