第2話 ゴブの異世界転移
「うわぁーー!」
「ぎゃぴぃ!」「ぐぎゃぁ!」
俺は今、自分を襲ってきたゴブリンと共に全力で草原を逃げている。
何からかと尋ねられれば……、正体不明の火の玉からだ。
その火の玉は俺と周りのゴブリンを完全にロックオンして上空からグングンと落下してくる。
アニメなんかでこんな場合は横に逃げればいいとか立ち止まれば良いんじゃねとかよく言われる。
だが実際にそうするとこの火の玉は不自然な程に軌道を変えて俺達を狙ってくるのだ、自由落下じゃないのかよ!
止まる事も脇に逸れる事も許されず全力疾走している俺だが何故かそこまで疲労感は感じていない。
とはいえこれではジリ貧でいつかは着弾の爆発に巻き込まれてしまう。
どうしてこんな事になったのか……、俺は数十分前の出来事を思い出すのだった。
✩★✩★✩★
暗闇の中をひたすら落ち続ける感覚。
硬直した首を何とか動かし周りを見ても真っ暗で上下左右も自分の状態もよく分からないし実は落下ではなく浮いているのかもしれない。
視覚、聴覚、触覚が曖昧になっていく不思議な感覚が続く中、俺の身体は違和感を感じ続けていた。
身体の外側が剥がされ中身をスキャニングされどんどん違うものに作り替えられていく様な……。
言葉にすると恐ろしい事この上ないが不思議と焦りも痛みもなかった。
やがて何も見えず何も聞こえなかったはずの世界に柔らかな光が差し込んでくるのが分かった。
そして、ずっと落下していた感覚も終わりを告げ、俺の身体は重力に逆らうように減速しどこかの地面にふわりと着地した。
ここ最近の荒んだ生活で気にも留めてなかった爽やかな風と日差しが目を閉じていても実感できた。
落下している時は冷えて凝り固まっていた身体にも少しずつ力が戻ってくる。
ゆっくりと瞼を開くと木の葉の間から暖かな陽の光が射し込み冷え切っていた身体に温もりも戻っている事に気づいた。
横たわったまま瞳の動きだけで辺りを見回す。
どこかは分からないが森の中だ。
背中に感じるのは背の高めな芝の感触だろうか。
一体何が起きてここまで飛ばされたのか、ここがどこなのか、今の俺には想像もつかない。
辺りは木が鬱蒼と生い茂っているが暗い感じではなく、休みの日にキャンプでもしたくなる様な気持ちの良い場所だ。
恐らくゲームの初期配置近くだと思うが魔王として魔王軍の再建を目指すイベントなら魔王城の近くに送って欲しかった。
身体を撫で回し異常がないかを確認する。
どうやら置かれた状況は問題ばかりだが身体は無傷の様でホッとする。
これから俺は魔王として部下達を率いていく大切な身の上なのだ。
服装も紺のTシャツに下は黒の短パンで部屋着のままだった。
Tシャツから出る節くれだった右腕は血色のいい緑色で健康そのもの……。
んっ?
節くれだった……みどり……、だと。
一瞬、思考停止しかけた俺は、やおら立ち上り、周りを見回して近くにあった川めがけて走った。
魔王であれば空中を浮遊する事が出来るはずだがなにやらドタドタと走りにくい。
何とかたどり着くと川の水面に自分の顔面を写す。
……紛う事なきゴブリンであった。鷲鼻に長い耳、裂けた口と、その中に存在する小さな牙。
そして全身緑色であれば、これは間違いなくゴブリンである。
俺がゲーム開始当初、苦労を共にしたゴブリンそのものだった。
えーと、なんだ、この状況は?
部屋中が光に包まれて白一色になって……それから……。
全ては単なる気のせいで普通にゲームに正常にログインできたのだろうか。
セーブが消えた訳でもないのにゴブリンに戻るなんてなんちゅー嫌な不具合だ。
ふっと、顔を上げると眼の前に子犬位のドラゴンが封筒を咥えて蹲っていた。
そして俺に対して受け取れという様な仕草で封筒を突き出してくる。
俺は封筒を受け取ると封を開けて中のカードを開いた。
“お帰りなさいませ! 魔王様!
魔王軍は勇者一行の襲撃にて壊滅の憂き目となりましたので魔王様には時間を遡りゴブリンに戻って頂きました。
勇者一行から身を隠し更なる魔王軍強化の時間を稼ぐ為の私の最後の献策でございます。
また、通知を通してお伝えしましたが魔王様は幾つかのスキルを取得済、及び、後ほどナビゲーターが合流する予定です。
そちらを活用し魔王軍再建を頑張ってください。ご助力できない事だけが心残りでございます。
ちなみにこの書状は私が魔王様と共に過去に送った唯一のものでご一読頂き次第消滅する仕掛けです。
魔王様の行方を明らかにしない処置ですのでどうかご理解ください。
魔王様が迎えに来てくださる事をこの時代の私の側でお待ちしております。
魔王軍総司令官 グリッシュ“
なん……だと?
魔王からやり直すんじゃないのか?
ゴブリンまで戻すなんてあんまりじゃないか!?
こんなイベントやってられるか!
勢いで手紙を放るとそのまま消えてなくなったがそんな事は最早どうでもいい。
ログオフだ! ログオフ!
俺はゲームを終了させる為にメインパネルを出そうと画面をさがす。
だが、全くそれらしきものが見つからないのはどういう事だ?
ま、まさか……、ゲームではなくて本当に異世界に飛ばされたというのか?
クソがっ!? 人間がゴブリンになってたまるか!!
「このドラゴンだってVRのキャラだよな、それならこうすればステータスが……」
俺はゲーム上でNPCのステータスを調べる時の様にキャラに手を翳そうとした。
「痛っ!」
突然、子ドラゴンが威嚇をして俺の手を引っ掻いた。
緑色の皮膚に傷が付き青い液体が流れていく。
何より信じられないのが、傷が痛いのだ。
ゲームの頃はコンプライアンス的な事情により負傷しても血は流れないし痛みも、もちろん無かった。
……えっ?
俺のツヤのない萎れた緑色の頬に嫌な汗が流れて落ちた。
はっ、はっ、はっ……。
過呼吸気味になり息が苦しくなっていく。
俺は……本当にゴブリンになってしまったのか?
子ドラゴンはそんな俺の気も知らずにバサバサと翼をはためかせて飛んでいった。
ああ、……これからどうすればいいんだ。
こんなザコモンスターにされて衣食住の準備もなく、ここがどこかも分からない。
この世界が異世界なら俺にとってはある意味、現実世界となっているわけだ。
死んでまう、無理だぁ。
……
……
……ははっ、
ふぅー、……こんな所で悩んでても仕方ないか。
一度冷静に状況を整理しよう。
俺は理由はどうあれゲームの世界に転移させられた。
そして今の俺は吹けば飛ぶような非力な子鬼だ
周りは背の高い木々が立ち並ぶ深い森で俺は武器もなくTシャツと短パンだ。
転移させられたのが必ずしもゲームの頃に序盤であった場所とは限らないが……これだけの森が広がっているのはエルロア島屈指の貿易都市ウェルニーの北東に広がる名無しの森だ。
この推測が正しいとすれば俺にもまだ多少の運はあるという事だ。
名無しの森というのは名前を持つ者がいないという事、つまりは超初級のステージで敵もゴブリン、もしくはそれに相当するモンスターしか出てこない……まあ、俺も今となっては同じ弱小モンスターのゴブリンだけどな。
そして更に重要なのはウェルニーという都市の特徴だ。
エルロア島――ゲームの舞台となるこの島だが――で3本指に入る優秀な貿易都市で金さえあれば様々な装備やアイテム、そして上質な情報を手に入れる事ができるだろう。
そして何より魔王軍直轄の支城がある。
当然ではあるが俺の前にも魔王は存在する訳でその時代まで遡ったのであれば今がそうなのだろう。
うまく利用して魔王軍のサポートも引き出せれば生き延びる確率も上げられる。
実の所、序盤で大きな街が拠点に出来るのは都合が良いのだが、それだけではゲームバランスの悪さは然程解消されない。
名無しの森からスタートし近くに大都市ウェルニーがあっても繰り返すがゴブリンは死ぬ程弱い。
敵モンスターとしてのゴブリンも同じく弱いが群れを作った場合の奴らはそれはそれは地獄の様なタチの悪さを発揮するのだ。
まあ、現状より最悪なスタートは他に幾らでも思い浮かぶ。
ここは定石に従いウェルニーを目指す事にしよう。
「うーん」
辺りの地面を見回して程よい大きさの木の枝を見つける。
数度、振ってみるが重さ長さ共に丁度良い感じで非力なゴブリンでも負担なく扱えそうだ。
「カスみたいなもんだけど何も無いよりかはマシだろう」
貧相な棒を右手に握り、さて、どちらに進むべきか……と思案するが、既に目星はついている。
実はウェルニーは貿易都市ということもあり近くに大きな港もある。
つまり海の方向、潮の匂いがする方向に向かえばいい、ゴブリンの五感は人間のそれより鋭い。
おまけに言えばここが都市の北東なら日の沈む方向に歩けば良い。
……まあ、弱々しい根拠だが今はそれに縋るしかない。
嗅覚を集中して潮風の匂いを感じ、日の傾きを確認した後、俺は歩き始めた。
「はぁ、前途多難な1歩だぜ」
それは森の中の道なき道に踏み出したとても小さな1歩だったが、この世界で俺自身が決めた重要な1歩だった。
✩★✩★✩★
しばらく森の中を歩いていると不意に風がやんだ。
潮風を頼りに歩を進めていた俺は少なからず動揺したが直ぐにそれは吹き飛んだ。
元の世界では体験した事のない感覚――濃厚な殺気が俺に向けられたのだ。
重たい空気が辺りを包み俺は目の動きだけで敵を探すが見つけられない。
だが、既に囲まれている事はわかった。
せめて死角を無くしたいと考えて近くの大木に背を預ける。
木の棒片手のゴブリンに何ができる!
やはりこのゲーム難易度がいかれてるな!
……いや、ゲームじゃない!
リアルだ、
俺にとってはリアルなんだ。
怪我をすれば血が出て痛いんだ。
多分……死んだら終わりの世界だ。
ちくしょうっ! こんな所で死んでたまるか!絶対に生き残ってやる!
どんなに汚い手を使っても、どんなに屈辱にまみれても生き延びれば俺の勝ちだ。
ゴブリンが木の棒を装備して身構えている。
ゲームならばそう表現されるだろう状況で物凄い弱そうだが負ける訳にいかない。
「来るなら来てみろ! 殺ってやるぞ!」
そう叫んだ瞬間、頭上の枝がガサガサ音を立てその脇から何かが俺めがけて降ってきた。
なんと俺と同じゴブリンが短剣を向けて落ちてきたのだ。
その刃は濃い緑色で明らかに毒が塗りたくってある。
だが俺は冷静に対処できた。
なぜならギャーギャー喚きながら落ちてきたからだ。
「アホが! それじゃあいい的だろうが!」
俺は射線上から半歩避けて木の棒を大きく振りかぶり落ちてくるゴブの脇腹目掛けてフルスイングで叩き込も……うとしたが、何分リーチが短いので盛大に空振った。
お互いに無様に転がりお互いに体制を立て直し目の動きだけで辺りを注視する。
落ちてきた個体を含めて6匹のゴブリンに完全に囲まれていた。
無様な俺の姿を見てゴブゴブと笑っている、……ムカつくぜ。
くそっ! 自分の体が小さくなったのは理解した。
俺は気を取り直して木の棒を正眼に構え直しゴブリンの群れを睨みつける。
そんな俺の姿がそこそこ強そうに見えたのかゴブリン共は顔色を真っ青にして大量の汗をかきながら固まっている。
……いや、違う、奴らの目線は俺を捉えておらずまるで明後日の方向を見ている。
罠かも知れないので奴らの動きに注意を払いつつ奴らの視線の先を追ってみた。
どうやら丸い物体が段々とこちらに近づいて来ている。
光っているのか? ……燃えてるのか!
上空からあのスピードで自由落下してきているとしたらかなりの摩擦熱で燃えているという事だ。
どんどん、どんどん、近づいてくる。
だんだん、だんだん、……大きくなってくる。
やばい!
あっという間に大きくなる火の玉だ、あれが着弾したらここら辺は大惨事だ!
逃げなきゃ! と思って視線を戻すと既にゴブリン共は逃げ出した後だった。
おいおいおい、速くね!?
「おい! まてや、コラッ!!」
襲われてたはずの俺はゴブリン共の後を全速力で追いかけた。
そしてゴブリン共と一緒に火の玉から逃げ回るハメになったのだ。