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夕食は和やかにはじまった。
娘のソニアの帰宅を喜ぶ母親で大奥様のセルマは普段の神経質な様子はなく穏やかに笑っている。
兄で現当主のマルスはまるで白熊のような大きい身体を緊張させて硬い表情をしているが、普段から無表情な為そこまで変わらなくも見える。
マルスの夫人リリーは状況を知らないからこそ、ソニアの学園生活に楽しそうに相槌を打ちながら会話を円滑に進めてくれる。
傍目から見ても仲のいい家族だ、給仕していても気持ちがいい。
夕食後、話をすると伝えてあったため、
食堂にいた使用人は使用人頭のロニーとワンダ以外全員下がった。
その状況に困惑したのは大奥様のセルマだった。
「一体、どうしたって言うの?
ソニア、人払いなんて必要あるかしら?
お話なら、お茶を飲みながらバルコニーでしてもいいじゃないの。」
「お母様、申し訳ございません。
実はご相談したいことがありまして。」
「何よ、改まって」
「端的に言いますと、私とメイナード殿下との婚約が今後危うくなるかもしれませんの。」
ソニアが第二王子メイナード殿下との婚約の話を口にすると、セルマの目の色が一瞬で変わった。
ここにいるリリー以外はセルマの反応について想定していたことだが、ソニアとそっくりの綺麗なご婦人が青くなりながら次第に鬼のようになっていく姿は迫力がある。
セルマはソニアとメイナード殿下の婚約後、心意的な理由で体調を崩している。
当時相当な心労があっただろうことは想像に容易い。
「ソニア?…何を馬鹿なことを言っているの?そんな恐ろしい冗談は…やめて!!」
「申し訳ございません、お母様。
でも、事実ですのでちゃんと伝えたかったのです。
リントン子爵が養女として招いたマリー様という方が春期から学園に編入されてきたのですが、
その方は魔力が私よりも遥かに上ですの。
こちらに戻る二週間ほど前に来年度の聖夜祭にあたってマリー様はご自身の魔力量を計ってらっしゃらないと言いまして、計測を行うことになったのです。
その結果、魔力計は測定不能で三回壊れ、それどころか魔力に引き寄せられたのか食堂に高位の精霊様が現れましたわ。
国としては喜ぶべきでしょうが、残念ながら……彼女の力は本物です。」
乙女のもとに高位の精霊が現れたという話はイギシュラ王国建国時の王と神様の愛しい子の話と昔ソニアに絵本を読み聞かせをした中でしか知らない。
仏頂面の当主マルスと冷静な老紳士の使用人頭のロニーも流石に驚いた様子を見せる。
事実とは言い難いおとぎ話のような話だが、そんなおとぎ話をする場面ではないだろう。
「噂もこの休暇中に広まることでしょうし、新年度からマリー様とご結婚なされたい方が増えると思いますわ。
メイナード殿下もマリー様を気に入ってらっしゃるご様子でした。
マリー様が誰を選ぶかは分かりませんが、第一王子のレイモンド殿下も再び動き出す可能性があります。
ですから、メイナード殿下との結婚を望んだ場合は私との婚約は破棄されるでしょう。」
「そんな…!!!そんなことは、許されません!!魔術契約がありますのに!」
セルマの顔色がどんどん青ざめながら、声を荒げる。
マルスは目を伏せ痛みに耐えるような表情をして、リリーは何やらぶつぶつと考え込んでいる。
ソニアだけが落ち着いている様子に見えるが爪先が白く指に相当な力が入っている。
「あのっ、契約時の文章の複製はありますか!?」
奥方のリリーが真っ先に声を上げ、使用人の方を向いたことにワンダは驚いたが、
マルスの結婚相手の選定時の情報の中にリリーは魔力が高いだけでなく、アルテ魔術学園の中で基礎魔術研究と魔術契約を専門に学んでいたということを思い出した。
「ロニー、すまないが複製をとってきてくれないか?」
当主のマルスが使用人頭の老紳士ロニーに声をかけるとロニーは頷き、
音もたてずに食堂から消え、しばらくすると木箱を大事そうに抱え持ってきた。
綺麗な所作でロニーは木箱から羊皮紙を取り出し、リリーに手渡す。
リリーは複製された契約書をぶつぶつ言いながら読んでいく。
集中しているときに呟くのは彼女の癖だった。
「一つ、契約者メイナードと契約者ソニアの婚儀がなされない場合、契約者ソニアはバロイッシュ家の爵位と領地を返還する。
一つ、契約者メイナードと契約者ソニアの婚儀がなされない場合、契約者ソニアは魔力を…禁ずる。
魔力を?禁ずる??」
魔力を全く出さないという人間は殆どいないらしく、強大な魔力を持つものであればあるほど無意識化で魔力を使用してしまっている。
そして、魔術契約は契約を破った場合は死あるのみだ。
要するに、『メイナード殿下と結婚しないとソニア様は死ぬ』そういう契約なのだ。
お手付きや駆け落ち、バロイッシュ家側からの婚約破棄を防ぐ超強硬手段といったところである。
「お義姉さま、せっかくバロイッシュ家に来て頂いたのにこのようなことになってしまい、本当に申し訳ございません。
アマーキン伯爵にも何と言ってお詫びをすればいいか…どのような結果になってもお義姉さまとお腹の子だけは何かしらの方法を考えますわ。」
ソニアは嫁に来たリリーとお腹の子を気にしていたようで、深く謝罪した。
リリーは王都に近い領地をもつアマーキン伯爵の三人姉弟の第一子である。二人の弟は優秀で家系としても安定している。
ワンダとしては何かあった場合に頼るつもりで考えていたが、ソニアにはそのつもりは毛頭ないらしい。
それがお嬢さまの美徳なのだけれども。
「何を言っているんですか!?悲しいことを言わないで下さい!
私も家族なんですよ?お父様も手伝ってくれるはずです!」
リリーはボロボロと大粒の涙をこぼして泣いた。
ワンダがハンカチを差し出す前にセルマがリリーの涙を拭う。
ソニアは困ってはいたが嬉しくない訳がない。
リリーが落ち着くのを待ちながら、ワンダはハーブティーを蒸らす。
旦那様は本当にいい人と結婚なされた。
ワンダはマルスとリリーの縁談のことを思い出していた。
いくら使用人や民がいい統治者であると認めていたとしても魔力の少ないマルスと結婚してくれる貴族は少ない。
その上、マルスは大きな身体に精悍な顔をした男前だが、如何せん仏頂面である。
内面はただの照れ屋なのだが、時間をかけて関わらないと分かりにくく大男の仏頂面は怖く見える。
無論、使用人にも街の人々にも好かれているのだが、仕事以外で女性と話すと緊張してどうしようもない。
出会いの場である夜会で女性を口説くどころか照れてしまって話すのも難しく、
ワンダが「旦那様、夜会はいかがでしたか?」と成果を聞くと「す…すまない。」とだけ返事をして、しょぼくれた様子で小さくなろうとするのだ。
だから、結婚相手探しは難航すると考えていたのだ。
しかし、思ったよりもあっさりとマルスの結婚は決まった。
それも思ってもいないような好条件の相手から来た話だったため、話を聞いて使用人全員が吃驚の声を発したものだった。
使用人の中ではあまりの好条件に『何かあるんじゃないか』と戦々恐々と奥方になったリリーを屋敷に迎え入れたのだが、箱を開けてみれば条件以上に好い人だった。
リリーが言うには
「あの人は覚えてないみたいだけど、私達、王都の図書館でお会いしているんですよ?
それにわざわざあの人が行く夜会を調べて、ご挨拶も毎回していたのに!!
緊張して覚えていないなんて…なんて可愛いの。」
とのことだ。
あまりの惚気に聞いている方が照れる事態で、
稀にお嬢さまや私が旦那様をからかう時にこの話を使っている。
旦那様の幸運がお嬢さまにもあるといいのに。
ワンダは色々と思い出しながらも淡々とお茶をティーカップに注いでいく。
ハーブティーを給仕し終わると当主のマルスはロニーとワンダにも席に着くように促した。
有難く言葉を受け取り、ロニーとワンダは末席につく。
「ソニア、お母様、リリー、そして皆には…私の魔力が少ないばかりにいつも苦労をかける。
先程、ロニーとワンダと今後の方針を話し合った。それぞれの意見を聞きたい。
話をしてもいいだろうか?」
全員が了承するのを見届けるとマルスはゆっくりと話し出した。
「まず、これから書簡を送り国王と第二王妃に面会を願おうと思う。
返事が来次第、私とお母様で王都に向かう。
婚約の撤回をしないよう釘を刺してくる。
私では第二王妃様はどうにもならないとしても、契約違反は契約違反。
国王様の口添えだけでも貰うつもりだ。
お母様は王都で夜会に出席して頂きたい。出来うる限り協力者は増やしておきたいが私だけでは心もとない。
リリーは私がいない間、ロニーと協力して領主としての仕事を頼む。
期間はそうだなできればソニアの新学期が始まる前までには戻ろう。」
「ええ、わかったわ。」
「分かりました。ロニーさんよろしくお願いいたします。」
セルマ、続いてリリーが承諾する。
「ソニア、歯痒いとは思うが夏季休暇中は動かず休め。」
「ええ、それがいいわ。私が夜会と昔の伝手を使って出来る限り協力者を集めるから、大人しく悲しみに耽る深窓の令嬢になりなさい。」
マルスがソニアに指示することは少ないのだが、しっかりと言い切るとセルマもそれに続く。
二人ともソニアの顔色の悪さに気が付いていたようだ。
ソニアは小さな声で「この私が悲しみに耽る深窓の令嬢?」と信じられない様子で呟いてはいたが、下手に動くのも悪手になりかねませんものねと納得した。
私としてはこの了承で一安心といったところだ。
「最後にワンダについてだが、ワンダには申し訳ないが死んでもらう。」