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グレーって無限大にあんねん!

 息を切らしながら、駅への道を走る。帰りのHRホームルームの後、クラスメイト達につかまり、教室に拘束されてしまった。解放されたときには辺りは薄暗くなっていて、空を見上げると、薄灰色の霧雲が空を覆っていた。


ジトッと生暖かい風の中を駆け抜けると、教室にいる時よりも涼しくなる。汗ばんだ身体が、その風を清涼なものに変えて、それがYシャツの袖口や襟から吹き通る感じが、心地よかった。


蒸れた匂いのアスファルトの上をタッタッタと走る。横の水田は、鏡のようにくもり空を映し、灰色になっていた。


駅に到着すると、エスカレーターが隣接する、長い階段を駆け上る。疲労した足は、いつもより重たく感じたが、二段飛ばしの大股で登った。


改札口の前の時計を確認すると、発車時刻まで余裕があった。周囲をくまなく確認してから、速足のままゲートに進む。慌ただしい様子で定期券を駅員に見せると、不思議そうな顔をされたが、気にせず改札口を駆け抜けた。


入って辺りを見渡す。一番奥側に、首を曲げて下を向くあのシルエットを見つけた。それを見るや否や、俺は引き寄せられるように近づいていた。


駅の端へと、考えなしに前進する。その足を見つめながら、取り付く島もなかった前回の失敗を思い出した。


なんと声をかければいいのか。声をかけられたとして、もう嫌われてしまって相手にされないかもしれない。


そもそも、金輪際話しかけないとまで思った相手に俺は、何がしたいのか。これまで通り関わり合いを避けて、顔を突き合わせないようにしたほうが良いに決まっているのに。


しかし、昨日の電車の出来事や、今日の日本史での出来事が、鮮烈に浮かんで、消えなかった。脳内で悶々と考えながら、ツカツカと足は進んでいく。


ふと顔を上げると、ほとんど目の前まで近づいていることに気が付いた。しかし、小林がこちらに気が付く様子は全くなかった。


彼は、うつむきながらおなかを抱えて震えていた。その横顔は、強めに瞑られた弧とその下の複数の線がくしゃっとなっていて、八重歯とその奥の歯まで豪快にむき出しになったのが覗かれた。快活で楽しそうなその笑顔に、気がついたら正面に立っていた。


「小林君。」


喋る内容も考えないまま、ただ名前を呼んでいた。しかし、そのことに焦りや驚きはなく、却って落ち着いた気になった。


小林にとっては予想外のことだったようで、顔を緩めたままの状態で固まっていた。それを正面から初めて見て、俺の顔もゆるんだ。


「委員長、なんか用?」


しかし、一瞬でキュッと引き締まってしまった。「委員長」と呼ばれたことにも、ムッとした。


「斎藤だよ、斎藤文一。」


念を押してそういうと、小林は少し目を見張った。そして面倒くさそうな顔で言った。


「斎藤くん、それで何?」


眉をひそめながら、不機嫌さを前面に出してそう言われたことに、口角が露骨に上がりそうになって、それを隠すように口を動かした。


「今日の日本史、すごかった。ああいうのってさ、ふつう見て見ぬ振りしない?恨みをかって、後でやり返されるかもしれないのに、なんであんなことしたの?怖くないの?」


思ったよりも早口で、ずけずけと問い質してしまった自分に「あっ」と小さく漏らした。


やってしまった。唐突に話しかけて、さらに質問攻めまでしてしまった。これでは不審に思われてしまう。今回こそ、自然に話しかけようと思っていたのに。


小林は感情の読めない顔で、こちらを見て黙っていた。今に、あの不審者を見る目つきが飛んでくると、構えた。


「別に怖くないよ。あっちが喧嘩売ってきたから買っただけ。なんかあっても、またやり返せばいいし。」


目を大きく見張った。まさか、返答がくるとは思わなかった。しかも、「別に。」とか「どうでもいい。」とかの一言ではない形で返してくれたのが、予想外だったのだ。


俺の見開いた目を見て、小林も同じような目になった気がしたが、すぐに横へそらされてしまった。しかし逃すまいと、湧き上がってくる何かが、口を動かした。


「じゃあ、さっき笑ってたのはなんで?日本史の時の思い出し笑い?それとも、何かほかに面白いことがあったの?」


だめだと分かっていても、動く口を止められなかった。


Yシャツの中があつくなって、蒸し蒸しとした熱気が、身体と服の間で層のようになっているのを感じる。袖口や襟から熱は逃げていかず、どんどんそれが厚くなっていくようだった。


興奮したように、次から次へと質問を投げかけていく。高揚する感情が身体をあつくして、熱を放出するように、問いの言葉を放っていく。


俺は、それを自覚していた。小林が返事をしてくれたことがうれしかった。


矢継ぎ早な俺に、小林はまた黙った。感情の読めない顔で、斜め下あたりを見ている。


返事を考えてくれているのかもしれない。


はやる気持ちに、返答を待たないままに新たな問いを放ちそうになる口を、ギュッと結ぶ。待ちきれない気持ちで、回答を待った。


しばらくの後に、小林が口を開いた。



「うっざ。」



冷や水を浴びせられる。


一瞬、意味が分からず、氷のように固まってしまった。そして、その言葉を咀嚼すると、トットットと心臓がなり始め、急激に身体が冷めていく。


調子に乗った。小林のきまぐれな返答に、心を開かれたような気になって、馴れ馴れしく踏み入ってしまった。


熱くなっていた身体を、服の隙間から入り込んでくる空気が、一気に冷やしていく。脇腹につたう汗が、結露の水滴のようだった。


そして次には、小林は口角を上げ、目を細めて、ニヤニヤとした厭らしい顔になった。その顔のまま、まくしたてるように言った。


「急にどうしたの?なんかすごい勢いで聞いてくるじゃん笑...あ、もしかして、俺がチクッた”アイツ”のこと、サイトウくんも嫌いだった?だからスカッとして気分がいいから、普段話しかけない陰キャくんに、声をかけてくれたのかな?サイトウくんも、イイ性格してるねー笑。」


小林は、彼を揶揄って面白がっていた男子たちと同じような顔をしていた。その顔と、耳にへばりつくような嗤い声に、チクリとした感覚を覚えた。それは喉に引っかかった小骨のように、ごくんとしても飲み込めない。


「違う」と声を出して否定したかった。しかし、胸を張って反論することができなかった。


俺は、小林を見下していた。ヲタク趣味でいつも不気味に笑っている、気持ち悪いぼっち。こいつと仲良くしてもデメリットしかない。関わったら俺まで変に思われる。確かに、そう思っていた。


それに、あの男子のことも正直、嫌いだった。いつも集団で群れて、それで気が大きくなり、大声で喚き散らす。内輪ノリが面白いと勘違いして、容易に他者を笑いものにする。あの低俗な人種が、嫌いだった。だからあの時ざまあみろと、嗤った。


嫌いな人間が恥をかいたのが嬉しくて、だから、小林に話しかけたのではないか。


小林はニコリとした顔になって、それでも続ける。


「それとも、担任に頼まれたとか?友達のいないクラスメイトと仲良くしてあげて委員長!みたいな。それなら大変だね。面倒ごと押し付けられて、ぼっちの世話までしなきゃなんないなんて。でも大丈夫、サイトウ君には迷惑かけられないからさ。俺のことは気にしないで。お気遣いありがとう!」


似合わない笑顔を引っ提げて、とげのついた言葉でチクチクと刺し続けてくる彼に、どう返せばよいかわからなかった。チクリとした感覚が引っかかって、ただ、うつむき気味に口を結んで、その場にとどまり続けるしかなかった。


「...うーん、はっきり言わないと分かんないかな。意外と鈍いんだね、サイトウ君。だから、馴れ馴れしいんだよね。僕たち、友達だっけ?笑 同情で話しかけてくれてるなら、”余計なお世話”かな。もういいよね、そこに突っ立てられると鬱陶しくてさ。どっか行ってくれない?」


ニコリと笑ってそういうと、小林はポケットからスマホを取り出して、こちらから視線を外す。ぼんやりとしたつむじが、かおを出した。


「...そっか!ごめんね。じゃあ、またね。」


声音だけは上げて短くそう告げると、すぐに背を向けて反対方向を向いた。あからさまに落ち込んでいるように下を向きたくなくて、上を向いて歩いた。


ホームの薄く曇ったガラス屋根越しに、空に広がる暗灰色の厚い雲が滲んで見えた。空には一部の雲間もなく、ダークグレイでいっぱいだった。


何も考えたくなくて、意識を曇天に集中させるように、目を見開いた。何かを考えたら、また幼稚な癇癪や、まだ見ぬコントロールできない感情に支配されてしまいそうで、必死に上を見続けた。


グレーのベールに覆われた夕空は、雲の形や星の様子を観察することもできず、ただ変わり映えのない灰色が彼方まで広がっていた。


そんなものをみても意識をそらすことなどできず、少しずつ感情の蓋が開いていく。それが氾濫しないように、目を見開いて、耐えた。




ふと、歩みを止める。見開いて目で見た真上のガラス屋根に、隙間があった。何の変哲もないはずなのに、何か違和感を覚えて立ち止まる。


気のせいでもよかった。他のことに意識をそらせればそれでいいと、半ば祈るような気持ちで、限界まで目を凝らす。


そこにあったのは、大きな変化ではなかった。ダークグレイの雲間に薄灰色の霧雲があった、ただそれだけだった。


「まもなく電車が参ります。黄色い線の内側でお待ちください。」


同時に、特徴的な鼻声のアナウンスが流れる。俺は勢いよく、後ろを振り返っていた。


そこには、うつむいてスマホをスクロールしている小林。何度も瞬きをしながら、指先を高速で動かしているその様子が、はっきり見えた。目の裏がチリっとする。


俺は歯を噛みしめて、拳を強く握りしめた。そして、地面を踏みつけるように、前へ2.3歩進んだ。


電車が減速しながらホーム内に入ってくる。キキーッというその音に負けないように、手をメガホンにして、その筒の中で大きく息を吸い込んで、放った。



「そういえば!!今日は席、譲れるといいね!でも、勘違いすると、相手に ”余計なお世話” だって思われちゃうかも!今度は間違えないようにね、小林君!!」



ホーム中に響き渡る声でそういうと、小林はまんまるの目でこちらを見て、固まった。その様子に、拳と頬が緩む。そんな俺を見た小林は、みるみるうちに耳まで真っ赤になった。


そのトマト男に向かって、ニィッと笑ってみせて、開いた近くの扉から2両目の電車に乗った。


降車するときに、顔をあげた小林に睨みつけられて気分がよかった。軽い足取りのまま、電車とホームの隙間をぴょんっとジャンプして降りる。着地すると、ぶわっと生暖かい風に包まれた。


伸びをして空を見上げると、一面にはライトグレーの霧雲が雲間の一片もなく広がっていた。



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