第34話 感情の権限
1
俺の目の前には、球体が三つふわふわと空に浮かんでいる。それぞれが独自にツタ状のなにかを下に足らして地面と繋がり電柱のように立っている。
だが気持ち悪いことにそれはぐにゃぐにゃと自在に動き回っている。三つの球体はひび割れ、がくがくと振動している。そして、球体が絡み合い少女達を縛り上げている。
「このバケモノ、笑っている?」
後ろから相馬の声が聞こえてくる。
「何でもいい。動いてくれ。俺の身体……」
俺は歯を食い縛り、目の前でしずく、かがりを縛り付ける嫌悪の感情の化身を直視している。
『パパ』
俺の回りを飛び交っていたエルの身体がふぁーと、黒い粒のように分解される。
重たい身体が嘘のようにどんどんと身体が楽になっていく。俺の回りに黒い粒が砂塵のように吹き荒れる。だが、不思議と何故か心が満たされていく、最初にこの子と出会ったときと同じだ。満たされていく感覚と同時に脳裏に情景が流れ込んでくる。
木々が燃えている。辺りは火の海だ。そんな中子どもが一人泣きじゃくり、その横に倒れた女性がいる。
その女は燃え上がる木の下敷きとなっていた。子どもが女性の指を掴む。しかし、子どもがどんなに強く握っても何も反応がない。
死んでいるのだ。子どもにそんなことは分からない。子どもはただただ泣いている。
『イヤダ……イヤダ……オイテカナイデ……オイテカナイデ……オイテカナイデ……ステナイデ』
エルの声が聞こえてくる。身体の付し部しにあったヒビが埋まっていく。
これなら! いける! そう俺を直感させられる。
『カエセ……カエセ!』
俺は飛び上がり、嫌悪の感情の化身の黒い表面を掴もうと手を伸ばす。すると、俺の腕は何の抵抗を感じないまままるで空を切るように手応えを感じない。そんな俺の感覚をよそに俺の腕は奴の頭一つを凪ぎ払っている。触れた感覚が……ない?
砕け散った奴の頭部の破片が地面に飛び散っていく。そして、そのまま力を失った様にその頭部を支えていた支柱が崩れていく。その衝撃で、しずくとかがりの拘束が解け、そのまま落下していく。
「…………ウゥ」
しずくとかがりの名を呼ぼうとする。しかし、声に何かが詰まっているような違和感。呻き声のような音しか出ない。
逆さまのまましずくとかがりが落下していく。
必死で手を伸ばす。
『ぱぱ、大丈夫』
エルの声が聞こえたような気がすると、視界が急速に移り、気づけば、俺はすかさず二人を抱き抱え着地していた。
「青葉さん?」
しずくが俺の腕の中で俺の顔を見上げてくる。声を出そうにも声が出ない。何だこの違和感は? でも何だこの満ち足りた感覚は?
『マモル……』
ゆっくりと二人を地面に下ろす。
『な、なんだ! あれ……』
アリエム声を他所にに俺は嫌悪の感情化身――二つの球を引き裂いていく。身体が異様に軽い。考えたことがその直後には行動になっている。そのまま、やつを腕で地面に叩きつける。
『マモル……マモル……マモレル』
守る、守る。俺が守るんだ!
『グギギ、が丫bba』
嫌悪の感情の化身が呻き声のような音を発している。
身体が軽い。さっきはそう感じた。だが違う。勝手に身体が動いている。だがそんなことは気にしない。目の前の存在をただただ打ちのめせば、出来るならそれでいい。
俺はのそのそと歩いたかと思うと、いつの間にか嫌悪の感情の化身の上に立っていた。
嫌悪の感情の化身の亀裂から大量の青い蝶がこちらに向かって飛来する。俺の身体はそれをものともせず、腕をその裂け目に突っ込み、そのまま裂け目に沿って一つの球体を真っ二つにした。
やった! 俺は今度こそ守ることができたんだ!そう安堵したときだった。
『ボクガ……マモルンダ……パパヲ……コロサセナイ』
ぴちゃ、ぴちゃ、ぐちゃぐちゃ
音が聞こえる。俺の手が筋のような物を手にしている。どんどんと顔にそれを俺の身体は近づける。
まさか、そう思った。だが嫌な予想は的中していた。俺は嫌悪の感情の化身の一部に食らいついていた。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。来るな。来るな。来るな。辞めたい。辞めたい。止めたい。気持ち悪い。
声が無数の感情が俺の身体の中で蠢いている。
『ウゲゲゲェ、ゲゲゲェ!』
けたたましい声とともに俺の身体は頭を押さえている。激しい吐き気とともに視界が閉ざされる。
2
急速に青葉の回りで黒い粒子が舞い、砂塵のように青葉の身体を埋め尽くす。
その砂塵がさあーと薄れたかと思うとそこには仙台青葉の姿はない。
青葉のいたそこには、黒い人形の存在が前のめりで立っていた。それは、節々に赤い筋があり、赤い髪を有しており、頭部には三つの赤い楕円形の物体がついた仮面がついている。仮面は人形の目と鼻を隠し、耳まで覆っており、口が露出し不敵に微笑みを浮かべている。
『なんだ、これ ……これじゃ、まるで』
アリエムが声を漏らす。人智を越えた存在の彼だったが、そんな彼でも目の前のものは常軌を逸した存在だった。
黒い身体の存在が、飛び上がる。凍りついた地面は蹴られた拍子にひび割れ、その脚力の異常さがわかる。
飛び上がった人形の存在は弾丸のように嫌悪の感情の化身に迫っていく。間髪を入れずに人形の存在は右腕を振りかぶりそのまま振り下ろす。避けることも出来ず嫌悪の感情の化身の肉片がボタボタと地面に落ちていく。
嫌悪の感情の化身を粘土細工のように容易くを素手で引き裂いたのであった。
『青葉……さん……なんですか?』
はながか細い声で呟いていた。はなは目の前の異形の存在に恐怖を感じていた。
「な、何をしているんだ……」
相馬は呟く。
「…………」
相馬の問いかけに目の前の黒い身体の存在は応えない。
アリエムの言葉をよそにニタあと笑っている。そして、そのまま、残り二つの球体を真っ二つ引き裂く。どばどはっと黒い血のような液体が飛び散り、地面を濡らす。
あろうことか嫌悪の感情の化身を引き裂いた物を口に運び始めた。
クチャクチャ、くちゃ、くちゃ、ねちゃ、ねちゃ。静かに咀嚼音が響き渡る。
『止めろ! 青葉! いや、エル! 感情の化身の源の【嫌悪の感情】を喰らっているのか! それでは青葉がもたない』
(感情を喰らう? それじゃあ、まるで僕らと同じじゃないか)
その液体が人形の存在にずずっと吸われるように入っていく。
その瞬間、人形の存在が頭を押さえうずくまる。
『ウゲゲゲェ、ゲゲゲェ!』
人形の存在は甲高い声をあげたかと思うとピタリとその動きが止まる。
ゆらりと立ち上がると、アリエムや相馬の方に向き直る。その上でゆっくりと言葉を発する。
『僕らは強い。何も取られない。守れる。パパの望み通り!』
その声は、その場にいる誰もが知る仙台青葉の発するものだったが、明らかに彼のものではない。




