DAY:12/1 殻の外へ
パンを食べ終わり、しばらくすると忘れていた寒さがだんだんと戻ってくる。
「うぅっ。やっぱ寒いな」
自販機と壁の隙間に顔以外をすっぽりと入りこませ、さらにはブランケットまで羽織った凛とは違い、俺の方は防寒対策はほとんどしていないようなものだ。
窓は開いてはいないはずだが、それでも冬の冷たい空気に思わず体が震えてきてしまう。
「…………………………………………あのさ」
「ん?」
静かな廊下に響いた彼女の声はためらいがちで、それに視線もどこを見ているのか明後日の方向を見つめていた。
「……………………………………………………たら?」
「悪い、聞こえなかった。なんて言ったんだ??」
何故か、彼女はイラついたようにしわを眉間に寄せていく。
とはいっても、こんな誰もいないところでも聞こえないほどの小さな声なのだからどうしようもない。
「……だからっ……その…………こっち来たらって………………そう言ったの」
威勢のいい声がだんだんと力を失い、最後には気弱なものになって空気に溶けるように消えていく。
でも、その意外過ぎる言葉は衝撃的で、嫌にはっきりと俺には聞こえた。
「あー…………いいのか?」
「そう言ってるでしょ!?」
それは怒っているのか、照れているのかどうにも判断しかねるような声で、なんとなくそれが彼女らしいと、そう思わせられる。
「ははっ、ありがとう」
「……なによ?」
「いや、凛はいいやつだなって思っただけ」
「っ!…………うるさい」
今のは混じり気なしの照れ顔だろうな、と凛に知られたら怒らせてしまうようなことを思いつつ立ち上がる。
そして、奥に詰めてくれた彼女の横にゆっくりと腰を下ろすと、微かに唸りをあげる自販機の声を聞きながら壁にもたれかかった。
「ここ、けっこー温かいんだな」
「でしょ?ちょっとお気に入りなんだ」
肩が触れあってしまうのではないかというほどの距離で、少しだけ得意げな凛の声を聞きながら思う。
下に敷かれたレジャーシートとクッション、横に置かれたカバーのされた本に、いつから彼女はここを使っているのだろうかと。
誰とも会わず、誰とも話さず、誰とも関わらず、たった一人で。
「……………………また、来てもいいか?」
「なに?そんな気に入ったの?」
「…………ノーコメントだ」
「ふふっ。まぁ、たまになら。うん、ほんとたまになら、いいけどね」
「…………ありがとうな」
「別に、いいけど」
いつもつまらなさそうな顔をしていた彼女は。
何かあればすぐに赤面してしまうようなやつで。
好きなものを嬉々として、まるで子供みたいに話すようなやつで。
人混みが嫌いだからと空腹を我慢するような強情なやつで。
知らなかった一面を知れば知るほど、深みにはまっていく。
もっと知りたいと――――――いなくなって欲しくないと、そう思ってしまう。
「俺さ、決めたよ」
「え?」
置いていけないという思いは、あっという間に変わっていき、もう今はそれだけじゃ抑えることは出来ない。
だったら、自分のその想いを、尊重する。
そうしないと、また心残りができてしまうだろうから。
自分が、自分でない、ただの抜け殻になってしまうだろうから。
「凛ともっと仲良くなるって、決めた」
驚いたように目を見開いていた凛が、その意味を理解し始めたのかだんだんと表情を変えていく。
読み取れないような複雑なものに、そして、最後に表情が抜け落ちた、まるで仮面のような顔になると、ゆっくりと彼女は口を開いた。
「…………………私が、嫌だって言ったら?」
淡々とした声とともに、探るような、試すような冷たい瞳がこちらを射抜く。
気圧されてしまうようなそれに、それでも俺は、思うまま自分の答えを伝える。
「その時は、嫌なのが嫌だって言い返す」
理屈なんてない、説き伏せる自信なんてない。
ただ単純に、自分の想いを貫く。俺にはそれしかできないから。
「――――あはっ、あはははっ。何それ」
唖然とした顔が崩れ落ちていき、やがて凛は腹を抱えて笑い出した。
可笑しそうに、楽しそうに、目尻に涙を浮かばせながら。
「はぁ、はぁ。あは、ははっ…………ほんと、変わってるよね」
「よく言われる」
「あははっ。だろうね」
変わってるなんてのは、散々言われてきた。
好意的な意味でも、その逆の意味でも、たくさん。
でも、正直そんなことは関係がない。
俺は俺で、それ以外にはなれない。
「………………でも、だからこそ。私は信じられると思ったんだ」
浮かびあがった柔らかな笑顔に、思わず目を奪われる。
こもれびの様な、その温かい笑顔に。
「もうちょっと取り繕えばいいのにってくらい、自分を飾らなかったから」
呆れたような顔は、それでもなんとなく楽しそうで、いつもとは別人に思えるほど魅力的に見えた。
「………………これから、よろしくね?」
そして、彼女は俺の方に足を踏み出す。
言葉で言い表せないほどに大きな変化を意味する、その一歩を。
また後で描写すると思いますが、一応彼女の鍵は
自分を特別扱いしてくれる人、隣にずっといてくれる人、嘘をつかない人……
そんな感じのイメージです。




