つむじと顔
放課後、俺は数人のクラスメイトと駅で話していた。さっさと会話を切り上げてホームに向かいたい衝動を持ちつつも、なかなかそうもできず、笑顔で付き合う他なかった。
その数分が数十分に感じられて、今何時何分であるのかが気になった。しかし、談笑中にスマホを見れば、自分が感じている退屈さを見透かされそうでためらわれた。
どこかに時計はないか、ちらっと周囲を確認すると、少し遠くの椅子に小林を発見した。しかし、別段驚きはしなかった。
実は小林とは帰りの電車が一緒で、放課後に見たのもこれが初めてではない。田舎の電車は本数が少なく、おのずと同じ時間に乗るはめになるのだ。
しかし、駅や電車内で顔を突き合わせたことはない。彼と会話をしても、沈黙に耐えるためにこちらが努力しなければいけないのが目に見えていたし、何よりわざわざ関わり合いになりたくなかった。
だから、意識的に彼の目線に入らぬよう、別の車両に乗るようにしていた。小林がいつも一番前の車両に乗っていることを知っていたので、それ以外に乗るようにしていた。
俺が降車する駅は、小林よりも前のもので、駅員に定期券を見せて降りるためには、彼の前を通り過ぎなければならなかった。
幸いにも、小林はスマホに顔を近づけて、その中のなにか(おそらくアニメかなにか)に夢中になっていたため、気づかれることはなかった。
毎度、奇異の目を向けながら通り過ぎるのだが、まるで気が付く気配はない。顔よりもつむじのほうが見慣れてしまったほどで、右巻きのくるんとしたものであった。
小林のつむじについて頭に思い浮かべながら、クラスメイトの話に適当に相槌を打っていると、小林が椅子から立ち上がった。スマホ首の影響か、首を後ろに反らせて伸びをすると、改札に向かって歩き始めた。
その後頭部が離れていくのを見て、口が小さく「あっ」と漏らした。
俺は愛想のいい笑顔から一転、名残惜しそうな困り顔を作って「そろそろ電車来るから行くね。」と彼らに告げる。時計を見ると、発車時刻まで10分ほど余裕があった。しかし、それを追いかけて、足は動いていた。
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改札を抜けて辺りを確認すると、小林はホームの奥のベンチにいた。気取られないように、慎重に近づいていくと、いつもと様子が異なっていることに気が付く。
彼は何かがツボに入ったように、一人お腹を押さえて笑っていた。
人目もはばからず、スマホを眺めてはニヤニヤとする小林は、これまで幾度も視界の端に映った。しかしそれは、伏せ気味の顔を遠くから、ぼんやりと捉えていただけだった。こんなにも近くで、横からではあるがその笑顔を直視したのは初めてのことだった。
悪い目つきがさらに細くなって、その線がゆるい弧を描いている。開いた口を隠すように、グーにした手を添えていたが、横からは八重歯がのぞいていた。
じめじめとした、薄気味の悪い顔で笑うとばかり想像していただけに、思わず口がぽかんと空く。意外に快活なその笑顔に、驚きからか見入ってしまったのだ。
気配を悟られまいとしていたことも忘れて、口が何かを言いそうになった。しかし、すんでのところでハッと我に返り、口元を手で抑えた。
らしくない自分に気が付いて、疑問と焦燥感が心中に沸いた。自分の中に存在する、言語化できないものを感じて、それを解消したくなった。
どうして笑っていたのかを聞き出すだけだ。
間抜けな口をぎゅっと引き締めて、スーッと息を吸い込んで、ニコニコした顔で目の前の人間に話しかけた。
「やあ小林君、楽しそうだね。なにか面白いことがあったの?」
不審に思われないように柔らかく、親し気にそう声をかけた瞬間。小林のゆるい曲線は見開かれ、開いた口は真一文字に結ばれた。
俺が話しかけた途端に楽しげな笑いが引っ込んだことに、笑顔が引きつりそうになった。
「あー、委員長。」
少しの沈黙の後、小林が返事をしてきた。無視を決め込むほど、社会性がないわけではないらしい。しかし、「委員長」と呼ばれたことに頬がピクリとした。
「斎藤だよ、斎藤文一。もしかして名前覚えてなかった?」
内心の苛立ちを隠しながら、努めてにこやかにそう言う。すると、「覚えてなかったけど、何か用?」と小林は悪びれもなく、いっそ俺に応対するのが面倒くさいといった風を前面に出してきた。
「はは、正直だね。用があるわけではないんだけど、僕たちあんまり話したことなかったなあって思って。」
喉元に出かかったものをぐっと飲み込み、顔の引きつりを抑えるのに必死であった。そのため、唐突に話しかけた理由としては苦しいものを提出してしまった。
小林は黙り込むと、まるで不審者を見るような目で俺を見た。そんな目を人に向けられたのはおそらく初めてのことで、頭の中が白くなった。しかしすぐに、小林を責め立てたい感情でいっぱいになった。
なぜ俺が君に、そんな目を向けられなければいけない?クラスの中の不審者は君の方なのに。
頭の中に浮かんだ言葉をそのままいうことはなかったが、飲み込み切れなくなった感情が、ほんの少しだけ漏れ出てしまった。
「そういえば、小林君はアニメ好きだよね。ああいうので盛り上がれるの、なんかいいよね。」
小さなとげをしのばせて、褒めを装いながら遠回しに馬鹿にした。己の自尊心を傷つけられた気がして、彼の大切にしているものを、少しだけでも貶めたかった。
言葉が漏れ出した後に、むきになって嫌味を言う自分の矮小さに気が付いた。これでは、幼稚なクラスメイトたちと同じではないか、と。
下を向きたくなるのを抑えて、笑顔を保つ。自分の浅ましい部分を、特に小林には気取られたくなかった。
でも、その心配はないだろう。クラスでもふてぶてしい、周囲の感情に鈍感そうな彼は、どうせ気が付かない。もしくは、言葉そのままに受け取り、お昼時のように自分の趣味について熱く語り出しさえするかもしれない。
「俺も斎藤に用はないかな。」
小林は、こちらの悪意を見透かすように、似合わないニコっとした顔で、そう突き返してきた。それから、目線を俺から手元のスマホに移した。
かろうじて残っていた自分の冷静な部分が、愛想笑いで「そっか、ごめんね。じゃあまた明日ね。」と短く告げた。そして顔に集まった熱に気が付かれないように、すばやくその場から離れた。
感情的に言い返すでもなく、冷静に拒絶された。自分の幼稚な悪意に気づいた上で、大人な対応をしてきたのだ。羞恥と、形容しがたい怒りが、ツカツカと足を早めた。
もうあいつには金輪際話しかけない。そうやって、一生誰にも理解されずに生きていけばいい。
脳内で口汚く罵りながら、ホームの中で奴から一番離れた位置に移動する。その負け犬のような思考と幼稚さに、さらに赤くなった。しばらくして到着した電車では、最後尾の車両に乗った。