DAY:12/3 俺を残して先に行け
雨もだいぶ弱まり、これ以上いると帰るのが面倒になるだろうなといった時間。
とりあえず、今日はお開きにしようかと思い立ち上がる。
「いろいろ、ありがとな。今日のとこは、これで帰るわ」
「……………………まだ、いて欲しいって言ったら。ダメ?」
「ダメだな」
「……………………そっか」
本音を言い合うゲームのようなものをして、少しずつ解れてきた凛の心。
でも、それは全部甘やかしたいということではない。
言いたいことを言い合って、対等な関係になりたいと、そう思っているだけなのだ。
(…………依存させるのも、ダメなんだろうしな)
普通の友達となら、別に泊まっていくのも考えたかもしれないが、凛の場合は少しだけ色々なことに頭を回していく必要もある。
面倒ではあるものの、一応これでも大人としての経験もあるので、気づけるのならそれをする他ない。
「また、来るからさ」
「……………………ん」
しかし、相手のためにとは思っていてもツラいものはツラい。
その寂しそうで、泣きそうな顔をされると、どうしようもなくそう思わせられてしまう。
(なんて顔、してんだよ。これじゃ、帰れないじゃねぇか)
ため息を吐きたくなる気持ちをグッと堪え、目を強く一度だけ瞑ってリセットする。
それこそ、思わず残ると、台無しな言葉を言ってしまわないように。
「…………じゃあ、な」
「……………………ん」
「………………また」
「……………………ん」
それでも、足は動いて行かず、ただ時間だけが経っていく。
本当に、らしくない。
決めたことなら、貫けばいいと、そんな単純なことさえできなくなってしまう。
(…………仕方ないよな)
このまま堂々巡りを続けていくわけにもいかず、自分の心が納得するような行動を決める。
相手の悲しそうな顔、それとバランスを取るための、いつもなら絶対にとらないような選択を。
「あー…………雨、降ってるよな」
「……え?そりゃ、降ってる、けど?」
「…………傘、貸してもらってもいいか?」
「あ、ごめん。いいよ」
まるで、自分に言い訳するための材料集めだ。
恩を積み重ねて、これからする行為を正当化しようと。
それに見合うと、納得させるための。
「………………それと、ポニテエプロン。ありがとな」
「……うん。やっぱり、恥ずかしかったけどね」
突拍子もない願望を、真面目な凛はこれ以上無いほどに叶えてくれた。
嫌だと、そういえばいいのに。恥ずかしそうにしながらも、ちゃんと。
(………………ああ、そうだ。仕方がない)
そして、自分に踏ん切りをつけるために手に抱えた宝物を相手に押し付けると、代わりに傘をその手に持つ。
「………………え?」
「貸すだけだぞ?また、取りに来る」
「…………いいの?」
「雨で濡らしたくないし、傘借りてくしな。それに、ポニテエプロン代だ」
幻のキャメ吉君に、言い聞かせるようにまくし立てていく言葉。
あげるとは言えないところが、ある意味俺の小ささを物語っているだろう。
でも、それは絶対に嫌なのだ。宝物は、宝物。
大人になっても。
ビール缶の転がっているような汚い家でも。
どれだけ仕事で疲れていても。
キャメ吉君グッズだけは、似つかわしくないアクリルケースまで買って大事にしてきた。
「…………………………ありがとう」
「いいさ。凛になら、貸せる」
他人から見れば、鼻で笑われてしまうような、呆れられてしまうようなものが、俺達にとって何よりも価値を持っている。
それに、こんなこだわりを捨てられない二人だからこそ、その道を少しだけ重ねることができたのだろう。
「…………また、ね」
「ああ。またな」
それは、俺達だけに通じる、再会のための約束手形。
必ず、取りに来ると、安心できるような。
(……頼んだぜ、キャメ吉君)
だから、今日はこれで帰ろう。
冷たく、寂しい凛の部屋を、きっとその一生涯の相棒になら任せられるはずだから。
◆◆◆◆◆
電車を乗り継ぎ、ようやく返ってきた自宅。
雨もあってかじかんだ手が、じんわりと感覚を取り戻し始めて若干痛い。
「うおー、あったけぇ」
「あら、おかえり…………って。なに、その女物の傘」
「ただいま。友達に借りた」
「ふーん。もしかして、浮気じゃないでしょうね?」
「は?相手もいないのに、浮気もなにも無いだろ」
そして、濡れた上着を脱ぎ、水滴を簡単に落としていると、偶然玄関の近くに立っていたお袋が、何故だか疑惑の目でこちらを見つめてくる。
「はぁ……柚葉ちゃんみたいないい子ひっかけておいて、どの口が言うのかしらねぇ」
「柚葉とは、そんな関係じゃねぇよ」
「…………まぁ、あんた達の問題だしね。何も言わないでおくわ」
「なんだよ、それ」
「お嫁さん候補は、ああいう子がいいってだけよ」
「だから、柚葉とは――」
以前も何度もしていた掛け合いに、またかと、口にしかけたその時。
不意に引っかかったことがあって言葉が止まる。
(……もしかして、そういうことなのか?)
昔は、ただの冗談だと思っていた。
それこそ、お袋は俺に似てテキトーで、あることないこと、それっぽく言うような人だったから。
でも、あの夕方の教室。
それを起点に見過ごしていたヒントが思い出されていき、一つの結論に行き当たる。
「…………そっか」
「あら?どうしたの?いつもなら猿みたいに文句言ってくるのに」
「猿って……実の息子にいう台詞じゃないだろ?」
「あら、ごめんなさい?猿に失礼だったかしらねぇ」
「はいはい。もういいよ」
せっかくまとまりかけた考えを台無しにされては敵わないと靴を脱ぐと、お袋の側を無言で通り抜けて中へと向かう。
とはいえ、本気で邪険にしたいわけでもないのだ。
(…………なんか懐かしいしな)
一人暮らしをし始めて、どれくらい経っただろうか。
実家に戻るのも正月や、お盆くらいで、それに、両親も年を取るごとにそれ相応の疲れを見せることもあった。
「………………一つずつ、片付けてくかなぁ」
しかし、俺にはいろいろなことを同時にこなしていくような器用な真似は死んでもできない。
だったら、今は気分をリセットするところからだ。
「よしっ。決まり」
そして、俺は風呂上がりのアイスは何にしようかと考えながら、浴室の方へと足を進めた。




