DAY:12/3 変化:須藤 凛
ゲームセンターからの帰り道、電車の中で揺られながら隣を見ると、涙を堪えようとするかのように唇を噛みしめながら俯いている凛の姿。
それに対し俺は、特に慰めるでもなく、ただ黙ったままもう一度外へと視線を向けた。
(…………こういう時ばっかり経験が活かせるってのも、どうなんだろうな)
まるで、俺が泣かせているかのようにも感じられる雰囲気に、周りの目は――特に若い男達の目はなかなかに敵意が混じっているもののように思える。
しかし、気が強い女性と付き合うと意見がぶつかった時に稀にこうなることもあった。
こういう時はただ黙って相手の気持ちが落ち着くのを待つ他ないだろう。
特に、何かできるわけでもない時は余計に。
(…………それに、本音を隠して付き合うなんて、絶対いやだ)
肉体的な差があるものは別として、女だからどうだ、可哀想だからどうだというのは好きではない。
もちろん、俺は凛と仲良くなりたいし、気遣うこともするだろう。
でも、それは全てを相手に合わせるという意味では決してない。
譲れない部分も含めて見せ合って、それでも続いていく関係が俺の求めているものなのだ。
「………………なんか、ごめん。だけど、本当に欲しかったから」
ぼーっとそんなことを考えながらどれくらい時間が経っていたのだろうか。
不意に、凛の方から声がきこえてきたことに気づいた。
「気持ちは、わかるよ。俺が逆の立場なら、血涙流しながら三角座りしてるかもしれないし」
元気のない姿に、思ったことをそのまま伝える。
恐らく、俺が同じ境遇になったら今日一日へこんだままだろう。
それに、誰にぶつけることもできない悔しさで胸が一杯になってしまうはずだ。
「………………ふふっ。さすがに、私はそこまでしないかも」
「おいおい。じゃんけんで負けた時の顔、写メって送ってやればよかったな」
「……そんな顔してた?」
「してた」
「嘘でしょ?」
「いや、ほんと。気づいてたか?店員さん、青ざめた顔で受話器持ちながらこっち見てたぜ」
修羅場なように見えたのかもしれない。
それがどちらの三桁番号を思い浮かべていたかはわからないが、明らかにあの店員さんはこちらを警戒しながら番号を押す準備をしていた。
「……ぜんぜん、気づかなかった」
「凛は、ただでさえ眼力あるしな。俺が刺されるとでも思ったんじゃないか?」
「……そんなこと、しないけど」
「ははっ。他のやつにはわかんないんだって」
若干不満げな様子に思わず笑いが漏れる。
確かに、凛はそんなことしない。でも、知らないやつにはわからない。
むしろ、過去にいろいろあったとは言え、その独特の雰囲気には教師達ですら距離を置いているので、ちょっとやそっと関わったくらいでは伝わらないのだろう。
「……………………そっか。なら、分かる人だけにわかって貰えればいいや」
「まぁ、それでいいだろ。みんな仲良くは小学生で卒業だしな」
「友達百人できるかなって?」
「少なくとも、俺には無理だ。そもそも、そんなに要らないし」
「ふふっ。なんか、大和らしい」
ようやく気持ちが持ち直してきたのだろう。
その表情には柔らかさが戻って来ていて、こちらも嬉しくなる。
そして、緩急をつけて進む電車がもう一度速度を緩め始めた時、凛の顔が驚いたように外に向けられた。
「あっ、ここで降りるから」
「りょーかい。駅からは遠いのか?」
「ううん。ほら、あれ。すぐそこのやつ」
扉が開くと、ホームを人の流れに沿って進む。
しかし、凛が指さした方には立派なマンションが聳え立っていて唖然とさせられてしまった。
「すげーな。あんないいとこ住んでんのか」
「…………そうなんだ」
何気なく言った言葉は、凛の中の何かに触れるものがあったのだろう。
返答には感情が籠っておらず、冷たいものであるように感じられた。
「…………ほら、こっち」
「……ああ」
その抱えたものが何かはまだわからない。
でも、寂しそうなつむじ、それこそが答えなんではないかと、何となく思わせられた。
◆◆◆◆◆
どこを見ても金がかかってますというのがわかる立派な建物。
場違いにも感じられる空間の中、エレベーターを降りると、凛の後ろについて静かな長い廊下を進んでいく。
「…………ここ。誰もいないから、気遣わなくていいよ」
そして、やがて凛は一つの扉の前で足を止めると、それだけ言って部屋の中に促した。
「……なるほど。誰もいない、ね」
もしかしたら、今はということなのかもしれないが、恐らくそうではないのだろう。
玄関には凛のものと思われる数足の靴。
リビングには一つだけ逆さに置かれたマグカップ。
何より、食事をする場所だろうか……机の周りに配置された二つの椅子には、片方にキャメ吉君の人形が乗せられていて確信が強まる。
「……ごめん、ココアと水しかないけど、どっちがいい?」
「じゃあ、ココアで」
「ん。とりあえず、どっか座ってて」
「りょーかい」
座る場所はそれこそ持て余すほどにある。
とても綺麗な状態で置かれたソファに腰かけると、凛がちょうど棚の奥からマグカップの入った箱を一つ取り出すところだった。
「……初お披露目か?」
「そう。ようやく、活躍できる機会が来たから喜んでるかも」
その返答に、やはり一人というのは文字通りの意味なのだとわかった。
しかし、リビングや廊下にはあまりキャメ吉君グッズが置かれていないところを見るに、もしかしたらそれらは自分の部屋に置かれているのかもしれない。
「ほんと、何もないでしょ」
「だな。ゲームくらいあると俺が喜ぶんだが」
「……別に、大和を喜ばせたいわけじゃないしね」
「つれないやつだな」
そして、差し出されたマグカップ。
湯気の出るそれを預かると、少しだけ距離を開けて凛も同じソファに腰を掛けた。
「けど、猫舌がそんな熱いやつで大丈夫なのか?」
「……ちょうどいいよ。言ったでしょ?話したいことあるって」
確かに、この部屋を見せられると色々と凛のことを知らないのだと思わせられる。
家族で住んでもおかしくないような広い部屋の中、どうしてか一人で住んでいるのだから。
「………………私ね、ずっと一人だったんだ。お父さんも、お母さんも、ほとんど会ったことないの」
「会ったことがない?忙しいってことか?」
「たぶん、それもあるだろうけどね。でも、本当のところ、私のいる場所はもう二人が帰る場所じゃなくなってしまった……それだけなんだと思う」
その声、目には明らかに寂しさが宿っていて。
なら、そのずっとはここ最近のことではない。きっと、本当にずっとなのだと伝わってくる。
「…………けどね、小さい頃――それこそ、物心ついてすぐの頃は、まだそうでもなかったんだ。だから私も、必死に繋ぎ留めようとした。あの頃みたいに、たとえ継ぎ接ぎでもいいからって、理想的な娘を演じて見せて、頑張ってみたんだ」
浮かんだ乾いた笑顔からは、諦めや疲れ、そういったものが見てとれた。
結果は言うまでもない、けれど、真面目な凛はそれでも話を続けるのだろう。
自分から話すと言った、その言葉を律義に守ろうとするやつだから。
「笑っちゃうよね。今なら、そんなの意味無いってわかるのに。元々、私には選ぶ権利も、選ばれる権利もなかった。枯れた花に水をあげても一緒、もう全部終わってたんだ」
擦り切れるほどに頑張り続けたのだろう。
そして、今の凛がある。
頑なに他人と関わろうとせず、ただただ外をつまらなそうに眺めて過ごす彼女が。
「…………泣いてるの?」
「泣いてない」
「…………泣いてるよね」
「泣いてない」
憐れんでいるわけではない、同情しているわけではない。
ただ俺は悔しいのだ。
凛の努力は、見向きもされなかった。
きっと、極端過ぎる凛のことだ。
それ相応のものを重ねてきたはずなのに。
「……………………本当はね。クリスマスの日、全部終わらせるつもりだったの。もう、私の大事にしていたものは全部――」
「俺は、いやだ」
「っ…………」
話を遮るように、カップを持っていないもう片方の腕で凛の手を握る。
そんなことさせないと、終わらせないと、意志を込めながら。
「俺は、凛がいなくなるなんていやだ」
最初は好奇心だったものは、今では形を変えた。
これがどんな感情なのかはわからないけれど、それでも俺はもう凛が終わりを迎えるなんてことを見過ごせない。
例えこれが独りよがりのわがままだったのだとしても、前は見せなかった笑顔を凛が浮かべられるようになったのだから、余計に。
「ずっと、忘れられなかったんだ。ほとんど話したこともないやつなのに。いなくなった次の冬も、その次の冬も、何度繰り返しても、寒い季節が来ると思い出さずにはいられなかった」
それに、少なくとも俺の中で凛と言う存在はあり続けたのだ。
本人は勝手に終わらせた気になっているようだが、そうじゃない。
俺だけ割を食うなんて、そんなの御免だ。
「俺の中では、まだ終わってない。だから、一緒に先へ進もう。終わらせるなんて、言わせない」
怒らせるかもしれない、泣かせるかもしれない。
でも、終わってしまうよりずっといい。
そして、願わくば最後には笑顔で、そう思うのだ。
「…………………………………………言ったでしょ?本当は、するつもりだったって。今は、そんな気はないよ」
「え?…………あー、それならいいんだ。うん、問題なし」
「…………けど、大和が話してくれないなら、また考える。さっき言ったこと、なんか変だったよね。まるで、私がいなくなってからのこと経験したみたいだった」
思わず言ってしまったことだが、特別隠し通さなくてはいけないことでもない。
それに、凛なら言いふらすこともないだろうし、相手も色々と話してくれたのだ、代わりにこちらのことを言うのもそれはそれで筋かもしれない。
「…………わかった。突拍子もないことだけど、聞いてくれるか?」
「…………うん、私は大和を信じる。私のために、泣いてくれたその涙を」
「ありがとう。まぁ、泣いてはいないけどな」
「……ふふっ。うん、大和は泣いてない。私の気のせいだったみたい」
頑なに意地を押し通す俺に、呆れたのだろう。
先ほどまでとは違う気の抜けた笑顔が凛の顔に浮かぶ。
そして、俺は凛に事情を話していった。
未来から過去へ戻って来たこと、凛のことを忘れられなかったことを。
冷めた上に、少しだけしょっぱくなってしまったココアを流し込んだ後に。




