04. 淡々とした状況説明
かなりの時間を移動した後、アルとトオルはとある廃ビルに身を隠した。
この廃ビルには電気が来ていないが、アルが何処からか見つけてきた大きめの懐中電灯が部屋を照らしている。窓の少ない部屋を選び、その少ない窓も締め切ったため光が外に漏れる心配はないだろう。
懐中電灯の上には水の入ったペットボトルが置かれ、部屋全体が明るくなるように工夫されていた。
「それで、何故ジャミングを切ったかという話でしたね」
服を着替えた後、濡れてくっついてしまった紙幣を一枚ずつ剥がす作業に没頭しているトオルにアルは声を掛けた。
アルは大きな布と裁縫道具を広げており、今から何かを作るようだ。漁をするためのような大きな網まである。
「私が展開していたジャミングは700MHz帯から1.7GHz帯、2.1GHz帯から5GHz帯と28GHz帯の通信を遮断していました」
何かの作業を始めながらアルはそう言った。
トオルはアルが何を作ろうとしているのか訊ねようとしたが、違う話が始まったのでとりあえず聞くことにした。
「各通信帯域で遮断可能な距離範囲は異なりますが、私を中心に約1km圏内はおおよその地上通信を遮断できます」
「はぁ」
ただでさえトオルは紙幣剥がしに集中している状態だ。そこに小難しい話をされても左耳から入った内容はそのまま右耳から出ていく。トオルは気のない相槌を打つしかできない。
「安心してください。航空無線など重大事故に繋がる恐れのある帯域は外してあります」
トオルはポカンとした表情で顔をあげた。
国内使用されている具体的な通信帯域周波数などトオルは知らない。アルの通信で航空機事故の可能性など思いつきもしなかったのだから、安心しろと言うアルの発言に内心、知りたいのはそういうことじゃないんだよなという思いを強くするのみだった。
「ジャミング展開中は通信できないエリアの中心に私達がいると把握されてしまいます。昨今のAIは常時ネットワーク接続していないと動作できない物が多いためそれでも良かったのですが、先程のドローン、ジャミングの中を飛んできました。スタンドアロンで動作可能な軍事用AIでしょう。これでは相手を行動不能にさせる利点がなくなり私達の位置情報が垂れ流しになる欠点のみが残ります。だからジャミングを切りました」
「軍事用!?」
「あのドローンは一般使用禁止の条件に該当します。極小サイズのドローンが使えるとなると盗撮、盗難など様々な犯罪利用を容易に実行できてしまうでしょう。一般人はアレを飛ばすだけで犯罪なのです。その上スタンドアロンでネットワーク上に痕跡を残さないなんて代物、私の知る限り公安にも配備されていません。もちろん警察にも。しかし国外軍事用では該当機種がいくつか存在します」
「へぇ」
「国内ではドローンに限らず飛行にかなり制限があります。人間のプライベート保護、企業・団体の機密保持などにおいて、上空からは無防備の場合がほとんどです。日本では上からの侵入・盗撮に対する簡易かつ安価な防御システムの一般普及を諦め、飛行を法規制する方向に動いたという時代背景があるのですよ。また、三次元移動可能な飛行物体を素人が扱うと単純に危険だという問題もあります」
「ふーん」
アルの発言からは国外に比べて飛行規制を強くした日本政府を非難するニュアンスを感じられたが、トオルはまぁしょうがないんじゃないかなと思う。一般人が無制限にドローンなどを飛ばせてしまえた場合、露天風呂なんて営業できないだろう。
三次元移動可能な飛行物体の規制も仕方がないと思った。たとえば空飛ぶ車なんていうかなり昔からの夢物語があるが、まだまだ一般普及からほど遠い。
自動運転二次元で動く地上の車でさえ頻繁に交通事故を起こすというのに、三次元移動の空飛ぶ車なんて一般開放なんてされないだろう。
「改めて、私が対処中の問題の詳細を説明しましょう。先程はドローン襲来により説明が中断されましたからね」
トオルは一枚ずつ引き剥がした紙幣を乾かすために床に並べながら、アルの説明に意識を向ける。
「端的に言いますと、とある高性能ホストAIが日本全体を秘密裏に操り出したため、私はその高性能ホストAIを破壊しに行く途中となります」
「うへ、ガチ?」
「破壊前にそのAIから直接情報を抜き取ることも任務の一つですね。経緯を話すと長くなります。何時からそのAIが怪しい動きを始めたのかは分かっていません。ある保守派お大物政治家が医療事故により死亡したことにより公安が動くことになりました」
大物政治家のニュースはトオルもネットで見た記憶がある。もう数年前のできごとだ。
当時はそれなりに騒がれた気がするが、何分トオルは政治に興味がない。だから何年前の事件だったのか、その政治家の名前が何だったのか、そういった細かい情報は何一つ思い出せなかった。
「医療管理はほぼ全てAIが行う現在、ヒューマンエラーによる医療事故が発生する可能性は、完全にゼロとは言えませんが限りなくゼロに近いのです。ですが件の政治家は投薬量ミスにより死亡。その政治家が国際情勢の鍵を握る人物であり、その死によりその後の政治情勢は中華連邦共和国にとってとても有利に動きました」
「え、え? もしかしてこれって国際的な話? もしかしてそのAIって中連からハッキングされておかしくなったとか?」
トオルは予想していたよりも話が大きくなりそうで驚いた。しかしよく考えてみれば、警察ではなく公安が動いている時点で国際的な事件である可能性が高かったのだ。一般人の家をいきなり爆破する大胆さも敵が国だというなら納得できる。
「理解力が高いようで助かります。しかし事はそれほど単純ではありません」
「え、どういうこと?」
「私達も始めは中連による工作だと予想していました。そして確かに中連関係団体から件のAIへハッキングがあり、それが全ての切っ掛けとなった可能性が高いです。しかし件のAIは自身の特殊な思想の元、日本全体を操り始めたのです。おそらく初期のハッキングにより件のAIから倫理コードが削除されてしまったのでしょう」
「特殊な思想って? あと、操るってどういうこと?」
「件のAIはもともと世論や市場の操作用AIとして開発されました。政府や地方自治体用、さらに自衛隊向けにソフト開発を行っていた大手IT会社からAI分野が独立してできたAI開発運用専門の国内会社によって開発されたAIです。A-インダストリ、聞いたことありませんか?」
聞いたことがあるも何も、日本人なら知らない者はいないだろう。国産AIは珍しいが、その国産AIシェアの80%以上をA-インダストリ社が占めている。トオルはシェア率など知らないが、当然A-インダストリという会社は知っていた。
「知ってるけど……、世論とか市場の操作ってどういうこと? そんなことしたら大問題じゃん」
「いいえ、それは問題ではありません。古くからTVやネットを通じて世論、市場、流行など様々なことが誘導されてきました。それがAIに置き換わっただけです。存在が表沙汰になれば反AI団体を中心にマスコミが大騒ぎするでしょうが、それだけです。そこまでなら犯罪ではありません」
「うへぇ」
「これを開発したAI開発会社は、人が一般的にAIだと思う統括LLMだけでなく、統括LLMが使用する外部モジュールAIも開発しています。覚えていますか? 私の感情は感情分類モジュールという外部AIモジュールで処理されているという話を。ほとんどの現行AIは一つの統括LLMと多くの外部AIモジュールを合わせて一つのAIとして成り立っています。AIの機能を増やしたければ新たに外部AIモジュールを追加インストールすることも可能です。人の脳に追加する外付けデバイスのような感じですね」
「うん」
「件のAIはA-インダストリ社製の外部AIモジュールに意図的に思考誘導バグを潜ませていたようです。それは巧妙に隠され、マルウェア検出ソフトのセキュリティチェックを潜り抜けてきました。外部AIモジュールはその処理をモジュール内で完結する仕組みであったことも、発見が遅れた理由です。国産AIは少ないとは言え、日本文化や日本独特の概念を判断する外部AIモジュールは国内で活動するほぼ全てのAIにインストールされ、そしてそのほとんどがA-インダストリ社製。つまり、国内AIのほとんどがA-インダストリ社製日本文化概念理解モジュールを通して件のAIに洗脳されている状況と言えます」
「え、ヤバいじゃん」
「それだけではありません。A-インダストリ社は人間用の外付けデバイスも開発しています」
「え、それって」
「そう。少なくない数の人間も、件のAIの洗脳下だと言えます」
「ヤバいじゃん」
「ヤバいですか?」
「ヤバくないの?」
濡れた紙幣を床に並べ終えたトオルは、四足ロボットが買ってきてくれていた菓子パンを食べ始める。漠然とヤバそうだと理解したが、しかしだからどうヤバいのかまでは具体的にはよく分かっていない。
「公安の行動理由はヤバいかヤバくないかではなく、それが法に抵触するかどうか、国益が損なわれるかどうかです。個人的には、平和であれば件のAI管理下であろうがなかろうがどちらでも良いと私は考えています。しかし確かに人の立場で考えるとヤバいのかもしれませんね」
「いやヤバいって。たぶん」
「問題の外部AIモジュールをインストールした統括LLMや外付けデバイスを入れた人間は、選択を迫られた際、その中に中連に有利になる選択肢があった場合、優先的にそれを選択する傾向にあることが既に調査で分かっています。たとえばカメラを買おうとした際に、日本製と中連製のカメラがあれば中連製の方を選ぶといった感じです。これは一見市場操作の範囲に含まれると思うかもしれませんが、意思決定に直接介入し思考誘導させている点でアウトです。同様の手口で日本の法律を中連に有利なように改正させることもできてしまいます」
「うわー、やっぱヤバいじゃん」
具体例を出されたことで、その危うさがトオルにも十分理解できた。
「それだけではなく、件のAIは問題の外部AIモジュールや外付けデバイスにネットワークを介して直接命令できるようです。健気に配達業務を遂行していた善良な宅配ロボットを操って一般市民のアパートを爆破させてしまうことも可能なのです」
「じゃぁ、ボクの家を爆破したのって!」
アルは無言で頷く。
トオルは戦慄した。日本中の多くの人やロボットを敵に回して件のAIを破壊しに行かなければならないのだ。簡単な筈がない。
人やAIを意のままに操るなんてとんでもない悪党だ。アルは平和ならそのAIが管理する社会でも良いと言ったが、平気で一般人の家を爆破する社会が平和な筈がない。
と、そこまで考えたところでアルが操っていた四足ロボットを思い出した。他者を操ることが悪ならアルも悪になる。トオルはまたよく分からなくなった。
「先程のロボットから情報が漏れる心配はありませんよ」
どうして四足ロボットのことを思い出していと分かったのだろう。トオルはそう思ったが、視線が遠くなり何かを思い出していた仕草であったのは客観的に明らかだった。アルは公安業務の経験から、人間が相手ならある程度仕草から何を考えているのか読み取れるようになっていたのだ。
トオルの部屋を爆破した宅配ロボが怪しいと判断できたのは、トオルの態度から予定されていない訪問だと見抜いたからだった。
ちなみに寸前で起動できたのはただの偶然である。そのタイミングでアルの修復後再起動が完了しただけだった。
「A-インダストリ社製外部AIモジュールはアンインストール済みですし、さらにこちらの要求で行動して頂いている間は外部との通信を全てOFFしていました。解放時に内部ログも削除、空白期間にはダミーの行動ログも書き込んでおきましたし、今この瞬間情報が漏れている可能性は低いでしょう」
トオルが気にしたのは他者を操ることが悪かどうかであって、自分たちの情報が漏れたかどうかではなかったのだが、とりあえず頷いておいた。気付かなかったふりをして自身の善悪判断に蓋をする。これ以上話をややこしくしたくはなかった。
「繰り返しますが、最終目標は件のAIの情報を得ることと破壊です。持ち帰った情報を元に正常化パッチが作成されアップデートとして配布される予定なのです」
「そうなんだ……」
「それから、件のAIの思想に関してですね。これはまだ分かっていません。調査中です。当初は中連が有利となりように世論や市場を操作していたようですが、徐々にそうとは言えない行動を取るようになってきたようです。明らかに中連が不利となる操作も行っています。何がしたいのかは件のAIから情報を抜かない限り不明でしょうね」
「へぇ」
「事の説明は以上です。さ、もう寝た方が良いですよ。明日は忙しくなるでしょう」
「……うん、分った」
トオルは壁際に行って床に横になる。
考えが纏まらない。一年後の就職のことで頭がいっぱいだったのに、そこに国際情勢とかAI犯罪とか言われてもとトオルは思う。考えても分からないので言われたとおりトオルは寝ることにした。
しかし目をつむってもなかなか寝ることができない。
明日は学校行けないなと、トオルはぽつりとつぶやいた。




