メレルエディスのつぶらな瞳
ベルトライム侯爵であるメレルエディスの父は長いこと夢をみていた。娘が皇太子妃になるという夢を。普通に考えればありえない。筆頭候補に二人の公爵令嬢がおり、同格の侯爵令嬢は、メレルエディスより皇太子殿下と歳が近い。それを覆せる程の素質をメレルエディスが持っているかと言われれば、微妙だ。特別に美しいわけでも、特別に賢いわけでもない。母は早々に現実をみた。そして、父の代わりにメレルエディスの今後のために動き出していた。
貴族家の子供たちは特に親しい家でもない限り、他家との交流はしない。13歳頃から同年で同性の者たけを集めてのお茶会が開催される程度で、積極的な交流を開始するのは社交デビュー後だ。
だが、メレルエディスは幼い頃から母に連れられてお茶会へ行っていた。父を通さずにメレルエディスの顔を売るための母の苦肉の策だったのだろう。もとより大人しい性格のメレルエディスは、母の企み通りの“小さな淑女”を存分に見せつけることができた。
「さすが皇太子妃候補ですね」
「こんなに小さいのに立派に淑女だわ」
友達の貴婦人方からの評価に母はご満悦だった。
そんな茶会をいくつかこなしていたある日、母にとって想定外の出来事が起こった。ラドクスシド侯爵家からの招待にいつものようにメレルエディスを伴って訪れると、そこにはメレルエディスより4歳上の子息ヴィンセントが夫人とともに待っていた。婚約の約束もなく、社交デビュー前の男女が私的な茶会で顔を合わせることはありえない。これではすでに約束を取り付けているように周りからは見られる。先に例外的な行動を起こしたのはこちらの方であったため、その振る舞いに苦言など当然言えない。しかし、母が動揺したのも最初だけだった。なんせ、相手は同格である侯爵家。悪い繋がりではなかった。母は笑顔でその出会いを受け入れた。
メレルエディスはヴィンセントに誘われるまま屋敷の中や庭を散策した。当時、幼かったメレルエディスには母や周りの思惑など、これっぽっちもわかっていなかったが、4歳上のヴィンセントは、ある程度の理解をしていたのだと思う。時に探るような視線を感じたのを覚えている。
その後、何度かそのような交流が続いた。
外を駆け回るよりも室内で本を読むほうが好き。おしゃべりは嫌いじゃないけど、ヴィンセントが話す知らないことに耳を傾けるほうが楽しい。そんな風に大人しいメレルエディスの性質はヴィンセントにとっても悪くないものだったようだ。二人で過ごす時間は穏やかだった。
メレルエディスが9歳の時、皇太子殿下の婚約者が決まった。そして時を置かずに、メレルエディスはヴィンセントの婚約者になった。
メレルエディスとヴィンセントは社交シーズンになると、帝都にある互いの別邸を行き来した。一年目はお茶を数回一緒にしたくらいだったが、お互いに慣れてきた翌年にはその頻度はグッと増えた。社交デビュー前の二人にとって、お互いが貴重な遊び相手だったからだ。過ごし方も大分適当になった。お互いが好きな本を読んで、疲れたら一緒にお茶をする。たまに一緒にゲームをしたりもするが、必要以上に相手に踏み込まず、互いが互いの時間を尊重した。二人の間には確かな信頼と穏やかな愛情があった。それは、家族愛や友愛のようなもので、男女間のそれではなかったけれど。
婚約を交わしてから3年が経った。ヴィンセントは社交デビューを迎え、新たな付き合いができた。同年者同士の付き合い、上級貴族子息としての付き合い、皇太子殿下との付き合い。どれもおろそかにできない付き合いだった。メレルエディスは自分とのお茶会の回数などグッと減ってしまうのだろうと思った。しかし、ヴィンセントはメレルエディスを決して蔑ろにはしなかった。いつものようにメレルエディスを招き、彼女が読書をする傍ら、仕事の手伝いなのだろう、書類仕事をこなしていた。メレルエディスに対する気遣いを忘れることもなく、彼女の視線に気づけば、微笑んで話に付き合ってくれた。
(一緒に本を読まないなら刺繍でもしようかしら)
メレルエディスは幼い頃から手習いし、今では最も好きな趣味である刺繍の道具を持って会いに行くことにした。そんなメレルエディスにヴィンセントは目を丸くしていたが、いつも通りにソファーを勧めて、自分は執務机の方で仕事を始めた。
しばらく集中していると、フッと影がさした。顔をあげるとヴィンセントが近くでメレルエディスを見下ろしていた。
「何度か声をかけたのだけど。すごく集中していたね」
「刺繍をはじめるといつもこうなの。どんどん自分の思い描いている画に近づいていくのが面白くって」
クスクスと笑うヴィンセントにメレルエディスは肩をすくめた。
「ねぇ、見てもいい?」
「針に気を付けてね」
たずねてきたヴィンセントの手に針を刺したままのそれを渡した。ヴィンセントは優しく縫い目に触れると、ホゥとため息をはいた。
「ものすごく上手だ。こんなに細かいのみたことないよ」
ヴィンセントは心の底からそう思っているようだが、メレルエディスの腕前などまだまだだ。でも、言われれば嬉しくなる。
「もしよければハンカチに刺繍しましょうか?」
メレルエディスが尋ねると、ヴィンセントの顔に晴れやかな笑みが浮かんだ。
「ほんとに?楽しみにしてる」
その明るい声にメレルエディスの口にも笑みが浮かんだ。
ヴィンセントのために刺繍をするのは初めてではない。家紋やイニシャルを刺繍して渡すのは、婚約者として当然のことだ。しかし、自分が考えた図案をプレゼントすることなど初めてだ。男性が好むであろうモチーフをどう図案化するか。メレルエディスは悩みに悩んだ。ようやく決めた図案はラドクスシド侯爵家に所縁のあるものにした。たくさんある色から糸を選び、いつもより丁寧に時間をかけて仕上げた。そして仕上がったそれにリボンをかけると、気分が高揚した。ヴィンセントに早く渡して喜ぶ顔がみたい。こんな気持ちになるのは初めてだった。
約束の日に訪ねると、いつものようにヴィンセントが笑顔で迎えてくれた。ヴィンセントの部屋に入るとすぐにメレルエディスはハンカチを差し出した。
「前に話していたハンカチが出来上がったの。気に入ってもらえるといいのだけど」
「ありがとう。楽しみにしていたんだ。うれしいよ。」
ヴィンセントはハンカチを受け取ると、すぐにリボンと解いて、刺繍に見入った。
「これは…僕のための図案なんだね」
立ったままそんなやり取りをしていた二人は、お茶を運んできた侍女の咳払いで慌ててソファーに腰を下ろした。そして互いの無作法に苦笑しあった。本来ならこんなに性急に物の授受が行われることはない。しかるべきタイミングというものがある。受け取った側もその場で開ける場合は、送り手に確認を入れるのがマナーだ。社交デビュー前のメレルエディスなら目こぼしされても、ヴィンセントは失態として数えられる。
「明日、友達に自慢する」
照れ臭そうにそういったヴィンセントの一言はメレルエディスの胸の奥深くに響いた。
メレルエディスは凡庸だ。容姿は整ってはいるが、飛びぬけて美しいわけではない。目が少し小さいというコンプレックスもある。勉強も並みで、上級貴族として最低限は満たしているといった程度だ。大人しい性格故に、話術が巧みなわけでもない。そんなメレルエディスのことをヴィンセントは自慢に思ってくれた。たかが刺繍1つで、礼儀を失するくらいに喜んでくれた。
(好きだわ)
メレルエディスは心の中でそっとつぶやいた。今まで抱いていた穏やかな愛情の中に、仄かな熱がともった。
数年が経ち、メレルエディスは社交デビューを迎えた。初めて施した化粧はメレルエディスを華やかにしてくれた。迎えに来たヴィンセントが軽く失言をしてくれたが、笑顔で見つめたら、少し顔をひきつらせて口を閉ざした。差し出された手にメレルエディスの手を重ねれば、少し照れたようにキレイだと褒めてくれた。あの時灯った仄かな熱は、いつの日かヴィンセントにも移った。そして触発し合い、日に日に熱さを増している。近かった互いの距離に、慎ましやかな距離ができ、それに寂しさよりもくすぐったさを覚えさせた。
ヴィンセントに手を引かれ、幾つかの夜会に出席したが、上級貴族として軽やかに社交をこなすシルフィアンナやエルザベルティのような華やかさをだすことはメレルエディスには難しかった。ヴィンセントの知り合いと挨拶を交わし、にこやかに相槌をうつので精一杯だった。大人しいメレルエディスに直接話しかけてくるような人はおらず、メレルエディスは己の不甲斐なさに落ち込んだ。
「メルにはメルに相応しい社交のやり方があるよ。シルフィアンナ様やエルザベルティ様のようにする必要なんてない。だいたい、素晴らしい令嬢方だけど、あんなの二人もいれば十分だよ」
ヴィンセントはそんな冗談を言っては慰めてくれたが、メレルエディスらしい社交というのが、いまいち分からなかった。
そんな中、出席したのはヴィンセントと同い年の子息がいる伯爵家の夜会だった。子息とその婚約者にいつものように当たり障りなく挨拶を交わすと、メレルエディスに直接話しかけてきた。
「お噂は兼ねがね伺っています。いつもヴィンセントが自慢してくるので、お会いするのを婚約者共々楽しみにしていたのです。実は、僕の婚約者がメレルエディス様の刺繍に惚れ込んでおりまして。良ければ話し相手になってくださいませんか?」
その申し出にメレルエディスは自然に口許が緩んだ。
「刺繍はとても好きなんです。そのように言っていただけるなんて光栄ですわ。こちらこそ是非お話しさせてくださいませ。」
彼女はとても明るく嫌味のない性格で、いろいろな話題を振ってくれるので、メレルエディスも楽しく過ごすことができた。ねだられて、ベルトライム侯爵家の別邸で刺繍の会を開いた際は、彼女の友人が数人来て、ゆったりと刺繍を楽しんだ。定期的に開いてほしい。参加したいと言っている人がいる。など、要望を聞いているうちに、いつの間にかサロンの主催者になっていた。メレルエディスはサロンに制限を設けなかった。参加したいと望む人がいれば、誰でも受け入れた。そんなメレルエディスのサロンに参加するのはだいたい3通りの人間だった。
1つ目は、刺繍を趣味とする者で、メレルエディスと同様に日がな刺繍を刺しているような人たちだ。彼女たちとは図案を交換したり、一緒に考えたりと、メレルエディス自身たくさんの刺激をもらえた。
2つ目は、刺繍が苦手だが、婚約者や意中の相手にプレゼントをするために教えを乞う人たち。彼女たちはプレゼントを仕上げると一時サロンを去っていくが、また何か作りたくなるとやってくる。彼女たちの懸命な姿はメレルエディスの心を温かくさせた。
そして最後は大人しい性格故にメレルエディスの庇護下に入りたいと望む人たちだ。人見知りのメレルエディスはサロンの参加者たちに大いに救われた。夜会や茶会の会場に見知った顔があれば安心して、それがたとえ下級貴族であろうと声をかけた。そうすると周りは上級貴族であるメレルエディスと親しく付き合っている者に下手な真似はできないと判断する。メレルエディスのなんの思惑もないその行動が彼女たちにとっては大きな救いとなったようだ。それを知ってからは、できるだけ多くのサロンの参加者に声をかけるように心がけ、社交シーズンを終える頃には夜会を苦痛だと思うこともなくなっていた。
社交シーズンも終わりを迎え、領地への帰還を前にメレルエディスはヴィンセントと一緒にお茶をしていた。初めての社交に打ち込むあまり、忘れていたが、メレルエディスが社交デビューを果たしたのだから、そろそろ結婚の話がでていてもおかしくはないのではないか。そう思って尋ねると、ヴィンセントの表情がほんの一瞬固まった。
「メル、うちが他の侯爵家とは違うことは知っているよね?」
「えぇ。皇領地の管理をしている侯爵家だって聞いているわ。」
「そう、うちは海軍の本拠地を管理している。本来なら伯爵家だが、上級貴族から圧力を回避するために、侯爵位を賜っている。そんな領地だから、不適任だと判断されれば、他の侯爵たちより簡単に爵位は取り上げられる。だから、僕は確実な実績が欲しい。メルが安心して嫁いで来られるような実績をつくるまで少し待っていて。」
実績なんていらない。ヴィンセントなら大丈夫。たとえ何かあってもずっとついて行く。だから早く結婚したい。頭を駆け巡った言葉を口にすることはできなかった。例え、互いに恋情を抱いていたとしても、二人の結婚は政略によるものだ。侯爵令嬢である以上、家への不利益を回避することが最重要だった。
「私はヴィーのことが好きよ」
結局口に出せたのはその一言だけだった。ヴィンセントはメレルエディスを抱き寄せると涙の浮かんだ目元にそっと唇を寄せた。
「そんなに待たせないよ。多分3,4年。その頃には結果が出る。」
正直なヴィンセントは結婚できるとは言わなかった。
「夏には船に乗って出かけてくるよ。お土産も買ってくるから。待っていて。」
それからのヴィンセントは兎に角多忙だった。お茶会の頻度はグッと減った。その分手紙のやり取りをするようになったが、それだけでは足りなかった。代わりに泊りがけで訪れるようになった客人が、メレルエディスのため息に首をすくめた。
「メル様。ちっとも上達しなくてごめんなさい。」
そう声をかけてきたのはコルネクター辺境伯家から馬を早駆けさせてやってきたパルディルーザだ。彼女は滅多にない程に刺繍のセンスがない。辺境伯家では彼女の教育に関して、刺繍だけは諦めていたようだ。そこに、メレルエディスの刺繍サロンの評判が入ってきたのだ。コルネクター辺境伯家とベルトライム侯爵家は隣の領地で本邸の位置も馬車で一日と近い。コルネクター辺境伯夫人は、どうにか家紋だけでも見れる形にしてほしいと懇願してきた。もともと、皇太子殿下の婚約者候補として親しくしていた間柄だ。メレルエディスはパルディルーザの訪問を歓迎した。パルディルーザは確かに覚えが悪かった。しかし、不出来な生徒ではなかった。
「ごめんなさい。少し、他のことを考えていました。パル様はきちんと上達していますよ。ほら、見て。縫い目が一定になってきている。皆さん地道な努力を嫌がるけれど、パル様はいつも真面目に取り組んでくれるから、きっときれいな刺繍ができるようになるわ」
メレルエディスがそう言うと、パルディルーザはほっとしたように微笑んだ。
「エレアノール様とはもう2年も会ってないのです。お手紙のやり取りはしているのですけど。この前、手紙で新しいハンカチが欲しいと言われてしまって。」
「ということは、以前にプレゼントしたことがありましたの?」
「婚約の時に。もう、恥ずかしい出来でしたけれど、エレアノール様は上手にできているよって言ってくださって。でも、どれだけ頑張ってもあの状態から前進しないのです。この年であれはないです。」
そう語るパルディルーザの目は恋をする少女のものだった。
(それにしても2年も会えてないなんて。)
たかだか数か月でへそを曲げている自分がなんだか恥ずかしくなった。
パルディルーザとの刺繍で季節は過ぎ、ハンカチが数枚出来上がった頃には秋の終わりを迎えていた。メレルエディスは社交のために帝都の別邸へと移動した。結局オフシーズン中はヴィンセントと会う機会はなかった。ようやく会えると思えば心が躍った。
別邸へ到着したメレルエディスは帰還の挨拶のため父と母がいるリビングへと向かった。いつもはしっかりと閉じられている扉が少し空いていて、そこから二人の話し声が聞こえた。
「ヴィンセント様はレビア共和国へ行かれたそうですね」
「愚かだな」
「そうなるように、けしかけたのは貴方でしょう?」
「私はただ実績を作れと言っただけだ。いつまでもあそこに縋り付いていられては困る。対局をみられないようではメレルエディスはやれん」
「それをまだ若いあの子に期待するの?」
父はそれに無言を返した。ヴィンセントがあの日メレルエディスに話さなかったこと。結婚時期の見送りはメレルエディスの父が言い出したことだったのだ。そして、父はこの話を聞かせることで、メレルエディスへの覚悟を促しているのだ。メレルエディスは大きく息を吐くと顔に笑みを張り付けて扉をノックした。
数日後、久しぶりに会ったヴィンセントはどこかすっきりとした表情をしていた。お土産だと渡されたのは美しい細工が施された裁縫箱だった。
「装飾品を贈るべきなんだろうけど、これのほうが一番長くメルの側にいられるでしょう?」
装身具は流行りに左右され、年齢との釣り合いもある。でも裁縫箱は一生ものだ。たとえヴィンセントとの婚約がなくなったとしても、メレルエディスが望めば婚家へ持ち込むことだってできる。
「大事に使うわ。お婆さんになっても。」
側にいるはずなのに、寂しさが募った。
それから1年が経ち、メレルエディスは18歳になった。ヴィンセントとの婚約は相変わらずそれ以降は進んでいない。上級貴族の友人であるソルティネレ侯爵家のシルフィアンナは挙式の日程も決まり、今は慌ただしく準備に追われている。今年社交デビューを迎えたパルディルーザも婚約者が外交官としての仕事を終えて帰国したため、シーズンの終わりには具体的に話が進むだろう。仲良くしている友人たちの結婚は純粋にうれしいが、このまま一人取り残されるのではないかという寂しさを覚えた。
今年の社交界は、一人の女性が話題をさらっている。ダロンドウッド侯爵家のロレーヌだ。そんな彼女がシルフィアンナの婚約者のダレングレイにエスコートをされて夜会へ出席した。後日、シルフィアンナに聞いたところ、皇太子殿下の依頼でエスコートをしたという。皇太子殿下の依頼であれば断れまい。その話を聞いた時から嫌な予感はしていたが、エルザベルティからの手紙を見て、耐え難い苦しみを覚えた。
今回のエスコート役はヴィンセントだったようだ。しかもこの上なく親し気な様子だったそうだ。ヴィンセントはすでにメレルエディスに見切りをつけたのかもしれない。そして、次の婚約者候補として彼女に目を付けたのかもしれない。
翌日、ヴィンセントの来訪を告げる侍女の声で起こされた。軽く身支度をすると、ヴィンセントが待つ応接室へと向かった。そこには普段では考えられないほど、ソワソワと落ち着きのないヴィンセントがいた。寝起きでぼんやりする頭でヴィンセントに目を向けると、どうしたのかとメレルエディスが尋ねるより先に、まくしたてるように話し始めた。
「浮気じゃないから」
「は?」(何の話?)
「ロレーヌ嬢をエスコートしたのは人から頼まれたからと、ちょっとした仕込みをするのに丁度よかったからで、全然、全く、興味はそそられなかったから」
「そう」(そういえばエルザベルティ様からお手紙をもらっていたわね)
「事情があってちょっと親しい距離でエスコートしたけど、ずっと頭の中で、隣にいるのはメルって唱えていた。」
「・・・」(それはそれで失礼なんじゃ・・・)
「メルじゃないとだめなんだ。」
消え入る様につぶやかれた最後の一言は、メレルエディスの心に深い安堵をもたらした。それでもわずかに残る不満から、わざとヴィンセントを詰ってみた。
「ヴィーは私に見切りをつけてしまったんじゃないの?」
「僕はメルを諦めるなんてできないよ。」
そう言ったヴィンセントはひどく傷ついたような表情を浮かべた。それを見てメレルエディスは我が身を振り返った。見切りをつけようとしていたのは自分の方だったのではないか?このところ、証を欲しがるように口づけをねだるようになったヴィンセント。それを断るのは思い出を積み重ねることが怖かったから。一人で勝手に悲観的になって、別れに対する心の準備をしていた。本当なら、頑張っているヴィンセントの心を支えてあげなければいけないのに。
「私もヴィーを諦めるなんてできないわ。」
侯爵令嬢としてみせてはいけないと思っていた本音をこぼせば、少し驚いたように目を見張って、安心したように破顔した。
ヴィンセントに二人の未来がかかっているのだと思っていた。でも、メレルエディスにも未来を作る力はきっとある