DAY:12/1 鍵の、在処
遠くから微かに鐘の音が聞こえてくる。
恐らく、朝のホームルームも終わり、授業が始まってしまったのだろう。
「あっ…………」
そして、同時に動き出し始めたらしい須藤の時間。
固まり続けていたその視線が、落ち着かないように彷徨い、やがて顔を赤らめながらこちらを見つめてくる。
「…………………行かないの?」
これまでなら、一人でさっさと歩いていってしまっただろうに、今回は俺の方も気にしてくれているらしい。
「一限、サボっちまうか。どうせ、今行っても目立つだけだし」
「………………ん」
その手は、肩にかけた鞄のベルトと、スカートの裾をキュッと握っていて、少し緊張していることが伝わってくる。
もしかしたら、須藤は誰かと一緒に過ごすということにほとんど慣れていないのかもしれない。
周りに聞く限り、少なくとも、高校に入ってからは誰かと一緒にいたことはないみたいだし。
「じゃあ、行くか。いいところ、知ってるんだ」
「慣れてるんだ」
「ははっ、俺じゃないぞ?友達が遅刻魔でさ」
遅刻してきた時の雄介は、朝のホームルームに間に合わなきゃ休憩時間までそこで時間を潰しているらしい。
我が幼馴染ながら、運動以外に関しては、本当に呆れるくらいずぼらなやつだと思う。
まぁ、大学に入って将来結婚することになる彼女ができてから、根性を叩き直されたらしいので別に今は放っといてもいいのかもだけど。
「ふーん」
「意外なことに俺は、無遅刻無欠席だ。今日まではな」
「………………ごめん」
「別にいいさ。俺が自分で決めたことだ」
俯きがちに謝ってくる須藤に、出来る限り優しく聞こえるよう声をかける。
自分だけ先にこれたのに、そうしなかった。
それは、他でもない俺の意志で、今もそうしてよかったと思っている。
「……あんたって、やっぱ変わってるよね」
「そうか?須藤も大概だと思うが」
正直なところ、周りから見たらどっちもどっちなくらいだろう。
俺もそこそこ問題児で通っているらしいが、教師の反応的には須藤もあんまり大差ないように感じる。
もしかしたら、例の金髪事件がまだ尾を引いているのかもしれない。
「………………凛で、いい。実はあんまり、苗字好きじゃないから」
「そうだったのか?悪い」
「……ううん。言ってなかったし、いい」
少しだけ、気を許してくれたのだろうか。
初めて聞かされる、凛の想い。
でも、その表情はなんとなく悲しそうで、辛そうで、あんまり好きな顔じゃなかった。
「俺も、大和でいいよ。他に呼び方があるならそれでもいいけど」
やがて、校舎の裏、以前は何かに使われていたらしい小屋に到着すると、雄介がどこかからかくすねてきたらしい鍵を鉢植えの下から取り出し中に入る。
「こんなとこ、入れるんだ」
「内緒だけどな」
コツコツと蓄えてきたらしい私物の漫画や雑誌。
部活の連中と一緒に使っているのか、四つほどある椅子のうちの一つを須藤の近くに置き、座るよう促した。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
二人の声が止むと、小屋の中はシンと静まりかえって、よく分からないむず痒さを感じてしまう。
きっと、異なる距離感、雰囲気、それらに当てられてしまったのだろう。
「須藤…………凛は、キャメ吉の好きなシーンとかあるのか」
「……三話の、チュー太を慰めるとこかな」
「ああっ!あれな。確かに、良いシーンだよなぁ」
「でしょっ?特に、あそこでキャメ吉君の言う台詞が大好きなの」
「『僕は歩くのが遅いけど、だからこそ、君を置いていくことはないよ』ってやつか?」
「そうっ!」
いつもと違って、はしゃいだような凛の姿は、まるで子どもみたいで、新鮮だった。
それに、楽しそうに好きなものを話す彼女に釣られて、こちらも思わず笑顔にさせられてしまう。
「いい台詞だよな。いつもは誰とも慣れ合わないのに、たまにそういうこと言うところが余計格好いい」
「わかるっ、すごく良いよね。なんだかんだ、優しいところも」
「ははっ。めちゃくちゃうっとりとした顔だな」
「うん。本当に……本当に好きなんだ。強さと、優しさ。そういうところに、昔から、たくさん勇気を貰ってきたから」
そう言った凛は、過去を振り返っているのか、遠くを見つめるような、そんな目をしている。
そして、再び顔を出し始めた暗い表情に、先ほどまでの楽しそうな笑顔はなかったかのように消え去ってしまっていた。
「………………なんか、嫌なことでもあったのか?」
「………………………………………………」
返される無言。
それは、いつものように無視をしているわけではなくて何かを堪えているような、そんな顔だった。
「言えないか?」
「……………………うん。今は、無理」
「そっか。なら、楽しい話をしよう」
「……………………いいの?もっと、聞いてくると思ってた」
「そりゃ聞きたいよ。でも、そんなことより凛が笑ってられる話のが百倍いいだろ」
聞きたいという気持ちは当然ある。
だけど、そんな些細な好奇心よりも、もっと大事だと思うことを優先すべきだ。
「………………ほんと、変わってるよね」
「癖になったか?」
「ふふっ。そうかもね」
「よっしゃ」
ようやく零れ落ちた柔らかい笑顔に、嬉しくなる。
やっぱり、こっちの方がいい。
つまらなそうな顔や、悲しそうな顔、そんなものより断然。
「……………………さっきの。実はね、すごく嬉しかったんだ」
「え?」
「私が特別とか、置いていけないってやつ」
不意に、釣り目がちな瞳がこちらをジッと見つめてくる。
そこには、強い想いが込められていて、あまりにも真剣なその様子に、何も言えなくなってしまうほどだった。
「…………だから、ね。その…………」
しかし、急に力を失い彷徨い始めた視線と、たどたどしい言葉。
赤く染まっていくその顔は、見慣れてきたこともあって逆に安心感すら感じてしまう。
「…………………ありがとね。大和」
囁くような、かすれた小さな声に、この部屋が静かで良かったと改めて思う。
そのおかげで、彼女の言葉を、聞き逃さずに済んだ。
綺麗で、素敵な、その言葉を。
ちょっと今日の二本は駆け足かもしれません。
また、時間できたら見直します。




