2女教皇
道なき道を歩いていると、湖にたどり着いた。
湖面は鏡のように空を反射し、どちらが空でどちらが地上かわからないようになるくらいだ。
針を落としたら音が聞こえるくらい静寂な風景に、2人は一瞬息を呑む。
「兄貴ー綺麗ですねぇ〜釣りでもしましょう」
「釣りなんて、魚が一匹もいないじゃないか。やってもなあ」
「まー、いいじゃないっすかあ。なんか大物釣れるかもしれないっすよぉ〜?希望を捨てちゃダメだあ」
自由人すぎるわ。こいつ。何を考えているかわからない。
アントンは、例の小さなバッグをポフっと叩くと、そこから何故か羊皮紙が出てきた。
何か文字が書かれているようだが、死神には読めない文字だった。
アントンは興味深げにそれを目で追う。
「此れ、ラジエルの書なり、ここに世界の倫理を記す。願えば叡智が授けられん」
アントンの目つきが変わり、聡明な賢者のような雰囲気に包まれた。
何か計り知れないものを知っているような、深い紫色の光が宿り、どことなく触れてはいけないオーラがアントンの周りを包み、自身は虚空を見つめて何も言わなくなった。
「おい、お前、どうした?なんだ?」
「........」
やばいぞ!5分黙ると死ぬとばかりに騒がしくしてる奴がこんなに静かになるなんて、何かやばい紙なのか!
死神はアントンから羊皮紙を奪い取り、湖に向かって投げた。
「アントン‼︎しっかりしろ!」
肩を揺さぶるが時が止まったかのように微動だにしない。
「おい!アントン‼︎アントン!」
「今は何も言わない方がいいわ」
「誰だ!」
静かな水面から柱のような水飛沫が上がったあと、神殿のような建物が現れた。
その真ん中の石の椅子に鎮座している女がいた。
「この子は今、世界の理に迷い込んでしまったの。ちょっとやそっとじゃ元に戻らないわ」
「コイツは死ぬのか?」
「死なないわ。アルカナの世界は死を超越した世界なの。ただ、この子は……そうね、自分がどこからきたのかを探しているのかもしれないわ」
「どういうことだ?」
「この子は……自分の意思でここに来たわけじゃない。いる意味がないの。ただこの先は……わからないわ。読めない。」
「さっきから何を言っているんだ!」
「私でもわからないことがあるのね。興味深いわ」
「おい!アントンお前、ふざけんなよ!お前、戻ってこい!また肉の粥食わせろよ!お前男のくせに料理だけは上手いし、お前がいないと例の小さな袋みたいなやつ使えないし、それに、それに、お前が喋らないとと寂しいよ。戻ってこい!アントン!」
ずっと小さな肩を揺さぶるが、アントンは無反応でずっと固まっている。
死神は、空洞のような目から一筋、涙が流れた。
「アントン……帰ってこいよ」
それがアントンの頬をつたい、口の中に入る。
アントンの目がいつもの目の色に戻る。
「なんだよ兄貴。兄貴は指が骨なんだから刺さって痛いんだけど」
「あ、あ……良かった」
「何が?何だよ?」
「いや、べつに、何でもねーよ」
死神は、ローブのフードを被り、くるりと身を翻す。
「綺麗な景色を見て満足しただろ?もう行くぞ」
「おれ、何も見てないけど」
「でもさっき、そこに……え?」
今まで見えていた湖と神殿は消えてそこは砂漠しかなかった。
「どういうことだ?湖は」
「何言ってるんすか兄貴。何もないっすよ」
「でもさっき湖が……お前だって魚釣りしようって……」
アントンはキョトンとした目で死神を見つめる。
「もういいや。行こう」
「そっすね!兄貴。まあ、肉の粥食べて今日は寝ましょう。疲れたんすよ」
「お前……ッ」
アントンはポンポンッと例のカバンを叩き、野宿の用意をする。
カバンは大きく膨らみ、人が入れる大きさになる。
2人は中に入る。
相変わらずランタンは温かな光を宿し、暖炉の炎がゆらゆらと火をあげている。
アントンは中に入ると早速食事の用意を始める。
死神はクッションに深く身を沈めて思案した。
あの女は何だったんだ?
コイツは自分の意思で来たわけじゃない。
そもそも、アルカナの世界って一体何だ?
死を超越するってどういうことだ?
分からない。何より、
肉の粥を作っている、アントンの小さな背中を見た。
アントン……お前はどこから来たんだ?
一方、女教皇のいる神殿では
「死神が、涙を流した……ますます興味深いわ」
死神は涙を流さない残忍で非情な存在。
そうならなければ、人の命を奪えない。
彼は……一体、何者なの?
女教皇
手に持っているのはラジエルの書。叡智、純潔、神秘、秘密