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「じゃあ、掃除係くん。約束だよ。」
また、いなくなってしまったわ。
主が消えた部屋に取り残されたワンダは一度、深呼吸をして周囲を見渡す。
主のいない部屋といのは物悲しいが、今はそんな感傷に浸っている暇はない。
この部屋に置いてあるものの位置は掃除の時に把握している。
自分に言い聞かせるように頷くと、ワンダは速やかに動き出した。
まずはサリバンの部屋にあったレターセットを使い、職を辞するための文書を綴る。
定型文のような文章はこれまで書いたことはなかったが、見たことがあるためか誤字の一つもなく書き上げ、サリバンの部屋を出る。
ナナバ庶務長から来るようにと言いつけられていた学園の教会では既にことは済んで片付けをしている真っ最中だ。
ワンダは片付けを手伝いたくなる気持ちを抑え、ナナバ庶務長の執務室へと向かった。
二回ノックして、許可を経てから執務室に入る。
ワンダは直ぐにナナバの机の上に先程書いた文書を差し出した。
ナナバは少し目を見開きながらも差し出された封書をペーパーナイフで鮮やかに開封する。
いつもの穏やかな表情は文章を読み進めていくことで曇っていくのがよく分かった。
「これは?」
「短い間でしたが、職を辞させて頂きます。」
「理由を聞かせて頂いてもいいですか?」
「親戚が事故にあいまして、人手が必要になりました。」
嘘くさい理由を述べるとナナバは苦笑いをした。
「嘘は結構ですよ、ウェンディさん。」
好々爺然とした優しい紳士は小さなため息を吐く。
嘘を吐くことも仕事を抜けることも申し訳なく思うものの、ソニアがいない今、ワンダがここにいる意味はない。
「大変申し訳ございません。
ですが、どうしても…行かなくてはいけませんので。」
「もしかして、ウェンディさん…サリバン先生を愛しているのですか?」
全くもって予想外のナナバの言葉にワンダは何も発することが出来ないまま固まる。
沈黙を肯定と見なしたのかナナバは低く唸った。
「心配な気持ちはよく分かりますが、考え直して下さい。
うちの生徒から魔女が出たなんて考えたくはないですが、バロイッシュ家のご令嬢が魔女で間違いはないでしょう?
サリバン先生が審問の対象になったのは魔力の規定によるものです。
大丈夫です、先生方は必ず戻ってきます。
ですから、帰りを待ちましょう。」
「……必ずなんてことありますか?」
「心配をし過ぎるのは良くないということですよ。」
ナナバは目を伏せ、その後苦笑しながら言う。
その言葉はウェンディの気持ちを汲んで言ってくれているということは良く分かったがワンダは言うべきではないと分かりながらも言葉を続けずにはいられなかった。
「間違いはない、必ず…だなんて言えますか?
ソニア・バロイッシュ令嬢は間違いなく魔女ですか?」
サリバンと話をして落ち着いた気持ちになれたと思ってはいたけど、
お嬢さまが魔女だと言われるのは悔しい。
「ナナバ庶務長…本当にそう思いますか?」
名前を呼び、目を合わせる。
「ええ、それは…つっ」
「大丈夫ですか!?」
ナナバは目を合わせたかと思うと何かが痛むかのように片側の頭を手で押さえ眉間に皺をよせる。
「すみません、
…頭が、痛くて…っ」
ナナバは頭を押さえたかと思うと、ゆっくりと頭を押さえていた手を外す。
そして、ぼんやりした表情でワンダを見つめた。
「ウェンディさん、何んで…でしょうか?
何故私はバロイッシュ家のご令嬢を魔女だと?」
ワンダはナナバの肩を支えながら驚きの声を上げる。
「ナナバ庶務長…、ナナバ庶務長も可笑しいと思いますか?」
「ええ、魔女の審問は仕方がないとしても、
何故根拠もないことを私は信じていたのでしょうかね?」
どういうことかしら?
洗脳が解けている?
「ナナバ庶務長を含めて学園の全員がバロイッシュ家のご令嬢を魔女だと決めつけていました。」
信じられないというように、けれども確かにナナバは頷く。
「そのようですね、先程まで私も間違いないと思っていましたから。
神官様と兵士様がいらっしゃった時は学園長先生と共にまずは調べる必要があるというようにお話したつもりだったのですが…どうして?」
ここで、悪魔の血の話をすれば私が魔女になることは確実よね。
ならこっちでいくしかない。
「分かりません、でも、こんなことになって…私はとても不安です!」
ワンダは人のいいナナバが哀れに思うようにしおらしく沈んで見せる。
愛だの恋だのが理由だと思われているなら、それも一つだろう。
「こんな可笑しな状況では必ずサリバン教授が帰って来ると言えますか?!
確かに、ただの掃除係の私では王都に行っても何も出来ないかもしれません!
でもっ!!でもですよ!?
もう、二度とサリバン教授に会えないかと思うと私…」
ナナバは同情するようにワンダの言葉を頷きながら聞く。
「確かに、何が起きているのか分かりませんね…何かの魔術かもしれません。
ですがこれが魔術だとすると、それこそ魔女の仕業としか考えられない。」
「やっぱり!危険なのですよね!?
私が行っても何にもならないことは分かります!
ですが、やっぱり私はあの人が心配なのです!!お願いします!行かせて下さい!」
「……王都に入る手立てはあるのですか?」
「知り合いを頼ります。」
「そうですか…。」
ナナバは長考した後、小さくため息を吐いた。
「本当は生徒と教員の解術の手配を手伝って頂きたいのですがね…
貴女がいると仕事が早く片付くのに。」
「すみません。」
「いいえ、若い頃にしかできないこともありますからね。
分かりますよ、私も若い頃は衝動に駆られて動いたものです。
ああ、でも困りましたね…
解術は学園長先生やサリバン先生も得意なのですがね…本人達がいなくて、皆魔術にかかっているとすると気が遠くなりますねぇ、はあ。」
ナナバは肩をトントンと叩き、首を回して音を鳴らす。
「ウェンディさん、この書面は預かっておきます。」
ナナバはワンダが書いた辞職の文書を机の中に仕舞う。
「サリバン先生と戻って来て下さいね。」
好々爺はきりっとした表情で力強く言った。
全て投げ出して学園を後にするつもりだったが、こう言われてしまうとそうはいかなくなってしまう。
「有難う御座います、ナナバ庶務長。
努力させて頂きます。」
ワンダは返事を濁してしまったが、上手くいったらナナバには挨拶をしなくてはならないと深く頷いた。




