ちっちゃライオン
ありふれた花だと思っていた。
春に湧くほど野原に咲く、ただの雑草、そのくせ目がちかちかあったかくなるほど黄色い――そういう花だと思っていた。
そういう花の茎の上に……なんだか変な生き物がいる。とても小さい、生まれたての仔猫より小さい。そのくせ偉そうなたてがみを生やし、生意気に「がおお」とか鳴いている。
夢かよ、これは。おかしな夢だな!
内心でそうツッコみながら、トムはその変てこな生き物に問いかけた。
「……あんた、猫? やたら毛深い猫なのかい?」
『なにを、無礼な! 我はライオン……誇り高き「ダンデライオン」であるぞ!』
ダンデライオンって……なんだ、たんぽぽじゃないか。
「あんた、たんぽぽ? たんぽぽの精?」
小さなちいさなライオンはふん、と黄金色の鼻を鳴らし、『むろん』と尊大に返事をした。しかしちっちゃい。あまりにもちっちゃい。生まれたての仔猫の猫パンチ一発で、きゅうとまいってしまいそうだ。
ライオンはふんふん、とちっちゃな首をふりたてて、それから『はああ』と盛大にため息をついてみせる。おかしなライオンだ、しかも情緒不安定だ。
「……どうしたの? なんかあったの?」
「うむ、よくぞ訊いてくれた。少年……お前は弱くなりたいか?」
突然そんなことを訊かれて、トムは思わず「とんでもない!」と大声を出す。
「冗談じゃないよ、今だってこんな十歳の『男の子』だぜ? 早く大人になって酒を飲んだり、キレイな娘と夜通し踊ったりしたいのに……これ以上弱っちくなるなんて!」
「そうだろう、そうだろう。我もこのまま雄々しくいたい、誇り高き百獣の王でいたいのだ!」
言い終わるなり、ちっちゃライオンが「がおお」と可愛い雄たけびを上げる。
『百獣の王』……無理がある。蚊に刺されても死にそうなか弱さ、王とはとても呼べんだろ!
内心でそうツッコみつつも、トムは笑いをかみ殺してこう訊いた。
「あんた、弱くなっちゃいそうなの? いったい全体どうしてだい?」
『我は……我はもうじき老いてゆく。老いてウサギになるのだよ、ふわふわ毛皮の白いウサギに!』
ウサギって……とトムが納得する前に、ライオンは急に大きくあくびをした。あくびをしながら、ああ、ああ、と息絶えそうに嘆きだす。
「ああ、もうじきウサギになる……ウサギになって、もっともっと小さなたくさんのたくさんのウサギになって、この野原に無数に散ってしまうのだ! 嫌だ、いやだ、我はライオンのままでいたい! ウサギは嫌だ、ウサギは……!!」
あくびしながらも悲鳴を上げて、上げながらライオンの黄金色の毛皮はみるみるうちに白くなり、びっくりしながら見つめていると、トムの目の前でライオンは一匹のウサギになった。やはり小さい。食いでがないな……と身もふたもないことをトムが思うと、それが通じてしまったのか、ウサギがふふふ、と小さく笑う。
『ライオンは、いつもそうやって嘆くのですよ。何も悲しいことなどないのに』
「……いつも?」
『ええ、いつも転生の前には嘆く。といっても、わたし自身の前世ですけど』
さえずるようにそう言って、ウサギはぽんぽんの丸いしっぽを小さくふった。
『嘆くことはない、何も悲しいことはない。わたしはもうじきもっともっと小さなちいさな、雪のひとひらのような無数のウサギになって、この野原じゅうに舞い散って……それがまた芽吹いて、そこから無数のライオンが生まれる……』
当たり前だ、たかがたんぽぽの話じゃないか。
そう言いたいのに、思いたいのに、どうしてもそう思えない。トムの目に今、ウサギの毛皮はあまりにも白く、あまりにも清く見えてしまう。
『……生まれた無数のライオンたちは、またたくさんのウサギになって、今度はまた別の野原まで飛んでいく……そういうものです、そういうものなんですよ……』
――人生は。
微笑って言葉をしめられて、トムははっと目を開けた。眠っていた。春の野原で日を浴びて、そよ風に吹かれうたたねしていた。
そうしてトムの目の前で、今しも少しだけ強く吹いた風にさそわれ、たんぽぽのわたげが白く無数に舞い散った。あたたかな雪のようだった。舞って、舞って、風に乗って旅をして……落ちた場所で芽生えて育って、わたげになって舞い散って、それを繰り返しては黄金色の花を咲かすのだろう。
「当たり前だよ……あたりまえじゃないか……」
言いながら、なぜだろう、トムは鼻をすすっていた。何となく黄金色の花を一輪摘もうとして、兄におみやげにしようとして、やっぱりやめて歩き出した。午後の三時のおやつを食べに、赤い屋根の小さな家へと歩き出した。
母の作ってくれた揚げたてのじゃりじゃり砂糖のドーナツと、シナモン風味のミルクティーでおやつを終えて、トムは年の離れた兄の部屋のドアをたたいた。
「にーいさん! 本、貸して!」
「本? 珍しいね、ふざけて本のページにジャムをつけるふりとかしちゃう元気っ子が……何の本が読みたいんだい?」
「あのねー! 『たんぽぽのお酒』って本!」
分かってる、ただの夢だよ、夢なんだ……けれどたまには、読書にいそしんだって、神さまはバチは当てないよ、ね?
本を受け取るトムの頭をなでるように、窓越しに春の日がさしていた。淡い水色の空にかかるお日さまは、天高く咲いたたんぽぽの一輪を思わせた。
(完)