いとけない シルフィアンナ
ソルティネレ侯爵令嬢シルフィアンナが2つ年下のザハラント辺境伯子息のダレングレイと婚約をしたのは、彼女が12歳の時だった。皇太子殿下はシルフィアンナの3歳上で、上級貴族の中で彼女が一番年齢的な釣り合いがとれていた。だが、シルフィアンナの2歳下には、すでに才女の片鱗をみせていたカストラディル公爵令嬢のエルザベルティ、そして更に5歳下には皇太子殿下が溺愛している従妹姫のディクサムスタ公爵令嬢のサーラレミリア、という筆頭候補がふたりも存在していた。
上級貴族の立場上、皇太子殿下の婚約者が決まるまでは婚約者候補として名を連ねていたが、水面下ではすでに交渉はおこなわれていたようだ。婚約者決定の知らせがもたらされると、すぐに顔合わせの場が設けられ、あっという間に婚約は結ばれた。
10歳のダレングレイはとても愛らしかった。焦げ茶色の髪はクリクリとしたくせ毛で、二重の目は子猫のように真ん丸だった。お菓子を前にすると弛む口許、身振り手振りを加えて紡ぐたどたどしい会話、シルフィアンナに頭を撫でられて赤く染まる頬。全てがかわいらしかった。婚約者というより弟ができたような気持ちだった。一人っ子のシルフィアンナはそれが嬉しく、殊更に大人ぶった態度で彼に接し、2~3か月に1度訪れるダレングレイを心待ちにしていた。
2年が経ち、12歳になったダレングレイは以前のような笑顔を見せなくなった。シルフィアンナが頭に触れようとするとあからさまに避ける。笑顔は見せるものの、困ったような苦笑が多かった。シルフィアンナと並んで歩くのを避けているようで、庭園の散策はいつもダレングレイの頭ばかりみていた。それはシルフィアンナの心をすり減らしたが、年長者の意地でいつも通りを貫き通した。
(これが反抗期というものなのかしら?)
ダレングレイが帰っていくのを見送ったあと、シルフィアンナは深くため息をついた。
その後も以前のような笑顔を見るために、シルフィアンナは懸命に“優しい姉”であり続けた。ダレングレイにしてみれば明後日な努力の仕方であったが、良好な関係でいるためにそれが彼女にできる精一杯だったのだ。
変化は唐突に訪れた。会わなかった期間はいつも通り3か月。憂鬱を隠し、口許に無理やり笑みを浮かべて待っていたシルフィアンナの前に現れたのは、明るい笑みを浮かべるダレングレイだった。まずはその笑顔にあっけにとられ、次に目線の高さに驚いた。今まで、確実に下にあった彼の目が今は同じ高さでこちらを見ている。もしかしたら、シルフィアンナより少し高いかもしれない。ダレングレイは分かりやすくご機嫌で、優しくシルフィアンナの手を取ると、腕を絡めての正式なエスコートをしてくれた。あまりの態度の違いにあっけにとられ、されるがままのシルフィアンナにダレングレイは始終笑みを浮かべていた。それに微笑み返す余裕がシルフィアンナにはなかった。
(やっぱり反抗期だった!きっと身長が伸びない八つ当たりをされていたんだわ)
シルフィアンナの中にあった年長者の意地は木っ端微塵に弾け飛んだ。キッとダレングレイを睨みつけると「全然かわいくない」と言って、そっぽを向いた。全然“優しい姉”じゃないシルフィアンナにダレングレイは久しぶりに声をあげて笑った。
その後、会うたびにニョキニョキと伸びていく身長は、あっという間にシルフィアンナより頭一つ分高くなった。シルフィアンナに向ける笑顔は昔のような愛らしさは微塵もなく、どこか意地悪な光を宿している。シルフィアンナの髪を指ですきながら、「可愛い」を連呼されるのは嫌ではないが、釈然としない。「可愛い」かったのはダレングレイだったはずなのに。ちょっと目を離したすきに、シルフィアンナの可愛いダレングレイは永遠にいなくなってしまったのだ。
心が全く追いつかないまま、シルフィアンナは一足早く社交デビューを迎えた。侯爵令嬢であるシルフィアンナに対し、周りの対応は至極丁寧だった。ダンスの誘いは引きを切らないし、貴婦人方からのお茶会の誘いも多くあった。シルフィアンナはその付き合いを大いに楽しんだ。
ある日の夜会で、控室に向かっていたシルフィアンナの耳に男性達の雑談が聞こえてきた。雑談の内容はお目当ての女性を当てあうという、他愛もないものだった。常ならば気にせずに通りすぎるところだが、そこにシルフィアンナの名前が聞こえて思わず立ち止まった。
「シルフィアンナ嬢はどうなの?」
問いかけた声に真剣みは全くなかった。ありえないのが分かっていて、あげつらいたいというのが、透けて見えた。
「ここでその名前をだしちゃうの?かわいそうでしょ」
「確かにかわいいけど、ないよな。ダンスに誘うだけでもなんだか悪いことしている気分になるし」
「3歳くらいサバよんでそうだよね」
楽しそうに笑いあう男たちの声に、シルフィアンナは唇をかんだ。シルフィアンナにはダレングレイという婚約者がいる。だから、彼らに心惹かれるなんてことはなかったが、彼らの言葉は彼女の自尊心を大いに傷つけた。シルフィアンナは他の令嬢に比べて小柄で華奢だ。顔立ちも幼さが残っている。背伸びして大人びた髪型、大人びた衣装を身に着けていたことが、あだとなったのかもしれない。シルフィアンナは控室に駆け込むと、ソファーに身を沈めた。彼らの言葉によって、引き出されたのは最近のダレングレイに関する不安だった。
一時のご機嫌が嘘のように、最近の彼は笑顔に影ができた。以前のように拒絶されるわけではないが、態度がよそよそしくなっていた。物言いたげな視線を感じることもあった。それは、シルフィアンナのこの幼い見た目に物足りなさを感じたからではないだろうか?
(そういえば最近「可愛い」っていわれてない)
考え始めると、それが正解のような気がしてきた。急激に身長を伸ばしたダレングレイは、顔から丸みが消え全体的に大人っぽくなった。そんな彼に対して、距離感を図りかねていたというのに、更にどう接すればいいのか分からなくなってしまった。この日、シルフィアンナは早々に夜会を後にした。
その後のシルフィアンナはというと、落ち込んで引きこもる、などということはなく、吹っ切った。大人ぶるのをやめた。顔立ちも体形も努力だけではどうにもならない。ならば、大いに活用しなければ。彼らの気を引く必要などないのだから、妹のように可愛がられるよう、振舞おう。そんなシルフィアンナの企みは、思った以上にうまくいった。彼らはシルフィアンナに対して口が軽くなり、沢山の情報を落としていく。すると、情報を求めて貴婦人たちからの誘いもさらに増える。
そんな中、シルフィアンナは運命の出会いをはたす。アールガーネス公爵家の前公爵夫人で、現王の叔母にあたるティアリネージュ皇女殿下だ。彼女は音楽をこよなく愛していた。年若い令嬢・令息を集めては、その腕を競わせる。そこに身分の上下は関係ない。彼女に気に入られた者だけが次回のサロンへの参加権を得る。シルフィアンナはピアノを嗜んではいたが、特に秀でた腕前というわけではない。ピアノではどうあってもサロンに残ることはできない。シルフィアンナは悩みに悩んだ末、自らの声で勝負をすることに決めた。音楽が好きだというのなら楽器である必要はないだろう。
当日、最後にステージに上がったシルフィアンナの手は何も持っていなかった。かといって、設置してある楽器に近寄るでもなし。一同が困惑の表情を浮かべる中で、ティアリネージュだけが笑みを浮かべた。その表情に後押しされるようにシルフィアンナは歌い始めた。シルフィアンナの歌は技術的に高いとは言えなかった。ただ、空気に溶けるように響く声は美しく、思わず聞き入ってしまう魅力があった。
「風の妖精シシリーヌはその歌声ひとつで、風を起こすと言われているわ。夏の草原を走る涼やかな風、秋の海に竜巻く暴れる風、冬の山を吹き下りる凍える風。あなたの歌は花香る春風のようだったわ。次はどんな風を吹かせてくれるのか楽しみにしているわ、妖精姫」
歌い終えたシルフィアンナにティアリネージュはそう声をかけた。それはこの日、一番の評価だった。シルフィアンナは家に帰るとすぐに声楽の教師を手配した。そして社交のために始めたはずの音楽に、いつしかシルフィアンナの心を捉えられた。音楽を心から楽しむシルフィアンナとティアリネージュの距離は必然的に近くなっていき、頻繁にお茶会に招かれるようになった。シルフィアンナは皇女殿下お気に入りの歌姫として、更に多くの貴族たちの関心を集めて行った。
こうして、シルフィアンナは上級貴族としての足場を着実に固めていった。ダレングレイとの関係に目をつむったまま。
シルフィアンナの社交デビューから2年後、ダレングレイが社交デビューを迎えた。シルフィアンナをエスコートするために現れたダレングレイは文句なしに素敵だった。これまでの2年間で沢山の男性と知り合った。会話を楽しみ、ダンスを楽しんだ。シルフィアンナの手を取る彼らの心の中が、シルフィアンナを侮るものであったとしても、全然平気だった。シルフィアンナ自身が彼らを侮り、どう手玉にとるか考えを巡らせていたから。今、ダレングレイに手を預けることにここまで心が震えるとは思わなかった。手を取る瞬間、彼がどのような顔を見せるのかが怖かった。幼く見える容姿をあざとくも最大限に利用しておきながら、ダレングレイの隣に並ぶ幼い自分の姿が恥ずかしかった。
ダレングレイがシルフィアンナの手を取るまでの時間がとてつもなく長く感じた。貼り付けた笑みはダレングレイにどのように見えていただろう。ダレングレイはシルフィアンナの手を一度軽く握ると親指の腹で手の甲を撫でた。シルフィアンナの手が驚きに軽く震える。ダレングレイの唇がゆっくりと弧を描き、目に隠しきれない喜びを浮かべた。その表情で、シルフィアンナはストンと納得した。自分の中に育っていた感情に。ダレングレイがシルフィアンナに向ける感情に。それはきっと同じものだった。
あれから数年がたち、シルフィアンナは21歳になった。同年の令嬢方はみんな10代のうちに結婚したが、シルフィアンナはダレングレイが20歳になるのを待って結婚する。婿を迎えるソルティネレ侯爵家が結婚式を主導するため、シルフィアンナは社交と結婚準備で忙しく過ごしていた。ダレングレイには申し訳ないが、彼一人で参加する夜会も増えていた。そんなおり、先触れもなくダレングレイが訪ねてきた。驚いて出迎えたシルフィアンナに「フィアの顔がどうしても見たくなって来ちゃった」と言って申し訳なさそうに笑った。社交デビューから言動がグッと大人びた彼は、時折こうしてシルフィアンナに甘える。大人の雰囲気を纏ったダレングレイはシルフィアンナの鼓動を速くさせ、子供のように甘えるはシルフィアンナの心をくすぐる。そんな彼の行動は意識下か否か、シルフィアンナに図ることはできない。ただ、ダレングレイへの愛しさが募る。
「ちょうど良かった。結婚式のことでダグに相談したいことがあったの」
だからシルフィアンナは甘えるふりをして、甘やかした。
リビングのソファーに並んで腰をかけて、幾つかの書きつけをダレングレイに見せながら説明を入れる。シルフィアンナの質問に答えるダレングレイの口調は少し上の空だったけど、互いのちょっとした息抜きとあまり気に止めなかった。そんな時、急にシルフィアンナの頬を何かが撫で上げた。驚いて上げた視線はこちらをじっと見つめるダレングレイの視線とぶつかった。その瞳の中に明らかな欲を見つけて、シルフィアンナは動揺した。シルフィアンナの中に最初に起こった感情は怯えだった。
「ダグったら、きちんと考えてる?」
咄嗟に逃げながら漸く出した声は震えていた。その時、ダレングレイが浮かべた笑いはシルフィアンナに対する呆れだろうか。
数日間、鬱々と過ごしたシルフィアンナは招かれていた茶会の場でもその気持ちを隠せなかったようだ。
「ダレングレイ様と喧嘩でもした?」
そう聞いてきたのはエルザベルティだ。
「してない」
「でも、ダレングレイ様も最近沈んでいるみたいですよ」
ヴィンセントが言っていました。と、ベルトライム侯爵家のメレルエディスがおっとりと切り込んでくる。
「喧嘩はしてない」
「じゃあ、何をしたの?」
言葉尻をとって、尋ねてくるのはコルネクター辺境伯家のパルディルーザだが、本人には揚げ足とっている自覚はない。
「ダグがいつの間にか大人の男になっていた」
エルザベルティとメレルエディスが呆れを露にした納得の表情を浮かべるなか、パルディルーザは隣に座っていたサーラレミリアに「どういうこと?」と尋ねている。サーラレミリアはにっこりと微笑みを浮かべたままゆっくりと首を傾げた。明らかに尋ねる相手を間違えているが、2人のやり取りに少し心が和んだ。
「ダロンドウット侯爵令嬢のロレーヌ様が今年社交デビューしたのは知っていて?」
「ロレーヌ様と言えば確か8歳頃に侯爵家に引き取られた庶出の方よね」
エルザベルティの急な話題転換に首を傾げつつ、頭の中から情報を引っ張り出して答えた。
「所作も話術も申し分ないし、容姿もとても美しくいらっしゃるのですけどね、ちょっと困った癖があるようなの」
「あぁ、今話題の方のことですね。婚約者のいる男性ばかり渡り歩くって噂の。」
エルザベルティの口振りに思い至ったようにメレルエディスが答える。
「ただでさえ露出が減っているのだから、余計な虫がつかないよう注意なさい」
クスクスと笑いながら不吉な予言をするエルザベルティを軽く睨みつけながら、ダレングレイについてあれこれ聞かれなかったことにホッと息をついた。
ロレーヌという令嬢が何やらやらかしているとしても、こちらは同格の侯爵令嬢な上、嫡出子。問題はないだろう、と放置していた。そこへ耳を疑う知らせが入ってきた。
「お嬢様、先ほどエルザベルティ様のお使いの者が参りまして、ダレングレイ様があのご令嬢をエスコートして夜会にいらっしゃったとのことです。」
侍女の言葉にシルフィアンナは驚きのあまり、目をパチパチさせることしかできなかった。
「それは・・・。間違いなくエルザベルティ様のお使いでして?」
悪質な嫌がらせの可能性を考慮して、念のため問うと、侍女は大きく頷いて、一枚のハンカチを差し出した。
「こちらをお預かりしました」
カストラディル公爵家の家紋が刺繍されたハンカチには、口紅でとある伯爵家の名前が記されていた。この大雑把さが実にエルザベルティらしい。
「大至急、出掛ける準備を」
シルフィアンナの命に応じて、侍女たちは突貫だとは思われないよう、完璧にシルフィアンナを仕上げた。途中、多少乱暴に扱われたが、今回ばかりは感謝と共に口をつぐむことにした。
シルフィアンナが会場に姿を見せると、周りが少しざわめいた。いつもなら、挨拶に寄ってくる者たちも、気まずそうに視線を背ける。適当に人を捕まえて、ダレングレイの居場所を聞こうと思っていたが、こうもあからさまに避けられては、それもはばかられる。自力で探そうと、壁に沿って歩き始めたところで、声をかけられた。振り返ると、エルザベルティの兄のアルトレイクが薄い笑みを浮かべて立っていた。色素の薄い金髪とアイスブルーの瞳は表情の乏しさと伴って少し冷たい印象を受ける。エルザベルティと対極にいるような彼をシルフィアンナは少し苦手にしていた。
「ダグをお探しですか?」
「えぇ、噂のご令嬢を伴って参加されているようですから、私もご挨拶させていただこうと思いましたの」
「ではご案内しましょう」
差し出された手に、戸惑いがちに手を預ければ、流れるような動作でエスコートをされた。
「伯爵家の夜会には馴染まない顔ぶれのようですけれど、何か目新しい話題でもございまして?」
中級貴族の夜会に上級貴族や王族が参加することはもちろんある。しかし、こちらの伯爵家は上昇志向に薄く、どちらかといえば堅実なイメージだった。夜会の雰囲気からして、意図して招待したといった様子はみられなかった。
「他の方たちが何を思って参加したのかはわかりませんが、私がここにいるのは、皇太子殿下が参加すると伺ったからです」
皇太子殿下が参加するからといって、侍従でもあるまいし、彼が参加する意味がわからない。取り入りたいという目的があるのならともかく、彼はすでに皇太子殿下の友人だ。シルフィアンナの疑問は顔に出ていたのだろう。アルトレイクは少し肩をすくめると付け足した。
「あの方が想定外の行動をするときは、確実に面倒事を起こします。まったくあの方といい、従妹姫といい、私たち兄妹をこれ以上悩まさないでほしいものです」
ため息を吐きながら冷たく放たれた言葉にシルフィアンナは目を見張った。ほんの数年前、アルトレイクとサーラレミリアのことを話したときには、幼い婚約者を思い浮かべて目元を弛ませていたはずだ。滅多なことで表情を動かさないアルトレイクの柔らか表情はシルフィアンナの脳裏に強く残っていた。
「サーラ様の優しさに胡座をかいて、悩ませているのは貴方ではなくて?」
「そうですね。互いが互いを悩ませているのかもしれません。さぁ、ダグはあちらにいますよ」
シルフィアンナの反論もろくに聞かず、アルトレイクはダレングレイがいるほうを指さした。
「お手数をおかけしましたわ」
そういってお辞儀をするシルフィアンナに、アルトレイクは口許にだけ笑みをのせて頷いた。(やっぱり好きじゃないわ)シルフィアンナは心の中でそっとつぶやいた。
アルトレイクとシルフィアンナのやり取りが聞こえていたのだろう。振り返ったダレングレイは、シルフィアンナの姿をみるなり、「フィア」と言って嬉しそうに近づいてきた。そこに気まずさなど欠片もない。それどころか、満面の笑みだ。いきなりの行動にロレーヌはついて行けず、ポツンと取り残された。何故だかこちらが申し訳ない気持ちになる。
ロレーヌの表情に一瞬呆れが浮かんだようにみえたが、すぐに口の端に挑発的な笑みをのせると、今度は身体を密着させるようにダレングレイの腕をとった。
「ダレングレイ様、そちらは?」
分かっているだろうに、聞いてくる様がいやらしい。
「彼女はシルフィアンナ…」
「ダグの婚約者よ」
ダレングレイの言葉に被せるようにシルフィアンナが答える。それに、ロレーヌが頬に手を当てて「まぁ」と呟やくと、優しげに目元を緩ませ、いいはなった。
「婚約者のシルフィアンナ様はとってもいとけなくていらっしゃるのね。」
(この小娘が!)
ロレーヌは、シルフィアンナが平素は存分に活用しつつも密かに抱き続けているコンプレックスを見事に踏み抜いた。自分が利用する分にはいいが、相手から揶揄されるのは最も許しがたいことだった。
シルフィアンナは怒りが表に出ないように、殊更ゆっくりと小首を傾げて微笑んで見せた。
「ロレーヌ様の方が大分いとけなくていらっしゃるようだわ(頭の中が)。」
互いに微笑みあう女性達に配慮したのか、決定的な戦いが始まる前にアルトレイクがロレーヌをダンスに誘う形で二人を引き離した。
帰りの馬車にはなぜかダレングレイが同乗していた。エスコート相手を放っておいて良いのかと思わなくもないが、ホッとしているのも事実だ。
「フィア怒っている?」
「怒ってないように見えるのならどうかしているわ」
「ちょっと付き合いでね。断れなかったんだ。でも、こうしてフィアが来てくれるなんて思ってなかったから、すごく嬉しかった」
ダレングレイの手がシルフィアンナの髪をすく。
「ねぇ、フィア?」
甘い声音にシルフィアンナの鼓動が速度をあげる。見上げたダレングレイの目にはシルフィアンナが考えていたような熱はなかった。その中にあるのは怯えだろうか。
「愛しているよ」
そっと紡がれた言葉はシルフィアンナへの問いかけのように聞こえた。シルフィアンナはダレングレイの向かいから隣に座りなおすと、そっと彼の肩に寄り掛かった。
「私も愛しているわ」
そう言って見上げたシルフィアンナの瞳には、赤く染まったダレングレイの耳が移った。