パルディルーザの羽根
貴族家の親が娘の結婚相手に望むのは同格以上の家柄で、息子の結婚相手に望むのは同格程度の家柄だ。この二つは似ているようで大きく違う。
嫁ぐ娘には同程度の生活は保証してあげたい。できれば家としての旨味も欲しい。だから、上級、中級、下級で階級を下げての婚姻は望まれていない。
嫁に迎える側である家は、同格程度の教養は欲しい。家としての旨味も欲しい。嫁の実家からの余計な差し出口は欲しくない。だから、教養さえあれば、階級が多少下がろうとかまわない。むしろ、頭を押さえられる程度の家格の方が付き合いやすい。
中級、下級の令嬢達は貴族家の数の多さから、良し悪しは別に嫁ぎ先は割りと見つかる。ただ、上級貴族の令嬢となると、婚約者探しはぐんと難しくなる。特に公爵家、辺境伯家ともなると国外も視野に探さねばならない。故に彼女達は幼い頃に婚約者を決めることを強いられる。
辺境伯家の嫡男であるエレアノールは20歳の時に2歳年下の婚約者を亡くした。伯爵令嬢ではあったが、皇領地の重要な拠点の管理を任された家で、帝都から遠い辺境伯家としては美味しいつながりだった。彼女自身も評判の才女で、父はとても気に入っていた。ただ、多少傲慢なところがあり、上級貴族家との社交がきちんとこなせるかが心配なところであった。貴族家においてはありがちな心配事だ。
16歳になり、社交デビューをはたした彼女は伯爵令嬢でありながら女王のように振舞った。幾人かいた侯爵令嬢は顔をしかめたが、次期辺境伯夫人に対して、大きく出ることができなかったようだ。エレアノールは何度か彼女を諫めたが、聞く耳をもたなかった。社交デビューから2年後、彼女はある夜会で主催者の侯爵令息を舌戦でやり込めてしまった。そしてその帰り道、彼女の馬車は事故に遭い、亡くなった。彼女は上級貴族を侮りすぎた。無作法が過ぎれば報復が待っているのだ。
婚約者が亡くなったことにより、エレアノールは一年間の喪に服すこととなった。父も今回のことで、階級が下の家は婚約者候補から除外したようだ。上級貴族からとなると、大分選択肢が狭まる。なんせ、年頃の女性にはすでに婚約者がいるか、すでに結婚している。
そろそろ喪が明けようとする頃、エレアノールの家の領地とは帝都を挟んで正反対に領地を持つ辺境伯家から縁談の打診があった。
9歳になったばかりの辺境伯令嬢。名前はパルディルーザ。
皇太子と年頃のあう上級貴族であったため、婚約者は未定。2年前に皇太子の婚約者が確定してから、婚約者の選定に入ったが、めぼしい相手がいなかったようだ。
両親はこの縁談にもろ手をあげて喜んだ。同格の辺境伯家であるが、領地が離れ過ぎているため、お互いに干渉することはない。しかし、国防面で密な情報共有が図れる。そして、格下令嬢で痛い目を見た後なので、余計に同格であることに価値を見出だしていた。
エレアノールとしては盛大にため息をつきたいのをグッとこらえた。扱いの難しい婚約者から解放されたと思ったら、次は子供の御守りだ。領地が遠いから頻繁に会う必要がないのがせめてもの救いか。顔合わせは帝都でということで、エレアノールは社交シーズンの始まりに合わせて帝都に向かった。
初めて顔を合わせたパルディルーザは、可愛らしい少女だった。ハーフアップにしたブルネットの髪は緩く波打っていた。肌はほんのりとやけていて、彼女の活発さを想像させた。ただ、さすがというべきか、その立ち居振舞いは歳に似合わぬ程に洗練されていた。大人達に囲まれた中で、口許に笑みを浮かべたまま、交わされる会話に耳を傾けている。こんなつまらない話なんて、投げだしたいだろうにたいしたものだ。二人で話す場を設けるのが通例だが、歳が離れ過ぎていることに配慮してか、儀礼的にプレゼントを交換しあって、その場はお開きになった。パルディルーザからもらったハンカチにはポートフォロー辺境伯家の家紋が刺繍してあった。その下手くそな様に何故だか少し安心した。幼い婚約者に苦い思いを抱えていたくせに、子供のらしい部分を見つけて安心する自分に少しあきれた。
彼女が妻になると思うと、やはりまだため息をつきたい。でも、一生懸命淑女たらんとする彼女は、どんなに背伸びをしてもまだまだ未完成で、その成長を見守るというのは悪くないような気がした。
その後は細々と手紙のやり取りをした。最初こそ装飾された内容が書かれていたが、回数を重ね、エレアノールの巧みな誘導もあり、徐々に素の彼女が見えてきた。当初の予想通りとても活発な少女だった。見習い兵の剣術の授業に乱入して手に豆ができた話。2階のバルコニーから湖に飛び込んだ話。砂漠に川を作ろうとひたすら穴を掘ったのに翌日には更地になっていた話。そんな彼女のお転婆にはご両親もさぞ頭を抱えているだろうと思いきや、お転婆上等。微笑ましく見守られているようだ。ただし、バルコニーからのダイブは禁止を言い渡されたそうだ。
パルディルーザが12歳になった。帝都での一年ぶりのお茶会で、顔を合わせるとパルディルーザは少し恥ずかしそうに言った。
「わたくし、立派な淑女になりましたのよ」
何のことだと後ろに立つ侍女に目をやると、今にも頭を抱えそうな悲壮な顔をしている。そこで、彼女に初潮が訪れたことに感づいた。彼女達の様子から侍女に"大人の女性として"何らかしらの発破をかけられたのだろう。だが、侍女の顔には(そうじゃない)とハッキリかかれていた。
「パルは初めて会ったときから立派な淑女だったよ」
笑って頭を撫でると、パルディルーザは不服そうな顔を見せたが後ろの侍女はあからさまにホッとしていた。
帰りの馬車では思わずため息がでた。
(初潮を知らされた父親の気分だ。こうやって、大人になっていつか誰かの元に嫁ぐのか。何だか寂しいな)
しばし、しんみりと浸っていたが、はたと思い出す。パルディルーザは自分のところに嫁ぐのだったと。完璧に親戚の叔父さん的立ち位置になっていた。想定外の発言に思った以上に動揺をしていたらしい。そして、その動揺を引きずったまま、次の予定が入っている宮殿へと出向いた。
宮殿へ着くと、エレアノールは温室へ案内された。温室の中は冬とは思えないほど色とりどりの花が咲いていた。中に設置してあるテーブルには既に皇太子が着席して、お茶を楽しんでいた。
「すみません。お待たせしてしまいました」
エレアノールが謝ると皇太子が軽く手をあげる。
「いや、時間より大分早いよ。ちょっと前までエルザベルティとお茶をしていたんだ。僕が動かなければ彼らの仕事も楽だろう。」
皇太子は周りの護衛や侍女達に軽く目を向けてから、エレアノールに椅子に座るように促した。招待した人間に"手を抜いた"発言をするのはどうかと思うが、それだけ気安く思ってくれているのだろうと流すことにした。
「でなければ、男と二人、こんなところで、茶会、なんていう目の痛いことはごめんだよ。あぁ、茶も菓子もきちんと新たに準備したのだから安心して」
ホントに余計なことまでよく回る口だ。
「エレアノールもさっきまでパルディルーザ嬢とお茶会だったんだろう?仲良くやれている?」
「結婚に関して重大な問題が浮上しました」
そうため息混じりに呟けば、瞳にいたずらな輝きがみえた。
「何?ついにこんな叔父さんイヤって言われた?」
「言われてません。ただ、自分自信にしみじみ思っただけです」
皇太子はそれだけで納得の表情を浮かべた。微妙な視線を振り切るようにエレアノールは早々に本題を切り出した。
「まぁ、時間が解決してくれるでしょうね。ところで今日はちょっとお願いがあって来たんです」
「ビルゲルーダ王国に外交官として向かいたいっていうあれ?できることなら許可したくない。取り敢えず理由聞かせてよ」
「ここ最近、北方山脈からの山賊被害が多発しています。つい先だっては山沿いの領地を管理している子爵一家が惨殺されました」
「それがどう外交官の話しにつながるの?」
「惨殺された子爵一家は全員首を斬られていました。」
「後ろで操っているのがいるな」
「最も怪しいのは山脈の向こう側でしょう。だから、行って内部から探りをいれてきます。」
「キールもリュイも僕の側から離れていった。」
寂しげに呟かれた名前はディクサムスタ公爵子息とアールガーネス公爵子息の名前だった。帝位の継承権を持つ彼らを担ぎ上げたい者は多い。
「公爵家子息の彼らには彼らの戦いがあります。離れていようと彼らはあなたを思っていますよ。それに私はすぐに帰ってきます。そうですね、おそらく2,3年のうちには」
生意気な皇太子が今、甘える事ができるのはおそらくエレアノールだけなのだろう。そしてエレアノールがこちらに帰ってくる頃にはきっと、エレアノールにすら甘えを見せられなくなっている。
(エルザベルティ様の歳がもう少し近ければまた違っただろうに)
パルディルーザとの茶会のたびに会えなくなるということを話さなければならないと思っていた。しかし嬉しそうに顔を綻ばせるパルディルーザになかなか話を切り出すことができないまま今シーズン最後のパルディルーザとのお茶会の日を迎えた。今日こそ話さなければならないと思うと少し気が滅入った。
「パルに大事な話があるのだけどいいかな?」
そう問いかければ、戸惑ったように小さくうなずかれた。
「夏を迎える前に外交官として北の国に行くことになった。期間は2~3年だと思う。任務が終わるまでは、こうしてパルと会うことはできなくなると思うんだ。パルはいい子にして待っていてくれるかい?」
「エレアノール様は北の国で“みぼうじん”と浮気をするのですか?」
「なんだって?」
(行っちゃいやだ)そう言われるものだと思っていたが、想定外のところから切り込まれて、エレアノールはいつになく動揺した。
「男はそういう生き物なのだって。“げんちづま”を“かこって”、“かあちゃん”の目が届かないところで、楽しむんだそうです。」
想定外の言葉の数々にエレアノールの頬がひきつる。
「誰がそんなことを」
「キャラバン商隊のおじさんたちがお話ししているのを聞きました。私はエレアノール様とこうしてお話するのも、お手紙でやり取りするのもとても楽しいです。エレアノール様も楽しいですか?」
「パルの元気な話を聞くのはとても楽しいよ」
「じゃあ、エレアノール様は私以外の女の人と楽しんだりしませんよね?私以外の奥さんを作ったりしませんよね?」
あきらかに何もわかっていないパルディルーザにエレアノールは返答に迷った。
彼らの話はパルディルーザの耳には入れてはいけない内容だ。まともな返答などできようはずもない。
「パル。仕事でいく以上、他の女性達とお茶を共にすることはあると思う。けど、・・・・・彼らが言うような、その・・・楽しみ?を得るつもりはない」
苦し紛れの回答は、パルディルーザのお気には召さなかったようだが、釈然としない表情のまましぶしぶに頷いた。
「エレアノール様が帰ってくるまでに大人の女性に磨きをかけます」
返答として返された言葉にエレアノールが無意識にする子供扱いがパルディルーザのご機嫌を損ねていることに気が付いた。でもこんな風に話すのは今日が最後かもしれない。
「じゃあ、今のパルは見納めだね。楽しいし話を聞かせてくれるかい?」
エレアノールはパルディルーザの子供時代の終わりを惜しむように彼女へ話を振った。
ビルゲルーダ王国の山々の雪解けが進んだ頃、エレアノールは旅立った。秋口の着任予定ではあったが、着任後は仕事に追われることは目に見えている。本来の目的を果たすべく、まずは、ポートフォロー辺境伯領と北方山脈を挟んで隣に位置する領地にあるスーリンベム公爵家を訪ねた。スーリンベム公爵家はエレアノールの妹の嫁ぎ先で、山賊に関する情報が得られることを期待していた。訪ねて行ったエレアノールを公爵一家は揃って出迎えてくれた。
「エレアノール殿ようこそいらっしゃいました。こちらへお迎えすることができ、嬉しく思います。」
「義兄上からお手紙をいただいて、アイリーンがとても張り切っていたのです。どうぞこちらでごゆっくりお過ごしください」
「こちらこそ、訪問を快諾していただきありがとうございます。アイリーンと会うのも6年ぶりになるか。久しぶりに話せるのを楽しみにしている。」
公爵と公爵子息が笑顔で歓待してくれた。妹に目を向ければ、息子の肩に手を置いて幸せそうに微笑んでいる。甥っ子は突然知らない人物の出迎えに同行させられたためか、少し不貞腐れたような顔でこちらを見ている。目を輝かせる妹に心苦しく思いながらも、仕事の話を切り出した。
「手紙に書くことはできなかったのですが、折り入ってお話が・・・」
「お兄様ったらもうお仕事の話なの?」
「ごめんよ。でもとても重要な話なんだ。私がここに外交官としてやって来た理由でもある」
「・・・・・しばらくは、いらっしゃるのよね?」
「あとでゆっくり時間をとるから、たくさん話を聞かせて」
間髪入れずにアイリーンの不満げな声が遮って来が、なだめるように話せば、不承不承頷いて見せた。
応接間に男3人で腰を下ろし、侍女がお茶を並べていくのを横目に雑談を交わす。
「アイリーンの機嫌を損ねてしまったようだ」
「義兄上の雰囲気で重要なことがあるのは分かっていたんです。久しぶりに妹に戻って甘えてみたくなっただけですよ」
「だといいのですが」
「しっかりもののアイリーンが拗ねて見せるなんて、なかなかの見ものでした。エレアノール殿はよい兄君だったのでしょうね」
和やかに交わされる言葉に、この家でアイリーンが大事にされていることが伝わってくる。
「婚家であのような自由な振る舞いを許していただけるなんて。妹は幸せ者です」
そう言って、お茶を口に運ぶと向かいに座った2人の空気が変わった。ここからが本題だとわかったのだろう。エレアノールは山賊被害のことについて話した。子爵一家惨殺の話になると彼らは顔をこわばらせた。
「エレアノール殿は黒幕が我が国にいるとお考えなのですね」
「王都の様子はまだ確認していないので何とも言えませんが、ここの可能性が一番高いと考えています。」
「確かに。我が公爵領に山賊被害は報告されていません。被害が一方に偏るというのも今までになかったことです。エレアノール殿は我々に何をお望みですか?」
「山沿いの集落への警戒を。山賊を捕らえていただきたい。あと、難しいかもしれませんが、黒幕との密会場所の痕跡の確認がとれれば一番ありがたいです。」
「わかりました。こちらのことはお任せください。」
エレアノールはそれから10日間を公爵邸で過ごした。アイリーンからパルディルーザとのことを根掘り葉掘り聞かれ、婚約者との付き合い方について散々ダメだしされた。最初はこちらを警戒していた甥っ子は、遊びに付き合ううちに子分よろしくあちこちに連れまわされるようになった。甥っ子との遊びの最中、ついついパルディルーザを思い浮かべてしまうから、自分はダメな婚約者なのだろうと苦笑した。でも想像してしまうのだ。コルネクター辺境伯領にエレアノールが訪れたらと。パルディルーザはきっと兵の鍛錬場に案内するだろ。辺境伯邸の裏にあるという湖で水遊びに誘うだろう。そして、砂漠のオアシスまで連れ出そうとするとことで、きっと辺境伯の“待った”がかかるのだ。そしてエレアノールはしょうがないと笑いながらそれらに付き合うのだ。公爵邸での滞在中エレアノールは何度もパルディルーザを思い出していた。
夏の初めにエレアノールは王都へと移動した。着任を前に顔を売ろうと王宮へあいさつに出向き、人脈作りにいそしんだ。王族はエレアノールに対して友好的で、早い時期の来訪にも特段触れてこなかった。仕事熱心だと逆に好意的に受け止められている節もある。エレアノールは心の中で王家黒幕に×をつけた。秋口に入り前任者との引継ぎを開始したが、早々の人脈作りが功を奏し、スムーズに進んだ。前任者はビルゲルーダ王国の早い冬が訪れる前にパランドブリック帝国へと帰っていた。
糸口が見つからないままビルゲルーダ王国で過ごす2度目の春を迎えた。いらだちを抑えるように眺めていたハンカチはところどころ刺繍がほつれ始めていた。互いに手紙をやり取りし、プレゼントを贈り合っているが、刺繍のハンカチは婚約のプレゼント以来もらっていない。慕われていることは分かっていたが、手作りの品に触れられないのはどこか寂しかった。
『お守りに持ち歩いていたハンカチがほつれてきてしまった。新しいお守りをねだってもいいだろうか?』
そう素直にねだってしまったのは、異国の地にいる寂しさからかもしれない。
夏の盛り、スーリンベム公爵家から急ぎの報せが届いた。エレアノールは情報を精査し、黒幕となりうる人物に辺りをつけた。その人物と接触を試みようとしたものの、彼は国内にはいなかった。よくよく話を聞けば、彼には放浪癖があり、頻繁にパランドブリック帝国を旅しているのだという。なんとも心地の悪い情報にエレアノールはジリジリとした気持ちを持て余しながら、彼の帰国を待った。
秋も終わりに差し掛かろうという頃、王城内で目的の人物を見つけたという情報を得て、エレアノールは王城内の中庭で待ち伏せをした。廊下を歩いてきた青年はこの国ではよく見るプラチナブロンドの髪と北国ではありえないほどにこんがりと焼けた肌をしていて、その不均衡に思わず目が吸い寄せられた。こちらの視線に気づいたのか、青年はにこりと笑うとこちらに近づいてきた。
「初めまして。帝国の外交官の方ですか?」
「はい。エレアノールと申します。着任から2年になります。」
「テントラクト公爵子息のヴェネディクトと申します。」
その名前を確認して、エレアノールは心の中でうなずいた。ヴェネディクトの母親はスーリンベム公爵家の娘で、父親は現王の従兄にあたる。そして、一時ではあったがエルザベルティの婚約者候補でもあった青年だ。
「我が甥っ子の伯父君でいらっしゃいましたか。とても利発な方だと伺っております」
「そんな、とんだ放蕩息子だと国内では笑いものですよ。では、あなたがポートフォロー辺境伯子息ですね。パランドブリック帝国の皇太子殿下と親しいと聞いています。エルザベルティ嬢とは面識がございますか?」
放蕩息子などといいながら、彼はエレアノールの立場を明確に理解していた。
「私が外交官としてこちらに来る前、エルザベルティ様は社交デビュー前でした。ですので、残念ながら直接お声がけされたことはございません。ですが、皇太子殿下の話題では頻繁に出ていらっしゃるので、面識がないというと嘘をついているような気持がします」
「そうですか。私はエルザベルティ嬢とは文通友達なのですが、皇太子殿下との仲が良好であるならば喜ばしいことです。」
皇太子殿下のエルザベルティに対する好意を仄めかせば、自分は文通友達だと言い募る。朗らかな笑顔を浮かべるヴェネディクトがその心に何を抱えているのか、エレアノールには分からなかった。
「もしかしてこの肌の色が気になりますか?」
エレアノールの視線を勘違いしたのか、ヴェネディクトが焼けた肌のことに言及してきた。
「えぇ、少し。こちらでそこまで焼けている方はそう見ませんので」
「秋口まで砂漠に行っていたのです。ちょっと人を探しに」
「探し人は見つかりましたか」
「砂粒ほどたくさんの人がいるのです。目当ての人物を見つけるなんて気が遠くなるようなことですよね」
話すだけ話して、ヴェネディクトはそろそろ失礼しますねと言って去っていった。彼は砂漠へ行ったという話をエレアノールに聞かせたかったのだろうか。彼の探し人は誰だったのだろうか。
それからほどなく、数枚のハンカチが手紙と共に送られてきた。ハンカチには家紋と一緒にイニシャルが刺されていた。美しい出来映えにパルディルーザの成長を感じた。あと1年で約束の3年を迎える。その年にはパルディルーザは社交デビューを迎える。エレアノールは刺繍の縫い目にそっと手を這わせた。エレアノールの元に不吉な報せが届いたのはその数日後だった。
エレアノールはその後もヴェネディクトと接触試みたが、冬の社交シーズンを終えると彼はまた国外へと旅に出て行った。彼を追求するにはあまりに証拠不十分。捕らえることもできないままの不完全な結果ではあったが、ビルゲルーダ王国で出来ることは終わった。エレアノールは後任者との引継ぎを終え、秋のはじめに久しぶりに母国の土を踏んだ。
帝都へ到着すると早々に皇太子の元へ帰還の挨拶に出向いた。
「皇太子殿下、ビルゲルーダ王国の外交官の任を終え、エレアノールただいま帰還いたしました」
「遅い。もう帰ってこないのかと思った」
「さすがにそれはないです。一応、最低限の目的は果たすことができたと思っています。足りない分はこちらでこなすつもりです」
「無事でよかった。報告は後で聞かせてよ。これからエルザベルティが来るんだ」
「そうなのですね。じゃあ、お邪魔する前にお暇致します。」
「いや、まだいてくれ。エルザベルティの可愛い専属護衛の任を解くから連れて帰って」
皇太子の謎の言葉に首を傾げつつエルザベルティが来るまでの時間、雑談をして過ごした。
皇太子の言う“可愛い専属護衛”の姿にエレアノールの時間は一瞬止まった。視覚に与える影響というのはすさまじい。手紙のやり取りをする中で、パルディルーザの成長は存分に感じていたはずだった。しかし、実際に彼女を目にするとその変貌に言葉をなくした。高く結い上げたブルネットは、腰の辺りまで緩やかに波打っていた。顔立ちはシャープになり、やけた肌と相まって、どこかエキゾチックな色気を感じさせる。程よく引き締まった身体は胸部と臀部の膨らみを強調して見えた。立ち尽くすエレアノールにパルディルーザは何を思ったのだろうか。胸を聳やかして堂々と宣言した。
「エレアノール様、私、今度こそ立派な淑女になりましたのよ」
その言葉にエレアノールの中にあった気おくれが消し飛んだ。
「パルは変わらないね」
思わず口をついて出た言葉にパルディルーザは口を尖らせたが、エレアノールの笑いにつられるように口許を緩めた。
社交デビューを迎えたパルディルーザは当然のことながら多くの視線を集めた。デビュー前の半年をエルザベルティに付き従っていたため、彼女のデビューを心待ちにしていた男どももいたようだ。エレアノールはそちらの方面へ軽く威嚇の視線を送っておいた。パルディルーザが自分のものだと誇示するようにフロアに出てダンスに興じた。運動神経の良いパルディルーザはエレアノールのわずかなリードでも即座に反応する。ターンの度になびく黒髪の中にエレアノールが贈った髪飾りが光る様は夜空のようで美しかった。
社交においてのパルディルーザは言葉少なだった。悠然とした笑みを浮かべたまま、「さあ、どうかしら?」「エレアノール様に伺わないと」「エルザベルティ様がご一緒なら」などと躱していく。シルフィアンナのように幼い容姿でそれをすれば、社交もできない娘と思われそうなものだが、一見知的そうなパルディルーザが発すると周囲の受け止め方はまた違ってくる。婚約者を立て、主を立てるできた淑女の出来上がりだ。
あまりの擬態っぷりにエレアノールは密かに笑いをこらえた。
社交シーズンも半ばに差し掛かるころ、エレアノールは皇太子に呼ばれて宮殿を訪れた。
「今度はエレアノールにエスコートして欲しいんだけど」
誰をと言われずとも前例が二人いる時点で分かりきっていた。
「お断りと言いたいところですが、ひとまず私へのエサが何かを聞きましょうか」
婚約者大事のあの二人が皇太子の口車に乗ったのだ。それなりの“エサ”が存在したのだろう。興味をそそられて尋ねてみれば、皇太子はひどく嫌な顔をした。
「あの二人はちょっと唆したら乗ってくれたんだけど、エレアノールは無理そうだよね。」
「パルから向けられる好意に一切の不満はありません。両辺境伯家の関係も安泰で約束の期日にはつつがなく結婚の運びとなりましょう。むしろ、余計な事させて波風をたたせるなといったところです」
唆したであろう内容に思い当ってエレアノールはクギを刺した。
「分かってる。だから、エレアノールには目に見える報酬を用意した」
そう言って2枚のチケットを差し出した。
「舞台の特別席のチケット。」
「エルザベルティ様と一緒に行くつもりだったのでは?」
「大丈夫。別日にもう一組取ってあるから」
皇太子の言葉でこのチケットがもともとエレアノールのために用意されていたものだと気が付いた。舞台のチケットは前のシーズンから予約が開始する。外交官として国外に出ていたエレアノールには手に入れることができない。このエレアノールに対する気遣いはいつから始まっていたものだろうか。もしかしたら外交官として旅立った年から。いつ帰ってくるかもわからないのに。ダメだとはねのけるのは簡単だった。しかし、エレアノールは簡単にはねのけることができなかった。
「いつものお遊びにしては行き過ぎてます。意図をお伺いしても?」
「嫌になるくらいばかげた内容でもいい?」
囁くような問いかけは、幼い頃に悪戯を白状した時のような不安感を宿していた。
「かまいません。あなたの本心からの言葉なら」
エレアノールが頷けば、皇太子は少し気まずそうに言葉を続けた。
「ロレーヌ嬢をエスコートした男は、その後婚約者との関係が目に見えて良好になる」
「そういえば、そんな噂もありましたね」
「そう。そんな噂があるんだよ」
ロレーヌ嬢に関するうわさを口にした皇太子に先を促せば、それがすべてだと言われた。裏を探りたいと言われたほうがまだ納得のいく話だった。
「エルザベルティ様とうまくいっていないのですか?」
立ち入りすぎかと思いつつも疑問が口をついて出た。
「さぁ、どうなんだろうね」
皇太子は明確な返答をしなかったが、顔に浮かべた苦い笑みがその答えのような気がした。
皇太子の依頼は受けたものの、パルディルーザとの間に余計な火種を作るつもりは毛頭なかった。
「ちょっと付き合いでダロンドウット侯爵令嬢をエスコートすることなった。」
事前にパルディルーザにそう告げれば、ある程度の予想はしていたのだろう。不満を顔に浮かべながらも了承して見せた。
「その報酬と言ってはダロンドウッド侯爵令嬢に失礼かもしれないけど、皇太子殿下から舞台のチケットをいただいたんだ。一緒に見に行こう」
そう声をかければ、怒っていますと顔を作りながらも口許が緩んでいた。
ダロンドウッド侯爵令嬢のエスコートは互いにお行儀の良い距離感で行われた。噂から想像していたような媚は一切ない。淑女として完璧な距離感なだけに余計に彼女が何を思って行動しているのかが疑問だった。
夜会も中盤に差し掛かった頃、ダロンドウッド侯爵令嬢がいきなり身を寄せてきた。突然のことに驚いて彼女を見下ろせば、口許に楽し気な笑みをうかべたまま前を見据えていた。
そちらへ目をやれば、アルトレイクにエスコートされたパルディルーザが意気揚々とこちらへ向かっていた。
「初めまして。わたくし、エレアノール様の婚約者のコルネクター辺境伯家パルディルーザですわ」
「初めまして。今日はエレアノール様をお貸しくださってありがとうございます。私、ダロンドウッド侯爵家のロレーヌと申します。お見知りおきくださいませ」
やる気満々のパルディルーザに煽る気まんまんのダロンドウッド侯爵令嬢。エレアノールは今日の夜会を振り返る。彼女をエスコートして会場入りし、1曲だけダンスを踊り、友人たちに彼女の紹介をして回った。十分皇太子への義理は果たしたのではないだろうか。チラリとアルトレイクに目をやれば、心得たように頷かれたので後は彼に任せよう。
「パルディルーザ様はいつも美しい髪飾りをされていますのね。パルディルーザ様の豊かな髪に映えてらっしゃいますわ」
「ロレーヌ様の今日の水色のドレスとてもお似合いですわ。ロレーヌ様のほっそりとした高い背と相まって・・・その・・・そう氷柱のように美しいですわ」
エレアノールとアルトレイクが目線で会話している間、彼女たちは褒め合いと言う名の舌戦をしていたはずだった。褒めているようにして貶す。しかし、氷柱は誉め言葉になるのだろうか?
「つらら」
「氷柱」
アルトレイクとダロンドウッド侯爵令嬢も同様に思ったのだろう。小さくつぶやくと視線を下に下げた。ここで貶されたと畳みかけないあたり、彼女のツボにはまってしまったようだ。パルディルーザは自分の失敗に気付いたのだろう。「わたくし、飲み物をいただいてまいります」とその場を後にした。視線を下げたダロンドウッド侯爵令嬢とその場を離れたパルディルーザ。はたから見れば、どちらに勝敗が上がったのかは分からないだろう。ならば良しと、エレアノールはパルディルーザを追いかけることにした。
「ダロンドウッド侯爵令嬢。あなたは、人のコンプレックスを刺激するのがお得意のようだ。だが、あまり感心しないよ」
エレアノールがそう声をかければダロンドウッド侯爵令嬢は満足そうに微笑んだ。
「ご安心くださいませ。相手を見て攻撃していますから」
自信満々に言い切ったダロンドウッド侯爵令嬢に首を傾げれば、彼女は更に言葉を続けた。
「だって、お好きでしょう?」
付け加えられたのはたった一言。それだけで意図は伝わった。
「楽しい夜でした。後はアルトレイクに託します。最後までご一緒できずに申し訳ない」
「かまいませんわ。私も楽しい夜を過ごせました。では、よい夜を、ポートフォロー辺境伯子息」
パルディルーザの後を追いながら、エレアノールは思った。だから女は恐ろしい。