1、婚期
本作は「軍人少女、皇立魔法学園に潜入することになりました。〜乙女ゲーム? そんなの聞いてませんけど?〜」の外伝となります。
「――オーファン。お前に縁談が来ている」
その日、ラゼは孫のように面倒を見てもらっているクラロドス・ハッシェ・ゼーゼマンに呼び出され、レストランで夕食をとっていた。
滅多に来ない高級ホテルでのディナーを楽しんでいたところ、何の脈略もなく告げられた内容に、彼女は別段驚きはしない。
「……最近、増えましたね。『狼牙』の称号って、やっぱり私には重過ぎたと思います」
「お前に与えられなかったら、一体誰が拝命するんだ。馬鹿タレ」
コワモテのいかついオジ様は、本日も絶好調な切れ味をしていらっしゃる。
まだまだ現役で軍人を続けるんだろうなぁ、この人は。なんて思いながら、ラゼはステーキを頬張った。
ここ最近、シアン皇国軍大佐ラゼ・シェス・オーファンには数件縁談が持ち上がっていた。
自分もそういう歳になったのだと思えば感慨深いが、内容的には称号目当てだと分かり切っているから世知辛い。
政治的に国の英雄ともいえる狼牙というプレミアを欲しがっている人や、純粋にファンだという人。
なんにせよ、狼牙の称号があるから、こんな元平民にも縁談なんてものが舞い込んでくるのだ。
ラゼからすると、それが自分に向けてのものだと思えないから、他人事にしか取れなかった。
「……そろそろ真剣に考えろ。お前のことを欲しがっているのは、この国の貴族だけじゃないんだ」
「…………そ、それは流石に過大評価なんじゃ……」
規模感が一気に広がって、呑気に話を聞いていたラゼも流石に食事の手を止めた。
「……今朝、フランカ連邦から打診があった。友好の印に、第五王子をお前に婿入りさせてもいいと。他にも、話だけなら、東のトウという国から後宮に招きたいとも言われている」
「はぁっ!?」
衝撃が大きすぎて、声が出た。
何でだ。いや、確かにうちの国はルベンしか皇子がいないという、世襲制にはあるまじき王族の構成をしている。彼には最愛の妻がいることは、他国にも知れ渡っているから、直系の王族と政略結婚はできないのは他所も分かっているだろう。
そこで、どうして自分が引き合いに出されるのか。
「『狼牙』の自覚が足りていないから驚くんだ。このままだと、国のために嫁ぐことになるぞ」
「…………」
そうは言われても、ピンと来ない。
自分が誰かと結婚する――?
今まで彼氏もいたことがないのに、いきなり結婚??
そんなの、相手が不憫だ。
血生臭い軍人の娘と結婚して、果たして幸せになれるだろうか。
いや、まあ。政略結婚なら、幸せとかそういうことは気にしないのかもしれないが……。
「まあ、お前の人生だからな。好きにしろ。結婚しないならしないで、別に構わない。それはそれで大変だろうけどな。――まあ、とりあえず目を通しておけ」
どさりと机の上に見合いの資料が魔法で現れた。
後見人として、ゼーゼマンが窓口になってくれているのには凄く感謝している。
今の生活に満足しているところだから、話を全て断ってもらっていたが、彼にずっと面倒をかける訳にもいかない。
(…………け、結婚、かぁ……)
ラゼは資料に手を伸ばした。
気乗りはしないが、いつかは自分も誰かと結婚しなければならない時が来るのかもしれない、とは思っていた。
……そして、狼牙なんて大層な称号をもらってしまったからには、中身がどれだけ平凡な平民でも、一般市民としての結婚なんてできないのだろうと、頭のどこかでは理解していた。
「……せめて、私がただの平民だってことをちゃんと分かってくれている人がいれば……。流石に他国の皇子との政略結婚なんて、私には無理です……」
「ゴホン。…………ところで、話は変わるんだが」
「……?」
わざとらしい咳払いをした後、ゼーゼマンが話題を変える。
「お前と同い年の文官がやらかしてな。外交先の姫君にいたく気に入られてしまって、このままだと結婚させられそうらしい」
「は、はぁ……」
――さようでございますか。
喉まで出かけた言葉を、ぐっと堪える。
お前も早く結婚しないと、望まない結婚をさせられるぞという、遠回しの忠告かもしれない。
「だが、その文官は将来有望ってやつでな。殿下が絶対に他国にはやれないと言っている」
「それは、さぞ優秀な人なんですね」
ルベンにそこまで言わせる若手がいるとは知らなかった。
魔石狩りばっかりしているし、皇城で働く文官については詳しくない。
ラゼは食事に戻って、付け合わせの野菜をフォークで刺して口に運ぶ。
「他国に婿入りさせる訳にはいかないから、この国の令嬢と結婚してもらおうという話になってな」
「まあ、それが一番無難な対処法でしょうね」
「そこで、そいつの相手役に白羽の矢が立ったのがお前だ」
「へぇ〜。…………………………………………ん?」
適当に返事をしてしまったが、今、何かおかしな単語が聞こえなかったか?
ぽかーんとして、ラゼは目をまたたく。
「ついさっき、ここに来る直前に受け取った見合いの申込みだ。開けてみろ」
山になっていた手紙とは別に、ゼーゼマンが懐から封筒を取り出した。
どうやら空耳でも聞き間違いでもなかったらしい。
彼に言われたら、ラゼも断れない。
恐る恐る受け取って、白い封筒から便箋を出して開いた。
――そして、そこに書かれていた名前に、彼女はその鳶色の目を大きく見開く。
「――アディス・ラグ・ザース。お前も見知った仲だろう。急かすようで悪いが、相手方も焦っているらしいから、返事は明日中に頼む」
まさかの人物の名前に、ラゼは言葉も出なかった。
◆
「……ど、どうして、私なんかに……」
しばらくの沈黙の後、出てきたのはそんな言葉だった。
どうりで、ルベンが手放したくないと言う訳だ。
アディス・ラグ・ザースは、最年少で官吏の試験を突破した、本物の天才だ。
きっと父のウェルラインと同じようにこの国の重鎮として活躍してくれるだろうし、何よりルベンが心の底から信頼できる人材だ。そう簡単に他国には行かせたくないだろう。
――かと言って、彼の相手に自分が選ばれるのは話が違う。
「戦うことしか能がない私では、彼の負担になるだけでしょう。『青の貴公子』と結ばれたい、優秀な令嬢はたくさんいるはずです」
ラゼは知っている。
セントリオール皇立魔法学園で過ごした日々の中で、貴族令嬢としてはもちろんのこと、優秀で尊敬できる学生たちがいることを。
きっと彼女たちに声をかければ、喜んで話を受けてくれるだろう。
こんな訳アリの娘なんか選ばなくても、アディスにはその選択肢がある。彼はそれだけ優秀な人だから。
「……それを寄越したのはウェルラインだ。あいつからすれば、優秀な軍人を皇国貴族に嫁入りさせて、息子の問題も解決できる一石二鳥の提案だ」
「な、なるほど、ウェルライン閣下が……」
そう言われると、何故自分が選ばれたのか納得がいく。
「顔も知らない貴族に嫁ぐよりは、お前のことをちゃんと分かってるやつのところに行く方がいいんじゃないのか」
「……それは、その通り、なんですが……」
「まあ、そう深く考えるな。いきなり結婚じゃ戸惑うのも無理はない。ザースのガキ相手なら婚約者として、しばらく様子を見ることもできるだろう」
なんだか、本当に婚約者にさせられそうな流れになってきた……。
ラゼはひくりと頬を引き攣らせる。
(……落ち着け。よく考えてみよう……)
彼は自分が平民に毛が生えた程度の、名誉貴族であることをちゃんと理解してくれている。
学生時代、それなりに交流もあったし、今もたまに彼から安否確認のためのお菓子が届いて、簡単な手紙のやり取りをする仲ではある。
ウェルラインはともかく、バネッサは実の母のようによくしてくれる人で、自惚れかもしれないが、彼女が義母になってくれたらいい関係が築けると思う。
……自分が彼らに相応しいかは別として、今来ている縁談と比べたら、これ以上に受け入れてくれる家族なんて他にいないだろう。
「………………閣下」
「なんだ?」
「私、決めました」
「……ま、待て。落ち着け。まだ時間はある。ゆっくり考えろ。断るにしたって、もう少し、その、だな……」
鳶色の瞳がまっすぐ、ゼーゼマンを見つめる。
そこには迷いの色はなく、あるのは覚悟のそれだ。
ゼーゼマンは焦った様子で言葉を並べるが、ラゼの意思は揺るがない。
「――お話をいただけて光栄な限りです。私が断る理由なんてありません」
よろしくお願いします、と。
ラゼはその場にペンと便箋を取り寄せて、返事を書き出す。
「…………は?」
ゼーゼマンは面食らっていた。
「そ、そう来るのか……」
予想外だと言わんばかりの驚き方だった。
前のめりになっていた姿勢を元に戻し、椅子に背を任せると、彼は溜息をひとつ付いてけらパイプを手に取る。
「……お断りしたほうがよかったですか?」
「いや。ザース家ほどお前を分かっている家庭もそうないだろう」
「そうですよね。それに、もしこの話がなかったことになっても、私相手なら丸く収まるでしょう」
「………………お前な……」
ゼーゼマンの眉間に皺が寄るのを見て、ラゼは肩をすくめた。
「日頃、お世話になっていますから。役に立てるなら、喜んでやらせてもらいます」
その言葉に、偽りはこれっぽっちもなかった。
【登場人物紹介】これだけ覚えておけば大丈夫!
◆ラゼ・シェス・オーファン
本作の女主人公。前世の記憶がある。移動魔法の使い手なチート軍人。『狼牙』という二つ名を持っている名誉貴族。
セントリオール皇立魔法学園時代は、乙女ゲームの悪役令嬢で破滅する運命だと言い出した次期皇妃のため暗躍していた。※乙女ゲーではただのモブ。
最近は重度の魔物化をしてしまった父親を治す為、魔物が棲む大陸バルーダで薬になりそうな植物を片っ端から抜いて回っている。
◆アディス・ラグ・ザース
宰相の息子。今は宮廷文官として王宮勤務をしているエリート。『青の貴公子』と呼ばれる青髪銀目の美男子。
元・乙女ゲームの攻略対象者。
学生時代に出会ったラゼに人生を狂わされている不憫な男。