斎藤は見た!
この電車の利用客は学生とご老人が主で、今日は一層乗車数が少なかった。一番後ろの車両であることもあってか、自分を含めて3名しか乗っていなかった。
線路の走る音に乗じて、ふう、と息を吐く。人の少ない静かな空間で、だいぶ落ち着きを取り戻すことができた。
しかし、結局自分の中のもやもやは解消されずじまいで、悶々とした気分で背もたれに寄りかかった。
窓には一面水の張ったよくある田園風景があった。地平線の向こう側まで続くのではないかと思える(実際は山に囲まれている)田んぼ風景が、あまりに田舎然としていた。
しかし、整然と並んだ早苗の道々と水面に夕焼けが反射して、オレンジと白にキラキラとしているのは、嫌いではなかった。
家や建物がひしめく、駅から近い区間の景色は、すぐに車窓の後ろへと消えてしまったのに、その田舎の景色は変わり映えもなく、ただいつまでも輝いていた。
そうして、ぼうっと窓の中に見入っている間は、もやもやを忘れることができた。
「次は、B駅。」
特有の鼻声のアナウンスが流れ、停車すると続々と人が増えた。もたれていた背筋を伸ばし、ピシッと席から立ち上がる。近くにおじいさんがいたので、「僕、降りるのでよかったら。」と声をかけると、そのご老人は目を細めて感謝の言葉を口にした。それにニコッと返して、前の車両へと歩き始める。
次が自分の降車する駅だ。そのため、いつも停車する前に先頭へ移動している。小林がいるだろう車両に行くのは気まずいが、平静を取り戻せた自分はいつも通りにすることにした。小林がいようがいまいが、自分には関係ないのだ。勢いのまま、カツカツと前へ足を進める。
一番前の車両は、席が埋まる程度には混雑していた。近くの吊革につかまり、チラッと周囲を見渡す。やはり小林はいた。右側の一番前の席で、背もたれにもたれながら、姿勢悪く座っていた。
その隣の手すりには、年配の女性が掴まっている。しかし、小林はそんなことはお構いなしに、眠そうにあくびをしている始末であった。
やはり、小林は周囲に鈍感なだけなのか。
なんだか白けて、目線を外そうとすると、突然小林が立ち上がった。
揺れる電車の中、何にもつかまらずに立ち上がったため、小林はゆらゆらとふらつき、体勢を崩した。そして、バランスを取ろうと、足をがに股に広げて、両腕を斜め下に伸ばし、へんてこりんな体勢になる。
小林はなんと、その不安定で間抜けとも言える姿のまま、年配の女性に話しかけ始めた。
おそらく席を譲ろうとしているのだろう。でも、そんな頼りない姿で言っても、遠慮されるに決まっているのに。
案の定、女性は微笑みながら、首を小さく横に振って何かを言った。多分、「ありがとう、でも大丈夫よ。」みたいなニュアンスの言葉だろう。
小林はすぐに席に座りなおした。遠目から見ても、真っ赤になっていた。それから、急いでポケットからスマホを取り出すと、忙しそうにいじりはじめた。
その様子を見て、笑いがこらえきれずに、「ぶはっ」っと吹き出した。
「次はC駅。」
電車が停車すると、年配の女性は手すりから手を離した。どうやらここで降りるらしい。
俺も、こみあげてくる笑いをなんとか我慢しながら降車の列に並んだ。だんだんと先頭に近づくにつれ、耳まで赤くなっているその顔がよく見えてきた。小林は、何度もまばたきをしながら、真剣そうな顔をして、スマホを眺めている。
真横を通り過ぎるときに、こっそり覗き込むと、同じ画面を上下に、高速でスクロールしているだけだった。
かなり近くまで接近したものの小林は夢中になっていて、まったく気が付く気配はない。その様子がさらに面白くて、また吹き出してしまいそうになる。そうなる前に急いで電車内から脱出した。
ホームに出た瞬間、我慢していたものが一気に解放された。いきなり一人で笑い始める俺を、周囲の人たちは怪訝そうに見てきたが、それでも収まらなかった。
家への帰り道、顔をトマトみたいにして、必死に平静を装おうとする小林を思い出しては、しばらくツボに入るのを繰り返した。