表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/8

歯と葉と刃

4限目が終わり、いつものように席を回転させる。ちびちびとお弁当を食べながら、楽し気に会話をする周囲に相槌を打つ。適度にリアクションや質問をして、話を聞いている風を装った。


向き合うクラスメイトたちと目を合わせながらも、視界の端に映る教室後方の存在にばかり、気を取られた。


気にしないようにすればするほど、その存在感は大きくなっていく。我慢できずチラッと覗き見てしまった。


見慣れた頭のフォルムと、うっすらと小さく見えるつむじで、小林がわかった。しかし、顔はよく見えず何を食べているのかも確認できなかった。そんなに首を曲げる必要はないだろ、と眉が少しピクリと動く。


しばらく、さりげなく観察していると、小林の前にクラスメイトの男子が立った。小林は頬をパンパンに膨らませたまま顔をあげて、その鋭い目つきで相手を見た。


シャツ出しされた白の生地をヒラヒラとさせながら、ポケットに両手を突っ込んで、前かがみになっているその男子は、なにやら小林に話しかけ始めた。普段、業務連絡(課題や提出物などについて)以外で小林に話しかける人物は、皆無であった。


周囲の声は右から左へ通り抜け、ただ後方の会話の内容を聞こうと、耳を澄ませた。


「それ、昨日言ってたやつ?ロリコンなんだ小林君?てか目でかすぎ笑」


その男子は、スマホをのぞき込むと、嘲笑を隠しもせず言った。その前方の席では、同じく制服を着崩した数人が、二人の様子をニヤニヤとうかがっている。


小林の咀嚼は早くなり、それから、ごっくんと一気に嚥下した。喉の動きが、こちらから目視できるほどの勢いだった。そして、スーッと息を吸って、放った。


「ああ、俺の大好きなプリドレ☆のイラスト。ロリコンかどうかの話だけど、プリドレ☆のキャラクターたちは俺たちと同年代なんだ。これってロリコンと言える?そもそも二次元の創作物とリアルを混同するのが前提として間違ってない?それから、君がどう思っても自由だけど、他人の好きなものを口に出して馬鹿にすべきではなくない?それを聞いて傷つく人がいるってこと、小学校で習わなかった?」


機関銃のようにダダダダッ!、と一息でそう言い切った。その迫力に小林の周辺に座っていたものたちも、ぎょっとして固まった。俺は右手で持っている箸をグッと、少しだけ握りしめた。


その声音からは、確かに怒りがにじみ出ていた。しかしその声は荒いものではなく、比較的落ち着いたものであった。小林は努めて冷静に、理詰めで反論したのだ。


俺が小林に嫌味を言ったとき、ただ拒絶してきたことからも、意外に感情的に怒るタイプではないらしい。


ただ、滲みだした怒りはその一息の勢いと、キリリと正面を見据えるまっすぐな瞳から伝わってきた。やはり小林にとってアニメは大切なもので、それを傷つけられるのが、何よりの地雷なのだろう。昨日の自分の行動を思い出して、微かに息を詰まらせた。


小林に話しかけた男子は、その反論にしばらく黙っていた(後ろ姿で顔は見えないが、おそらくその勢いに唖然としたのだろう)。しかし数秒後、耐えきれないといった風にぶっと吹き出し、肩を震わせながら言った。


「小林君、歯にニラ、挟まってるよ。」


その言葉に、前方の男子グループはゲラゲラと笑い始めた。小林は口を結んで、押し黙った。そして、しばらくすると再びスマホ首になって下を向いた。小林の顔は見えなくなり、つむじがうっすらと小さく現れたの見て、俺は右手の箸を強く握りしめた。


卵焼きを二本で乱暴に突き刺し、口に放り込んで咀嚼する。やはり味はしない。もちろん、卵の殻も入っていない。しかし、何度も強く噛み続けた。


後方の、だんだんと下がっていく渦巻きを見つめながら、刺して・放り込んでを繰り返していると、気がついたらお弁当は空になっていた。



ーーーーー



5限目、日本史。高校生たちが最も睡魔に襲われるこの時間帯に、話を聞いて板書を移すだけの、歴史の授業。このダブルパンチがある日は、比較的授業を真面目に聞いている自分でさえ、毎度あくびをかみ殺す程度には眠たくなった。


しかし、今日の自分の瞼は重くならず、かみ殺すあくびも出ない。却って目は冴えていて、口の中が物足りずに歯噛みをしていたほどだった。


白髪の生えた長身で恰幅のよい男性教師は、その低い声で教科書を読み上げる。彼は、クラスメイトたちの愚痴に多く上がる、厳しいと評判の学年主任だった。


今は、室町時代の嘉吉かきつの乱という将軍暗殺事件の解説をしていた。恐怖政治を行った、くじ引き将軍・足利義教よしのりが、家臣の赤松満祐みつすけに背後からブスリとやられたらしい。


該当ページから、パラパラと少し先のページを見てみると、内乱や一揆の名称が複数箇所、太字で強調されていた。この時代は、特に後半から血の気が多くなってくるようで、混沌とした戦国時代の始まりを予感させた。


教師は目の前の黒板に、慣れた手つきで年号と名称を書き、一部にアンダーラインを引いていく。チョークで書いているはずなのに、ものすごいスピードだった。


すべて写すのはあきらめて、下線の引かれたもの、赤のチョークで書かれたものだけをノートに書き写していく。


丁寧に書いていては板書に置いていかれるため、走り書いた。しかし、ノートの筆跡は硬く黒々としたものだった。


しばらくそうしていると、指と手首がヘトヘトになった。ペンを置いて右手の側面を見てみると、黒鉛が広がっている。反対の手で拭っても、その汚れが左に移るだけで、消えない。


そこから目線を外して、手をぐるぐると回したり伸ばしたりした。息をつく暇はない。早く作業に戻らなければ、高速の板書においていかれてしまう。


漏れそうなため息を、歯で食いしばって、ペンを強めに握る。しかし、芯がノートに接する直前に、後方から高らかな声が響いた。


「先生、スマホをいじっている人がいます!」


驚いて振り返ると、キュッと真面目な顔をした小林が、垂直に右手を伸ばしていた。それから小林から見て、斜め前の席の人物に向かって、左手を向けた。


その席にいたのは、先刻小林を揶揄った男子だった。


彼は、小林の方を向いて固まっていた。そして、背後に近づく存在に気が付くのが遅れてしまった。


ベテラン教師は、その高速の板書に引けを取らない速度で、一瞬の隙に距離を詰めた。引き出しに入れる猶予も与えないまま、教科書と筆箱を盾にして、隠し見していたスマートフォンを取り上げる。


そして、雷が落ちた。教室が物理的に揺れたのかと、錯覚するほどの怒鳴り声。生徒たちは小さな感電をしたかのように、ビクッと慄いた。


流石の迫力に、離れた自分も反射的に前を向きなおし、我関せずのていを作った。しかし、それでも気になって、さりげなく後ろを覗き見る。


落雷の直撃を食らった男子は、席から立たされていた。その哀れなほどの萎縮ぶりは、丸まって小さくなっている背と、鬼と目を合わせられずに、ただ下を向くしかないその様子から、よくわかった。それはもう、つむじが見えるほどのうつむきようであった。


地獄の説教タイム。先ほどの怒声よりもトーンを抑えた声が、静かに男子生徒を追い詰める。ギャラリーたちは板書を写したり、教科書を読んでいるふりをしながら、その様子を覗き見ていた(自分もその一員だった)。


恐ろしい教師に、ただただ平謝りするしかない時間。普段のイキイキとした様子から一転、はい・すみません、の二言しか発言を許されない状況。


性格の悪さを自覚しながらも、俺の口元は緩んだ。歯噛みしていた、口の中の力もゆるく抜けていた。


結局、スマホは没収されたままとなった。返してほしければ、放課後職員室に来いとのこと。長く感じられた、その数分間の説教が終わると、教師は教卓に向かって歩き始めた。


俺は、小林がどんな顔をしているのかが気になった。あからさまに後ろを見るのはためらわれたので、シャーペンを床に落として、拾い上げる時に後方を覗いた。


しかし、座り際の男子の背中が、壁となってよく見えない。彼が振り返っているのは、おそらく小林をにらみつけるためだろう。


俺は、まるで遠くへ転がってしまったペンに向かって、懸命に手を伸ばすかのような体勢になって、限界まで身を乗り出した。どうにか覗き込もうと必死だったのだ。おそらく、傍から見たら間抜けな姿になっているだろう。


少し間隔のあいた、隣の列の机の足に、自分の手が触れそうになったとき、ようやくその顔が見えた。


小林は、その男子の睨みつけを待ってましたとばかりに、歯をむき出しにして、ニィィッと限界まで口角を上げていた。


そのむき出し様は、親知らずまで見えてしまうのではないかというほどで(実際に生えているかは知らないが)、その笑顔はアニメでよくある紫や黒のオーラを纏っているかのように、邪悪さを帯びていた。


小林は、そのフィクションを疑うほどの悪意の笑顔を斜めに傾けて、その男子をのぞき込むように、首を伸ばした。「どうしたん、大丈夫?」とカッコに笑いを付けながら言うように。


そして、なにやら口を動かした。


こちらには聞こえないほど小声だったのか、口パクだったのかはわからない。しかし、どちらにしても何を言っているのか、遠くからでもよくわかった。



ば ー か



そう告げると、ふたたび口角を上げて歯をむき出しにした。


さらけ出された前歯には、緑色の何かがくっついている。あの、ニラだった。


俺は、込み上げてくるものを我慢するのに必死で、机に突っ伏す他はなかった。肩を震わせながら、懸命に耐え忍ぶ。


あの時、小林は諦めて押し黙ったのでも、ニラの指摘に屈したのでもなかったのだ。小林は沈黙の内で、轟轟と燃える闘争心に薪をくべていたのだ。


羞恥に負けず取り除かなかった緑は、武器となった。小林はその武器を、最適の距離・角度で、相手にお見舞いしてやったのだ。


授業終了まであとちょっと。それまでの辛抱だ。チャイムが鳴ったら、廊下へ脱出しよう。この静寂の中、一番前の席で、口を破裂させるわけにはいかない。


腕の中で、無心になるように深呼吸をする。息をフーッと吐いてから、大きく吸い込んだ。


その時無情にも、脳内で邪悪の笑顔が浮かび上がってきた。乱れそうになる息に、ぎゅっと顔に力を入れて耐えようとするが、ズームアップされていくものを、止めることはできなかった。


拡大された歯列には、緑色の何かが挟まっている。


大きく吸った息は盛大に破裂し、ブフッ!と吹き出した。


やってしまったと顔をあげると、案の定不機嫌そうな男性教師が、手を止めてジロリとこちらをみていた。先生に睨まれたのは、おそらく初めてのことだった。


俺は、バッ!と姿勢を正して、真面目な顔で黒板に向き直る。すると、男性教師は視線を戻し、板書を続けた。口頭で叱られることがなかったことに、ほっと息をつく。


教師からの評価が高いことが、珍しく幸いした。面倒ごと(提出物回収・授業準備等)を押し付けられるだけではないらしい。


気を取り直して、高速の板書を書き写していく。ペンで「書く」というよりも「流す」ように、スラスラと筆を走らせる。ノートには、細いグレーの線が浮かんでいた。


予想外に早く、筆写が終わってしまい、手持無沙汰になった。なんとなく右手の側面を見つめる。そして、その黒い部分を左手で持った消しゴムで、こすりつけてみた。すると、消しカスか手垢か、黒鉛は灰色の細長い糸くずとなって、机に零れ落ちた。


「きたねっ」と、思わず息がふっと漏れた。その糸くずは、ふわっと舞い上がって、散った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ