妖精姫 シルフィアンナ
ザハラント辺境伯家のダレングレイがソルティネレ侯爵家のシルフィアンナと婚約をしたのは、ダレングレイが10歳の時だった。当時、15歳だった皇太子の婚約者が内定したことで、候補となっていた令嬢方が婚約者探しを始めた時期だ。
ソルティネレ侯爵家はザハラント辺境伯家、カストラディル公爵家と領地が隣接している。そして、カストラディル公爵家の領地の向こう側は皇領地。次男のダレングレイをソルティネレ侯爵家に婿入りさせることは、ザハラント辺境伯家にとって大きな旨味があった。
成長の早かったシルフィアンナと、遅かったダレングレイの身長は、当時、頭一つ分シルフィアンナが高かった。小さなダレングレイをシルフィアンナは弟のように可愛がった。今まで見た誰よりも可愛らしく、優しいシルフィアンナをダレングレイはすぐに好きになった。遊びに行けば、美味しいお菓子が用意してあって、手ずからお茶を入れてくれた。ダレングレイの取り留めのない話を嫌がらずに聞いて、優しく頭を撫でてくれる。幸せだと思っていたその時間を苦しいと思いだしたのは、婚約を交わしてから2年がたった頃だった。ダレングレイは未だにシルフィアンナの身長を超すことができず、シルフィアンナは未だダレングレイの“姉”だった。
(フィアの成長がこのまま止まりますように)
ダレングレイは毎日のように祈った。
祈りが届いたかは定かではないが、シルフィアンナの成長は止まった。そして、それと反対にダレングレイに成長期が訪れた。
数か月ぶりに会った時、シルフィアンナは目を丸くして驚いて、”可愛くない“と言って、少しいじけた。その後もダレングレイの身長は伸びていき、昔とは逆にダレングレイの方が頭一つ分シルフィアンナより高くなっていた。そうなると、昔、シルフィアンナがダレングレイを”可愛い“”可愛い“と連呼していた気持ちが少しだけわかるような気がした。気が付けばシルフィアンナに手を伸ばし、”可愛い“が口をついて出てくる。頬を少し赤らめて、複雑そうな表情を浮かべるシルフィアンナに胸の奥がざわつく。今、ダレングレイの目の前にいる彼女は全然”姉“ではなかった。シルフィアンナに追いついた。そう錯覚した。
穏やかな時は長くは続かなかった。16歳になったシルフィアンナが社交界デビューを迎えたからだ。ダレングレイが立ち入ることができない大人の世界に彼女は一人で旅立った。
領地に残っていては帝都に行ってしまったシルフィアンナとはシーズンが終わるまで会うことはできない。ダレングレイは両親に頼み込んで、その年は帝都で過ごす許可をもらった。そのかいあって、シルフィアンナとは今までにない頻度でお茶を共にすることができた。
しかし、シルフィアンナに会える喜びは日に日にしぼんでいった。彼女の頭の中は、初めての社交界でいっぱいだった。夜会がいかに素晴らしかったか。どこの庭が美しかったか。誰のサロンが楽しかったか。彼女の世界は一気に広がっていた。ダレングレイが同じ年だったなら、同じ喜びを分かち合えたのに。ダレングレイが年上だったなら、初めての世界に頬を染める彼女を微笑ましく思えただろうに。年下のダレングレイは、作り笑いを浮かべて、相槌を打つことしかできなかった。
そんなある日、母と兄嫁の会話が耳に入った。
「お義母さま、シルフィアンナ様はあのままでよろしいのですか?」
「今シーズンは様子見をするわ」
「上級貴族ですもの。今シーズンは何もせずとも大丈夫でしょうからね。でも、今の状態だと来シーズンからの社交は難しくなってきません?」
「まだ始まったばかりですもの。あの子が何を学びどう成長するか。花咲く芽ならば育てましょう。ただの草なら摘み取らねば」
「ご子息の婚約者ですのに、少し冷たくありませんか?」
「ザハラント辺境伯家の嫁ならば有無を言わさずしごきます。でもあの子はソルティネレ侯爵家の人間ですもの。対等な者として遇するか、操り人形の一つにするか、我が家の益となる扱いをするのは当然でしょう?」
義姉の深いため息でその話題は幕引きとなった。ダレングレイが感じたのは母の厳しさと社交界の恐ろしさだった。そんな恐ろしい世界で、シルフィアンナは何も知らずに笑っているのだ。助けたい。どうやって?ダレングレイは無力すぎた。お茶会のたびに、母達の話をすべきか迷った。でも、話してどうなるというのだろう。有効なアドバイスひとつできやしないのに。
それからしばらく後、母から呼び出しを受けたことで状況が一変したことを知った。母の予想を大きくそれて、シルフィアンナは今年一番の話題の花となった。未来の義母として、初手で出遅れた母が今更彼女に近づくことはできなかった。
「ダレングレイ、あの子はこれから更に大きく花開くでしょう。あの容姿に騙されて、それを見抜けなかったのは、私の大きな失敗だったわ。あなたは社交デビューであの子のエスコートをすることになる。辺境伯子息として、あの子のドレスの陰に隠れているなんて無様な姿を見せぬように」
若干の悔しさを見せながらも、誇らしげに笑う母にダレングレイは返事を返すことができなかった。シルフィアンナが辛い思いをするなんてことは望んでいない。でも、こんな風にダレングレイを置き去りにどんどんと進んでいくシルフィアンナが憎らしかった。
(きっとこうして、僕は一生フィアに追いつけない)そう思えば、苦い笑いが込み上げた。
一人残された談話室で、暮れていく庭を静かに眺めていた。
「ダレングレイ?いるの?」
ノックの音と共に、義姉の声が聞こえた。
「はい」
と返事をして顔をあげれば、部屋にはいつの間にか明かりがともされていて、ドアの所には少し困ったように微笑む義姉がいた。
「お義母様とお話をしたと聞いたのだけど、何かあった?」
優しい言葉にダレングレイは思わず弱音をはいた。
「フィアがどんどん遠くに行ってしまうような気がして」
「寂しい?」
義姉の問いにコクンと1つに頷いた。図体ばかり大きくなって、自分は何て幼いのだろう。義姉に甘えている自分が急に恥ずかしくなって唇をキュッとかみしめた。
「そう。それであなたはどうするの?指を咥えて眺めるだけ?」
(そんなのイヤだ)
ダレングレイの叫びは声にならなかった。言ってしまえば、駄々をこねる子供と一緒だ。
「シルフィアンナ様が皇太子殿下の婚約者候補だったのは知っているわね」
「はい」
「婚約者候補の中で、シルフィアンナ様は最も優先順位は低かったの。彼女は侯爵家の跡取りですもの。皇家としても、余程のことがない限り、選ばないと予めお話をしていたようなの。だからといって、候補の令嬢方の中で最年長であるシルフィアンナ様が他より劣っている等あってはならないでしょう?だから子供の頃から、ずっと厳しく教育されてきたそうよ。婚約者候補から外れた後は、婿を迎える立場として、家に不利益をもたらすことがないように、領地経営に関しても学ばれていると聞いたわ。
ダレングレイ、彼女はあなたより2年も長く、たくさんの努力を続けているの。彼女と並び立ちたいと願うなら、いじけてなどいないで、形振り構わず足掻きなさい」
普段、おっとりとした義姉から発せられた厳しい言葉にダレングレイは目を丸くした。
「義姉上、社交とはどんなものなのでしょう。何をどう努力すればいいのか。僕にはそれすら分からない。」
頑張りたい。でも頑張り方がわからない。そんなダレングレイの問いに義姉は優しく微笑んだ。
「社交とは人付き合いです。ですから、相手から好かれること。それが最初の入り口です。ルードアッシュ様にお話をしておきます。お兄様に着いていって学びなさい」
義姉の後押しを受けて、ダレングレイは皇太子殿下達との会合に参加させてもらえることとなった。
初めての参加に緊張したダレングレイだったが、皇太子殿下や他のメンバーも好意的に受け入れてくれた。兄のルードアッシュとカストラディル公爵家のアルトレイク様、ポートフォロー辺境伯家のエレアノール様は皇太子殿下の遊び相手として幼い頃からの付き合いがある。そのため、端々に気安さがみえた。侯爵家のヴィンセント様は社交デビュー後からの付き合い故に一歩引いた位置にいるが、穏やかな笑みを浮かべながら、しっかりと存在感をしらしめる発言をする。楽しげな雑談に見せかけた、情報のやり取り。個々の判断力の確認。たまに混じる下世話な話も何かを揶揄しているのだろうか?ダレングレイは真剣にそれらを吸収すべく聞き入った。
「ダレングレイ、また次回もアッシュと一緒においで」
皇太子殿下に頭を撫でながら言われて初めて、人に好かれることが第一だと言った義姉の言葉を思い出した。皇太子殿下に受け入れられた喜びに笑みを浮かべると、思い出したように笑いながら言葉を続けた。
「あぁ、それから猥談はただの猥談だ」
ダレングレイは皇太子殿下に気に入られた。素直で可愛い弟分として、おおいに弄られつつも、ダレングレイの社交は磨かれていった。
2年が過ぎ、ダレングレイは社交デビューを迎えた。シルフィアンナを迎えにソルティアナ侯爵家を訪ねれば、時を置かずに美しくドレスアップしたシルフィアンナがエントランスに姿を見せた。丸い目には過度な化粧は施されておらず、髪型も左右に一房ずつ残された髪が頬の辺りでパツンと切り揃えられていて、シルフィアンナの幼げな容姿を更に幼く見せていた。ダレングレイが差し出した手に置かれた手は思っていた以上に小さかった。もう決して取り残されたりはしない。シルフィアンナを守るのは自分だ。そっと心の中で誓った。
皇太子殿下の所に出入りしていたお陰か、ダレングレイが話題に困るということはなかった。様々な領地の情報を仕入れ、貴族間の繋がりも学び、人を惹き付ける話し方を身につけた。シルフィアンナの交友関係にダレングレイが加わることで、繋がりはより深くなった。シルフィアンナがダレングレイをたてる言動をすることで、円滑に進んでいるのだということも十分に理解していた。シルフィアンナに守られている自分にうんざりすることは多々あれど、自己嫌悪に足止めされる時間が惜しかった。だから、シルフィアンナすらも利用してダレングレイは社交界の足場を固めていった。
数年がたち、ダレングレイは19歳になった。来年には漸くシルフィアンナと夫婦になれる。シルフィアンナは結婚準備のため、露出が控えめになっていた。ダレングレイはその穴埋めのため、あちこちの夜会に顔を出していた。辺境伯子息のダレングレイは跡取りでもなく、婚約者もいるにも関わらず、かなりの数の女性からアプローチを受ける。ダンスを踊る程度ならよいのだが、それ以上の誘いには正直辟易していた。だから、夜会も中盤になると、こっそり庭園に逃げ出して時間を潰した。
抜け出した庭園のベンチに腰かけてホッと一息ついたところで、話し声が聞こえてきた。そちらに目をやればヴィンセントと彼の婚約者の姿が見えた。彼らはダレングレイに気づかない様子で、楽しげに笑いあっている。(声をかけて、場所を譲るか)そう思って浮かせかけた腰は、再度ベンチに下ろされた。ヴィンセントが彼女を抱き寄せて目元に唇を寄せたからだ。
「もぅ。目元はやめてって言っているじゃない。化粧が落ちたらどうするのよ」
「別にいいじゃない。化粧が落ちてもかわいいよ」
「…意地悪だわ。キスするなら頬か額にしてちょうだい」
「唇にしていいなら考えるけど」
「……ダメよ。だって結婚前なのに…」
「・・・残念」
彼女の答えにヴィンセントは肩をすくめると、そろそろ戻ろうと、ふたりで会場の方へ歩いて行った。
ダレングレイは詰めていた息を吐き出した。ヴィンセントが婚約者を大事にしているのは、彼の話しぶりから分かってはいたが、実際のやり取りを覗き見るに至って少なからぬ衝撃を受けた。彼らの空気は恋人の空気だった。ダレングレイとシルフィアンナの間には流れていない甘さがあった。
ダレングレイの初恋はシルフィアンナだ。初めての会った時から今に至るまで、ずっと彼女だけを思ってきた。いずれは夫婦になるという安心感と、シルフィアンナから注がれる親愛に今まで考えることすらしてこなかった。
(シルフィアンナは僕のことをそういう意味で好きではないんじゃないだろうか)
翌日、ダレングレイはシルフィアンナを訪ねてソルティアナ侯爵家にやって来た。シルフィアンナの笑顔を見て安心したかった。突然訪ねてきたダレングレイに驚きつつも、嬉しそうに招き入れてくれた。
「ちょうど良かった。結婚式のことでダグに相談したいことがあったの」
そう言って幸せそうに笑うシルフィアンナの表情を見れば、きちんと望まれているのだと思えた。
シルフィアンナの質問に答えながら、ダレングレイは彼女の顔を食い入るように見ていた。まばたきの度に震える長いまつげ、ふっくらと柔らかそうな頬、そして艶やかな唇。
(フィアに触りたい)
そう思ったのが先か、手が動いたのが先か。ダレングレイは指の先でシルフィアンナの頬をそっと撫でた。シルフィアンナが驚いたように視線をあげ、ダレングレイを見てピシリと固まった。
「ダグったら、きちんと考えている?」
上擦った声でそう言うと、ダレングレイから逃げるように少し身を引いた。
(拒否された)
ダレングレイは口の端に苦い笑みを浮かべた。
(フィアは僕に触れられたくないのだろうか?それとも、ただちょっとビックリしただけ?)
あれからずっとシルフィアンナの気持ちを考えたが、ダレングレイにはさっぱりわからなかった。笑顔で迎えてくれるシルフィアンナが、実はダレングレイを嫌っていることだってありえるのかもしれない。可能性を考え出せばきりがない。かといって、もう一度シルフィアンナに行動を起こすなんて勇気はなかった。
「ダグ、君はロレーヌ嬢の噂は知っているか?」
そう聞いてきたのは、悪戯気な笑みを浮かべる皇太子殿下だった。
「婚約者のいる男ばかりエスコート相手に選んでいる女性ですよね」
「そう、その彼女のことなんだけどね。もう一つの噂の方は?」
「いえ、聞いたことないですが・・・」
「彼女のエスコートをした男は、その後婚約者との関係が目に見えて良好になっているらしいよ。気にならない?」
大いに気になった。別の女性をエスコートしたダレングレイにシルフィアンナがどのような反応をみせるのかも見てみたいと思ってしまった。シルフィアンナの気持ちを確かめるような行動は褒められたものではないだろうが。わずかな逡巡を皇太子殿下は見逃さなかった。
「ちょっと試してみてよ。シルフィアンナ嬢には僕からエスコートするよう言われたとでもいえばいいさ」
その言葉に押されて、ダレングレイはロレーヌとの約束を取り付けた。
約束の夜会の日、ダロンドウッド侯爵家に迎えに訪れると、侯爵本人が何とも言えない表情でダレングレイを出迎えた。
「今日はダレングレイ殿が娘のエスコートをしてくださるのですね。どうか娘をよろしくお願いします」
言葉とは裏腹に、お願いだから連れ出してくれるなと言わんばかりの侯爵に、ダレングレイの胸に罪悪感が湧き上がる。
「実は皇太子殿下に彼女をエスコートするように言われたのです。私と同世代の婚約者のいない友人たちにロレーヌ嬢を紹介したいと思っております。ご令嬢のことはしっかりお守りしますので、ご安心ください。」
「皇太子殿下にそのようなお気遣いをいただくとは。本当に恥ずかしい限りです。」
気遣ってもらえた喜びと、身内の恥を知られていることへの羞恥とで、目を少しさ迷わせた侯爵は、それでも口許に笑みを浮かべた。皇太子殿下から誰かを紹介するように言われたわけではないが、いい具合に勘違いしてくれたようだと、内心で安堵の息をはく。後で皇太子殿下には口裏をあわせていただければいいだろう。
エントランスに姿を見せたロレーヌは噂に違わず美しい女性だった。細身ですらりと伸びた高い背が人目を引く。プラチナブロンドの髪は完全に結い上げずに背に流していて、美しさへの自信を感じさせた。優し気な目元に反して、口許に浮かべる笑みは妙に婀娜っぽい。引く手あまたなのもうなずける。納得しながら、彼女を馬車へエスコートした。
「今夜の夜会におけるダレングレイ様の成功はどのようなものですか?」
馬車が走り出すとすぐにロレーヌがダレングレイに問いかけてきた。ダレングレイには彼女の質問の内容が本気で理解できなかった。
「シルフィアンナ様とダレングレイ様は仲が良いと評判ですわ。それなのに私のエスコートに名乗りを上げたのは、望みがあるのでしょう?シルフィアンナ様のどのような感情が欲しいのですか?」
「僕はフィアが僕に向ける愛情の種類が知りたい。」
ロレーヌの声音に誘われて、スルリと本音が零れ落ちた。
「恋愛であることを望んでいるのですね。分かりました。シルフィアンナ様の性格上、どのような形であれ、愛情を持った相手であれば、夜会の会場に乗り込んできます。シルフィアンナ様の嫉妬心を煽ることができれば成功ということですね」
ロレーヌは納得したように一つ二つ頷いた。
「シルフィアンナ様を挑発する言動をとることをお許しくださいませ。あと、シルフィアンナ様がお迎えに来られましたら、私のことは馬車の手配だけしていただければ問題ありませんわ」
「侯爵に君をきちんと守るとお約束して連れ出しているのに、そのような無責任はできませんよ」
「では、どなたか信頼できる方に託してくださいませ。私、そこまでの無粋はできませんもの。」
ロレーヌの言う通り、シルフィアンナが姿を見せれば、彼女を一人にすることなど考えられない。となると、三人で馬車に乗るのか。それは絶対にありえないだろう。
「申し訳ない。絶対信頼できる人間に頼むから。」
会場に入ると、すぐにカストラディル公爵家のアルトレイクと目があった。こちらに気付いた彼は、隠す様子もなくこれ見よがしなため息をついた。
「後始末は私がする。」
アルトレイクは近づいてくるとそれだけをつぶやいて、さっさと離れて行った。
「私の帰りは彼が面倒を見てくださるということかしら」
「だと思います。彼なら信頼できます(愛想は壊滅的にないけれど)」
侯爵に約束した通り、友人たちにロレーヌを紹介して周っていると、アルトレイクに手をひかれて、シルフィアンナが姿を現した。
後のことなどすべて忘れ去っていた。ただ、ここにシルフィアンナが来てくれたということだけがたまらなく嬉しかった。思わず近寄ったダレングレイにシルフィアンナの表情に安堵が浮かんだ。挑発するとの言葉通りに、ダレングレイの腕に手を絡めてきたロレーヌが、シルフィアンナに対して最も言ってはいけないことを口にした。
幼さを残した顔が怒りに赤く染まる。ダレングレイの胸までしかない小さな身長を精一杯怒らせて、ツンと仰向くあご。発せられる言葉は大人のそれなのに、容姿のせいで機嫌を損ねた子供のように見える。シルフィアンナのそんな姿に湧き上がってきた感情は、ほの暗さを帯びた愛情だ。シルフィアンナを愛でていたダレングレイはすっかり仕事を忘れていた。アルトレイクにダンスに誘われたロレーヌは、呆れと侮蔑のこもった目でダレングレイを見ると、その場を去っていった。
帰りの馬車の中で、恐る恐るシルフィアンナに声をかける。
「フィア怒っている?」
「怒ってないように見えるのならどうかしているわ」
そう言いつつも、シルフィアンナはどこか嬉しそうだ。
「ちょっと付き合いでね。断れなかったんだ。でも、こうしてフィアが来てくれるなんて思ってなかったから、すごく嬉しかった」
シルフィアンナの表情に勇気をもらって、彼女の髪をそっと梳く。
「ねぇ、フィア?」
緊張で乾いた唇からようやく言葉を絞り出すと、シルフィアンナが上目遣いにこちらを見る。その瞳にあるのは怯えだろうか。
「愛しているよ」
そっと紡いだ言葉はシルフィアンナにどう響いただろうか。
シルフィアンナはダレングレイの向かいから隣に座りなおすと、そっと彼の肩に寄り掛かった。
「私も愛しているわ」
その言葉に籠った思いは、ダレングレイが望んでいた愛情が確かにあった。