ひさしぶりの外
「ん、、、ここは?」
草の青々とした香りが鼻をくすぐる。陽の光が目に当たる。
その刺激に自然と目が開く。ここは、、、、。
「ここはどこだ?」
おかしいな、、、。自分は絶賛夜勤7連勤中の14連勤中。
こんなひと昔前の窓の形をかたどったパソコンの画面のような見渡す限り、人工物のない、途方もないすがすがしい草原と青空。こんなサンドイッチとワインでピクニックに行ったらきっと気持ちがよいだろう場所へはもう何十年も来ていない。
人が足りない。そういわれて休みなく働いていた。5連勤ほどから、目がかすみ、脳が水を吸い込んだスポンジのように重くスカスカで思考が働いていなく、食べるものは味はしていなかった。
ああ、死ぬかもしれない。そう思っていたが、、、。
「そうか、ここが死後の世界なのかな、、、。まさか天国、、、ってわけないか。そんな恵まれた人間じゃなかったし。」そう、自分は望まれていない。望んではいけない。けれど、他人を喜ばせなくちゃいけない。
そう、誓っていた。
寝転がり、透き通りすぎてそこが見える池のような水色の空を見ながら、草原の草をむしり
手でいじくる。うん、青臭い。久しぶりだな、、いい香りだ。
「確か、、、入居者さんの巡回中に、ぼんやりして、、、。廊下で、、、?どうやってここに来たんだろう?」
脳を働かせ、思考を巡らせるが、まったく理由が浮かばない。いつのまにこんなところに来たんだろう。
「かといって、、、なぁ~、、、。どうすりゃいいんだ。ともかく動く。動きながら考えよう。」
空を向く顔を横にして横向きになってから手で地面を押し、座る。ひょいと動ければいいが
仕事がら腰を痛めがちなのだ。介護職の職業病。コルセットは必須装備だ。
だからすっと起きることができない。ひと手間加えて腰の負担ないように起き上がる。長年の痛みの蓄積からの知恵だ。
普段ならゆっくりと起きるだけでもぎしぎしと腰の痛みを感じる。
が。
「あれ、そういえば、腰が痛くない?おかしいな、いつもなら嫌になるくらいなんだけど。」
立ち上がってラジオ体操の要領でいちにと手を挙げながら右左と横に上半身をそらす。
10度も曲がらないくらいから少しづつ角度を加える。
だいたいいつも、コルセットなしだと、20度くらいで痛みでダウンする。
週3回の整体にいかなければ生活に支障がでるほどなのだ。-どっちが高齢者かわからないねえ。と
腰をさすりながら身体介助しているとよく入居者さんに言われたものだ。
高校を卒業して働き始めてからずっと体の調子が悪かったが、いまはすこぶる体の調子がいい。初めてだ。
高校時代を思い出すほど体が軽い。足も重たくない。思わず垂直にはねてみる。
ざっっと音とともに草が付いてきて、さらさらと草はらが足から離れ体がふわり宙に浮く
またざっという音とともに草をつぶし青臭いにおいに包まれる。楽しい。自由な感じがする。
一瞬気持ちが軽くなり、また暗くなる。草の青臭いにおいで思い出した。今日の夜勤中の従業員食に練りこまれた雑草の味を思い出したからだ。続けてしかめつらして、ねちねちと、暴言ではない言葉で心を傷つけてくる先輩たちのことや、あと1日ある連勤中の夜勤のことを思い出し、ため息をつく。
いやな仕事場だけれど、高校卒業して身寄りなく行くあてない自分を雇い入れ、かび臭いけど寮に住まわせてくれる、そんなところはあそこしか知らない。人間が嫌いだ。でも生きなくてはいけない。死んだ両親の墓石に誓った約束だから。生きるためには食べていかなくてはならない。そのためには仕事しなくちゃならない。
、、、、ああ。また暗くなってる。いやんなる。
切り替える。さて、もとの世界に、仕事には戻らなくちゃいけない。
たぶん、ひとつは夢であること。でもこれは違うと分かった。実際の手触りがある。香りや質感を感じるから。
もうひとつは、とてつもない嫌がらせ。あの先輩たちなら、このくらいの嫌がらせはするだろう。いや、さすがに自分たちの負担が増えることはしないか。
だとすると。
「死後の世界、、、。だろうなあ。でも生きてる。実際、こうして痛みとともに血は流れているし。」
確かめるために、比較的鋭そうな葉っぱでさっき親指の根元を切ってみて、試している。
「そか、最近噂の異世界に来たってことか、、、。それじゃあ仕事に戻るためにも手段を探さなきゃな。戻り方知ってる人を探さなくちゃ、、、。ってまずは人探しからかな。」
いまいる草原は、幼稚園児の作る砂丘のように、なだらかな丘のようになっており
自分がいまいるのは中腹当たり、雪のないスキー場のようになっている丘をぐるりと密密とした木々、夏の暑い日差しの中でも涼しそうな深い森が囲んでいる。上にいくか、下に下るか。下を見てもリフト乗り場のようなものはなく、ただ木々が視線を迎えている。その先に何があるかわからない。
「下にいっても上に戻るの疲れそうだし、まずは上に行ってから考えようかな。」
と上に向かって歩くことにする。
結論からいうとこれがまずかった。
上を目指して歩くのは楽しかった。当初は、体の軽さと数年ぶりの自然との触れ合いに心を躍らせ
見たことのない草花や実を見たり、気になったものはポケットに入れたりして坂を上り
頂上を目指していた。
しかし、登っても登っても、景色が変わらない。
同じ草花、木、実が続く。空だけが透き通る水色の池から、その池の底にオレンジ色の飴玉がそっと
溶けだしてきているような夕暮れに近づいてきていた。
「おかしいな、、、。同じ場所を歩いてるような感じがする。身体はまだ軽いけど、さすがに疲れてきてるし。でも、ループしてるって感じじゃない。摘んだ実も花も同じ個所にあるけれど、同じように新しく生えてる。ポケットにも入ってる。摘んだのが。どしよう、、、。野宿する、、?いや、どう野宿する?野宿用の道具はないし、あるのは~~、仕事のユニフォームの胸ポケにさしてた、ボールペン数本と作業用のウエストポーチのゴム手袋数十枚、手帳、小瓶のアルコールスプレー、メジャーと折り畳みハサミ?うーーーん。。。。。」
いま持っているものを確認し終えると、野宿には道具が足りなさすぎることをあらためて感じる。
けれども、これから先に進んでも夜になり、進むことも戻ることも難しくなるだろう。
下に降りていったほうがよかったかもしれない。うっすらと思いながら、下に進んだところで
同じようになっていただろうと考え直す。
ともかく、この夜を乗り切らないと。
火を起こしてから寝床を考えることにする。
火を起こすためには、摩擦熱で火を起こすやり方しか思いつかない。
手で棒を左右にこするきりもみ式火おこしを考えたけれど、弓切り式火おこしを試してみることにする。
まずは腰のコルセットを外し、ハサミで紐を切る。
紐をそこらへんで拾ったまっすぐな棒にくるくるとくくりつけ、そのまま紐の両端の先を
弓のように曲がった木の枝の両端に結び透ける。ちょうど弓の弦の真ん中ほどに木の棒を
絡ませ木の棒がくるくると回転できるようにする。弓切り式の由来だ。
地面に虫食いのような穴があいた木の棒を置き、
その穴に紐のついた棒の下の端をこすりつけ摩擦の熱で火を起こす。
より火が付きすくなるよう紐のついた棒の上の端を平べったい石で上から抑え棒が倒れないようにする。
左手は平べったい石を上から抑え、右手で弓のような形(と思いたいけれど、似ても似つかない形。なるべく弓っぽい形)の棒を左右に動かす。棒が同じように右、左と動く。これを繰り返して下の木と棒の摩擦熱を増やし火種を作るつもりだ。
アルコールスプレーの中身をあらかじめ火種となるハサミで削ったかつおぶしをイメージした木くずにまぶして少しでも火が付きやすくしている。
ここからは時間との勝負だ。ここで火を起こせるかどうかで、夜の生存確率が0でなくなる。
「いつだって死ぬときは死ぬってのはいいけど、ここではまだいやだな、、、。せめて、、、。野垂れ死ぬんじゃなくおなじ墓に入りたい。」
とぼそっとつぶやき、右の口角があがる。やるしかない。やるしかないんだ。
ぎりぎりぎりぎり…
ひたすらに動かす。
しばらくして、夜空の星のまたたきのような種火が生まれる。
少しのそよ風でも消えてしまいそうな光だ。
事前に準備しておいたかつおぶしのような木くずを丁寧にそっとかぶせ、顔を近づける。
細長くやわらかい息を優しく吹く。イメージは赤ん坊のほほをそっとなでるような優しさで。だ。
少しづつオレンジ色が広がり、木くずは火に包まれる。
大きな木の枝を火にくべると、火は勢いを増し、そのあかりで自分の影が濃く映し出されていた。
夜が来ている。
火のあかりに連れられて羽虫が飛ぶ。
月明りはない。暗闇の中でろうそくの火を灯しているときのように、暗闇という海の中でぷかりと
ひとり、この明かりの浮き輪で浮いていた。
地面に膝を立てながら、昼間に採っておいた赤色の木の実を一粒すりつぶしその汁を腕につける。
しばらくして、腕に痒みや違和感がないことを確かめて舌でなめる。ややすっぱ甘い。
様子をみていたが、異変はなさそう。ようやく食べる。いちごに近い味、、、けどもっとレモンに近い酸っぱさ。食べれなくはない、むしろお腹が空いている真っ最中だ。ものの数分ですべて食べてしまった。
物足りない。昼間動いた分の体力の回復ができるほどの食事はできていない。肉が恋しい。
夜簡単に買いものができていたコンビニが早くも懐かしかった。
ぱちぱちと木が火で燃えていく音が森に響く。
座ってぼうっと物思いにふける。ここはどこなんだろう。これからどうしたらいいのか。
元の世界でやり残したこと。暗闇への恐怖。空腹。眠気、、、、。
どれくらい時間がたっただろう。夜勤中はやることが沢山あり、こんな風にぼーと
夜を過ごすことはなかった。眠い。非常に眠い。でも、、、。
「いま寝たら、たぶん起きれない。だめだ、、、ぜったい、、、。」
服を着ながら水の中で浮かんでいると沈むように、暗闇の中で夜勤連勤中の身がたき火の音を聞いていたら眠くなるのは必然だろう。
「、、、、、。」
木に背中を預けながら、少し気持ちよくうとうとしていた。
ウォーーーーン という想像していた中でもっとも聞きたくなかった音を聞くまでは。
「やばいっ。」
すぐに身体を起こし、立って、いざというときに登ろうと決めていた背中を預けていた木に登ろうとする。
夜勤中仮眠中でも、利用者が押す緊急呼び出しベル、いわゆるナースコールがPHSに届いた音ですぐに起きられる。頭で思考するよりも先に体がほぼ条件反射で起きる。
遅れて思考が付いてくる。この世界にいたことに気が付いたときに、思いついた疑問のひとつ。
それがいま解消されようとしている。
ここに自分の存在を害するもの、食するものがいるかどうか。
植物が襲い掛かってくることも考えた。そういう世界の可能性もある。
自分を食するものがいても、初日には襲い掛かってくることはないかもしれない。
異世界に来た特典で、、、?
そんな、そんな 「甘くはないよね。」
木に登り、上を見ながらも、もう下には戻れないことを知る。
下はまだ見ていない。けれども、戻れない存在感を感じる。
その音が、においが、肌で感じる恐怖が教えてくる。
ここが、死に場所かもしれないということを。
縋りつくように木を登り、5階建ての建物の3階あたりで幹から横に伸びている人ひとり眠れそうな
大きな枝に移る。それから下を見る。狼だ。いや、まだわからない。動画で見たことがあるあの姿を
推測すると狼だと思う。狼は動物園でも見たことがない。実際に肉眼で見てみると違うのだろうか。
かなり大きい。軽自動車くらいある。牙はペットボトルくらい太い。噛み砕くことなく自分くらいであれば
一飲みで飲み込んでしまえるだろう。
そんな、化け物が下にいた。いや、まだ、いる。
見える範囲でいる、それ以外に、10数匹を感じる。
見えてはない。サッカーでボールを取りに来るときの圧、トイレの個室のカギが閉じているかどうか
色を確かめる前に誰かがいることがわかるように、その存在感を感じる。
なんとなく、わかってた。夜、火がついていたら寄ってくるかもしれないものに。
それが、人だと助かった、横暴な犯罪者でも、まだすぐ殺される可能性があっても
なお、価値はあったろう。
では、こちらをただ腹を満たす食料として見る獣だったら。交渉の、会話の余地はない。
わかってた。死を。そうなったとき、ここでそうなること。
静かに獣はそこにいる。
油断して座すことなく、積極的に木に登ってくることもない。
ただ待っている。天井間際のガチャを引くように、お金を払ったら自販機から欲しいものが出てくるように
獲物がそこにいて、時間がたてば、口で肉を食み、食事をできることを知っている。
そうして静かに待っている。視線をこちらに向けたまま。
相手が油断していたら、まだなにかしらの可能性があったかもしれない。
相手は弱肉強食であろうこの世界の中、大きくなったものだ。
そこに油断はないだろう。
脳が痺れて、思考が白んでいる。
けれど、、、。どうやって戦おうか考えている。
簡単に死んでしまうのはいやだ。嫌なんだ。
生きたい。どうあがいてでも、生きたい。ここまで生きてきていいことなんてなかった。
でも、ここでただ肉として消費されるだけの、いままでなんて、いやだ。
だから、考える。どう、生き抜くか。いまを。
抗うための準備を始める。
腕の長さ程の木の枝を折り、ポーチからハサミを取り、力づくでプラスチックを剥がし
刃物の部分をとる。棒の先端に刺し、取れないよう木の枝を押し付けて深くはめ込む。
簡単なヤリを作る。おもちゃみたいなものだけれど、ないよりはましだろう。
自らにアルコールをまぶす。おもちゃのようなヤリを持つ。
覚悟は決めてある。あとは、、、、。
ひゅっという音とともにヤリを狼に投げつける。
子供が叩こうとした手を大人が簡単によけるように身をかわされる。
それが狙いだった。少しでも時間を稼ぐための。
「さあ、こいよっっっっ」
相手がヤリを躱したのを見る前に木からたき火に向かって飛び降りる。
そうして、簡単に身体を火が包んだ。
火をつけるときはあんなに苦労したのにな。と熱を感じながらふと思う。
本能が理解しようとしていないのか、それとも理解しすぎていて感覚がとらえる前に超過していっているのか。
服に火が付き、全身に火がつく。あつい。じくじくする。目が開けてられない。
いまはそれだけだろう。やけどをした後にはその時は熱いだけだ。
それから重く鈍く肉が戻らない感覚と痛みを感じていく。
さあ、時間がない。
狼の前に落ちたヤリを持つ。そして対峙する。とてつもない威圧感とともに
すでに自分はおかしくなっているのだろう。
「があああああああらああらああっっっ」
生きてきた中で、これほどとない腹から出た咆哮ののち、ヤリを持った右手を振り上げ
鋭く突き刺そうとするが、よけられる、だから、近寄り、さらに右上から振りかぶり
そこで、車にぶつけられたような衝撃を受け地面にたたきつけられる。
ただ、目の前を飛ぶ小さなコバエを払うかのように簡単に。
意識が飛ぶ。瞬間、楽になりたく目をつむったまま眠りたくなる。
だが。
地面から起き上がり、ゆっくりと起き上がる。
まだ、炎は立っている、燃えている、だから。
「これを、、、、狙っていたんだよ、、、」
右腕を振りかぶったとき、アルコールの小瓶とともに狼に投げた。
その身体に少しづつ火が走っていく。
火が狼の全身を包んでいく。しかし、すっとこちらを見たまま動かない。
美しい。刹那に神々しささえ感じる、神事のかがり火を見るような、そいつは火に包まれながらも
まったくただこちらを見ていた。
目が合う。息を感じるほどの近くにいるような錯覚すら覚えた。
一瞬だったのだろう、15分の仮眠が1時間にも感じるような感覚で目を合わせたあと
狼は火を灯したまま森へかけていく。追いかけて30匹ほどの獣がその光を追いかけていき
あたりはただ、人の大きさの一点の灯りが残り、それも燃え尽きようとしていた。
感覚がなかった。死にたくなかった。
けど、、、、。仕方ないだろ、、、。
涙が出そうな気がした。それすらも燃え尽きていた。
そうしてただ、闇だけが残った。