表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私には花がある  作者: ニーナ
序章 嵐の前の恋人たち
5/44

メレルエディスの魔法

公爵、辺境伯、侯爵は国土を割譲された広大な領地を管理する。ただ、侯爵家には皇領地の管理を任された家が2つだけ存在する。その一つがラドクスシド侯爵家だ。本来なら伯爵家となるところ、特に重要な拠点であるため、上級貴族としての地位を許されている。そんな土地柄故に入れ替わりも激しい。そうなると、他の上級貴族からの扱いも若干軽くなる。ラドクスシド侯爵家は当代で5代目。ヴィンセントが引き継いで6代目となる。皇領地の侯爵家としては長く続いている。上級貴族からも、優秀な者を排出する家として一目置かれるようになってきた。優雅な笑みで社交をする父は、影の努力を周りに気付かせることはない。伯爵家から嫁いできた母はそれを他で漏らすことはない。どんなにバタバタと足掻いていようと、涼しい顔で上級貴族を演じているのだ。


そんな家だから、代々妻として迎えるのは伯爵家の娘だった。従順で努力を知る娘を選んで娶る。そして、特別秀でてなくても良いから、努力家で、勤勉な子供を育てるのだ。

ヴィンセントも当然、伯爵家の娘を迎えるのだと思っていた。

ある日、母が夕食の席でおもむろに話しを切り出した。

「ベルトライム侯爵夫人が最近茶会にご息女をつれていらっしゃるの。」

「侯爵は娘を皇太子妃にするのに必死だからな。後のことは何も考えていないのだろう。夫人が形振り構わないのも無理からぬ」

「一度お会いしたのだけど、とても物静かで、幼いながら見事な立ち居振舞いでしたわ。」

「ほう、それで?」

父が少し楽しげに問い返す。

「来週のお茶会にベルトライム侯爵夫人もご招待してありますの。そこにヴィンセントを同席させる許可をくださいませ。」

父は微笑みを浮かべる母の顔をしばし見つめた後、チラリとヴィンセントの顔を見て頷いた。

ヴィンセントはその事に正直驚いた。今まで両親は他の上級貴族達は同格の侯爵家であっても全て自分より上位であると考えて行動するようにヴィンセントに言い聞かせてきた。それが相手に無作法があるとはいえ、上級貴族相手に付け入るような行動をおこすとは。

「ヴィンセント、メレルエディス様はあなたより4歳年下だから、あなたが遊び相手になってあげてね」

母はヴィンセントに"遊び相手"を強調していたが、その子をヴィンセントの妻として迎えるために気に入られろということだろう。幼いヴィンセントは母の言葉に黙って頷いた。


この時、父が許可したのには理由があった。侯爵家の中には派閥が存在する。ひとつはデレクシスタ侯爵家を筆頭とする保守派閥で、古くから侯爵位を賜っている家だ。この派閥は古くからの血統に重きを置いており、新たに爵位を賜ったもの、爵位が上がったものに対して総じて冷たい。足を掬ってやろうと虎視眈々と狙っている。そしてもうひとつがベルトライム侯爵家を筆頭とする革新派閥だ。見所があると判断すれば、彼らは助力を惜しまない。そもそもベルトライム侯爵家自体が準男爵から数百年かけて侯爵まで上り詰めた家だ。ラドクスシド侯爵家に対しても友好的で、ヴィンセントのことも気に入るだろう判断したのだ。しかし、当時はそんなことは知るよしもなし。ヴィンセントはベルトライム侯爵夫人に怒られやしないかと、ドキドキしながらお茶会の日をむかえた。


お茶会当日、ヴィンセントの姿を見たベルトライム侯爵夫人は、その顔に驚きを浮かべた。しかし、それも一瞬のことで、次の瞬間には友好的な笑みを浮かべた。ベルトライム侯爵夫人にとって、ラドクスシド侯爵家は相手として申し分なかったということだろう。密かに胸を撫で下ろして、ヴィンセントはメレルエディスを遊びに誘った。メレルエディスは母親に笑顔で頷かれると差し出したヴィンセントの手をそっと握った。

4つも年下の女の子の遊び相手など何をすれば良いのかさっぱり分からなかったヴィンセントは取り敢えず庭を散策してまわった。

(どうか泣かれませんように。癇癪をおこしませんように。)

ヴィンセントはメレルエディスの様子を観察しながらそっと祈った。会話もないまま到着した東屋で腰を下ろすと、着いてきていた侍女がお茶の準備を始めた。

お茶だけ飲んで終わりという訳にもいくまいと、ヴィンセントはメレルエディスが好むことを直接尋ねてみることにした。

「メレルエディス嬢はいつもどんなことをして過ごしているの?」

「ミミちゃんとメーメちゃんと一緒にお茶会をするの」

「ミミちゃんとメーメちゃん?」

「ミミちゃんはねピンクのウサギさんでメーメちゃんは白くてモコモコなの」

どうやら人形遊びをしているようだ。ヴィンセントにその相手はちょっと難しそうだ。

「後はどんなことをしているの?」

「ミミちゃんとメーメちゃんにご本を読んであげるの」

お人形遊びの延長とはいえ、"本"という単語にヴィンセントは飛び付いた。ヴィンセントも好んで読書をする方だからそれなら一緒に楽しめそうだ。

「本を読むのは好きなのかな?」

ヴィンセントがたずねるとメレルエディスはコクンと小さく頷いた。お茶を飲んだ後は時間までふたりで本を読んで過ごした。上機嫌のメレルエディスの手を引いてお茶会の会場へ戻ると、ご婦人方の視線が集まった。微笑ましいとでも言うような視線を浴びながらベルトライム侯爵夫人の元へメレルエディスを連れていくと、満足気な顔で迎えられた。

「ヴィンセント様、今日はメレルエディスのお相手をしてくださってありがとう。次回もまたおねがいしてもよいかしら。」

「喜んでお請けします。」


そんなお茶会を幾度か重ね、ヴィンセントが13歳になったとき、皇太子殿下の婚約者が決まった。それとほぼ同時にメレルエディスはヴィンセントの婚約者になった。

婚約者にはなったが、ヴィンセントにとってメレルエディスは可愛い妹のようなものだった。


 婚約者となったメレルエディスとは頻繁に互いの別邸を行き来するようになった。本を読んだりゲームをしたりと、互いに気を遣うこともなくのんびりと過ごしていたと思う。ヴィンセントが社交デビューをして、読書の時間を領地の勉強に費やすようになると、メレルエディスはその傍らで刺繍をするようになった。メレルエディスからプレゼントされたハンカチに刺されていた家紋は、母が刺してくれたものと比べても遜色なかった。それを今まで当然のことと受け止めていたが、母よりもずっと小さな手を一生懸命動かしているのを見ると、それがいかに特別かを理解した。

 メレルエディスから特別なハンカチをもらった時に呟いた一言はホントに何気なく発したものだった。幼かった妹分が刺した刺繍を見せびらかしたい。そんな気持ちだったと思う。

「明日友達に自慢する」

その言葉を発した瞬間、メレルエディスの頬が赤く染まり、目が少し潤んだ。メレルエディスの想定以上の誉め言葉に恐らく照れたのだろう。口許をキュッと引き締めて視線を下げる。ヴィンセントはそんなメレルエディスに見入った。その表情はどこか色を感じさせて、そんなことを思う自分に戸惑った。

その後もいつも通りの対応を心がけていたが、そんなことを思ってしまうことがすでにいつも通りではなかった。ヴィンセントの感情を察してか、メレルエディスからも仄かな恋情が向けられるようになった。それはとても緩やかで、そして確実な変化だった。

こうなってくると、近すぎる二人の距離はヴィンセントの自制心に多大なる負担をかけた。余裕のある笑みを浮かべながら、徐々に本来あるべき節度ある距離へとあけていき、ヴィンセントの自室に招く何てことは皆無になった。


メレルエディスの社交デビューの日、ヴィンセントがベルトライム侯爵家を訪れると、そこにいたのはメレルエディスであってメレルエディスではない人物だった。思わず「目が違う」と口走って、メレルエディスに笑顔で圧をかけられた。

ヴィンセントの婚約者贔屓は友人達の間では有名で、牽制をしていた訳ではないが、メレルエディスに直接話しかけようとするものはいなかった。大人しいメレルエディスでは会話に自ら入っていくということもできず、ひどく落ち込んでいるのを見て自らの言動に後悔した。メレルエディスの中で、社交のお手本がシルフィアンナやエルザベルティであることも問題だ。明らかに自らの性格とかけ離れた二人をお手本にしてはいけない。


シルフィアンナは幼げな容姿と仕草で相手の懐に入り込み、褒めて煽ててバカなふりで、相手からスルスルと情報を引き出していく。話し相手だってバカではない。最初は気を付けようと思っているのだ。だが、話しているうちに気分が良くなるようで、気がつけば、いつの間にか、なのだ。彼女の婚約者であるダレングレイも似たような社交をする。真面目で少し間の抜けた彼はどこまでが天然でどこからが演技か分からない。付き合いの長い自分でもわからないのだから、周りから見ればその天然さが彼の本質だととらえられるだろう。たとえ上級貴族であろうと、彼は誰からもかわいい弟分として見えてしまう。

そしてエルザベルティはその妖艶な肢体で異性の視線を集め、苛烈さと愛情深さを備えた性格で女性の羨望をあつめる。その身分故に滅多に声をかけられない彼女と言葉を交わせば、大抵の人間が舞い上がる。博識な彼女は大抵の人と話を弾ませる術を持っていて、そんな彼女を崇拝するものは右肩上がりに増えている。

あんな女傑が自分の隣にいるなんて考えるだけで恐ろしい。

「メルにはメルの社交のやり方があるよ。シルフィアンナ様やエルザベルティ様のようにする必要なんてない。だいたい、素晴らしい令嬢方だけど、あんなの二人もいれば十分だよ」

あんな成長を遂げてほしくない、と願いを込めて発した言葉は冗談として捉えられたようだった。


その後、メレルエディスは伯爵家の夜会で知り合った友人の婚約者にねだられ刺繍サロンを開いた。あっという間に評判が広まり、気づけば最大サロンの仲間入りを果たしていた。会うたびに表情が緩やかにほぐれ、社交に対する気構えが抜けてきているようだった。ほっと安心したのも束の間、ヴィンセントはベルトライム侯爵から呼び出しを受けた。結婚の日取りの相談だろうか、とも思ったが、それなら父が呼ばれるだろうし、指定された日はメレルエディスが友人との茶会で出かけている日だ。いぶかしく思いながらも、侯爵家の別邸を訪ねた。

 その日、ヴィンセントは客間ではなく侯爵の書斎に通された。侯爵の書斎ともなれば入れるものはごく限られていて、今回の話の重要性がうかがわれた。ヴィンセントを認めて、一瞬寄せられた眉に何か失態があったかと焦った。勧められるままにソファに腰を下ろす間も、記憶を辿ったが特に失態となるような言動はなかったと思う。向かいのソファに腰を下ろした侯爵は深く息を吐くと話し始めた。

「メレルエディスとの結婚の件だが、状況が変わった。父君から何かきいているか?」

「いいえ。何も」

「海軍の本拠地である領地をラドクスシド侯爵は5代に渡ってよく収めている。それは紛れもない事実だ。だが、長すぎる統治は甘えを生み、癒着を生む。軍事において、それは命取りになりかねん。上層部は新たな侯爵を望んでいる。陛下も概ね納得され、優秀だと言われている君にはどこぞの伯爵家をあてがうつもりでいるようだ。皇太子殿下が強固に反対されたことと、代替わりにはまだ早いため、数年は議論の延期がなされたが、おそらくは流れは覆らないだろう。申し訳ないが伯爵家に娘はやれん」

侯爵の話に言葉を返すこともできなかった。侯爵家から伯爵家へ降格されるという屈辱的な事実よりも、自分からメレルエディスが奪われるという事実に息もできない。

「実績を作りなさい。上層部に必要な人材だと思わせる実績を。数年は待とう」

話は以上だ。という侯爵の声に追い出されて、呆然としたままベルトライム侯爵家を後にした。馬車が走り出し、侯爵の言葉がゆっくりと自分の中に浸透した時に込み上げてきたのは腹の底からの嗤いだった。侯爵は待つといった。だが、戦争がなくなって久しいこのご時世にどうやって実績を作れというのだ。軍事拠点の掌握などと聞けば、いかにもおどろおどろしいが、やっているのは地味な文官作業だ。侯爵は待つといった。自分が実績を作るべく飛び回っている間に、侯爵はメレルエディスに相応しい相手を探すのだろう。侯爵は言葉通り待っているのだ。メレルエディスの心がヴィンセントから離れるのを。だからと言って、何もしないままでなんていられない。ヴィンセントの嗤いは、激しい慟哭にかわり、それが収まったころにようやく自宅の門をくぐった。


社交シーズンの終わりにヴィンセントはメレルエディスと二人でお茶会をした。無邪気に結婚の日取りを訪ねてくるメレルエディスに全てをぶちまけてしまいたい衝動にかられた。それをグッと抑えて、自分から進んで実績を作りたいというように話をした。メレルエディスはイヤだとは言わなかった。侯爵令嬢としてそれを言うことは出来なかったのだろうが、それでも口にしてほしいと思った。

「私はヴィーのことが好きよ」

絞り出された言葉は、言葉以上のものをヴィンセントに伝えてきた。涙の溢れた目に誘われるように、そっと目元に唇を寄せた。閉じられた目元に唇が触れる。ヴィンセントの独占欲を甘く刺激した。化粧の下に隠された素顔は、今はまだヴィンセントしか知らない。


夏が来て、ヴィンセントは船の上にいた。父と同じことをしていては、実績も何もないということは分かっていたが、少しでも動かなければ突破口など見つけられない。

海軍の本拠地を出た船は南下し、大陸に沿う様に東へ向かう。5日目の朝にフォンティーヌ王国に寄港し、官邸で外交官の代表と面会をし、7日目の朝には出航。そこからさらに5日の船旅で、12日目の昼過ぎに大陸東の大国レビア共和国へ到着した。

港町の隣には各国の官邸を集めた官邸街があり、ヴィンセントは護衛だけを連れてそこを訪ねた。迎えに出てきた使用人はすまなそうな表情で主の不在を告げた。外交官は通常は首都で業務を行い、王宮からの使いが来る時だけ港町に出てくる。2~3日留め置かれることも想定内だ。ヴィンセントがそう告げれば、安心したように客間に通された。ヴィンセントはそのまま翌日は1日、港町や官邸街を散策して過ごした。港町にはレビア共和国の特産品と思われるものがあちこちで売られており、観光客とおぼしき人々が土産品の物色をしていた。官邸街は官邸を構える国々の料理店や雑貨店が軒を連ねており、建物1つとってもそれぞれの個性にあふれていた。初めての異国を楽しみ、夕方に官邸へ戻ると、今日の夜には到着するようだと声をかけられた。明日の昼前の面会を約束し、自室へと下がった。


 翌日、通された応接間には30前後の男性が待っていた。

「始めまして、キールアレイスと申します。待たせてしまって申し訳ありませんでした。あちらの仕事が少し押してしまいまして。」

名前を聞いて、驚いた。彼はディクサムスタ公爵子息で、現在、帝位継承権第二位にいる方だった。若輩の自分に対し、丁寧な対応をしてくれているが、本来このようにへりくだる必要などない方だ。

「始めまして、ヴィンセントと申します。こちらまでご足労頂いているのです。お待ちするのとも折り込み済みですので、そのようなことおっしゃらないでください」

「そう言って頂けるとありがたい。早速仕事の話で申し訳ありませんが、お持ちいただいたお手紙を頂きましょう」

キールアレイスの言葉に促され、ヴィンセントは文箱を彼に渡した。

「隣室で目を通して参りますので、少々お待ちください」

戻ってきたキールアレイスは先ほどまでの丁寧な態度から一変、砕けた様子で話しかけてきた。

「さて、外交官としての仕事はここまでにして、今からはちょっと年長者としてのアドバイスを君にあげようかな」

そう言って、意味ありげに笑いかけてきた。

「皇太子からの手紙で君の立場の説明と、君の相談相手になってくれとの依頼があってね。まずは君の率直な意見を聞かせてよ。君は軍事拠点とも言える領地を長く1つの家が治めているという現状をどう考えている?」

「私は幼い頃から軍の上層部と密な付き合いをしてきました。彼らにとって私は身内の子どもです。多少の失敗があっても彼らは目をつむるでしょう。しかし、軍部と領主を切り離したのは本来、相互監視が目的です。これは正常な状態とはいえない」

自分の回答に苦い思いが込み上げる。分かっているのだ。これ以上の統治は危険だと。清廉であればいいとか、そういう問題ではない。少しの妥協が後々、大きな不正を産む。

「そうだね。そこまでわかっていて、君はここになにをしにきたんだい?君がすべきことはここにはない。」

キールアレイスはヴィンセントの回答に頷くと、あっさりと切り捨てた。無言でうつむくヴィンセントに、笑い含みの声をかけてきた。

「早とちりしてはいけないよ。僕はここにはないと言っただけだ。君の優秀さを皇太子がかっていることは周知の事実だ。ベルトライム侯爵だって、何も君を切り捨てようと思ったわけじゃないさ。」

「侯爵家に留まらねばメレルエディスはやれないと言われたのです。この状況が分かっていて。ベルトライム侯爵からはすでに切り捨てられています。」

「なるほど。婚約者のことになると視野が狭くなるとは聞いていたけれど相当だね。じゃあ、ベルトライム侯爵はご息女をどこに嫁がせるつもりでいるの?」

「それは、どこかの上級貴族に・・・」

そこまで口にして、年齢が近い上級貴族に婚約者のいない者などいないことを思い出した。今、ヴィンセントと婚約を白紙に戻したところで、結局は伯爵家に嫁がせるしかない。他国という手もあるが、国内での勢力に注視している侯爵にその考えはないだろう。

では、ベルトライム侯爵はメレルエディスとの結婚を餌に、ヴィンセントに何かをさせたいのだ。それはなにか。いるではないか。侯爵が踏みつぶしたい相手が。

「キールアレイス様のおっしゃる通り、私がすべきことは存外近くにあったようです。」

吹っ切ったように笑うヴィンセントにキールアレイスは軽くうなずいた。

「頑張ってね。応援しているよ」


 国内に戻ってから、ヴィンセントは精力的に動いた。彼の地を収める貴族達の行状を事細かに調べ、突き崩すべき綻びがないか丹念にさがした。いくつかおかしな点はあるものの、突破口となるような綻びは見つけられない。それはそうだ。ヴィンセントに簡単に見つけられるようならとっくにベルトライム侯爵の手でけりはついている。ヴィンセントの強みと言えば、政敵だとも捉えられていない小者感だろうか。自虐的に考えて、案外そうかもしれないと納得した。

 社交シーズンがやってきて、久しぶりにメレルエディスと会った。ヴィンセントの姿を見て、嬉しそうに微笑みかけてくる姿を見れば、絶対に手放さないとやる気がわいた。

「装飾品を贈るべきなのだろうけど、これのほうが一番長くメルの側にいられるでしょう?」

「大事に使うわ。お婆さんになっても。」

お土産には裁縫箱を買ってきた。フォンティーヌ王国では真珠や貝などのアクセサリーがこちらでは考えられないような価格で売っていて、目移りをしてしまったが、その一角に置かれた宝石箱や裁縫箱を見た瞬間、これだと思った。アクセサリーは夜会の一時、メレルエディスを飾ることしかできない。でも、裁縫箱ならメレルエディスの一日のほとんどを共に過ごすことができる。そう思って口にした言葉はメレルエディスの中で違った意味を持った。寂し気な笑顔を浮かべる彼女は、別れの準備を始めているように見えた。


 早くしなければ、本当にメレルエディスの心にヴィンセントの居場所はなくなってしまうかもしれない。そんな焦燥が常にあった。ギリギリと締め付けられるような日々は飛ぶように過ぎる。不安を紛らわすようにメレルエディスを抱き寄せて、その目元に唇を寄せる。

「もぅ。目元はやめてって言っているじゃない。化粧が落ちたらどうするのよ」

「別にいいじゃない。化粧が落ちてもかわいいよ」

「…意地悪だわ。キスするなら頬か額にしてちょうだい」

「唇にしていいなら考えるけど」

「……ダメよ。だって結婚前なのに…」

「・・・残念」

甘い声と仕草は決してヴィンセントを拒否していないのに、言葉はヴィンセントを冷たく突き放す。結婚するかどうかわからない男に唇はゆるせないと。


社交界はダロンドウッド侯爵令嬢が顰蹙を買いつつも、今年一番の話題の花として人々の口に上がっている。

「ねぇ、ロレーヌ嬢のエスコート役をやってみない?」

そう声をかけてきたのは、皇太子殿下だった。先日、ダレングレイが彼女をエスコートしたのが話題となっていたが、やっぱりこの方が焚きつけていたようだ。

「なんですか急に。そんな暇はありませんよ」

「僕にも思うところがあってね。周りにはロレーヌ嬢に友人の令息を紹介するよう僕に言われたとでも言ってくれればいいからさ。」

「話し聞いていました?理由付け云々じゃなく、時間が無駄だと言っているのですが」

「無駄や遊びの中にこそ求めるものがあるかもしれないよ。最近、君に警戒心を抱き始めているあの男の心に再び侮りを植え付けることができるかもね」

考える素振りを見せたヴィンセントに更に畳みかけてくる。

「それから、最近、頓に心配しているメレルエディス嬢との心の距離を測ることができるかも」

「どちらも“かも”なんですね」

「それは君の腕次第。安心して、僕からの信頼は確実に上昇するから」

皇太子殿下の目的が何かは分からないが、ため息とともにヴィンセントは了承をした。


 ダロンドウッド侯爵家へ迎えに行けば、侯爵が心得たようにロレーヌを送り出した。

「こちらの事情で申し訳ないのだけど、今日は親しい距離でエスコートさせてもらいたい」

馬車に乗ってすぐにそう申し出ると、彼女の表情が一瞬陰った。

「それはメレルエディス様になさるようにということでしょうか」

「決して不埒な真似はしないと誓う。不快に思ったら言ってくれ」

「了解いたしましたわ」

探るような視線を見せたが、彼女は静かにうなずいた。

 夜会の会場では、彼女はメレルエディス。と唱えながらエスコートをした。思わず逃げそうになるのを、逆に彼女になだめられた。時折感じる彼女からの視線は実に愉快気だ。そんな視線が周りからどう見えるのか。きっと想定より親しく見えるだろう。帰りの馬車でお礼を言うと、からかうように声をかけられた。

「メレルエディス様にするように目元に口づけてはくださいませんの?」

憮然とするヴィンセントにさらに言葉が紡がれる。

「メレルエディス様は愛らしいつぶらな瞳をしていらっしゃいますものね」


翌日、朝も早くから来客があった。応接室に向かえば、ソファに腰掛けるでもなく、アルトレイクが腕を組んで立っていた。

「急に済まない。一つだけ言っておきたいことがあって。昨日の件は、エルザベルティが即日、メレルエディス嬢に手紙を送っている。早急に対処しろ。」

アルトレイクはそれだけ告げると、茶の一つも飲まずに帰っていった。

自分が他の令嬢をエスコートすることで、メレルエディスがどのような反応をするのか、気にならなかったわけではない。でも、このことが彼女の耳に入らなければいいなぁなどと甘いことも考えていた。

(即日、耳にはいっていたなんて)

ヴィンセントは朝食も取らずにベルトライム侯爵家へ飛んで行った。


 突然の訪問にベルトライム侯爵家の使用人たちは驚いてはいたが、快く応接室へ迎え入れてくれた。なかなか姿を見せないメレルエディスに落ち着かない気持ちでいたが、よく考えればまだ朝も早い時間だ。寝ていたとしてもおかしくない。非常識な自分の行動に改めて顔から血の気が引いていくようだった。

 応接室に入ってきたメレルエディスの表情にいつものような優しい笑みはなかった。無表情に見つめられたヴィンセントは大いに慌てて気づけば、まくし立てるように話していた。

「浮気じゃないから」

「は?」

「ロレーヌ嬢をエスコートしたのは人から頼まれたからと、ちょっとした仕込みをするのに丁度よかったからで、全然、全く、興味はそそられなかったから」

「そう」

「事情があってちょっと親しい距離でエスコートしたけど、ずっと頭の中で、隣にいるのはメルって唱えていた。」

「・・・」

「メルじゃないとだめなんだ。」

反応に乏しいメレルディスに言葉はしりすぼみに消えていった。

「ヴィーは私に見切りをつけてしまったんじゃないの?」

「僕はメルを諦めるなんてできないよ。」

メレルエディスの心がまた一歩別れに近づいたように感じた。繋ぎ止める言葉なんて思い浮かばずに、ただ未練たらしい言葉だけが口をついた。

「私もヴィーを諦めるなんてできないわ。」

続いてかけられた言葉に驚きを隠せず、目を見張った。ヴィンセントを見つめ返すメレルエディスの瞳は揺るがない強さを秘めていた。最近よく浮かんでいた別れの哀愁がない。ヴィンセントはいつものようにメレルエディスの目元に唇を寄せる。化粧をしていないメレルエディスは恨みがましい目でヴィンセントを見上げたが、いつものように拒否はしなかった。ヴィンセントは口許に笑みを浮かべながら、いつものように問いかける。

「ねぇ、唇にしてもいい?」

わずかに泳いだ瞳は、恥じらう様にそっと閉じられた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ