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   第四章 ストリントベリイ

「お腹いっぱいになったが、まだ出発まで1時間ある。下車しよう」

 朝食後、イラフが言った。

「そうだな。明るくなってきたし」

 チヒラが応える。

 列車を降りた。殺気はない。

「街に出てみるか」

 笑みもせず、チヒラが言う。

「そうだね」

 イラフもそう応えただけだった。

 巌のように幽玄なる建築。埴の人形のように感情がない。非情の面相の石壁が来る者を睥睨するのみであった。

 ミュールを鳴らすチヒラ、ペパーミント・グリーンの眼光鋭きイラフ、駅前の平場を()ぎり、大通りから逸れて枝道に、さらに路地に入る。

「人通りが少ないね」

「そういう街なのさ。大公は苛烈な武人だ。商業を否定している」

「それで街が成り立つのか。

 すべての社会は下部構造に、経済を持っている。法律や政治は上物に過ぎない。古代神聖政治ですら、そうであったはずでは」

「そうだね。

 そもそも集団というものは、生産物がないと養えない。この町は傭兵で成り立っているのさ。この地域一帯がそういう感じだ。武士階級出身、傭兵出身の為政者はこのあたりじゃ、珍しくない。武勲を何よりも尊ぶ土地柄だ。

 傭兵上がりのユグスト辺境伯は最もソリッドな典型とも言える」

「あ」

「どうした?」

「見ろ。少年が暴力を振るわれている」

 人の姿が見えない街で初めて見た人がこれだった。数人の男が金髪の少年を囲んで殴ったり、蹴ったりしている。

「イラフ、あの少年はシルヴィエ人だ。周りを顔んでいるのは若い傭兵か、傭兵の子息たちだろう」

「だからと言って多勢に無勢で赦されるのか」

「シルヴィエ人は侵略者だからな。嫌われているんだ。憎まれている」

「だがあの少年が何をしたわけでもない。理不尽だ」

「感情は常に理不尽さ。彼らも仲間や家族をシルヴィエ人に傷つけられたか、殺されたかしたのかもしれない。生まれた土地を奪われたのかもしれない。尊厳を疵附けられたのかもしれない。そんなときの人間のほとばしるような言動の奔流は、必ずしも理に制御されたものではない。ほとんどが過剰で、むしろ矯激だ」

「わたしは助けに行く」

「どうぞ。ご勝手に」

 イラフは割って入った。

「君たち止めたまえ。卑怯だ。こんな年端もいかない少年を。君らのような筋骨たくましい青年が」

「黙れ、こいつらは悪の民族なんだ」

 スキン・ヘッドの一人がそう喚く。

「莫迦か? ペーパーバックや下等な俗悪映画じゃあるまいし、この世に悪の民族などあるものか。この世に民族全員が悪である民族などあり得るはずがない。民族が同じだと同じなのか。逆に正義の民族もない。

 民族や宗教単位で悪だなどと決めつける愚劣さが悪だ」

 理の通った話も知性のない者らには通じない。もうの一人の巨漢も、

「ほざいてんじゃねえ。こいつはなあ、シルヴィエ人なんだぞ。わかってるのか? てめえ、シルヴィエの味方するのか」

 顔に大きな傷のある日焼けした背の高い痩せ男も近附いて来て、

「ああん? 何だ、てめえ、女じゃねえか」

「だから何だ?」

「お嬢ちゃん、怪我したくなきゃ、邪魔するんじゃねえよ」

「怪我? 君らがわたしに怪我をさせる? 面白い」

「おいおい、でかい剣を佩いてるからって、調子に乗るなよ、おちびちゃん」

「そうか」

 抜剣と同時に五人の男たちのズボンのベルトが切れ、ズボンが落ちた。

「ひゃあ」「ぅっぅわっ!」「なんだ、こりゃ!」「てめえ、やりやがったな」

 一斉に襲い掛かってくる。イラフは剣の柄で鼻をへし折る。男が倒れる。

「て、てめええええ」

 次に襲いかかってきた男の肩に飛び乗り、襲ってきた三人目の男の顔を蹴り倒し、四人目を峰打ちで昏倒させる。

「この野郎、あまっちょろめ、降りやがれ」

 男は自分の肩の上にいるイラフの足をつかもうとするが、踊るように軽快に肩の上で跳ねるので捕まえられない。

「俺に任せろ」

 五人目の男がイラフを殴ろうとし、空振り。イラフを肩に乗せた男を殴ってしまう。男が倒れ、イラフは静かに着地する。五人目に剣を突き附け、

「さあ、どうだ? おまえ自身の愚かさがよくわかったか? 憎むなら、やった者を憎め!」

「ち、ちくしょう!」

「愚か者、まだわからないらしい」

 イラフは峰打ちで叩きのめした。

「世界は虚しい。理性の欠乏した人間の何と多いことか。愚か者には理屈が通じない。闇に蔽われて、通るべき道理が通らない。惧るべきことだ。愚劣が世を覆っていて、残虐がまかり通る。愚かであるということは罪悪だ。狡猾な者も卑怯な者も邪悪な者も、要するに愚かなのだ。何て虚しいことか。

 さあ、大丈夫か、シルヴィエの方よ」

「うえーん、う、うえーん」

「泣くな、さあ、お母さんのところへ帰りなさい、いや、家に帰りなさい。家はあるのか」

 泣きながら首を振る。

「家がないのか、君、なまえは」

「リアイヰ(璃亞彝巸)」

「行く場所がないのか」

海鳥島エル・パッハロ・デル・マルに行くんだ」

「エル・パッハロ・デル・マル! そこに家族がいるのか」

「違う! でも海鳥島に行くんだ」

「わからないことを言うね。ここからは遥かに遠いぞ。どうやって行くんだ」

「僕、歩いていくんだ」

「無理だよ。いったい、なぜ」

「どうしたんだ、イラフ」

 怪しんでチヒラが近附いて来る。

「いや、この子が。・・・・あっ!」

 突然だった。

 陣風のような勢いで人影が過ぎる。思う間もなく、反射的に二人はかわしていた。凄まじい朱い大剣が空間そのものを裂くように伸びて迫る。二人を同時に斬らんばかりの勢いであった。

『捉えられない!』

 動体視力が追い付かない、イラフは刹那そう思った。かわした後でも風圧で斃れそうになる。力に逆らわず、転がりながらチヒラが気を放つ。敵の動きが千分の一秒緩んだ隙に、イラフは地表すれすれ、背の高い敵の膝下に滑り入り、石畳を蹴って垂直に飛んで下から上へ縦に逆斬りせんとする。

 これぞ神彝裂刀の奥義、〝()(げき)(てん)(こう)(りゅう)〟であった。

 その垂直のさま、(つい)に天に昇り(おわ)らんとする亢龍のごとくではあったが、籠手で軽く払いのけられる。

「っわッ!」

 敵は背後から放たれたチヒラの気の刃を剣で両断し、返す刀で、イラフを裂かんとするも、(ころ)びながらイラフは振り下ろされた剣を逃れる。

 ズン! もの凄く重たい剣だ。その刀身が石畳に深く刺さって石が飛び散り、路面が揺れた。

「ばかな」

 イラフはまた驚いた。刀身の半ばまで深く刺さった幅広の剣が、何のストレスもなく抜けて鞭のようにしなりながら迫ってくる。切っ尖が鼻先をかすめた。チヒラが両掌を差しだして気を撃ち放つも、敵はわずかに動きが止まる程度。

「このままでは」

「やられる」

 そう思う千分の一秒、イラフは周囲を見廻し、少年の姿が見えず、無事にどこかへ逃げ隠れることができたらしいことを確認した。『よし』 さて、どうしたものか、この強敵は。

 そのときだ。白い光のようなものが目前を(よぎ)って、敵の剣を受け止めた。

「あゝ」

 イラフは思わず声を出す。剣が止まったので、初めて敵の姿を見ることができたからだ。

 黒い緋色の髪をカーリーのように乱して昏い緋色の鎧兜で装甲した長身の女戦士、その身の丈は2mを超えるように見えた。それでいてあのスピード。冷たい汗がイラフの背に流れる。

 その凄まじい朱色をして艶光する大剣を、黄金の光を放つ細身の白い剣で受け止めているのは、細い身体に白く長い髪をまっすぐに垂らした白いマントの下に白いトーガを着た人物だった。幅広の朱剣を止める細剣はとても長く(イラフには2m以上あるように見えた)て、今にも折れそうだった。背後から見ているので性別まではわからない。背の高い華奢な若い男か、少年のようでもある。だがイラフは直感的に女性であると感覚する。

 朱い剣に彫られた茜色を帯びた金の神咒文が燃え上がるように輝くと、じりじりと白い細剣が押されて潰されそうになる。

 イラフは我に帰って急ぎ立ち上がり、緋の兜の女剣士の右手に回りながらチヒラを見やる。チヒラは三叉戟『天真義』を顕し、楯『地真義』を右手に持って、左方へと回っていた。すると、それに気が附いたのか、緋剣士は白剣士を弾き飛ばし、チヒラに向かって振りかぶり、その勢いでイラフに斬りかかる。チヒラは転びながら『天真義』の尖から烈光をほとばしらせ、イラフは下から間合いに入ろうと試みた。

 突き飛ばされた白剣士もまた素早く体勢を立て直し、トーガという動きにくい衣であるにもかかわらず、巧みな所作、理に適った剣さばきで、布を絡ませることもなく、むしろ麗しく舞うかのように突きを繰り出す。剣が黄金に変わる。その美しさと動きの華麗さはギリシャ古典期の彫刻が動くのようであった。金と象牙でできた芸術品のようであった。しかもその表情は「高貴なる無関心」を浮かべ、冷然として感情を表わさない。

 だが緋色の剣士は長身にもかかわらず俊敏で、黒豹のようにしなやかに飛び上がり、三者すべての攻撃をかわした。そして(おめ)く、

「我が名は、生ける屠殺神アグール・ゴーリア。命は賭して闘うがための(しろ)にしかず。聴くがよい、そして怖れ怯えよ、我が信仰、我が神は、聖の聖なる殺戮の大天帝ジン・メタルハート様よ、我こそはメタルハート様の直属の配下。憶えておくがよい。

 儚き貴様らの命のあるうちは」

 そう言い残して近くに二階家の屋根の飛び上がり、けたたましく笑いながら、次により高い屋根へ飛び移り、さらにまた高い方へ、そして屋根から屋根へと走り去って行った。

 ジン・メタルハート。その名を聞いて稲妻に打たれたかのように、イラフとチヒラとは、ただ呆然と見送る。立ち尽くすことしかできなかった。

 その身体には衝撃が走っている。むろん愚かなことだ。イラフはその強敵と闘うためにこの旅の途にあるのだから。

 メタルハートと闘うのだというわかり切った事実を、イラフは強烈に実感していた。剣の柄をにぎり、動揺を抑える。

『しかもジンの配下だと称するあのアグールでさえあんなにも強いのだ』

 苦いものが胃から込み上げる。怯えてなどいない。しかし動揺はしている。なぜだろう。『歴戦の傭兵たる自分に恐れなどあるはずがない。ましてや命惜しさなど! だがこの根底から来る(おそ)れは何だ!』

これではいけない。いや、弱いのは仕方ない。人は皆弱いものなのだ。強いと思う人間は愚かなだけだ。物を知らぬだけだ。

 理性を取り戻し、白い髪をした若き騎士へ歩み寄った。

「ありがとう、助かりました」

 イラフは手を差し出す。チヒラも寄って来た。相手は手を出さなかった。イラフは已むを得ず、静かに引っ込める。

 とにもかくにも初めて相手をまじまじと見ることができた。驚いたことに、冷凛たる彼女もまた、少女と言ってもよい若い女性であった。 

 白皙の肌に切れ長の眼の中に怜悧に燃える金色の双眸、左の鼻翼に宝飾附きの金でできたマントラの透かし彫りされた円環のノーズティカ(インドの鼻ピアス。円環の連なる装飾的なものが多い)を徹し、装飾のたくさん吊るしたチェーンで耳朶の金のピアスと繋いでいる。首には金色に光る入れ墨が精緻に彫られ、そのすべてが神咒であった。

 美しく燦めくまっすぐな白い髪はまばゆい。前髪が眉毛を隠し、少し内巻きになっている。後ろ髪もまた腰下までまっすぐに垂れ、内巻きにそろっていた。背が高くて180㎝はあるの相違ない。

「イラフ、そしてチヒラよ。じぶんは白く燦めく冷凛剣のユーカレ(憂寡羚)。海軍だ。奴を追っていた」

「なぜ我々の名を」

「国は外国人を容易に信じない。じぶんも龍不りょふ国出身だ。ふ。君らを監視するよう命ぜられていた」

 チヒラはリョジャドの出身のリョジャド人である。イラフが最初に感じた懐かしさや親しみのいわれはそこにあった。

 ペパーミント・グリーンの眼をいぶかしく光らせ、ユーカレを凝視する。

「なるほど、それは十分にありそうなこと。しかしそれをこんなに簡単にバラしてしまうのは不自然に思えますが」

「もともと承知する我が任務はアグールを追うこと。ノルテに渡るなら監視も兼ねるよう命じられたから仕方なくそうしているだけだ。こうして身をさらしてしまえば、監視の役には立たない。だからこれで監視任務はお役目御免だ。狩りに専念させてもらう。

 まったくもって清々した。ちょっとばかり運動にもなったし。ふ。

監視されていることを心外に思うかもしれないが、気にするに及ばない。じぶんにもまた監視が附いているのだから。恐らくじぶんの監視に対しても監視が附いているはずだ。さらにその監視役に対しても監視が附いているに相違ない。さようにいくえにもなっているものだ」

「そうか。まあ、やりそうなことだ」

 イラフが歎息するも、チヒラは笑いながら、

「ふ。愉快じゃないか。官僚どもがよくやる保身さ。奴らの趣味はなるべく背負わないようにすること、なるべく関わらないようにすること、已むなく組織を護るふりをして自分を護ること。他にない。それが保身ということさ」

「小人をせせら笑っても意味はない。失礼してアグール追跡を続けさせてもらう。ふ。さらば」

 ユーカレがニヒルな笑みを浮かべ(金の双眸は笑っていない)、ノーズティカを打ち鳴らしながら背を向けて去って行った。

「すかした奴だ」

 チヒラが桃色の(ひとみ)を曇らせ眉根を顰め、肩をすくめる。

「さあ、わたしたちも行こう。列車が出るよ」

 イラフがそう言った。

「そうだな。今さらだが、人気のない街でよかったよ、普通なら巻き添えになる人間が出るところだった。ま、とにかく急ごうか」

「あの少年は無事にどこかへ逃げられたみたいだな」

 チヒラにそう言われてうなずきながら、

「うん。たぶん、そうだと思う。アグールとやらに襲われた一瞬後には、もう姿が見えなかった」

「じゃ、急ぐか」

「うん」

 しかし二人は乗り遅れた。

「荷物は次の駅に置いてくれるよう頼んだ。後発の急行で行くしかない」

 チヒラがそう言った。

 イラフはペパーミント・グリーンの双眸をモス・グリーンのまつ毛で翳してしばらく考え込んでいたが、

「列車で監視の目を感じたのはユーカレのせいだったんだね」

「ああ、たぶんね」

 しかしチヒラは遠い眼をしたのであった。

 急行は2時間後に来た。日はすっかり高くなっていた。二人は乗り込む。

「茶でも飲もうか。空腹でもある」

 またトラブルに巻き込まれるのを警戒して駅のホームをあえて出なかったのだ。ラウンジのある車輌に向かう。

 そこで奇妙な男を見た。

 黒いマントに全身黒い服でフードを深くかぶっていて、とがった鼻先ととがった顎が見えている他は、縮れた長い黒髪がはみ出しているのみである。その全身からはただならぬオーラが発散されていた。

「何だろう、何か不安を覚える」

 イラフが言う。チヒラも眉をしかめ、

「敵かな」

 黒尽くめの男は視線に気がつき、席を立ち、去ろうと立ち上がった。刹那慌ててマントを押さえたが、二人ははっきり見た。見事な彫金のされた剣の鞘には神聖シルヴィエ帝国の紋章が浮き彫りにされていたのである。


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