DAY:12/3 転機:須藤 凛
静かな教室。
まるで、時間が止まったかのようなその空間に、下校時間を促すチャイムが響く。
「…………今日は、別々に帰ろっか。お互い、考えることがあると思うんだ」
その声には、柚葉らしからぬ強い拒絶の意志が感じられる。
きっと、それが心配や気遣いから来るものであったとしても、今日だけは送らせる気はないのだろう。
「…………わかった」
自分の立っている場所が突如なくなってしまったかのような喪失感。
そして、考えがグルグルと回り、気の利いた言葉一つ言えない俺に、柚葉が何かを言おうと口を開きかけるのが見えた。
「…………………………じゃあ、またね」
しかし、そのまま何も言わずにいた柚葉は、途中で考えを変えたのだろう。
やがて困った笑顔で別れの挨拶だけを口にすると、こちらを振り返らずに教室の外に出ていった。
「……………………変えたい、か」
一人きりになってからしばらくそうしていたのだろうか。
やがて、見回りに来た教師に追い出されるようにして外に出た俺は、そんなことを呟きながら家への帰り道を歩いていた。
「…………そんなこと、全然知らなかった」
だって、柚葉はいつも楽しそうに笑っていた。
たまに怒ったり、拗ねたり、呆れたり、そんなことはあったけど、それでも最後にはいつも笑っていたのだ。
今も、十年以上先の未来も、ずっと俺の隣で。
「……あれも、関係してたのか?」
そして、記憶を辿るように考えていた時、ふとある記憶が脳裏に浮かんでくる。
『大ちゃんの頭の中は、ずっと須藤さんのものなんだよね』
何度も繰り返された、その柚葉の言葉が。
言われた時は、特に気にも留めなかった。
それこそ、ただのからかいの言葉、そうとしか思っていなかったのだ。
でも、あまりくどくどと何かを言うことのない柚葉が、何度もそれを繰り返し伝えていたことには意味があったのかもしれない。
「……………………相も変わらず、柚葉はいい方が遠回しなんだよなぁ」
柚葉はあまり真っ直ぐな言葉を相手にぶつけることをしない。
大事なことであればあるほど、余計に。
(……凛か)
向き合おうと思った時には既におらず、ずっとそれが胸につっかえていた存在。
もしかしたら、それが解決すれば先に進むことができるのだろうか。
「………………全部を同時にってのは、俺には無理だよな」
しかし、器用とはとても言えない自分には、今すべきことを先にする他ない。
幸い休みは二日あるのだ。
まずは約束を、そして、考えるべきことは予定のない日曜日にでも考えた方がいい。
「っし!とりあえず、明後日考えよう」
一度深く深呼吸をし、頭を切り替えると携帯を取り出す。
そして、『先に帰る』とそれだけ律義に送られてきたメッセージに苦笑しながら、それに返信するようにして明日の予定を打ち込んでいった。
「…………それに、悩めるだけマシってことだしな」
失ってしまったものには、手が届かない。
そんな当たり前のことに、俺は凛の死によって初めて気づいた。
でも、今はまだ全てが手の中にあるのだ。
なら、やるだけやって、間違ってからまた考えた方が建設的だろう。
「まだ、届くんだからな」
そして俺は、ただでさえ冴えない頭を今一度すっきりさせるため、家までの道中を走って帰った。
◆◆◆◆◆
迎えた翌日。
まだまだ早朝とも言えるような時間に駅の構内の待ち合わせ場所に着くと、既にそこには凛の姿があった。
「おはよう」
「……はよ」
「ははっ。なんか、寒がりはこうあるべしって感じだな」
「……うっさい」
耳まで覆うように被ったニット帽、厚手のダウンジャケット、下は温かそうなスウェットパンツ。
さらには、鼻先まですっぽりとマフラーに埋めてしまっている凛は、学校での準備の入れようといいかなりの寒がりなのだろう。
非難するような視線がこちらを睨みつけてくるも、まるで毛玉のようにも見えるその姿には迫力なんて欠片もない。
「あは、ははははっ。いや、悪い!一人で行こうとするなって」
「…………次笑ったら、知らないから」
「ああ。もう笑わないよ」
どうやら、かなりご機嫌を損ねてしまったらしい。
明らかに本気だと思えるような声がかけられ、一度深呼吸して気持ちを落ち着ける。
「よし、行くか」
「ん」
そう声をかけて歩き始めると、下で揺れるニット帽を何となく見ながら、気になったことを尋ねることにした。
「クレーンゲームは、けっこー得意なのか?」
「……まぁ、それなりに。大和は?」
「んー。まぁ、俺もそれなりに」
それなりというのは、半分嘘だ。
ゲーセンにはかなり通ってきたので、自信はもちろんある。
だが、相手の実力が分からないまま自慢して、後で悔しい想いをさせられるのは嫌だなと思い探りを入れた。
それに、相手の曖昧な言い方から察するに、なんとなく凛も同じことを考えている気がする。
「…………大橋近くのゲームセンターもいける」
「…………閉店したボーリング場の前のとこは余裕」
両方、アームが尋常じゃないほどキツイ設定で、なかなか取るのが難しいところだ。
ある種、トロフィー的な意味合いを持つその言葉は、しかし、凛にはしっかり伝わったようで、同じような言葉が返ってくる。
「やるな」
「やるじゃん」
不思議なマウントの取り合い。
それは、改札をくぐり、電車に乗っても続き、やがてお互いのコレクションの自慢をしているうちに最寄りの駅にまでついてしまうあり様だった。
「……しかし、思ったより、少ないな」
「……確かに」
駅から見える目的地には、ちらほらと人が並んでいるのが見えるも、それほど多い人数ではない。
オープン初日であるということもあって、張り切ってきたがどうやらそれほど気合を入れてくる必要はなかったのかもしれない。
「うぅ、寒っ。ちょっと、途中でコンビニ寄って行っていいか?」
「いいよ。私も買いたいものあったし」
「ふーん。何買うんだ?」
「あんまん」
「ははっ、同じかよ。ちなみに粒あんと、こしあんだとどっちが好きだ?」
「……どちらかといえば粒かな。どっちも好きだけど」
「そこも同じか。まぁ、俺もどっちでもいけるけどな」
お互い甘い物好き、かつ、寒いということもあって同じ考えに至っていたらしい。
それに、二択しかないとはいえ、粒の方が好きというところまで似通っているようだった。
「…………大和って……ううん。やっぱ、なんでもない」
「自分と似てるって言いたいんだろ?」
「…………そう、だけど」
「ははっ。なんだよその顔」
凛のよくわからない表情を横目に見つつ、コンビニのガラス扉をくぐると、一直線にレジの方へ向かう。
「いらっしゃせー」
「粒のあんまん、二つ……って、あれ?」
「すいません。今一つずつしかないんですよ。どうします?」
「あー。なら、それぞれ一つずつで」
置いてあったのは、粒とこしのものが一つずつ。
残念には思うも、早朝に近い時間なので置いてあったことを喜ぶべきなのかもしれない。
そして、会計を済ませて外に出た後、邪魔にならない端へと寄ると、凛の方に粒の方のあんまんを渡した。
「ほら、粒の方」
「………………半分あげる」
「ん?ああ、ありがとう。なら、こっちのもやるよ」
「……ありがと」
お互いのものが半分に、ある意味どちらも食べられるのでなんだか得をした気分になる。
しかし、元々入っていたものは当然片方だけで、その断面を見ていると、なんとなく柚葉が言っていた言葉が再び脳裏に浮かんできてしまった。
(頭の中は、ずっと須藤さんのもの……か)
仕事のことや友達のこと、家族のこと、その他にもいろいろと考えてきたつもりだ。
でも、その奥底にずっと凛が居座っていたのは本当のことで、恋人に振られる時もその度似たようなことを言われ続けてきた。
「どうしたの?食べないの?」
再びグルグルと回り続ける頭。
そして、じっと断面を見続けている俺の様子がおかしかったからだろう。
凛が心配そうにしながらこちらに声をかけてくる。
「あ、いや。食べるけどさ…………変なこと聞いてもいいか?」
「なに?」
「……もしさ。いろいろな大事なものがあってさ。そのうちの一つしか選べないって言われたら、凛ならどうやって選ぶ?」
似たような性格の凛なら、どうするのだろうか。
雑談を振るような、そんな軽い気持ちで質問を投げかけると、何故か真剣過ぎるほどの視線がこちらに射抜くように向けられていた。
「っ……悪い。なんか、気に障ったか?」
怒っている風ではない。
しかし、先ほどまでとは明らかに異なる雰囲気に気圧されながら様子を窺っていると、やがて凛が口を開いた。
「……………………私は……私には、わかんない」
「……選べないってことか?」
「……………………ううん。本当にわからないの」
要領を得ない返事。
意味が理解できずに戸惑っているのが伝わったのだろう。
一瞬だけ悩む素振りを見せた凛は、言葉を再び重ね始める。
「…………私にはね、いつも選ぶ権利なんてなかったから。それに、選ばれたこともないから、そっちもわかんない」
「…………それは、どういう」
「……………………………………初めてだったんだ。決めるのは私だって、言ってくれたのは。大和が、初めてだったの」
どこか遠い目をした凛は、まるで心ここにあらずといった様子でそう呟く。
きっとそれは、寝坊した朝の時のことを言っているのだろう。
確かにあの日――信じるのは凛次第だと伝えたあの日、『私が決められるの?』と、彼女はそう不思議な問いを返してきた。
「………………だからこそ、私にはその答えは、わからない。何も選ぶことのできなかった私には、誰にも選ばれたことのない私には」
何も選んだことのない人間なんているはずがない。
キャメ吉君も、甘いものも、好きなものをはっきりと言える彼女なら余計に。
でも、きっとそうではないのだ。
凛の言っていることはそんなことではない。
もっと大事な、人生に関わるような何か。そんなもののことを言っているのだと伝わってくる。
「…………これからは選んでいけばいい。俺ができるんだ。凛にもできる」
「…………似た者同士って?」
「ああ。変なこだわりならたくさんあるだろ?」
元気づけるための言葉を冗談交じりに伝えるも、相手の表情に明るさはない。
どこか、闇を抱えた重たい瞳。それが未だ縋るようにこちらを見続けていた。
「………………でも、選ぶ価値のあるものなんて、私の中にはない。全部、なくなっちゃったから」
「…………なら、もう一度探そう。俺も、手伝うから」
「っ……そんなのっ」
「無いって?本当に?」
「…………無いと、思うけど」
「じゃあ、俺が見つけてやる。似たようなものが好きな俺が、代わりに。そして、そこから選べばいい。自分にとって価値のあるものなのかどうか」
知らないことを好きだなんていえるやつはいない。
たぶん凛は、見つけようとしていないだけなのだ。
いや、俺がそうであって欲しいと、何もないなんて否定したいとそう思っているだけのかもしれない。
「…………ふふっ。ほんと、勝手だよね」
「おいおい、まだ知らなかったのか?」
「…………ううん、もう、知ってる」
「だろ?」
この戻った世界で、俺は関わってしまったのだ。須藤 凛というやつに。
だったら、とことん自分のしたいようにさせて貰う。
少なくとも、ずっと悩まされてきた分くらいは。
「…………………………今日の帰り、時間ある?」
「ん?ああ」
「だったら、家に来て。色々と話したいことあるんだ」
「……わかった」
抱えなくてもいいだろうものを、気づけば抱えてしまっている。
柚葉のことを考えなければいけないのに、それでも。
しかし、知っていたはずの柚葉と、知ることのできなかった凛。
かつてないほどに自分以外のものに囚われつつある俺が、これからどうするのか、自分ですらもよくわからなかった。




