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全力で扉を引けども、扉は動かない。
なんで!?なんで開かないの?
黒塗りの扉に光が反射する。
焦ったワンダは光の方向に振り向く。
夜空のような暗幕は翻り、棚に置かれていた物物しい魔封じたちが光へと変換されていく。
硝子が割れるような音は小瓶が弾けた音のようだ。
割れた硝子に反射した光が床から浮かび上がった魔術陣の元へ墜ちていく様子は流星群のようにも見える。
美しい光景だが、魔術陣が良い状況を起こすことはないだろう。
奥歯を強く噛み締める。
陣はどんどん拡大して行き、焦りだけが重なる。
どうしよう?
違う、どうする?だ。
魔術陣が全て繋がると、ワンダと扉に相対するように起き上がった。
ワンダは賭けに出る為に、足と奥歯に力を入れ駆けだした。
床には硝子が散らばり踏み込むたびに何かが割れるような嫌な音が聞こえる。
その上、空中に浮いた硝子の破片が腕や頬、足に切り傷を作っていくのが分かる。
痛い、でも切り傷なら…動ける。
ワンダは全速力で近づいてくる魔術陣を躱し、
メイナードが絨毯を捲った時に現れた魔術陣の中央にある『あるもの』を目指す。
滑り込むように手を伸ばした手に触れたものは金属の取手、
魔術陣の中央に守られるようにして存在していたものは屋敷の床下収納のような、人一人がやっと通れそうなほどの小さな扉だった。
バロイッシュ家の屋敷ならの床下収納の中には収穫時期に取れた野菜の酢漬けが保管されていた。
これで入っているものが野菜の酢漬けだったら笑ってしまう。
流石に野菜の酢漬けが保管されていることはないだろう。
つまりはそれなりに、『価値があるもの』がしまい込まれているのではないかというただの希望的観測で駆けだしたのだ。
既に魔術陣は浮かび上がり扉と対峙しているせいか、小さな扉は言わばガラ空き状態。
開けるなら今しかない。
「お願い!開いて!!!」
渾身の力を込めてと扉を引くとワンダは引くときに込めた力そのままに体勢を崩した。
扉があまりにも軽く開いてしまったのである。
「ん?えっ…!?」
つまるところ、軽く開いた反動でワンダはバランスを崩した。
小さな扉の中へ崩れ落ちるように真っ逆さまに、
落ちたのだ。
「うっあああああああ!!!!!!!!」
落ちる、墜ちる、堕ちる。
真っ暗な中、
深く遠い夜の中に落ちていく。
ワンダは叫んでいるような気がするが、自身が叫ぶ声すらも聞こえないほどの暗闇の中に落ちている。
けれどもこんなに落ちているのなら、どう頑張っても絶対に死ぬということだけは分かる。
魔術人形『人間もどき』を突き落とした時を思い出す。
あの時は一瞬だったけど、実際に死ぬとなると本当に走馬灯が頭を巡るように時間を遅く感じられるのかもしれない。
これで死ぬのは二回目になる。
ソニアお嬢さまのことも、あの少女のことも中途半端でまだ何も出来ていないというのに、私の人生は何だったのかとも思ってしまう。
考えだすと止まらなくなってくるのが嫌で、思考を放棄しようとした。
『ソニアもキミじゃない誰かが守ってくれるんじゃないかな?』
悪魔の顔が、甘言が、不意に浮かぶ。
私がいなくても誰かがやる。
世界はそういう風に回っていて、それは恐らく変わらない。
そんなことは知っている。
でも、なんで私は貴方のことを思い出すのかしら?
ワンダは皮肉に笑って、そこで、意識は途切れた。
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息が出来ないほど押さえつけられていたものからの解放の途端、
メイナードは蹴り出され、扉の外に転がった。
「ぅぐ、ゲホッ!!」
いきなり呼吸が出来るようになったため、メイナードはむせ込み、喉からはヒューヒューというような喘鳴が聞こえる。
体中が痛く、四肢はしびれている。
押し出されたはずの扉を睨みつけるとそこは綺麗さっぱり何もない、白い石の壁がまるで何事もなかったような顔をしている。
「くそっ、マリー!」
メイナードがよろめきながらも立ち上がると突如小柄な少女が何かに突き飛ばされたように現れた。
倒れ込む少女を咄嗟に受け止める。
少女は大きな瞳から涙が零れ落ちて、青ざめていながらも興奮し、震えている。
正気じゃなかった。
「ウェンディさん!!!!!」
少女は大声で泣き叫びながら何もなくなった壁を両腕で叩く。
何度も何度も叩く。
「ウェンディさん!!!」
「…っマリー…。」
「どうしよう!!!メイナードくん!!
ウェンディさんが!ウェンディさんがまだ中に!!」
未だ現れない女が浮かぶ。
何が起こってもぶれることのない真直ぐな背筋、整えられた髪、完璧な角度の礼。
マリーが楽しそうに「ウェンディさん、ウェンディさん」と言って話す『サリバン先生の掃除係』が彼女だと分かったとき、
メイナードは頭が真っ白になりながらも体面を保つことで必死だった。
メイナードはマリーきつく抱きしめる。
「マリー、行こう。」
「メイナードくん!?でも!!…きゃあ!」
メイナードは少女を横抱きにする。
少女は咄嗟のことに驚き、四肢をばたつかせるがメイナードは有無を言わせず、痛む足を引きずりながら速足で歩きだした。
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